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『中国現代化の落とし穴』何清漣著、草思社刊――1900円によせて                              かけはし2003.7.21号より

官僚による国有財産略奪で進行した全面的資本主義化(2)


国有企業改革がもたらしたもの


 「第三章 国有企業改革の失敗」では、「レントシーキング活動の最大の獲物」となった国有企業改革が取り上げられている。国有企業改革により「国有資産は絶え間なく流出し」「大量の失業労働者を社会に押し出した」。
 改革当初、国有企業は「過重債務」「企業単位の手厚い福利厚生」「過度の余剰人員」に悩まされていた。九〇年代、中国政府と御用経済学者たちは、経営マネージャーによる経営請負責任制と株式制改造で国有企業が活性化するだろうと予測していた。しかし、十年におよぶ改革の結果は予想を実現するものではなかった。そして彼らは次のことをはっきりと理解した。「国有企業改革の問題は、必ずしも経済制度の新機軸を打ち出すことではなく、本質的には計画経済体制の遺産をいかに処理するかであり、これこそが転換期の主要な社会矛盾が集中した点であると」。
 国有企業の所有権と経営権の分離は、株式制改造の進展とあいまって、企業経営者による国有資産の着服に道を開くことになった。二〇〇一年四月に報道された浙江省の五芳斎実業株式会社の例を紹介しよう。同社が制度改革を行った際の総資本は千二百十二万九千六百元、うち国有株は五百七万五千六百元(四一・八四%)だった。二〇〇〇年八月、取締役兼社長の趙建平は会社から百五十万元を借り入れ、個人名義で同社の法人株百五十万株を「購入」し、名義書換費用を全額会社に支払わせた。趙はびた一文出さずに同社の株を大量に所有することができたのである。
 要領のいい企業は、株式制改革を通じて外資企業との提携を進めた。一九九六年から、中国政府は、大国有企業にテコ入れし、中小の国有企業は売却するという政策をとった。しかし国有企業が抱える不良債権問題は一向に解決する兆しを見せなかった。政府高官は二〇〇二年二月になってはじめて「九六年から〇一年までの五年間に、中国政府が企業の合併や破産の帳消しのために使った銀行の不良債権引き当て準備金は約二千八百億元で、破産を実施した企業は五百三十三社、破産の影響を受けた従業員は四百三十万人にのぼった」ことを明らかにした。
 また今後四年以内に破産企業によって生じた銀行の不良債権を帳消しにするために二千九百億元を必要とし、二千九百の国有企業を閉鎖し、五百七十万人の労働者に影響が出る。世銀報告では、八九年から九三年までの間の破産件数が二百七十七件であったのに対し、九四年と九五年の二年間だけで二千百件に急増し、九六年と九七年には五千六百四十件に達したことが報告されている。また破産規模は年々拡大し、労働者数万人を擁する企業も十数社が閉鎖されている。
 また不良債権処理にかこつけて、ほぼただ同然で国有企業を払い下げたケースも多い。これは金融機関と国有工場の経営陣が結託してはじめて可能になる。まさに国有資産の簒奪以外の何ものでもない。
 著者は、倒産に見せかけた債務逃れも横行していることを指摘している。「いくつかの企業は先を争って破産の隊列に飛びこみ、またある企業は破産直前にこっそりと資産を移転し、ひどい場合は企業の資産を勝手に山分けした」。また財産を新会社に移転し、債務と整理人員だけを旧会社に残すケースも報告されている。「統計によると、中国の四大国有商業銀行に口座を設けている『制度改革』断行中の国有企業六万二千六百五十六社のうち、三万二千百四十の企業が債務逃れや債務の踏み倒しをおこない、その割合は企業総数の五一・二九パーセントに達した」。この数字は当然、銀行の不良債権比率にも影響する。「二〇〇二年三月末現在、中国が公式に発表した国有商業銀行の不良債権比率も……じっさいは五〇パーセント前後とみられる」。

社会的後退の複合的発展


 著者は国有企業が崩壊寸前の状況に直面した理由を「中国政府が『私有化』を否定も肯定もしなかったという態度をとったからだ」とする。私有化を早くに認めていれば、従業員が参加する形での大衆的私有化が可能であったにもかかわらず、それが認められてこなかったがゆえに企業内の権力者である工場長や経営マネージャーが国有資産を「私有化」していったというのである。
 残念ながら、ソ連邦崩壊以後のロシアにおける資本主義確立の過程をみても「大衆的な私有化」が空想的資本主義でしかないことは明らかである。強力な民主的規制のない、官僚的に堕落した労働者国家における資本主義復活は、国有体制という過渡期体制の特徴をむさぼるように醜く発展する。当然のことながら「複合的発展の法則」は社会的進歩にだけでなく社会的後退にも適応される。
 とはいえ著者のいう「所有者の地位の空洞化」によって、国有企業の経営権は私有化され、責任や負担は公有化されたままという事態が拡大していったことは確かだし、それは「国有企業の病根であり、計画経済体制が残した解消しがたい負の遺産」であることには違いない。
 「九〇年代中期以降、多くの中小国有企業と集団所有制企業(地方政府所有:引用者)のなかでは自発的な私有化や非公式の私有化、すなわち許可を得ずに財産を個人資産に転化することはふつうにおこなわれていた」。ある調査報告によれば、国有企業資産のおもな流出先は郷鎮企業、私営企業、個人企業であった。人民の血と汗の結晶である国有企業が資本主義的原始的蓄積の源になっているのである。
 経営請負責任制を実施した結果、一部の国有企業では、労働者の所得が減少する一方で、請負人個人の財産は拡大し続けるという現象がみられた。これは「窮廟富方丈」(寺は貧しくなったが和尚は豊かになった)現象とよばれている。「和尚」は企業内の少数の腹心たち――財務部門の責任者や人事部長らで、俗にマネージャー、工場長とのトロイカと呼ばれた――と結託することで国有企業の資産をかすめとることができた。また一部の中小国有企業ではファミリー化現象がすすんでいる。
 しかしそれまでは企業内部の経営陣のみの結託によっておこなわれていたこの現象も、九七年以降になると政府官僚という企業外部との結託によって一層激しさを増すことになる。個人のポケットに入れられた国有資産は、八二年から九二年の十年間に五千億元を超え、控えめに見積もっても一日あたり一億三千万元の国有資産が流出したことになる。

労働者の抵抗闘争への弾圧


 昨年春に中国東北部を震撼させた遼陽鉄合金労働者の闘いは、まさにこのような国有企業経営陣と官僚の結託による国有資産の簒奪という「国家転覆」を告発し、労働者民衆の生活を保障させる闘いでもあった。しかし中国政府は闘争の指導者を逮捕し、「国家転覆罪」の容疑で告訴した(「労働情報」六一六号、APWSL日本委員会機関誌「リンクス」三五号などを参照)最新の情報では、労働者の代表二人に、禁固四年と七年の実刑が下された。また二月十日から浙江省の縁源木業有限公司の遂昌中密度繊維ボード工場で、労働者が所有していた株式を勝手に売却したうえに労働者の解雇を発表した経営者に抗して、労働者四百人がストライキに突入している。
 この間、中国における争議の特徴として、経営陣の汚職および国有資産の略奪に抗議する労働者の闘いがあげられる。「これは資本主義復活に抗する労働者の闘争だ。これはいまだ中国が労働者国家であることの証明ではないか」という意見もあるだろう。たしかにこれは資本主義復活に対する闘争であることには違いない。しかしそれを以って中国はいまだ労働者国家である、とするのは、国内外の政治、経済、社会の弁証法的な発展がすべて同じ速度で順を追って展開していると考える場合にのみ有効な考え方である。これは現実の中国社会の変化から見た場合には現実にそぐわない考え方である。この点については後半に触れる。

権力を利用した富の蓄積の実態


 「第四章 レントシーキング活動(腐敗)の氾濫」では、「改革・開放」政策の中で権力を利用した富の蓄積の実態を詳細に論じている。「レントシーキングはおもに政府を通じて収入や富の分配に影響を与え、特定の個人あるいは特定集団の利益のために、全力を尽くして法律が定める権利を改変しようとすることである」。
 この十年近く急激な勢いで富を蓄積した人々のうち、「大半の人びとは市場によらない手段で富を築いたという特徴」があり「一見したところ権力とは関係なしに発展した郷鎮企業や私営企業を例にとっても、市場によらない手段の重要性がわかるのである。これらの郷鎮企業や私営企業はいずれも市場行為をとおして発展したように見えるが、その内幕を仔細に調べれば、そこにさまざまなレントシーキング活動の跡をみいだすことができる」。
 著者は、成功した中国企業においては企業家の見識と勤勉さだけでなく、レントシーキングを利用した大量の資源投入ができたことを理由に挙げる。「計画経済体制とも異なり、規制化された市場とも異なるシステムが存在し、資源分配を狙っているのである。いいかえると、中国におけるこうした企業のレントシーキング活動はおもに非公式の関係網(人間関係のネットワーク)を通じておこなわれているのである」。八〇年代当初はこういった人間関係は親族、同郷、知人などが中心であったが、九〇年代にはそれが金銭によって築かれた関係に取って代わられた。
 九〇年代末には「事前のレントシーキング活動」が活発化した。「事前のレントシーキング活動」とは、自らの集団に有利な政策決定が実現するために利益集団が行う活動のことである。計画経済はすでに存在しないが、経済政策の決定という面では当然ながら政府の影響力は広範囲に及び、レントシーキング活動も同様に広範囲に渡る。「こんにちのレントシーキング活動はいくつかの`ポイントaに集中している。そのポイントとは、権力が集中しているところ、体制の転換が交差するところ、システムが欠落しているところ、法律や政策が停滞しているところなど、人・財・物が集まるところである」。
 企業にとってはレントシーキング活動によって官職者と関係を構築することが低コストを実現し、競争に勝ち残る道である。しかし「社会全体からみれば、関係網を利用して資源が配分された結果、統計の数字ではかれない莫大な富、つまり社会的モラルと政治責任の放棄という代価を支払うことになった」。二〇〇一年の新聞報道によると「九〇年代後半、汚職腐敗がもたらした経済的損失と消費者が当然受けるべき利益の損失は、年間九八七五億元から一兆二五七〇億元に達し、GDPの一三・二パーセントから一六・八パーセントに相当」する。
 全国を貫く腐敗現象は、「経済発展には腐敗がつきものだ」という風潮を生み出した。著者は特筆すべき事象として「九〇年代から、中国に進出する米国企業のなかに『関係』をとおして特権と利益を得るべく高官の子弟たちを意識的に選んで採用しているところがあることだ。こうしたやり方は、中国がWTO加盟したのちは、欧米の大手企業が中国に国際的なルールを遵守させ、汚職行為を減らすように迫ることを国際社会が期待しているといった仮説をみごとにくつがえしている」と述べ、WTO加盟が決して中国の腐敗問題解決の万能薬ではなく、その「副作用」の強さを強調している。
 なお、著者は「私はWTO加盟に賛成である。というのは、これは確実に中国に新たな機会をもたらすからで、『機会』すらない行きづまりの状態にくらべれば、もちろんいいことである」という立場を表明し、「WTO加盟によって中国の階層分化は加速されることが予想され」「政治エリート集団は外国資本と結びつく理想的な道をたちどころに探し出すことができ」「経済エリートたちの道だけはいくらか複雑で、合作価値のない業種は外国資本との競争で徹底的に負けるだろう」という予測を立てる。だが、そこにはWTO加盟を契機とした国有企業改革によって無残に路頭に投げ出された労働者たち、関税の引き下げによる穀物輸入の圧力と官僚腐敗による法外な収奪にさらされる農民たちへの言及はない。(つづく)(早野 一)


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