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イギリス                      かけはし2003.7.21号より

「われわれは多数派である」史上最大の反戦運動の教訓(下)

テリー・コンウェイ



ムスリム・コミュニティの参加

 ムスリムに対してストップ戦争連合(以下、連合)が開放的であり得たのは、連合の政策が、イスラムと原理主義者の関係ではなく、帝国主義と植民地主義の再登場を中心問題としていたからである。一部の人々は「ブッシュ反対、ビンラディン反対」を叫ぶように要求し、また一部の人々は帝国主義の危険とビンラディンの危険を等号で結ぶことを要求して連合運営委員会を脱退した。これらはイラン労働者共産党、労働者の自由のための連合、および「ウィークリー・ワーカー」紙を中心とする人々である。しかし、彼らは広範な関心を反映していた。

原理主義反対―スローガンか運動か

 ここで真に問題になっていたのは、連合の中心にいる誰かが原理主義者と一緒に仕事をしたいと考えているかどうかという問題ではなく、別の問題である。脱退した人々は、一般に原理主義を後進的、封建的イデオロギーと分析している。彼らは、現在のアルカイーダのアピールが導かれた背景に、新自由主義的グローバリゼーションの発展、および別の世界が可能であることを示すことに左翼が失敗していること、特にアルカイーダが力を持っている地域でそうであることを理解しない。
 第二に、原理主義への挑戦に関して彼らが重要と考えているのは、紙に書くことである。他の人々は、原理主義の力を弱める方法は、ムスリム・コミュニティの草の根の運動を構築することであり、それによって反動的イマムが反戦運動はムスリムと関係がなくムスリムに何ももたらさないと主張できないようにすることであると考えている。
 同じアプローチが、シオニズム反対と反ユダヤ主義の融合に対する挑戦の問題にも当てはまる。いくつかの初期の動員、特にパレスチナ問題に関する動員において、ナチの鉤十字とダビデの星を等号で結んだプラカードが見られた。これらのプラカードは明らかにイスラエル国家はファシストであると暗黙に主張している。鉤十字がガス室に消えたユダヤ人のシンボルだとしても、このような等号は明らかに重大な問題である。「パレスチナの正義のためのユダヤ人」やユダヤ社会主義グループのようなグループの反戦運動への公然たる参加によって、このような問題に関する討論が始まった。これらはいずれにしても挑戦が必要な領域であり、ムスリム・コミュニティの一部にとってだけでなく、もっと広範な問題である。
 強力で多様な反戦運動の発展は、ムスリム・コミュニティの若い女性や男性を急進化させる面でも、世界中のすべてのスローガンを合わせたよりも多くのことを成し遂げた。若いムスリムにとって、以前は決してなかったような方法で社会主義的考え方に接することができるようになった。また、コミュニティ内の力のバランスを、イスラム主義とは反対の方向へ変化させる何かを成し遂げた。

英国ムスリム協会(MAB)との関係

 ムスリム・コミュニティとの関係で最も目立った、そして論争になったことは、英国ムスリム協会(MAB)との関係である。MABとの関係が発展したのは、彼らがジェニンの事件に反応して動員した人々だったからである。彼らは虐殺後デモを呼びかけ、パレスチナ連帯委員会が呼びかけたデモの二倍を動員した。彼らは連合の参加を歓迎し、そこからものごとが発展した。
 他のムスリム・グループや個人は、彼らにとって重要な問題を中心に組織されたパレスチナ連帯委員会のようなグループも含めて、以前とは違う仕方で参加することに自信を持った。なぜなら、われわれはムスリムの人々が目に見える形で存在することを追求したからである。
 しかし、MABのことを、ムスリム・コミュニティの中でわれわれに政治的に最も近い人々であるとする決定は行われていない。彼らは、参加している唯一のムスリム組織または潮流というわけではない。たとえば、シディキ博士はムスリム議会所属で、政策も異なる。モスク・ロンドン評議会も存在する。両者とも、最初から参加している。サルマ・ヤコブはバーミンガムの連合の推進力である。バーミンガムは、おそらくムスリム・コミュニティの動員が最も強力な地域である。彼もやはり異なる考えを持っている。運動が発展し強力なリーダーが鼓舞するようになるにつれて、確かに多くの若いムスリム女性が登場した。ヒジャブを着けている人も着けていない人もいた。

「さあ、モスクでビラをまこう」

 アジア人コミュニティから他の人々も参加した。最初に述べたように、タリク・アリは、9・11直後の最初の会議で発言した。反人種主義グループの全国市民権運動の良く知られた活動家であるスレシュ・グローバーは、ウェストロンドン地区での長い活動歴を持っているが、多くの集会の壇上に現れた。アサド・レーマンは、イーストロンドンのベンガル人コミュニティで長い活動歴を持つ古くからの反人種主義活動家であるが、当初から全国連合の中心人物であった。彼はムスリム・マルクス主義者であると自称している。
 だから、連合の会議で「さあ、モスクでビラを撒こう」と言う場合、それは白人左翼だけの会議で言われるわけではない。モスクの重要人物が会議に参加していて、自分たちの勢力を動員するためにビラを持っていく場合もある。彼ら独自の会議と移動手段を組織し、活動の内容をわれわれに電話で知らせてくる場合もある。もちろん連合のムスリム活動家が他の活動家にモスクにビラを撒く支援を要請する場合もある。
 だから、アジア人コミュニティは受動的ではない。それは連合の中心部分である。もちろん、コミュニティが今日おおむね宗教的ラインに沿って組織されていること自体は決して積極的なことではなく、これまでのアジア人コミュニティの世俗的指導部の敗北の表現である。この指導部は、その重要な部分が国家の人種主義に挑戦することより個人的出世にますます集中する傾向があるとしても、まったく批判の対象となるべきものではない。同時に、特にムスリムに向けられた人種主義の高まりが、前回の湾岸戦争時には存在しなかった英国ムスリムとしての政治的アイデンティティの創出をもたらしたのである。このイスラム恐怖症の高まりは9・11以前から存在したが、9・11以降急速に高まった。この物質的現実を前提にすれば、社会主義者が組織されたあるがままのムスリムの参加を歓迎し激励するとともに、次のことを行うことは、絶対に正しい。
b原理主義に対する絶対的な敵意を維持すること。
b教会と国家の分離を主張すること。
b特定のムスリム組織または個人による特定の行為/スローガンに対する批判の権利を、運動に参加している他の政治勢力に対してわれわれがそうするのとまったく同じように、保証すること。

「われわれは多数派である」

 全体の雰囲気は、社会の少数派であることに慣れ親しんでいる多くの活動家にとっては特に、例外的なものであった。
 新聞の態度は巨大な影響を与えた。英国第二の販売部数を持つ「デーリー・ミラー」は、運動の最もけたたましい支持者であった。同紙は毎日毎日強烈な見出しを掲げ、ブッシュとブレアの戦争政策の先鋭な批判に紙面の半分をあてた。二〇〇二年十二月の一面には、次のように書かれていた。「大量破壊兵器にとりつかれた狂人が世界を危機に陥れる戦争に向かって飛びかかろうとしている――彼を止めろ」―そのそばには武器の上にバツ印を描いた反戦バッジと同じスタイルでバツ印で消されたジョージ・ブッシュの絵が描かれていた。これ以上明確なメッセージはない。
 ミラー紙は多くの紙面と記事を出し続け、二月十五日の反戦デモを明確に読者に呼びかけ、とりわけデモコースの地図を掲載した。デモ自体のためには、彼らはプラカードを制作し、集会用の資材の一部を後援した。彼らの貢献は例外的なものであったが、このようなことは例のないことではない。例外的であったのは、左翼にとって、メディアの多数派が彼らの側についたことである。このことは街頭でのキャンペーンで明らかになった。人々の圧倒的な部分が立ち止まり、活動家からビラを受け取る。多くの人々が他の人に配るためにビラを持っていくし、正式に組織に加わるために署名する人たちもいる。

労働組合運動で生じた重要な変化

 労働組合においても重要な変化が起こった。それは対テロ戦争とほぼ同時に始まった。一九八五年にサッチャーによって炭鉱ストライキが敗北させられて以降、ずっと真の展望は欠如していた。労働組合組織はつぶれ、士気は衰えていた。
 しかし、ゆっくりではあるが、新しい戦闘性の芽が伸び始めている。一連の重要な組合で、より急進的な指導者が選出されたが、これは組合員が前任者の階級協調主義にうんざりし始めていることの反映である。また、これは一九九七年の選挙で登場したブレア労働党政府の蜜月期間が急速に終わりに近づいたこととも軌を一にしている。多くの労働組合主義者は、ニューレーバーが福祉手当の防衛に関するいくつかの公約ぐらいはせめて守ることを期待し、また職場の反労働組合的雰囲気が変わることを期待していたのである。
 これらの発展の結果、十二の全国労働組合で連合への参加が勝ち取られた(3)。ミック・リックス、ボブ・クロー、マーク・サーウォッカ、ポール・マックニー(4)のような労働組合指導者が個人的に支持者となり、NATFHEは連合に事務所を提供した。T&GやUNISON(5)もわれわれのデモ集会の発言者となった。
 支持は組織の頂点だけではない。数百の地方組合支部が参加し、デモを支持するだけでなく、彼らの市、町、村での活動に参加した。ベトナム戦争反対運動とは違って、連合にとって労働組合は不可欠である。ベトナム反戦運動は、当時の労働組合内の力関係のために、このようなレベルの支持を得ることは不可能であった。
 しかし、これは継続的な闘争である。米軍のバグダッド占領後、PCS執行部の右派から、運動脱退の提案があった。Amicusでは、ロジャー・リオンズ(6)がストップ戦争連合に反対する運動を率いている。われわれの成果を奪い返すために右派が策動していないのは、少数の小さな労働組合だけである。また、労働組合運動が直面している職場組織の危機も克服されていない。この文脈の中では、戦争が始まった日に行われたストライキが一部の期待より少なかったことは驚くに当たらない。最も有力な組合書記長たちの一部が組合員に強力な呼びかけを行わなかったことは不満なことではあったが。
 しかし、全体としては、総ストライキ日数が依然として信じがたいほど低い数字であるときに、ともかくストライキが行われたことは特筆すべきことである。自国において新自由主義に対する戦争を闘う組織的能力を持たない人々が、イラクにおける戦争に対して闘えるわけがない。反戦運動がこの国において多数派であったという事実は、人々の自信に大きな影響を与え、また経営者が後で懲戒処分を行うことを防ぐ上でも大きな影響を与えた。

新しい世代の劇的な登場と発展

 ストライキが行われたのは、多くは大学や学校であった。そこでは若者たちもデモに参加した。多くの場合、労働組合員に参加する自信を与えたのは若者の情熱であった。いずれにしても、イラクに対する戦争が始まる前の数週間にもっとも顕著な発展があった。若者たちは最初から運動を支持し参加していたが、それがこの時点で劇的に強まった。種々の都市で学生自身によって学校の授業ボイコットが組織された。デモ、ダイイン、封鎖が電子メールや口コミであっという間に組織された。
 戦争が始まった日のデモは、完全に並外れたものであった。早朝から人々が国会前広場に集まり始めた。しかし、午後五時頃までは十六歳以上の人はわずかしかいなかった。恐らく平均年齢は十四歳ぐらいだっただろう。明らかにこれは反戦運動の未来にとって、いや反戦運動だけでなく左翼にとっても、意味があることである。
 戦争に反対して構築された国際的ネットワークと調整は、完全に前例のないものであった。国際的な歴史上、共通の目的で同じ日に地球上のあらゆるところで三千万人の人々が行動に立ち上がったことは、いまだかつてなかった。われわれが成し遂げたことの巨大さは、いまなお把握しきれない。連合はバルセロナとドイツの集会に演説者を送り、トルコのノー・プラットフォーム・フォー・ウォー(戦争計画反対)グループの第一回大会に代表を派遣した。トルコにおける運動は、ムスリム・コミュニテイーからの左翼の孤立のために深刻な困難に陥っていた。これは今や克服され、大衆的発展を見せている。
 公式の調整に向かっての最初の新しい歩みは反グローバリゼーション運動からもたらされた。二〇〇二年十一月のフィレンツェにおけるヨーロッパ社会フォーラムから生まれた調整グループが存在していた。二月十五日のための最初の呼びかけは、ここから行われた。ジョン・リーズ(7)と米国の反戦グループANSWERが十一月にエジプトへ行き、カイロ宣言に合意した。これは運動の趣旨が中東にまで広がったことを示すものであった。十五人のロシアの国会議員が署名した。
 二月十五日のデモストレーションの後、われわれはロンドンで会議を開いた。きわめて多様な組織の人々が、今や緊密な共同作業を展開している。ANSWERを含めて三十カ国が参加している。国際的調整は続けられるであろう。実は、これは一つのインターナショナル運動である。

われわれがやるべきことは沢山ある

 本稿執筆の時点で、米国のイラク占領はほころびを見せている。バグダッドやバスラではきれいな水も薬もなく、新たな植民地化に向かって一カ月が経過した。自爆攻撃がこの地域の混乱をもたらしている。イスラエル国家はパレスチナ人レジスタンスとその支持者に対する弾圧を続けている。
 今後数カ月間に大きな軍事作戦はありそうにないとしても、反戦運動にとってなすべきことはたくさんある。イラク占領を終わらせるためのキャンペーンをいっしょに行うために、連合の核を維持することができるし、維持する必要がある。また、明らかに、ジョージ・ギャロウェイ国会議員に対する保守系新聞と労働党による魔女狩り攻撃(8)に反対するキャンペーンも必要である。彼が運動の著名な人物であるからこそ行われている攻撃だからである。また、この相対的な小康状態を利用して、われわれは内部に対してだけでなくわれわれの反対者に対しても公然と、戦略的オプションに関する政治討論を深める必要がある。
 これを行うことに成功すれば、次回の新たな挑戦をよりよく準備することができるだろう。大衆的反戦運動と下部まで浸透した労働組合が、ブレアに対する真剣な政治的オルタナティブと結びつくことができれば、ブッシュとブレアが正しくも恐れている世論のスーパーパワーが、おそらくついに新自由主義的外交政策の流れを変えることができるだろう。テロリズムに対する戦争は、実は人類に対する戦争なのだ。(五月十五日、ロンドンにて)
 注
(3) 鉄道労働者の組合ASLEF、教師の組合NATFHE、公務員組合PCS、運輸労働者の組合RMT、地方自治体労働者組合UNISONを含む。
(4) それぞれASLEF、RMT、PCS、NATFHEの全国指導部の社会主義者
(5) 英国の二大労組である一般労組と地方自治体労働者組合
(6) 最大の民間部門労組Amicusの統一書記長
(7) 連合指導者でかつSWPの指導者
(8) 反戦運動における著名人であり、右翼新聞「デーリーテレグラフ」からサダム・フセイン体制に雇われているという攻撃を受けている。
(「インターナショナルビューポイント」03年6月号)


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