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                          かけはし2003.7.14号より

「国立大学法人化法案」の阻止へ学生・教職員の力を

新自由主義に対する大衆的抵抗闘争へ

 国立大学の法人化をめぐる情勢は全く予断を許さない状況になっている。この記事を書いている七月六日現在の状況としては、七月八日に参議院文教科学委員会において法案の採決が強行されるかどうかというきわめて危機的な状態が続いている。文部科学省のもくろみとしては衆議院での超スピード審議の勢いをかって(参考人質疑二回、実質審議三回)参議院でも五月はじめには法案を通過させるつもりだった。しかし、審議の過程で法案そのものの問題だけではなく、法人化を推し進める文科省のずさんな体質が明らかになり、また国会外の法人化反対運動の高まりもあって法案は七月に入ってなお成立に至っていない。
 国立大学の法人化はそもそも橋本行革の過程で出た公務員の二五%削減という政治目標をクリアするために「もっとも抵抗の少ない部門」の一つとして国立大学が標的にされたことから始まる。当初は独立行政法人通則法にもとづいて国立大学も独立行政法人化されることが計画されていたが、国立大学関係者の反発が強くなったために「国立大学の特殊性に考慮する」として国立大学の独法化ではなく「法人化」することになったのである。しかし、国立大学の学長は文科大臣が任命することになっているし、六年間の詳細な経営計画(中期計画・中期目標)の提出を義務づけていること、一部の運営費交付金をのぞいて各法人は独立採算性をとるなど実体としては法人化も独法化も変わらない。
 法人法案では全国の国立大学は国立大学法人とその法人が設置する「国立大学」に改組されることになっている。法人の役員(理事・監事)の数は法人法によって各国立大学法人ごとに定められており、またその半数以上を学外者にするように義務づけている。すでに独法化された他の機関では役員のほとんどが省庁からの天下りであり(昨年度独法化した五十七法人常任理事の九七%)、中期計画・中期目標の許認可とともに従来以上の文科省による各国立大学への管理統制が強まることは必至である。
 これまで大学の経営に主体的に関わっていた教授会は全く権限を失い(`学生の自治aなるものに関しては言わずもがな)、代わりに学長以下理事や監事の独裁的経営が幅を利かせるようになる。学長はいままでの教授会による「民主的選挙」ではなく、理事たちが作る学長選考会議が選任するようになる。しかもこの学長選考会議のメンバーに学長もなることができる。そのため、学長の世襲的な権限委譲が行われることも可能になる。
 国立大学法人化の問題は、単に大学の「学問の自由」や「自治」といった大学関係者の既得権の問題ではなく、高等教育を受ける機会を所得によって制限しようというものであり、日本資本主義の新たな階級的再編の一環である。
 すでに今国会において日本育英会は「民間の金融機関の自由な競争を阻害している」として組織改編(独法化)され、無利子奨学金は廃止されることが決定している。育英会奨学金制度の改悪についてはほかにも、利用する学生に対して利用する際に一定の保証金を納付する義務や、奨学金の返済の催促を民間業者に委託することが明らかになっている。
 また今国会では見送られたが、育英会の独法化、国立大学法人化とあわせて、「愛国心教育の重視」などを盛り込んだ教育基本法の改悪も政府はもくろんでおり、国立大学の法人化は教育再編という政府・資本のいわば一大事業の一環であるということができるだろう。
 冒頭にも述べたように法案は参議院での採決ギリギリのところで審議が止まり、審議のたびに文科省のずさんな法整備、そして犯罪的な法人法案の本質があらわになっているのであるが、一方で法人化に反対する側の弱点もまた明らかにしなければならない。
 反対運動は当初、東大の職員組合などを中心とした大学教職員有志によって担われてきた。全大協や学生の動きが緩慢であった中で、彼らの献身的な反対闘争がなければ恐らくいまある状況は生み出されなかったといってよい。一方でここにきて民主党や櫻井よし子、あるいは構想日本という右派勢力も反対運動の一翼を担うようになり、(個人情報保護法案の時にも一部見られたが)運動は右も左も混在する状況である。
 職組や共産党などが「学問の自由」や「大学の自治」といった比較的オーソドックスな大学のアイデンティティを擁護する立場から反対しているのに対して、櫻井や構想日本などは「官僚の統制が国立大学の民営化を妨げ、国益を損なう」として反対しているにすぎない。逆に彼らは大学の自治などにはあからさまな敵意を見せている。民主党は独自の「修正案」なるものを用意しており、先の有事法制の時と同様に、自分たちの「責任野党」としての自尊心が満足しさえすれば法案採決に応じる危険は常に存在している。事実、民主党は「慎重な審議が行われるのなら」という条件で七月八日の採決に応じる可能性を示唆し始めているのだ。
 かつての大管法闘争のときの学生大衆による大規模な実力闘争のような、国会内の力関係を覆すだけの大衆的高揚に欠けるなかで、こうした右からの圧力が加わったことが、皮肉にも法人化阻止闘争善戦の一因となったことを認めないわけにはいかない。こうした一種の`人民戦線aのきしみは表面には現れていないものの、仮にこの闘争が長期化すれば深刻な危機として一気に吹き出すことになるだろう。
 法人化問題の勝利のためには、こうした右派的勢力とこれまで先頭で運動を担っている大学教職員を切り離し、大学の法人化を資本主義体制による労働者・市民・学生に対する新たな階級的攻撃としてとらえ、公共サービスの防衛、反グローバリズム運動との合流を促す急進的左派潮流がもっと積極的に介入することが不可欠である。
 だが、現実にはわれわれはもちろん新左翼諸党派はこれまでこの問題に対して消極的であった(場合によっては冷淡でさえあった)。共産党はこの問題を旧来の「大学の自治」や「学問の自由」という幻想からしかとらえられず、経済闘争の枠でしかとらえられていない。資本主義ブルジョアジーによる階級的攻撃であるという危機意識のない中では最終的に闘争は敗北するであろう。共産党系全学連は学生大衆の潜在的な先進性、急進性を信じることができないばかりか無視しようとさえしようとしている節がある。
 法人化問題に関しての学生の意識は私の個人的範囲でも徐々に変わりつつある。ビラの受け取り、問題意識には明らかに(それが未だ政治的勢力を形成しえないものであっても)変化を見せている。革命的左翼はここに賭け、学生青年を反グローバリズム、反帝国主義のスローガンのもとに組織せねばならない。
 「全学連」を自称する諸君! 学生大衆の先進性を信頼しよう。自らの欺瞞的な「学生」像をもとに学生大衆を不当におとしめ、極端な自派の政治主義や、あるいはその裏返しでしかない「日常要求路線」に学友を監禁するのはやめることだ。道はただ闘う者の前にのみ拓かれるであろう。(半田しのぶ)




 太田誠一衆議院議員の集団レイプ容認発言や、森元首相の「子を産まない女性には年金は出すな」発言など、自民党政治家の女性差別暴言が続いている。以下に資料としてアジア女性資料センターの太田・森両議員への要求書を掲載する。

太田誠一議員の辞職および森元首相の公式謝罪を求めます
                          アジア女性資料センター


 六月二十六日、全国私立幼稚園連合会九州地区公開討論会で、太田誠一衆議院議員が行った「集団レイプをする人はまだ元気がある、正常に近い」という発言には、すでにさまざまな批判がなされており、本人も釈明を繰り返しています。しかし私たちは、氏の釈明、また同席していた他の議員やメディア関係者による太田氏を擁護する発言から判断する限り,この発言に含まれる深刻な問題はいまだに十分に認識されていないと考えています。
 第一に、太田議員本人、他の自民党議員、司会をしていた田原総一郎氏までが「レイプは許されない」と言いながらも、「あれはジョークだった」と弁解・擁護を続けています。被害女性の受ける深刻な精神的肉体的な苦しみに対する想像力と、望まない性関係は人権侵害であるという認識が、根本的に欠けているのです。
 さらに私たちは、この発言がなされた文脈そのものの問題性を指摘したいと思います。太田議員は問題の発言の釈明として、「男性に配偶者を求める覇気が欠けていることが少子化の原因」「それほど強く異性を求めているのであれば、きちんと結婚する相手を求めるべきだ」と述べています。つまり太田議員は、男女の性関係には、レイプするくらいの男性の「覇気」、すなわち女性への支配が必要であり、男女の関係は婚姻という形以外にはあってはならないと考えていることになります。しかし、どちらかが相手を支配し、圧迫するような性関係は、結婚しようとすまいと、女性にとっては性暴力以外のなにものでもありません。
 このような認識は、女性が自分の体について、自己決定権を持つという「性と生殖に対する権利」を無視した少子化議論にもつながっています。この討論会で森元首相は、「女性が自由を謳歌するために子どもを産まない」「子どもを産んだ女性に年金をあげるのが本来の福祉」「結婚しないのは、なにか不自然な考え方が頭にあるから」等の発言を行っています。二人の発言からは、女性の「わがまま」と、女性を従わせられない男性の「覇気」の欠如が少子化の原因であり、生殖とは、婚姻関係を通じた男性による女性の身体への支配によってなされるものという考えが見て取れます。
 また、「子どもをつくらない男性」についてはふれず、女性の責任だけを問うている部分も、極めて非論理的片務的、独善的な論理だと思われます。このように、少子化対策のために女性を男性や国家の支配に従わせようとすることは、レイプの容認とまったく同様に、見過ごしにできない考え方です。
 私たちは、太田議員の集団レイプ容認発言とこれに対する周囲の弁明や擁護、そして太田議員および森元首相による、女性の権利を無視した少子化対策に関わる発言に抗議し、太田議員の辞任と、森議員の公式謝罪を求めます。
 二〇〇三年七月三日
アジア女性資料センター
 〒150-0031 東京都渋谷区桜丘町14-10-311 TEL:03-3780-5245 FAX:03-3463-9752 E-mail:ajwrc@jca.apc.org http://www.jca.apc.org/ajwrc/



三里塚・暫定滑走路を閉鎖せよ
第7回東峰神社裁判――
入会権を否定する空港公団の暴論に東峰住民側が反論


 六月三十日、千葉地裁で、二〇〇一年六月十六日に空港公団が三里塚暫定滑走路供用強行のために東峰神社の立ち木を強制伐採したことに対して東峰部落住民が公団の謝罪と立ち木の現状回復を求めた第七回東峰神社裁判が行われた。原告・東峰住民を代表して島村昭治さん、萩原進さん、平野靖識さんが出廷した。

東峰部落の総有であることは明白

 被告・公団は、前回の裁判で準備書面を提出し、原告主張に対して@東峰神社の土地の所有権は東峰部落にないA東峰神社が部落の総有関係(多人数の共同財産。各人に持ち分、分割請求権がない)にはなっておらず、権利主体とはなりえないB入会権は発生しないC対抗要件として、土地の共有持分の登記をしていないと反論した。
 原告・弁護団は、第七回裁判において被告の「入会権は新たに発生しない」「神社は入会権の対象ではない」という主張に対する反論を行った。被告は、「入会権は、あくまで徳川封建体制からの遺制」であり、「貨幣経済の発展と農耕技術の進歩との結果、漸次変質、解体、消滅の過程をたどってきたことは顕著な現象である」と真っ向から否定し、「民法施行後の集団による新たな慣行によって入会権が取得されるということは、入会権の解体の歴史に照らして、法社会学的な考え方から認めえないものと考える」と法理論的にも立証されている入会権論に対しても否定するという暴論を展開した。
 これに対して原告は、「入会権とは土地に対する利用形態に関する概念であり、利用に関する管理集団の管理・統制の下に集団構成員が利用するものである。その構成員は、単なる居住のみでは足らず、管理集団の構成員となること、また居住を継続し管理集団の構成員であり続けることが必須だ」と規定し、東峰部落と東峰神社の歴史、部落生活において東峰神社が重要な結合点であり、管理してきたことを明らかにしていった。また、入会権は、全国各地において、例えば、山林産物の収穫、温泉、水利、共同墓地、産土神社などの共同性の強い事物の利用形態において存在している権利であるを浮き彫りにして、公団の入会権消滅論に反論した。
 すでに三里塚闘争で入会権と総有関係を争った裁判として、横堀反対同盟の熱田一さん、下山久信さんなどが原告となった横堀墓地裁判(「墓地所有権の移転登記手続」請求、一九八一年九月〜一九九七年九月)が闘われている。千葉地裁は、八九年十二月、入会集団としての横堀部落は「解体」したと決めつけ原告の訴えを公団の空港建設推進の立場から退けたが、判決において墓地が部落の共有財産であると認めている。弁護団は、横堀墓地裁判をはじめ全国各地での入会権と総有関係をめぐって争われた判例、入会権問題を専門とする法学者の証人などを重要な反証として提示していく方針を確認している。
 さらに、弁護団が行った芝山町に存在する神社(六十八社)の土地の所有関係調査によれば、六十四社が部落の共有財産となっていることや、外見上において法人化となっているものでも実態は部落である氏子集団が所有する土地となっているのがほとんどであった。このような結果からも、東峰部落の総有としての東峰神社は明白であると強調した。

公団が突如「和解」を申し入れ

 被告・公団は、公判終了直前、突然「和解」申し入れを行った。原告側は、持ち帰り検討を表明した。
 公団は、事前にこの日の裁判に合わせてマスコミ各社に「和解提案」を流し、次のように報道させた。「公団は、農家側と全面的に争うとしたこれまでの姿勢を転換し、話し合いを求めていく方針を固めた。公団は農家に対する謝罪も視野に入れ、柔軟な姿勢を示すことで、未買収地交渉全体に弾みをつけたい」(読売新聞6月30日)、「暫定B滑走路の供用に関して話し合い路線をアピールしたことなどを踏まえ、東峰神社問題でも争って判決を待つより、和解を含めて話し合いによる決着を目指すとにした」(朝日新聞6月30日)。
 公団の和解案は明らかにされていないが、従来の対応パターンからすれば伐採強行に対するインチキ謝罪と多額な慰謝料を払うというものだろう。そして、場合によっては、航空法(滑走路近くの構造物を地上から五メートルを規制対象としている)規制以下の木々であれば再植林し、五メートル以上延びないように定期的な伐採を要求してくるかもしれない。しかし、東峰神社の入会権、総有関係を否定し続け、また、東峰部落が要求している現状回復(ヒノキやサクラの木々が十九本、そのうち一本は高さ十八メートル)に対しては、飛行進入コースに立木が存在してしまってはジェット機の離発着に支障が生じ、暫定滑走路供用がストップしてしまうので絶対に認めないだろう。
 この和解路線は、黒野公団総裁が就任早々にぶち上げた「話し合い」と称する追い出し攻撃の一環としてあり、社会的には「結局のところ反対している東峰部落のせいでB滑走路が完成できない」というキャンペーンの強化にある。黒野は、〇四年度「成田国際空港株式会社」という民営化を前に、必死に仕事をしているとマスコミに報道させている。地元利権屋集団を動員しての圧力行動、ジャンボ機が使えない誘導路を隠したままの北延伸構想、土地取得の展望がないままの東峰貨物基地構想、横風滑走路完成を射程にした誘導路建設、一坪共有地強奪策動などをセンセーショナルに掲げ脅迫を繰り返すなどありとあらゆる手段を駆使して攻撃のペースを強めている。
 つまりこれは東峰部落住民の闘いや東峰神社裁判の攻勢的な展開による公団のあせりの表現である。公団は、東峰神社林の強制伐採を真摯に謝罪し、高さ十九メートルの立木を含めた十九本の木々を再植し、ただちに現状回復を行なえ。人権・生活破壊を拡大する、危険で欠陥だらけの暫定滑走路を閉鎖せよ。東峰神社裁判勝利に向けて、さらに支援・連帯の強化を行っていこう。「東峰神社裁判カンパ」に応えていこう。
(Y)
 次回、第八回裁判は、九月二十二日、(月)、午前十時半、千葉地裁。


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