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韓国はいま                     かけはし2003.7.14号より

全国民の個人情報管理ねらうNEIS(全国単位教育行政情報化システム)

44人の市民運動活動家が損害賠償請求訴訟

 6月11日、ソウル・瑞草洞のソウル地裁民願室で世間の耳目を引くに充分な訴状が受け付けられた。ホ・ヘヨン人権運動サランバン幹事ら44人の市民団体活動家らが「NEIS(全国単位教育行政情報化システム)によって人権を侵害された」として国家を相手に損害賠償請求訴訟を出したのだ。ホ氏らは81年以後に高等学校を卒業した20〜30代だ。彼らは「NEISには81年以後に高校を卒業した人々の情報が入力されているために、われわれも訴訟当事者になる」と主張した。
 ホ氏らは「教育部がNEISを推進しつつ、個人の同意なしに個人情報を収集・管理することによって、情報人権が侵害された」としてひとり当たり100万ウォンの慰謝料を請求した。この訴訟の結果は、どうなるのだろうか。法律専門家らの意見を総合すると、勝訴の可能性が極めて高い。このような勝訴を裏付けられる大法院(最高裁)の判例があるからだ。
 98年7月24日、大法院第3部は保安司(国軍保安司令部、現・国軍機務司令部)査察と関連して国家の損害賠償責任を認定した判決を下した。これは90年当時、保安司ユン・ソギャン2等兵の暴露によって世上に知られることとなった保安司の民間人査察事件に関連して、査察対象者に対する国家の賠償責任を認定した原審判決を、そのまま認定したものだった。
 ソン・ジヌン大法官は判決文で「憲法第10条と17条は個人の私生活が他人から侵害されたり、むやみに公開されない消極的権利はもちろん、高度に情報化された現代社会において自身に対する情報を自律的に統制することのできる積極的な権利をも保障しようとすることに、その趣旨があるものと解釈できる」と示した。
 この判決の核心は「自身に対する情報を自律的に統制することのできる積極的な権利」を認定したことだ。当時、事件を担当したアン・ヨンド弁護士は「自己の情報を自己が統制することのできる権利は、国家の情報提出要求を拒否できる権利も含まれる」し「この判決は国家が個人の同意なしに情報を収集する行為を憲法に保障された基本権を侵害したものと認定したもの」だと説明した。
 アン弁護士は、この判例をNEISに適用すれば学生やその父母、教師らが訴訟を提起するなら勝訴する可能性が大きい、と主張した。NEISは学校単位に保管するようになっている生活記録簿や教員人事記録カードなどの情報を、当事者の同意なしに国家が収集するシステムだからだ。
 アン弁護士は「NEISは教育目的で収集し学校に保管するようになっている生活記録簿の情報を、行政目的で国家の電算網に収集するものであるがゆえに、必ずや個人の同意を受けなければならない」し「これに反して思いのままに情報を収集するならば基本権を侵害することとなる」と説明した。すでに収集された情報を単純に集積するものだと言っても、本来の目的と異なって使用すれば個人の同意を受けなければならないのだ。実際にNEISは教育本来の目的よりは学校行政の効率性を高めようとの目的で推進されている。
 当時、保安司が収集した情報内容が、NEISに入力された項目と類似している点にも目を引かれる。保安司は当時、国会議員、言論人、文人、教授など著名人士147人の本籍や生年月日などはもちろん人的事項、家族事項、学歴や経歴、政党および社会活動、主要動向などを収集して記録した。NEISも学生の住民登録番号など身上情報はもちろん家族事項、出身学校、社会奉仕活動など主要内訳を記録するようになっている。教師の場合はもっと深刻で、個人の身上情報はもちろん、兵役や身体条件・宗教、財産、政党・社会団体の活動の内訳なども記録するようになっている。これは保安司の査察資料と大差がない。
 この判例は、特にNEISに収集された情報が公開される以前にも、すでに損害は発生したものと見なければならないとの趣旨を盛り込んでいて注目される。「NEISの保安装置さえ強化すれば問題ない」という教育人的資源部やNEIS賛成論者らの主張が違憲的発想であることを示しているからだ。
 当時、国家は上告理由書で「保安司の査察資料をユン・ソギャン2等兵が暴露したために査察対象者たちの損害が発生した」のだと主張した。だがソン大法官は判決文で「(原告らの)損害がユン・ソギャンの査察資料公開によって初めて発生したものと見ることはできない」と示した。
 アン弁護士は「査察資料が公開される以前に、すでに保安司の情報収集行為によってだけでも個人の損害が発生したものと判断した」のだと説明した。これをNEISに適用すれば、ハッキングの有無とは関係なしに情報の集積それ自体だけでも憲法の基本権を侵害したものと見ることができる。
 保安司査察事件の判決は、その内容に劣らず関心を引くに充分な事案がある。当時147人の原告中にはノ・ムヒョン現大統領が含まれていた。ノ大統領の査察資料の個人特性欄には「長期間、労働人権弁護士として活動、国会進出後、労働者の権益に事寄せて各種の労使紛糾に介入」と記録されている。ノ大統領ばかりではなく、コ・ヨング国家情報院長、ムン・ジェイン青瓦台(大統領府)民政首席なども原告に含まれていた。原告側弁護士団にはキム・チャングク国家人権委員会委員長やパク・ズヒョン青瓦台国民参与首席が参加した。ノ大統領ら原告は大法院最終審で勝訴が確定し、200万ウォンずつの慰謝料を受け取った。アン弁護士は「ノ大統領が大法院判決の趣旨をキチンと理解しているならば、NEIS問題で違った決定を下しただろう」と残念がった。
 保安司事件の大法院判決でなくとも勝訴をうかがわせる判例はたくさんある。ホ氏らが提起した訴訟を担当したイ・ウヌ弁護士は「情報通信企業が営業目的で収集した情報を本人の同意なしに第3者に渡した場合、その企業に損賠責任を問う判決が多い」し「NEISの場合、入力情報が多いため、国家の損賠責任は、より大きくなるだろう」と語った。彼は「商業的目的を持った私企業に譲ることと行政的目的を持った国家に渡すこととは違いがあるが、情報が収集された当事者の立場からすれば、私企業にであれ国家にであれ感じる被害意識は同じだ」と主張した。
 アン弁護士らが主張する「自己の情報の自己決定権」は憲法上の積極的な権利だ。これの認定を得ようとするなら個々人が自ら権利を追求していかなければならない。言論財団のイ・グヒョン博士は「個々人が自己の情報についての権利を保護するために積極的に乗り出すことが必要だ」「国家を相手に訴訟を起こすのもひとつの方法となり得る」と指摘した。(「ハンギョレ21」第465号、03年7月3日付、イ・チュンジェ記者)

 90年10月4日、ソウル・蓮池洞のキリスト教会館・韓国キリスト教協議会人権委の事務室で国軍保安司(現・機務司)西氷庫分室から脱営したばかりのユン・ソギャン2等兵(当時24歳)が保安司の不法民間人査察を暴露した。軍事政権の下でうわさばかりが飛び交っていた保安司の民間人査察が具体的証拠資料を通じて、その姿を現したのだ。
 ユン2等兵の記者会見は秋夕(チュソク、日本のお盆のようなもの)の帰省からソウルに戻ってきたばかりの市民らをびっくりさせた。国会議員や教授、ジャーナリストなど社会各界の人士174人の個人情報が保安司によって収集・管理されていたという事実は市民らの怒りを買うに充分だった。
 タクシーや喫茶店内での何気なく交わした話の内容、女性関係など内緒の私生活や個人的弱点・不正など個人生活の隅々に保安司の手が及んでいたことが赤裸々になった。当時の査察には故ムン・ニックワン牧師など在野の人士はもちろん、ノ・ムヒョン大統領やムン・ジェイン青瓦台民政首席、コ・ヨング国家情報院長など現政府の高位官僚、パク・ウォンスン弁護士ら市民団体の活動家らが多数、含まれていた。
 ユン2等兵の暴露内容は翌日「ハンギョレ新聞」に特ダネ報道された。軍事政権の道徳性に一大打撃を与えたこの事件についての軍事政権の最初の反応は、とんでもないものだった。国防部は「ユン2等兵が公開した文件は、保安司が戦時や非常時に備えて敵または不純勢力から要人たちを保護・遮断するために作成した身上資料であって、政治的目的の対民査察とは関係がない」という、とんでもない「解明」だった。保安司の査察を糾弾するデモや集会が連日、続けられたが、この事件の責任をとる政府官僚はひとりもいなかった。
 ユン・ソギャン氏は長期間の手配生活のすえに当局に逮捕され、軍事法廷で2年の刑を宣告され公州矯導所(刑務所)に収監され94年11月7日に満期出所した。(「ハンギョレ21」第465号、03年7月3日付)



個人情報管理権を踏みにじるNIES
電子政府事業を名目に学生・生徒・教職員のあらゆる個人情報集積

 NEISは全国単位教育行政情報化システム(National Education Information System)の略称だ。政府は電子政府事業の11大重点事業のひとつとしてとNEIS事業を推進してきた。
 NEISは学校の企画、公報、財産登録、教育統計、教務学舎、保健、教員人事、民願、施設、予算など学校のすべての行政業務を細かく区分し、27領域6千余個の項目からなる膨大なシステムだ。このシステムは市・道教育庁別にすべての教育行政情報や学生、教員についての情報をひとつのデータ・ベースに収録するようにし、各市・道別データ・ベースを超高速通信網を通じて互いに連動するようにし、教育部長官と市・道教育監がこのデータ・ベースに接近できる権限を設定・付与し、システムを管理するようにする統合情報システムなのだ。
 ここで学校のすべての行政業務を、市・道教育庁がなぜ集積して持っていなければならないのかも疑問であり、学校の「行政情報」には学生や教員の個人情報が行政情報と全く同様に取り扱われて一様に収集の対象であるのもあきれた話だ。学生の個人情報は生活記録簿、学生生活、学籍、成績、健康記録簿、総合健診登録などの詳細かつ内密な情報が350余項目にもなる。教員の個人情報もまた人事記録管理という名目で血液型、宗教、政党、社会団体への加入の有無などの情報が集積され管理される。
 (教育部は6月1日、NEIS施行指針において学生個人情報の相当部分は除外したと主張しているけれども、これは恣意的な解釈であるにすぎない。いかなる個人情報が自身に敏感なものであるかを判断できるのは、その個人だけであり、NEISに残っている情報も100項目を超えている。教育部は依然として、なぜそのような情報を収集しなければならないのかについて、効率性だけを名分として押し立てている)。
 海外の教育情報化のケースを見ると、情報化教育を強化し、既存の教育資料を情報化して、より広範囲に普及するケースはあるものの、学校行政情報を統合管理する場合は「ない」。教育部では、これをわれわれの情報化水準がずば抜けていて、先行しているのだとの解釈をするが、中味も実によいと言うべきだろうか。
 海外の場合には普通OECDの個人情報保護のガイドラインに従って、個人情報の収集は目的にそって厳格に制限しており、国家が運営している個人情報のデータ・ベースをむやみに統合したりはしていない。NEISのようなシステムができないのではなく、しないのだ。個人の同意手続きもなしに個人情報データ・ベースをやたら統合できないだけであり、便利さや効率性ばかりを押し出した個人情報データ・ベースの統合は人権侵害であり民主主義の災いであるからだ。国家が個人に対してプロファイリングをすることがいかなる社会をもたらすかは、6月25日で生誕百周年を迎えるジョージ・オーウェルが自身の小説『1984年』を通じてすでに予言している。
 このように問題意識を持つようになれば、NEIS問題においての保安論争は、もはや主要な問題ではない。国家が個人の成長情報を数百個も集め入れていて保安水準がしっかりしているから(つまり流出する可能性が少ないから。もちろん、この主張も虚構だ。日ごと個人情報の流出事故が社会面を賑わしているときに、立派なシステムだから個人情報は流出しないとの主張は筋の通った主張ではない)問題がないとの主張だけ繰り返しているのは、国家が個人情報を収集するということに対して何の問題意識もないときにのみ可能なことだ。
 おそらくは、国家が国民の10本の指の指紋をはじめ個人情報を逐一収集する歳月を送ってきたわが国においてこそ可能な話だろう。いまや人々は、もはやこのような歳月を迎えようとはしない。数カ月間、続けられているNEIS反対運動が、何よりの証拠だ。(「労働者の力」第33号、03年6月20日付、イ・ウンヒ、進歩ネットワークセンター)。


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