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                           かけはし2003.6.9号より

第四インターナショナル第15回世界大会は何を獲得したか

フランソワ・ベルカマン



第4インターナショナル第15回世界大会の概要

 第四インターナショナル第十五回世界大会は、二〇〇三年二月、ヨーロッパで開催された。各支部、シンパサイザーグループ、パーマネントオブザーバー組織の代表をふくむ二百人以上が参加した。参加した各支部、シンパサイザーグループ、パーマネントオブザーバー組織は以下の諸国(アルファベット順)。
 アルゼンチン、オーストリア、オーストラリア、ベルギー、ブラジル、イギリス、カナダ(英語圏ならびにケベック)、デンマーク、エクアドル、エウスカディ(バスク)、フランス、ドイツ、ギリシャ、香港、インド、イタリア、アイルランド、日本、レバノン、ルクセンブルグ、マルティニク、モロッコ、メキシコ、オランダ、ノルウェー、フィリピン、ポーランド、ポルトガル、プエルトリコ、スペイン、スリランカ、スウェーデン、スイス、ウルグアイ、アメリカ。
 アルジェリア、チリ、イスラエル、ニュージーランド、セネガル、南アフリカ、チュニジア、トルコの代表は、ビザその他のの実務的理由で出席できなかった。
 以下の各国の組織と同志が大会ゲストとして参加した。
 オーストラリア(民主的社会主義党 DSP)、コロンビア(PPS)、コルシカ(ア・マンカ・ナシオナリ)、フランス(労働者の闘争、LO)、イギリス(社会主義労働者党、SWP)、ギリシャ(DEA)、イタリア(共産主義再建党、PRC)、ポーランド、スコットランド(国際社会主義運動、ISM)、韓国、台湾、アメリカ(社会党、自由社会党)。ペルーのウーゴ・ブランコは大会であいさつを行った。
 大会は、大会に参加できなかった以下の各国のゲスト組織からのメッセージを受けた。アルゼンチン(社会主義運動、MAS)、モーリシャス(ラリット)、パキスタン(パキスタン労働党、LPP)、ウルグアイ(左翼潮流、CI)。
(「インターナショナルビューポイント」03年5月号)               




 第四インターナショナル第十五回大会が、二〇〇三年二月初めにヨーロッパで開かれた。四十カ国の組織を代表する代議員やオブザーバーが討論に参加し、世界政治情勢(「スターリニズムのバランスシート」および「資本主義的グローバリゼーションへの抵抗」を含む)、第四インターナショナルの役割と任務、規約の新しい前文および規約の改定に関する決議、および二つの綱領的文書「レスビアンおよびゲイの解放」および「エコロジーと社会主義」を採択した。
 大会は新しい指導部として国際委員会を選出した。国際委員会は最低一年に一回開催され、メンバーの中から執行ビューローを選出する。国際委員会も執行ビューローも大幅に入れ替わり、若返った。

 この大会を要約するとすれば、次のように言えるだろう。反資本主義闘争の核心における再出発、開放、再編と再位置づけの政策が決定された。
 雰囲気は暖かく、行動は思慮深く、議論は熱烈で、態度は責任感があった。前回大会(一九九五年七月)後八年近く経過しているが、敗北とバーバリズムの高まりに直面して「忠誠心を失っていない」ことを自覚した「古参メンバー」が再結集した。同時に、既に国際的動員の中で鍛えられ、交代する準備ができている新しい世代が、活発に参加した。確認された新しい展望のもとで、古い論争や議論や分派が政治文書に織り込まれ関連付けられたことにより、討論に付され採決にかけられた政治文書は、完全に将来に向けて焦点が絞り込まれ、広範な多数によって採択された。

第四インターナショナルの位置

 今日の第四インターナショナルの闘士たちと各国組織は、反資本主義闘争の核心に存在している。これは最近のことではない。他の諸組織(それは非常に少数であったが)とともに、彼らは一九八九―九〇年の転換点に際して国際的キャンペーンの開始に参加した。それは当時は無視されたが、やがてシアトルやジェノバの動員、ポルトアレグレやフィレンツェの社会フォーラム、帝国主義戦争反対の民衆の世界的決起をもたらした。
 これによって、わが潮流は取り残されセクト主義化するのをまぬがれた。典型的な解放闘争の現場の動きとの結びつき、(支配的な風や流れに抗した)大衆運動の構築、統一のための闘い、イデオロギー論争の最前線への参加、これらはすべて大いにわれわれの伝統であった。
 これに加えて、われわれの組織とインターナショナルの内部的開放があげられる。そこでは、最も異端的なものを含めて、あらゆる種類の論争が可能であった。なぜなら、圧力となるうねりが存在しないとき、旧世界の呪縛が未だとけず、民衆を動員する新しい解放の展望がただちには明らかでなく、明らかなことが何もないときには、生き残るのはドグマだけだからである(次のような新たな問題を想起しよう。サパチスタ運動、ユーゴスラビアの恐るべき「民族問題」、「国際機関」の役割と大量虐殺や殺りく、賃金労働者階級とその組織の構造的弱体化、「歴史の終焉」、などなど)。
 革命的マルクス主義を主張する組織にとっては、選択肢は非常に簡単である。外部に向かって開放し、内部論争を自由討論にゆだねるか(不可避的に異端、疑問、分散化をもたらすが)、または分析と理論の「ドグマ化」によって論争を圧殺し、「正しい」政治路線を強制し、活動家の規律を強化し、「無謬の指導部」を結晶化させることである。革命的組織がこの新自由主義的、反革命的時期から無傷で抜け出すことはあり得ない。だれもが敗北に対処しなければならなかった。適応せざるを得なかった。不可避的な内部危機をまぬがれたものはなかった。われわれは正しい選択をしたことを確信している。われわれの前には、現実と問題がある。

社会運動の再生と三つの矛盾

 主要な困難は、今日の世界で本当に起こっていることを測定することである。第十五回大会は、「一九九〇年代の終わりは、世界政治情勢の転換点である。新しい局面が開かれ、労働運動と社会運動の活動、綱領、組織の根元的な復活が日程に上っている」@と述べている。このことをわれわれの活動の中心にすえる前に、第四インターナショナルは、資本主義的グローバリゼーション反対運動、「グローバル・ノー」運動や「諸運動の運動」と呼ばれているものになっていく運動のおずおずとした誕生に慎重に立ち会った。このようにして、シアトル以前に書かれた「抵抗」に関する文書が、「主体的要因」の変化に関して、わが闘士たちや各国組織やインターナショナルを準備させた。
 当初から、次のことに関しては、わが隊列内はほぼ一致していた。すなわち、われわれはそこに参加し、その構築を支援し、ただし、セクト主義やごう慢に陥らないように、発展を尊重しながら活動しなければならないことである。シアトル(一九九九年十二月)から二〇〇三年二月十五日の歴史的一日(戦争に反対する民衆の世界的決起)まで、ポルトアレグレ、ジェノバ、フィレンツェを経て、国際的社会的運動の全体的な再建の力学は進行している。ここからさらに多くの可能性が生じ、姿を現し、組織化されている。
 この新たな強力な力学は、三つの強力な矛盾によって強められている。まず、帝国主義の凶暴な軍事的、経済的、および反民主主義的な攻勢である。大企業は、彼らが新しい社会的運動の中で直面している障害に気づいている。社会的運動は自らを強化し、この三年間で戦争反対の単一の世界戦線を作り上げ、すべての資本家政府に圧力をかけることができるようになったのである。
 第二に、この運動の高揚と賃金労働者の運動の間のいつまでも続く気がかりな同期の欠如である。賃金労働者の運動の弱さは続いており、一九八五―九五年の時期の敗北後の不利な力関係のために、闘争能力と組織の回復は非常にゆっくりとしか進んでいない。最後に、二十世紀を通じて労働運動および民衆運動を支配した諸勢力(社会民主主義、ポストスターリニズム、社会ポピュリズム)の前例のない政治的歴史的危機であり、政治的に組織された反資本主義的オルタナティブが未だ非常に弱いことである。
 事態の激変(手におえない影響をともなう戦争、世界経済の崩壊)を除外することはできないが、それは別にして、われわれの「戦略的任務は、いまなお労働運動と民衆運動の多数派を結集している『社会新自由主義』を打ち破り、反資本主義、国際主義、エコロジー主義、フェミニズムに基づいて運動を(再)構築することである。この闘いは、戦争反対と新自由主義反対の、二つの問題を中心にして闘われている」A。
 労働者の運動の現在の危機は、革命的マルクス主義組織の単なる強化によっては解決することはできない。なぜなら、現在の局面を特徴づけているのは、依然としてまったく少数派にとどまっている革命的左派の弱さだけでなく、大衆的規模での社会主義的意識、雇用主に対する要求、戦闘的参加、労働組合組織などの劇的な後退だからである。さらに、主体的要因の崩壊も、若者の広範な急進化の中に痕跡をとどめている。若者は、あらゆるレベルの独自の社会的経験を通じて、特に歴史上最大の動員によって、「政治的世代」を確立する過程にある。
 この変則的な部隊は、社会的運動の大きな全体的な刷新を予想させるが、適切な計画を必要とする。それはあらゆる反対派勢力、あらゆる急進的政治潮流を、新しい政治組織形態(政党、運動、連合、同盟)で結集することでしかあり得ない。その組織形態は、複数主義的かつ反資本主義的で、戦闘勢力であると同時に討論の場であり、選挙組織であると同時に議会外運動であり、社会的運動の対話者であるとともに他のすべての改良主義者・社会自由主義政治潮流に対抗する明確化の要因である必要がある。
 このような組織形態においては、革命的マルクス主義者は、革命的綱領を備えた前衛的「革命党」にできるだけ速やかに移行するという秘密または公然たる目的を持った「加入戦術」は実行しない。彼らはこの広範な党の共同発起人、共同オルガナイザー、共同指導者であり、現在の闘争の経験を共有し、社会主義のために闘うことのできる大衆的反資本主義政党に向かってともに進むのである。

新しい大衆的インターナショナル

 第四インターナショナルは、三つのレベルの活動と組織に対応し、国内レベルと国際レベルの両方に対応する提案を定式化する。

1、グローバリゼーションに反対する国際的運動は、意識、闘いの方法、綱領的提案、および国際的構造によって特徴付けられる。この運動は、その存在自体からして、新しいインターナショナルの方向を指し示している。
 この運動は、国際主義に結びついた政治意識を持った青年たちの間に当然の熱気をかき立てた。この運動は、このタイプの構造に組織されたことのある、またはいまなお組織されている人々の歴史的記憶を呼び覚ました。
 「歴史上存在したインターナショナルの建設は、どれも当時の大規模な社会的政治的発展に関連する新しい任務に結びついていた。この再組織化の新しい政治的サイクルは、最初から新しい大衆的革命的反資本主義・反帝国主義的インターナショナルの問題を提起する」B。
 第四インターナショナルの役割と任務に関する決議はこのように述べている。さらに次のように述べている。「これらの新しい諸勢力からの重要な貢献なしには、われわれは新しいインターナショナルの建設に向けた質的な前進を想像することはできない」C。
 しかし、「大きな世界的政治的事件の影響の下での(……)明確化と分化の過程」Dが必要である。
 この新しいインターナショナル、またはインターナショナル建設途上の少なくとも第一歩は、現在の運動および動員から出現するだろう。それはこれまでのどのインターナショナルとも異なり、確かに革命的マルクス主義政党にもとづいたインターナショナルではないだろう。それは現在の歴史的に前例のない資本主義のグローバルな専制支配に対する大衆的「自然発生的」反応であり、そのよりどころは国際主義と直感的な反資本主義である。
 しかしまた、あらゆる観点を含んだ大きな不均質性をも特徴とする。確かにこれまでの五つのインターナショナル、すなわち一八四八年の国際主義的な共産主義者同盟、第一インターナショナル(一八六四―一八七六)、第二インターナショナル(一八八九―一九一四―)、共産主義インターナショナル(第三インター、一九一九―一九四三)、第四インターナショナル(一九三八年設立)とは異なったものになるだろう。
 われわれの目的は、グローバルな正義の運動に対して既に目に見えるようになっているその割れ目にそって短期的な政治的組織的急襲をかけて、政治組織となることを強制することではない。反対に、われわれはこの運動を建設し、この運動を独自の闘う運動として強化し、種々のレベルにおいてそのあらゆる可能性を実現しなければならない。すなわち、社会政治的運動として、討論し練り上げる場として、いくつかの自立的キャンペーン(トービン税、第三世界負債免除、公共サービス防衛、現代奴隷制反対)の担い手として、社会的運動(組合、失業者、エコロジスト)の結集の場として、世界統一戦線として(反戦運動の動員)の可能性の実現である。われわれは討論、論争、そして政治闘争が起こったときには、それを放棄しない。
 なぜなら、われわれは運動内部の戦術的戦略的不一致に留意することしかできないからである。運動は賃金労働者階級の自主的活動から生まれたものではなく、自然発生的には賃金労働者階級に結びついていないからである。同様に、この運動は、現在のところは、自然発生的には政治的組織に向かっていない。反対に、「反政治的」不信が存在し、非常に広範に広がっており、深まりさえしている。
 運動はこの二重の挑戦課題を抱えており、勝利の意志の中でこの二重の耐えがたい矛盾に直面している。「諸運動の運動」の強力な要求をいかにして強制するのか、さらにそれ以上に、いかにして資本主義的グローバリゼーションをストップし、別の社会と置き換えるのか。なぜなら、社会の中に一つの勢力が必要だからである。それは世界的規模で搾取され抑圧されている大衆以外の何者でもなく、その決定的中核はアメリカおよびヨーロッパの帝国主義の中に存在している。われわれは、大衆的性格を持ち、社会的運動の中に存在し、戦略を提案する一つ以上の政治的組織を必要としている。
 社会的、経済的、または民主的な偉大な要求を掲げたいかなる闘争も、決着をつけるには要求の実現のために不可避的に政治的制度的レベル、すなわち国家のレベルに至ることになる。これは言葉の強い意味での政治であり、選挙問題、政府の政策、既存の政党との関係、および「別の可能な世界」に至る戦略をめぐる論争に立場を取り、踏み込むことを意味している。政治は、実際、あまねく存在しているが隠されている。健全ではない。なぜなら、既存の政党が固有の歴史、政治的文化、綱領、戦術を持ち、社会や運動や体制との関係を持って存在しているからである。
 明らかに、大衆的規模での政治的明確化が三つの軸をめぐって進行中である。その中の二つは、何百万もの男女の生活条件や労働条件に直接影響を与える問題、すなわち戦争政策(武装した帝国主義)と新自由主義政策(反社会的戦争)であり、三番目は運動自身の内部の問題、すなわち政党と「新しい社会的運動」の関係に関わる問題、もっと一般的に言えば、大衆解放の運動の問題である。これには二つの戦線におけるレベルの異なる明確化が暗黙に含まれる。すなわち、社会自由主義的左翼のヘゲモニーに対する政治闘争と、急進的革命的左翼内のセクト主義および前衛主義に反対する友好的政治的論争である。

2、ほぼ十年間にわたって、第四インターナショナルは、社会自由主義的左翼のヘゲモニーを打ち破るための広範で複数主義的な反資本主義的な再編成を目指して、他のセクト的でない急進的左翼の潮流と協力してきた。資本の運動からすれば十分論理的なことであるが、新しい反資本主義的政治的運動は地域的/大陸的レベルでは非常に迅速に結集力を発揮した。
 最近は停滞気味であるが、ラテンアメリカのサンパウロ・フォーラムがその一例である。最近、複数の国で反資本主義的/反帝国主義的潮流の結集の過程が再び始まっている。ヨーロッパでは、二〇〇〇年三月(EUサミット会議)以降、ヨーロッパ反資本主義的左翼が年二回のペースで会議を行っている。ここでは赤と緑の連合(デンマーク)、左翼ブロック(ポルトガル)、LCR(革命的共産主義者同盟、フランス)、SSP(スコットランド社会党)、社会主義連盟(イングランド)、SWP(社会主義労働者党、イギリス)などの代表的な党や運動が結集している。最近ではPRC(共産主義再建党、イタリア)が参加したが、同党は共産党の連合であるヨーロッパ統一左翼にも留まっている。アジアでは、DSP(民主社会党、オーストラリア)のイニシアティブで、二年おきにアジア太平洋連帯会議が開催され、非常に広範な急進的、反資本主義的諸党や社会的運動を結集している。
 これらは前途有望であるが、いまだ脆弱な発展段階にあり、いずれにせよ直接世界的レベルに至るようなものではない。このことは社会運動の発展と関連して世界会議への道を模索することを妨げるものではない。

3、グローバルな正義のための運動に対するわれわれの観点および反資本主義的再編成の優先度を考慮して、大会は革命的左翼潮流との論争、イニシアチブ、会議への道を開き、短期的に新しい構造へと導くことなしに、結集力をテストすることにした。

 われわれはこれらの三つのレベルの介入(「諸運動の運動」に関連する政治的明確化、複数主義的反資本主義的再編成、国際的革命的左翼との対話)を、別個の方針として、しかしすべて新しい大衆的反資本主義的インターナショナルに寄与するものとして考える。

第四インターナショナルの再出発

 第十四回大会と十五回大会の間に七年七カ月が経過し、社会のあらゆるレベルで歴史的次元の断絶が発生した。
 わが組織は困難に直面したが、一九八五―九五年の「地獄への下り坂」を乗り切ることに成功し、最近の解放運動の再生を迎えた。このような過程が熟考と決断を刺激した。このようにしてわが大会は、第四インターナショナルの再出発と政治的組織的な再位置づけに踏み出した。
 弱体化の長い過程の後では、最初はわれわれの組織、すなわち今日あるがままの第四インターナショナルの強化が必要である。熟慮と行動のためのこの集団的な道具なしには、政治は不可能である。われわれの指導部構造、共同と民衆的介入のメカニズム、われわれの教育のための学校、セミナー、新聞についてのよく考えた再構築が必要である。これには二重の是正が必要である。
 われわれは確かに長期にわたって、われわれ独自の組織的目的の規定、われわれ自身の活動手順、メンバーの活動の統合と構成、公式の政治的訓練、公然面の姿、プロパガンダとアジテーションの面で、弱さに苦しんできた。この問題にはもう一つの弱さが関連している。すなわち「われわれの運動内での影響力とわれわれの組織の政治的組織的力の間には大きなギャップが存在している」Eことである。
 この問題の答は、(戦略、過渡的反資本主義的要求、モデル社会、搾取と抑圧の歴史、労働者運動、などの種々の側面における)社会主義のプロパガンダだけではない。答は、第四インターナショナルが「日常的な活動、大衆工作、運動の中で遂行すべき特殊な政治的機能を持っていること」を示すことにあり、「それには特に、われわれの考えのもっと定期的持続的なプロパガンダ、もっと一貫したアジテーション、政治的戦略的論争への参加、そしてこれらすべてを支える組織的体制の強化が必要である」F。
 問題は確かに組織的である。しかし、それだけではない。それは短期的および中期的な政治的目的を熟慮し規定する能力の問題でもある。この第四インターナショナルの復活は、セクト主義的自己主張ではなく、開放、対話、共同、部隊の再編成へのステップに至るものである。
 「第四インターナショナルとしてのわれわれの主な任務は、大衆的影響力をもった新しい国際主義的、複数主義的、革命的、戦闘的勢力の構築の展望によって、世界的規模での労働運動および社会的運動の広範な再組織化に寄与することである」G。
 この表明には、第四インターナショナルが何を行うことができるかについての大きな修正が含まれている。それは「社会主義革命の世界党」(設立時に採択された目的)ではなく、そのような将来の党の中核ですらない。われわれと設立宣言の間を隔てる六十五年の歳月は、革命勢力の結集の過程ではなく、決裂、別個の道や分裂の過程であった。われわれは他の諸潮流の中の一つのトロツキスト潮流であり、他の革命的潮流の中のひとつの革命的潮流にすぎない。
 第四インターナショナルが巨大な戦闘的努力、正しい分析とトロツキスト運動内部での闘いに成功することによって革命的過程の頂点に至るという展望を持ち得る時代の章は閉じられた。われわれは誇りを持って、われわれは困難な歴史的時期を乗り越えたし、この過去を擁護できると考える。また、演じるべき大きな役割と偉大な政治的責任を持っていると考える。
 しかし、それは急進的で非セクト的な他の潮流との共同を通じて、また特に新しい党と新しいインターナショナルが引きつける新しい勢力とともに行われると確信している。この再位置づけは、われわれの統一の提案に反映されている。また、規約も書き直されることになった。新しいインターナショナルにおいては、第四インターナショナルは他の諸潮流の中の一つの潮流となる。そこには一定の継続性が決定的に存在する。しかし、主要な特徴は、新しい綱領にもとづいた再建であり、綱領の刷新は、明らかに、新しい社会的イデオロギー的集団を基礎にして行われるであろう。
 注 @〜Gは大会決議からの引用。
(インターナショナルビューポイント」5月号)


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