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声明                        かけはし2003.6.30号より

フィリピン共産党(CPP)と新人民軍(NPA)は内ゲバ殺人をやめよ!

第四インターナショナル第15回世界大会



 さる二〇〇三年一月二十三日、新人民軍(NPA)の元総司令官ロムロ・「ロリー」・キンタナールは、フイリピンのケソン市の中心部で白昼公然と暗殺された。その二日後、フィリピン共産党(CPP)と新人民軍のスポークスパースンは、殺人という裏切り的で卑怯な行為を誇らしげに認める声明を出した(注)。それは、バヤン・ムナ(CPPの選挙組織)のサトゥール・オカンポや、オランダを拠点に活動するCPP―NPAのトップであるホセ・マリア・シソンといった人物が、殺害を公然と否定した後の出来事だった。
 ロリー・キンタナールはCPP―NPAの結成以来、この組織とともにあった。彼は自らの生涯の最良の年月を党と軍の建設に捧げた。一九九〇年代初頭、出獄したばかりの彼は、フィリピン革命の事業のバランスシートに関してホセ・マリア・シソンが要約的にまとめた文書を拒否したCPP―NPA指導部の一人となった。そしてスターリニスト―マオスイト党の公式の政治的見解に敢えて反対した彼は、一九九四年には他の同志たちとともに「死刑」を宣告された。
 CPP―NPAから死刑宣告を受けて以来、彼は普通の生活に戻ったCPP―NPAの元同志たちを支援しつつ、さまざまな経済的事業で活動していた。彼は反動的国家の資産を、こうした同志たちを支えるために最大限に利用することまで行った。彼は、革命的プロジェクトの再編・再結集を強める、さまざまな政治的ブロックの同志たちを援助してきた。
 彼の暗殺は、CPP―NPA指導部が計画した相次ぐ暗殺の一部分であり、この措置はそのスポークスパースンによって誇らしげに発表された。同じ月のうちに、元CPP―NPAの同志三人が殺害された。二人はキンタナール暗殺の前であり、一人はその後である。この暗殺事件の前に、さまざまな政治ブロックに属する数十人のカードルも、CPP―NPA指導部の指令によって暗殺されていた。しかしきわめて危険な事実は、意見の不一致が起こってから十年以上たっても、この指令がなお遂行されていることである。
 この暗殺は、CPP―NPAが敢えて彼らに反対する者たちに行う警告としての意味を持った。そのメッセージは明白であり、彼らとの政治的討論や矛盾は敵対的に解決されるということである。
 われわれは、フィリピンの革命的グループ・諸組織の間の不一致を解決する上での、この無分別で革命とはほど遠いやり方に対して深刻な憂慮を表明する。こうした傾向が続くならば、新自由主義的資本主義主導のグローバリゼーションに反対する革命的・進歩的運動の犠牲の上に、ここから利益を得るのは反動的国家である。つねに労働者運動と革命運動の内部で暴力に訴えることを非難してきたわれわれは、CPP―NPAの事業に敢えて異議を唱えてきた人びとの暗殺を非難する。
 われわれは全世界の革命的・進歩的勢力が、こうした方法への非難を表明し、CPP―NPAがこの危険な路線をただちに中止するよう強力な圧力をかけることを呼びかける。
(注)CPP―NPAのスポークスパースン、カ・ロゲル・ロサールの宣言は、フィリピンのほとんどの日刊紙に再録され、さまざまなラジオ・インタビューで繰り返された。
(「インターナショナルビューポイント」03年5月号)

ロムロ・キンタナール暗殺の後で――フィリピン左翼との連帯を
                             ピエール・ルッセ


 現在のフィリピン情勢は、戦争問題によって支配されている。フィリピンの大統領は、アフガニスタンであれ、「反テロリズム」であれ、イラクであれ、ワシントンの戦争屋と同盟してきた。またフィリピン政府は、ムスリム社会が息づいているこの群島南部の緊張を大きく悪化させるというリスクを侵して、米軍の同国に対する直接の介入を認めてきた。
 この状況にあって、軍の力は絶え間なく増強され、憲法的諸権利は脅威にさらされてきた。国際反戦運動が、フィリピンからの米軍の撤退要求を取り上げ、この群島の南部にあるミンダナオで平和のために闘っている運動との連帯を確認することはきわめて重要である。不幸なことにフィリピンにおける活発な多元的左翼の存在は、体制の抑圧的措置や国家の再軍事化によって脅かされているだけではない。
 二〇〇三年一月二十三日、フィリピン共産党(CPP)と新人民軍(NPA)は、党の元指導者ロムロ・「ロリー」・キンタナールを暗殺した。この暗殺の責任はCPPが公式に認めており、この点で事態の重大性についてはいかなる疑問の余地もない。
 CPPとゲリラ運動の最も著名な政治・軍事指導者の一人だったロムロ・キンタナールは、一九九〇年代初頭に毛沢東主義者党と決裂した。彼のその後の政治的変遷はフィリピン左翼内部の論議の的になっている。彼は全国電力公社と出入国管理の安全問題顧問として働いてきた。彼はまたブルジョア政党の政治的人士とも協力してきた。しかし彼は、暗殺に至るまで革命的諸組織の活動家を支援し続けてきたのである。おそらく彼は、そのカードルの多くを彼が指導したCPPのゲリラ運動内部に一定の影響力を保持してきた。
 しかしキンタナールの政治的変遷が問題なのではない。CPP指導部は、その公式コミュニケの中で、最初に一九九三年に、あるいは一九九一〜九二年に党を揺り動かした危機(それは除名と分裂に行き着いた)の直後に、彼への死刑宣告を出したことを強調している。それは、彼が政府のために活動するはるか以前のことである。
 われわれがすでに知っている事実は、一月二十三日の暗殺の後のCPPのコミュニケの内容をはっきりと確証している。党の他の元指導者たちも、一九九三年に死刑宣告を受けた。党指導部は最近の宣言の中で、この死刑宣告を実行に移すと脅している。そこでは、現在他の幾つかの政治組織のメンバーになっている者の名前が上がっており、すべてのこうした「裏切り者」たちはいつかは代価を支払うことになるだろうと約束している。
 一九九一〜九三年の危機以来、CPP指導部は「異論派」革命的諸組織の数多くのカードルたちの死に責任を負っている。しかし、地下活動ではなく公然面で活動している全国的に著名な人物が殺されたのは一九九三年以降始めてのことである。一九九二年の分裂から十年を経て、CPPの暗殺路線は放棄されるどころかきわめて悪化してきた。合法左翼諸組織のカードルたちは公然と脅しを受けている。
 CPPはフィリピンにおける民衆の代表権の独占を失ってしまったという事実を受け入れていない。彼らは、多元的な進歩的・革命的左翼の発展を破壊しようとしている。状況はきわめて深刻である。
 われわれは、他の政治組織とともに、米政府に反対してCPPならびにその議長ホセ・マリア・シソンを支援してきたし、彼らがEUの「テロリスト」リストに載せられることに反対する動員を行ってきた。われわれはCIAや諸国政府がこうしたリストを作成する権利をつねに拒否してきた。
 しかしこうした機会に、まさにわれわれがCPPとホセ・マリア・シソンを防衛してきたという事実ゆえに、フィリピン内部で横行している暗殺は絶対に許しがたいということを、われわれは今日全力を上げて再確認すべきである。CPPは、全フィリピンの左翼の未来のために、その政策を変更しなければならない。
(「インターナショナルビューポイント」03年5月号)


解説

グローバル戦争反対の平和運動を脅かす内ゲバ暗殺路線

 第四インターナショナル15回世界大会は、フィリピン支部の同志とともに、フィリピン共産党(CPP)のシソン指導部による他の左翼諸組織への「テロ=暗殺」路線のエスカレートを糾弾し、CPP―NPA(新人民軍)がただちにこの内ゲバ主義の極致としての「暗殺路線」を放棄するよう訴えた。
 ブッシュの「対テロ・グローバル戦争」の下で、ミンダナオならびにその周辺の諸島に米軍の直接的な軍事介入がなされ、ムスリム=モロ民衆の居住地域を中心に新しく三十万人以上の人びとが難民となっている。こうした軍事化された状況の中で、それに反撃して平和を求める運動にとって、CPP―NPAの内ゲバ主義的「テロ=暗殺」路線がきわめて深刻で危機的な情勢をもたらしているからである。

 十カ国・四十九人の議員を持つ欧州議会「欧州統一左翼/ノルウェー・グリーンレフト」会派代表フランシス・ビュルツは、キンタナール暗殺問題に対して、三人の国会議員を持つCPPの選挙戦線組織である「バヤン・ムナ」に書簡を送って「暗殺路線」の中止を要請し、またNDF(民族民主戦線=CPPが指導する戦線組織)欧州代表部とも会見し、同様の要求を行った。
 「バヤン・ムナ」の指導者であるサトゥール・オカンポは書簡への回答の中で「バヤン・ムナは軍事組織であるNPAの活動については関係がない」と述べるとともに、フィリピンの新聞が引用したCPPのスポークスパースンの「革命運動を離脱した者への暗殺を正当化する『リスト』などない。運動や人民に対して犯罪的な嘘をついている者への返答があるだけだ」との言を紹介した。
 これに対して、欧州議会「欧州統一左翼/ノルウェー・グリーンレフト」会派事務局長ステラン・ヘルマンソンは、オカンポへの返信の中で、CPP―NPAの他の左翼勢力に対する暴力的路線に反対する明確な態度を「バヤン・ムナ」が採ることを要求し、そうした原則に立てない組織との関係を維持することはできないとの立場を明らかにしている。他方、NDFの欧州代表は「キンタナールは逮捕され、人民法廷に送られるべきだったが、彼自身武器を持っていたため逮捕できなかった」と述べて暗殺を正当化した。
 こうしたCPP―NPAの「テロ=暗殺」路線のエスカレートをストップさせることは、アメリカが主導するフィリピンでの「対テロ戦争」に反対するためにも緊要の課題なのである。(平井純一)



Q&A
「社会自由主義」とは
                       神奈川・K生


 第四インター世界大会報告の中で、「社会自由主義」という言葉が使われています。これは、資本の新自由主義・グローバル化を推進する社民と考えていいのでしょうか?あるいは横浜の中田市長のような人物をさす概念なのでしょうか?解説をお願いします。

「かけはし」編集部から

新自由主義の先兵になった社会民主主義

 社会自由主義という用語は、「社会民主主義の社会自由主義への転化・変質」といった文脈で使われています。つまり、労働組合の力を背景に、資本との「対抗と協調」の関係で成立していた「福祉国家」路線が、グローバリゼーションの中で解体され、社民それ自身が新自由主義の尖兵になっているあり方を指しています。典型的にはイギリスのブレア路線ですが、欧州社民全体が、そうした方向を多かれ少なかれ採用しています。


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