昨年十二月九日、スイスのアンリ・デュナンセンターが仲介してインドネシアのメガワティ政権とスマトラ島最北部アチェ特別自治州(ナングロアチェ州)の独立をめざす自由アチェ運動(GAM)との間で結ばれた和平協定(敵対行為停止協定)は、五月十八日、東京で行われていた両者の協議が決裂したことによって、政府の側から一方的に破棄された。
それは、四月末にメガワティ政権が武装抵抗運動の中止=GAMの武装解除と独立要求の放棄を求める最後通牒を発し、GAMに一方的屈服を求める強硬姿勢を取って、軍を動員してきたことによる。GAMは政府に和平協定の順守を求めてきたが、インドネシア政府は、それを無視した。
五月十九日午前〇時(日本時間午前二時)、メガワティ政権はアチェ州に軍事非常事態宣言を布告し、GAMへのロケット攻撃を開始するとともに州都バンダアチェ近郊にパラシュート部隊を降下させて全面的な戦闘を開始した。軍事非常事態宣言は、国軍司令官に全権を付与し、逮捕状なしでの容疑者拘束、民間人の行動規制、報道管制を敷く軍事戒厳体制を意味する。
四万人以上の国軍・警察部隊が展開したこの軍事作戦によって、すでに民間人をふくむ二十五人以上が殺害された(5月22日現在)。また六万人以上の児童・生徒が通う二百四十八の学校が放火されている。この放火事件は軍、ないし軍と連携した武装勢力による可能性がある。
弾圧は決して、アチェ州に限られたものではない。インドネシア全域で、昨年のバリ島爆弾事件に見られる正体不明のテロ事件を口実に、再び国軍の政治への復帰と情勢の軍事化が進行している(バリ島爆弾事件については本紙02年11月18日号、12月2日号参照)。
こうした動きに対してインドネシアの民主化・人権勢力は、「反テロ」法案反対をはじめ相次ぐ人権侵害に対する闘いを呼びかけている(本紙03年4月14日号)。五月二十一日には、ジャカルタで平和のための国際会議に出席した海外の活動家五人が、アチェの軍事非常事態宣言に抗議する行動に参加したことを理由に拘束され、国外追放などの処分を受けた。
一九四五年にインドネシア共和国が宣言されて以来、植民地支配に対する闘いにおいて大きな役割を果たしてきたアチェの民衆は、独立への強固な願いを持ちつづけてきた。自由アチェ運動(GAM)のゲリラ闘争が始まった一九七六年以後、スハルト政権は一九八九年から九八年まで、アチェを「軍事作戦地帯」(DOM)としてきたが、その間一九九一年以後だけで、アチェの人権グループの調査によれば七千人以上が軍と特殊部隊によって殺害された。また一九七〇年以来、三万九千人以上の人びとが「行方不明」になったとされている。
歴代のインドネシア政府、国軍がアチェの自治と独立を求める闘争に残虐な軍事的弾圧を行い、非合法の拉致・虐殺など人権を侵害してきたのは、アチェが石油、天然ガス、金、錫などの豊富な資源の埋蔵地だからである。エクソン・モービルや日本との合弁企業JILCOなど、米日の多国籍企業は、アチェの天然資源を搾取しており、ジャカルタのビジネスエリートたちもそこから莫大な利潤を得ている。二〇〇一年にはインドネシアの国家収入の約一一%がこのアチェの天然資源からもたらされているのに対して、アチェの天然資源がもたらす収入のうちアチェに残されたものはわずか〇・〇三五%にすぎなかったのである(オーストラリアのアジア太平洋連帯行動〔ASAP〕の声明より)。
国軍はこうした利権に寄生し、密輸、人身売買、非合法的な森林伐採、密漁などに関与して現金収入を確保してきた。
国軍によるアチェへの軍事戒厳令は、自らの利権と、国政における軍の特権的地位・影響力をなにがなんでも防衛したいという思惑から出たものである。「アチェにある大手の石油会社などは、多額の警備費用を(軍に)払わされているとされ、和平が達成されれば(軍は)その収入の道を絶たれる」(朝日新聞、5月20日付)からだ。マルク紛争などでも軍の特殊部隊が背後で意識的に住民の相互対立を煽り立て紛争をエスカレートさせ、介入の口実を作りだしてきたことが明らかになっている。
東ティモール民衆への虐殺によって権威を失墜したインドネシア国軍は、アメリカ・ブッシュ政権の「反テロ戦争」を口実に、アチェへの軍事介入の強化によって国政における支配的地位を回復しようと願っている。そして東ティモールでの「独立派」民衆に対する虐殺を契機にインドネシア陸軍との公式の支援・協力(特殊部隊の訓練など)を断っていたアメリカは、「9・11」を契機に、この国軍の復権をバックアップしている。メガワティ現政権は、そうした国軍の手の内で、インドネシアの民主化運動、アチェや西パプアの独立運動への弾圧に躍起となっているのだ(和平協定に向かうアチェ情勢の分析については本紙02年12月2日号参照)。
昨年十二月九日に締結された和平協定は、アチェに幅広い地方自治を与えるとともに、天然資源の運用権の拡大、アチェ人議会代表などの選挙権も保障することになっていた。他方GAMは武装解除され、没収された武器は国際機関の監視下に置かれる。またそれとともに国軍や警察部隊の大半はアチェから引き上げることになっていた。政府、GAM、タイやフィリピンの軍兵士など外国人によって構成される、和平合意順守状況を監視するための共同治安委員会(JSC)も結成された(GAM側は、タイやフィリピンの軍ではなく国連の関与を求めている。タイ、フィリピンの軍部はインドネシア国軍との密接なネットワークを持っているからである)。
しかし、国軍はGAMと見なした人びとの殺害や人権活動家への脅迫・誘拐などを繰り返し、和平協定を事実上無視する動きを強めてきた。リャミザード・リャクドゥ陸軍参謀長は三月八日の陸軍戦略予備軍42周年記念式典で「GAMは国軍の敵であり、国家の敵だ」と演説し、ユドヨノ政治治安担当調整相は「和平合意調印後も国軍および警察の派遣部隊がアチェから撤退する必要はない」と述べた(佐伯奈津子「泥沼化する合意後のアチェ」、インドネシア民主化支援ネットワーク発行:「インドネシア・オルタナティブ・インフォメーション」03年3月号)。
つまり国軍にとって和平協定の意味は、ただGAMの武装解除を強制することだけなのである。共同治安委員会(JSC)が国軍の人権侵害に対してますます無力化していることも明白になっている。それを端的に示したのは三月三日に起こった中アチェ県のJSC事務所の襲撃事件であった。国軍の指揮下にあるジャワ人民兵四百人を中心にした三千人の群衆が、JSCはGAMだけを支持しているとしてJSCの解散を求め、JSC職員を暴行して負傷させ、JSCの車を焼き討ちした事件である。
佐伯氏は前掲の文章の中で、真の和平を達成するためにはかつての国軍による人権侵害を裁く人権法廷の設置が不可欠だとする人権活動家の言葉を紹介している。しかしスタルト国軍司令官は、人権弾圧を裁くことは和平プロセスの妨害になるとして、その要求を拒否した。
ここから、昨年十二月の和平協定の実施をメガワティ政権と国軍が一貫して拒否してきたこと、その延長線上に今回の軍事非常事態宣言と全面戦争が起こったことが明らかになってくる。
われわれは訴える。インドネシア政府と軍部は軍事非常事態宣言をただちに撤回し、公正と人権にもとづく和平プロセスをただちに実行に移せ! アチェ人民の意思にもとづく自決権を! 民主主義と人権を求めるインドネシア民衆の運動への連帯を!
(5月24日 平井純一)
読書案内--『バルカン戦争』
レオン・トロツキー著/清水昭雄訳 つげ書房新社刊 6,000円
批判的戦争報道の模範
ヒューマニズムに満ちた鋭利な分析
若いトロツキーの
みずみずしい感覚
長年待望されていたトロツキーの大著『バルカン戦争』が、清水昭雄氏の訳によって出版された。日本の読者にとってはなかなかなじみのないバルカン戦争(一九一二〜一三年)ではあるが、本書を通じて第一次世界大戦の直接の発端ともいうべきバルカン戦争の真実の姿と、今日にも通じる「バルカン問題」、ひいては民族問題全般についてのマルクス主義的アプローチの方法がリアルに実感されることになったことを喜びたい。
いま本書を読み終えて、ルポルタージュをふくめたこの六百ページにのぼる大著の全貌がようやく日の目を見たことの意義を実感している。そこにはまだ三十代前半の若さを残した革命家トロツキーのみずみずしい感覚、戦争の悲惨さや欺瞞と不正に対するヒューマンな怒り、事態の本質を見通そうとする鋭利な分析が息づいている。
人物描写の見事さ
と政治分析の鋭さ
本書が書かれた背景や、その今日的な理論的意味などについては湯川順夫氏の解説、ならびに清水昭雄氏の訳者あとがきなどを読んでほしい。ここでは、ドイッチャーが述べた「戦争ルポルタージュ文学の傑作」としての側面に絞ろう。
多くの評者が述べるように本書の魅力の一つは、トロツキーが「キエフスカヤ・ムィスリ」の特派員としてセルビア、ブルガリア、ルーマニアに赴いて行ったインタビュー対象の多彩さである。それぞれの国の代表的政治家から資本家、役人、将校、一般の兵士、負傷兵、捕虜、そして貧しい農民や都市の庶民から社会主義政党の活動家にいたるまで、それぞれの個性を会話の中から巧みにつかみとっていく彼の手法は、ジャーナリスト・文筆家としての彼の卓越した才能を浮き彫りにしている。
たとえば、一九〇四年から一八年までセルビアの首相兼外相をつとめ、第一次大戦後のユーゴスラビア王国においてもたびたび首相の任についたセルビア政治の大立者ニコラ・パシッチについての評価である。
トロツキーはパシッチとのインタビューで、彼との会話がほとんど成立しなかったことをベオグラードの友人たちに話す。友人たちは、パシッチがおよそ雄弁や流暢な話とは無縁な人物であることを紹介し、実はそこにこそ彼の絶対的ともいえる政治力の秘訣があるのだ、ということを示唆する。
そしてパシッチのイニシアティブのなさ、というよりイニシアティブというものへの「生理的不信感」、彼の優柔不断さと「妥協と取り引きと待ちの政治」「うまく収める政治」こそ、セルビアの歴史的発展の一時代の反映だと結論づける。最高政治権力者と言うべき首相パシッチの人格の特徴から、セルビアの政治の歴史的・構造的特徴を導き出し、ひいてはバルカン戦争とバルカン連邦の必然性、そしてその課題がパシッチとは全く異なる新しいタイプの政治家を必要とすることを結論するトロツキーの叙述方法は、みごととしか言いようがない。同様のことがブルガリアやルーマニアの王制の分析についてもあてはまる。
報道に携わる人々
こそ読んでほしい
トロツキーは戦場の前線に赴いて取材することはできなかったが、戦場帰りの負傷兵、捕虜たちから、普通の善良な人間の人間性を奪ってしまう戦争の悲惨な実態を知ることになる。負傷した敵軍兵士の虐殺と略奪、敵であるトルコ側についていたアルバニア人村落の焼き討ち、飢えとコレラなどの病気のまん延――輝かしい「戦勝」と「祖国の栄光」を讃える報道の影に、どれほどの残虐で非人道的で堕落した行為が日常のものになっていたか、がさらけ出される。
戦争が短期間のうちにいかに兵士を殺人マシーンに変えるかを、私たちは、日本帝国主義のアジア侵略戦争において、アメリカのベトナム侵略戦争において、そして最近の旧ユーゴスラビア内戦において、無数に聞くことになる。トロツキーの描写は、戦争についての「愛国的」宣伝の背後に隠された、今も変わらない実態を暴き出す。
それは当然にも、新聞特派員としてのトロツキーが送る記事に対する「戦時検閲」と衝突することになる。
「新聞、雑誌と検閲」にはじまる多くの文章は、ブルガリア当局の検閲や、ブルガリア軍の非人道的虐殺・略奪を擁護するロシアやブルガリアの知識人に対して、戦争の実相を伝える報道・言論の自由と権利のために闘ったトロツキーの闘いの記録でもある。本書の読者は、そこにジャーナリストとしてのあるべき姿を発見することもできるだろう。
戦時検閲と言論統制は、今日の戦争においても何ら変わるところはない。権力の強制を背景にした情報操作、それにしたがうメディアの「自粛」によって、戦争は「正義の闘い」として粉飾された。報道は国民を戦争に動員し、愛国主義と排外主義が鼓吹される。湾岸戦争、ボスニア内戦、アフガン戦争――この十年間の戦争報道の中で、精緻にシステム化された「宣伝・広告」技術によって、「正義と人道」を名目にした侵略戦争が称揚されていった。企業としてのジャーナリズムは、その批判精神の牙を抜き取られ、国家の戦争政策の道具となっていった。
イラクへの侵略戦争に直面した今日、私たちは批判的戦争報道の一つの模範としても、本書を読むことができるのである。その意味で、報道の仕事に携わる人々にこそ本書を手にとってほしいと思わざるを得ない。 (平井純一)
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