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ホームレス自立支援法基本方針策定に向けて       かけはし2003.6.2号より

実効性ある雇用対策を!

「国は野宿者向けの仕事を出せ!」

全国の野宿者団体と支援団体が厚生労働省と交渉

 五月二十二日、「ホームレスの自立の支援策等に関する特別措置法」の基本方針に実効性ある雇用対策を盛り込ませるために、全国から結集した野宿者団体と支援団体が、厚生労働省交渉を行った。
 先年夏、「野宿しなくてもすむような宿泊場所を」「もう一度やり直すための仕事を」という全国の野宿者の切実な要求と、国会前での座り込みや度重なる請願デモなどの大衆行動の成果として、「ホームレスの自立の支援策等に関する特別措置法」が制定された。
 そこには、「ホームレスの自立の支援等に関する施策については、ホームレスの自立のためには就業の機会が確保されることが最も重要であることな留意しつつ、前項の目標に従って総合的に推進されなければならない」と明記されている。そして、国が責任を持って野宿の予防策や野宿から脱出するための具体的支援策を、自治体や関連団体や市民と協力して実施しなければならないとされている。
 法の制定を受けて、今年度は技能講習制度や試用雇用制度などの施策が予算化され実施されているが、国の「基本方針」や自治体の「実施計画」はまだ策定されてはおらず、「基本方針」はこの六月までに発表するとされている。
 この日の行動は、政府の「基本方針」に実効性ある雇用対策を盛り込ませるために、全国の野宿者団体と支援団体が呼びかけたものである。呼びかけ団体は、NPO釜ケ崎支援機構、釜ケ崎反失業連絡会、新宿連絡会、池袋野宿者連絡会、NPO北九州ホームレス支援機構、NPO新宿ホームレス支援機構、寄せ場・野宿者運動全国懇談会、全国日雇労働組合協議会。午前九時から午後一時近くまで続けられた厚生労働省との交渉と座り込み行動には、二百人以上が参加した。午後一時半からは、永田町の星陵会館で中央総決起集会が開かれた。
 ますます泥沼化する不況の中で、「首切り自由」を明記する労基法改悪案と不安定雇用をさらに拡大する派遣法改悪案が衆院を通過した。リストラと倒産と失業の嵐がますます激しく吹き荒れようとしており、あらたに野宿を余儀なくされる人々が作り出されようとしている。
 このような状況の中で、制定をかちとった「ホームレス自立支援法」は政府と自治体に、野宿者がもう一度やり直すことができるような雇用の提供、日雇い労働者など不安定雇用に就いている人が野宿を余儀なくされることのないような具体的施策、宿泊場所の提供をはじめとする生活に対する具体的支援の実施を義務づけている。政府と自治体に、野宿者に「屋根と仕事」を保障させよう。 (I)                  


狭山再審をかちとろう                           石川一雄不当逮捕40カ年糾弾           
特別抗告審闘争の勝利へ中央総決起集会開く

 五月二十三日、東京・日比谷野音で、「5・23石川一雄不当逮捕40ヵ年糾弾!狭山再審要求!特別抗告審闘争勝利!中央総決起集会」が部落解放同盟中央本部と中央共闘会議の主催で開かれ、全国から三千人が集まった。
 逮捕から四十年目にあたる五月二十三日、ルポライターの鎌田慧さんが石川一雄さんにインタビューする形で特別報告が行われた。
――いまの気持ちを語ってほしい。
 まさか、狭山事件の犯人として逮捕されるとは思ってもみなかった。ジープに乗せられ、連れていかれたことを思い出す。
 と答えたとたん、石川さんは数分間にわたって、しゃべることができなかった。
――苦しかったことは何か。
 自分の両親に会えなかったことがつらかった。
――くやしかったことは?
 警察官にだまされたことだ。字を勉強して復讐をすること、これが獄中での支えだった。
――うれしかったことは?
 「石川兄ちゃん、がんばって!」という部落の子どもたちから励ましがあったことだ。
 石川さんは「残念ながら、四十年を迎えてしまった。必ず事実調べが行われると思う。地元の狭山市で集会が開かれた、多くの住民が参加してくれた。最高裁でえん罪を晴らしたい」と決意を語った。
 続いて、石川早智子さんは「四十年前差別的な報道がされたが、今日の朝日新聞の夕刊に私の訴えが掲載される。私の開いているホームページもアクセスが十万件を超えた。時代が動いていることを感じている。必ず無実を晴らしたい」と訴えた。集会後、芝公園までデモ行進を行った。
 石川早智子さんの報告のように、埼玉新聞は五月一日号に一面トップで、八段抜きの「再審なれば、無罪分かる」「最高裁特別抗告の石川一雄さん 冤罪訴え全国行脚」と記事を掲載した。徳島新聞などの地方紙も石川一雄さんの無実の訴えを掲載している。石川さんの無実をかちとるために奮闘しよう。   (M)



投稿「石川一雄さんは無実だ!」
再審闘争の勝利へ5・17狭山現地集会に千二百人

 四月に行われた埼玉県議会議員選挙、狭山市議会議員選挙、石川一雄さんに「投票引換券」は来なかった。九四年、三十二年ぶりに仮釈放となり、狭山の自宅での生活をはじめた石川さんは、依然として、全く不当にも「狭山事件の犯人・無期懲役囚」のままなのである。
 狭山事件―石川さん不当逮捕から四十年になる五月、事件の現地である狭山市民会館ホールで集会が持たれ、県内各地から解放同盟員、労組、石川さんを支援する会、そして狭山市民など、千二百人が結集した。
 第一部は、開会行事として、狭山市長、教育長、そして国会議員、労働組合のあいさつなどがあった。
 主催者団体を代表して部落解放同盟県連の片岡委員長は、「石川さんの無実が一つ一つ明らかにされ、狭山事件に対する支援の輪が着実に広がっていった四十年であった」と振り返り、「現在、全国各地で『狭山事件を考える会』や『支援する会』が自主的に作られ、その数は県内で七つ、全国では百五十を超えています。六十四歳になった石川さんが元気なうちに、何としても再審を開始させ、無実をかちとろう」と訴えた。
 弁護団を代表して、中山武敏弁護士は、検察当局が隠し持つ「積み上げれば二〜三メートル」にもなるという「証拠」、石川さんの無実をさらに明らかにするその「証拠」の開示を求める闘いの重要性を訴えた。
 また、はるばる兵庫県から「狭山事件を考える市民の会・宝塚」の人たちも駆けつけていることも報告された。
 第二部は、『狭山事件・過去・現在・未来』と題して、スライドと劇が行われた。中学校の「人権学習」風景が演じられ、とくに教組の人たちによる「ワルガキぶり」に大きな拍手と笑いが起こった。
 三度目の家宅捜索ではじめて見つかった「脅迫状を書いたとされる万年筆」については、石川さんのお兄さん・六造さんが、自らが作った実物大の「かもい」の模型で説明し、「こんなの簡単に見つかるでしょう!」と完全に警察の捏造であることを生徒たちに説明した。
 「未来」の部で、生徒の「石川さんの夢ってなんですか?」との質問に、石川一雄さんは、「もちろん、再審を開始させ無罪をかちとることですが、夜間中学にも通いたい」と答え大きな拍手を贈られた。
 最後に、5・23「不当逮捕40ヶ年糾弾・日比谷集会」への参加と、第二次再審闘争の特別抗告の山場である今年の秋に向けて、さらに広範な運動を作っていくことを確認して、「狭山差別裁判打ち砕こう」を歌って閉会した。 (鍋山三郎)

 「狭山事件・年表」
1963年5月1日 狭山市で女子高生が誘拐され、犯人から身代金要求/5月2日 警察、身代金受け渡し現場で犯人を取り逃がす/5月4日 女子高生、遺体で発見される/5月23日 別件によって石川一雄さん不当逮捕
1964年3月11日 第1審浦和地裁 死刑判決
1974年10月31日 第2審東京高裁、寺尾裁判長・無期判決
1977年8月9日 最高裁第2小法廷口頭弁論も行わず、上告棄却/8月16日 最高裁異議申し立て棄却(無期懲役が確定)
1977年8月30日 第1次再審申し立て請求 その後異議申し立て、特別抗告とも棄却
1986年8月21日 東京高裁第4刑事部に第2次再審請求
1994年12月21日 31年7カ月ぶりに仮出獄、狭山の自宅に戻る
1996年12月 石川一雄さん、早智子さんと結婚
1999年7月9日 東京高裁事実調べを一切行わず、再審請求棄却/7月12日 東京高裁第5刑事部に異議申し立て
2002年1月23日 東京高裁高橋裁判長、異議申立棄却/1月29日 最高裁に特別抗告の申し立て(最高裁第一小法廷)


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