りそな銀行破綻「一時国有化」のための公的資金投入反対!
かけはし2003.6.16号より |
小泉政権は、自己資本不足に陥ったりそな銀行に、一兆九千六百億円の公的資金を注入することを決定した。この金融破綻は、「不良債権処理の加速」路線によって大不況の進行を「加速」してきた小泉=竹中の経済政策の直接の帰結である。同時にそれは、現代資本主義が、労働者人民のみならず自らの未来を食いつぶすことによって今日を生き延びようとするところにまで追いつめられたことの端的な表現である。
未来を食いつぶす暴挙だ
五月十七日、りそな銀行と持ち株会社りそなホールディングス(HD)は〇三年三月期連結決算で、自己資本比率がそれぞれ二・〇七%と三・七八%と、国内で銀行業務を展開するのに必要とされる四%を下回ったとして、政府に公的資金の注入を申請することを決めた。
これを受けて小泉政権は、預金保険法一〇二条にもとづく初の「金融危機対応会議」を開き、グループの中核銀行であるりそな銀行に公的資金を注入することを決定した。日銀も資金繰りを支えるための特別融資(日銀特融)の実施を決定した。そして五月三十日、りそなホールディングス(HD)は、りそな銀行が一兆九千六百億円の公的資金の注入を申請したと発表した。金融庁は、減資によって株主責任を問うこともせず、申請通り二兆円もの公的資金を注入することを決定することになる。
りそな銀行は公的資金注入申請と同時に、リストラと職員の年収三割引き下げによる人件費大幅削減、不良債権処理の一層の加速(比率と額を半減)、金利引き上げによる収益力増強などの、「経営健全化計画」を発表した。銀行労働者の過酷な過労死労働が強化され、貸しはがしと倒産が激化するだけで、経営状態が改善されることなどとうていあり得ない。
りそな銀行は今年三月、大和銀行とあさひ銀行が経営統合して発足した。大和銀行は、九五年にニューヨーク支店で違法な簿外取引で投機を重ね、約千百億円もの巨額損失を出しながらそれを隠していたことが摘発され、米金融当局から厳しい処分を受けたことを契機に、九八年に海外業務からの撤退を余儀なくされていた。
その後、経営基盤が弱体化していた大阪銀行、近畿銀行、奈良銀行を相次いで傘下に収め、さらに経営破綻したなみはや銀行を吸収するなど、バブルに踊って痛手を受けた関西地銀の「受け皿」となって規模を拡大することを、「生き残りの道」として選択した。
あさひ銀行は、埼玉銀行と協和銀行が経営統合したものだが、東海、三和との三行合併が失敗して離脱、信用力の低下に苦しんでいた。この大和とあさひが統合して四大メガバンクに次ぐ五番目の大手行となったのが、りそな銀行である。
いうまでもなく、これらの銀行が不良債権の山を築き、経営危機を深刻化させて行くきっかけとなったのは、大和銀行ニューヨーク支店の金融犯罪が象徴するように、乱脈な金融投機や暴力団を使った地上げまで駆使した犯罪的不動産投機の数々が、バブル崩壊で破綻したことである。
すでにこれまで大手銀行には、「金融機能安定化法」と「金融機能早期健全化法」にもとづいて、それぞれ一兆八千億円、八兆六千億円が注入された。この中で、りそなグループにも一兆一千七百億円注入されている。さらに、拓銀と長銀や日債銀の破綻処理などに十兆円余りが投入されている。にもかかわらず金融危機はとめどなく進行し続け、この上に、再び二兆円もの公的資金がどぶに捨てるように「りそな」に注ぎ込まれ、労働者人民の未来がますます食いつぶされようとしているのである。
「不良債権処理加速政策」の帰結
まさにそれは、竹中=小泉の経済政策の直接の帰結である。竹中と小泉は、不良債権こそ不況の原因だと錯覚し、「不良債権処理の加速」を強力に押し進めてきた。「不良債権処理の加速」とは、破綻先・実質破綻先・破綻懸念先などに認定された企業への貸し出しの回収断念を「加速」し、巨額の貸し倒れ引当金を積んで銀行の帳簿から消し(オフバランス=最終処理)、要管理先、要注意先などに区分された貸し出しの査定を厳しくし、これも巨額の貸し倒れ引当金を積み増すことである。
「最終処理」の対象となった企業はもちろん、いきなり査定を厳しくされ、大幅金利引き上げなど受け入れ不可能な新たな融資条件を突きつけられた企業は、融資を受けられなくなって次々に倒産する。銀行の側は、最終処理で確定した貸し倒れの損失や巨額の引当金を、本業のもうけを吐き出し、自己資本を削ってまかなわなければならない。そのために自己資本が大幅に減少する中で、貸し出しを中心とする総資産に対する自己資本比率(国際営業八%、国内営業四%)を維持するためには、資産=貸し出しを減らす「貸しはがし」に走るしかなくなってしまうのである。
この「貸しはがし」は、自己資本比率維持のためだけに行われるのではない。今日のような低金利状況では、金融庁が要求する「査定の厳格化」によって積み増しを求められる引当金の負担の方が、金利収入の利益を上回るのはむしろ当たり前である。すべての企業の七割が赤字である。「不良債権処理加速」方針の下で、これらの赤字企業に対する査定を厳格化すればするほど、銀行は膨れ上がる引当金の負担と自らの赤字の増加を食い止めるために、負担となる赤字企業の切り捨てに走らざるを得ないのである。
「貸しはがし」がますます激化し、倒産は増大し、景気はさらに冷え込み、株価もより一層、低下していく。そして不況が「加速」されることによって、処理しても処理しても膨大な不良債権が新たに生み出されていく。このように、竹中=小泉の押し進める「不良債権処理の加速」政策によって、不況はスパイラル的に深刻化し「加速」し続けてきたのである。
九六年に五百三十七兆円あった銀行の貸し出しは、今年四月には四百九兆九千六百億円へと、実に百三十兆円近く削減された。小泉政権の二年間だけで、中小企業向けの貸し出しは三十七兆円も削減された(いずれも日銀の調査)。これほどすさまじい「貸しはがし」があれば、資金繰りの悪化による倒産と失業が激増し、不況が深刻化するのはむしろ当然である。
小泉政権発足当時、一万四千円台だった株価は、一時七千円台に落ち込み、ほとんど半分近くも崩落した。帝国データバンクが発表した今年四月の企業倒産件数は千五百十四件、うち企業を「清算」する「破産」は五百七件で過去最悪を更新した。四月の完全失業率は五・四%で、完全失業者数は前年同月比十万人増の三百八十五万人となり、これも過去最悪を更新した。
この三月の勤労者所帯実収入は、実質で前年同月比七・五%の大幅マイナス。昨年三月から十二カ月連続で減り続けている。内閣府が発表した四―六月期の機械受注見通しによれば、民間設備投資の先行指標となる民需は前期比一〇・五%減の過去最大の低下幅となった。竹中=小泉の「不良債権処理加速」政策が「加速」したのは、まさに大不況のスパイラルであった。
「竹中プログラム」が引き金に
「りそなの破綻」の引き金を引いたのは、竹中であり小泉である。りそなの自己資本比率を四%割れに追い込んだ最大の直接的原因は、竹中が昨年十月に決定した「金融再生プログラム」で、不良債権処理をさらに加速するとともに、繰り延べ税金資産の自己資本比率への算入を厳しく制限したことにある。
「繰り延べ税金資産」とは、不良債権処理に当たって積んだ貸し倒れ引当金が相手企業の倒産で損失として確定した後、払い過ぎた税金として戻ってくると見込まれる税額を自己資本として計上するものである。赤字に落ち込めば税金は払わないことになるわけだから、赤字が予想される企業にとっては繰り延べ税金資産は本当は幻である。
小泉と竹中の「不良債権処理加速」策の下で、大手各行は〇三年三月期決算で合計十一兆八千億円もの不良債権を「最終処理」(オフバランス)し、要管理先債権の引当率も大幅に引き上げた。このため大手各行は本業のもうけをすべて吐き出し、自己資本を削って五兆円近い大幅赤字に追い込まれた。自己資本は激減し、保有株などを除く「中核的自己資本」の大半が繰り延べ税金資産になってしまうという状態にまで追いつめられていた。
竹中は不良債権の処理に次ぐ処理を強制し、銀行の自己資本をそぎ取った上で、繰り延べ税金資産の自己資本への算入を厳しく査定して自己資本比率割れに追い込み、公的資金を注入して「一時国有化」し、政府主導で不良債権処理をさらに徹底的に「加速」しようとしていたのである。
今年二月、竹中の金融プロジェクトチームのメンバーの一人である奥山章雄(公認会計士協会会長)は、竹中の金融再生プログラムの具体化として、これまで五年分認めてきた繰り延べ金融資産の自己資本への算入を、三月期から厳しく制限するよう求める「会長通牒」を出した(『エコノミスト』3月18日号)。
りそなを監査している新日本監査法人は、この「会長通牒」にもとづいて繰り延べ税金資産の自己資本への算入を三年分(従来の四〇%減)しか認めなかった。その結果、当初は六%を超えるとされていたりそなの自己資本比率は四%を大きく割り込み、公的資金注入要請へと追い込まれたのである。
りそなのもう一つの監査法人であった朝日監査法人は、繰り延べ税金資産を「ゼロ」と認定(一〇〇%削減)すべきだと主張していた。「不良債権処理加速」によって深刻化した赤字が改善される見通しが立たなかったからである。金融庁がこの「ゼロ認定」に圧力をかけて押え込んだという朝日監査法人の内部文書が暴露されている。
「ゼロ認定」になれば、りそなは債務超過となり、完全な破綻に追い込まれていた。自らの強引な政策が「りそな」という大銀行を事実上、破綻に追い込んでしまったことに驚いた竹中は、四〇%削減にとどめることで「破綻ではない」「債務超過ではない」「失政ではない」という形式をなんとか維持しようとしたのである。
次は四大メガバンクに、さらに巨額の公的資金が投入されるだろう。繰り延べ税金資産の自己資本算入がりそなと同様に四〇%減額されれば、四大メガバンクのうち東京三菱を除く、みずほ、UFJ、三井住友の三行の自己資本比率は国際的に展開する銀行の基準の八%を割り込む。そうなればこれらのメガバンクは、軒並み公的資金の注入申請に追い込まれるのである。まさに「金融危機」「金融破綻」そのものである。
しかし竹中は五月十七日の金融危機対応会議後の記者会見で、りそなのように自己資本比率急減で公的資金注入に追い込まれるような銀行は「ほかにはないと認識している」とシラを切った。自らの政策で深刻極まりない金融危機を「加速」した竹中が、アメリカの大学に逃亡を準備していると報じられているが、それもありそうな話である。
危機を増幅した銀行生き残り策
大手七行の三月期決算は、みずほグループの二兆三千八百億円、りそなグループの八千四百億円、UFJグループの六千億円など、計四兆六千二百億円の大幅赤字となった。三月期決算を控えて、「一時国有化」を恐れるメガバンクは自己資本強化のために、合計二兆円を超える大規模な増資を行っていた。
たとえばみずほのやり方は、赤字企業も含む三千五百社近い企業や法人に無理やり合計一兆八百億円もの増資を引き受けさせるという、まさになりふりかまわぬものだった。そこには、普通の大企業や中堅企業だけでなく、多数の予備校や大学などの学校法人や出版社、芸能プロダクション、医療法人、宗教法人まで並んでいる。今後の融資を断られてはたまらないから、いやでも引き受けざるを得なかったのである。
しかしこの大規模な増資も、その後の銀行株の急落で約二兆円の含み益が消え去ったためにほとんど吹き飛び、無きに等しいものになってしまった。三菱東京フィナンシャルグループの株価は、わずか三週間で四割近く下落した。そしてこうした銀行株の急落は、その株を保有あるいは保有させられた企業を直撃し、重大な打撃を与えることになった。
たとえば松下電器は三百二十九億円の損失、トヨタ自動車は二百五十六億円の損失、キリンビールは百八十億円の損失である。これら「優良企業」だけでなく、破綻寸前のゼネコンも含めて、主要上場企業三百社だけで、保有銀行株の下落で合計一兆千百二十一億円の評価損が出ているのである(〇三年三月末現在)。松下電器は大規模なリストラ効果で本業では大幅黒字だったが、この銀行株下落の損失で最終赤字に追い込まれた。
不良債権が不況の原因だと錯覚する竹中=小泉の「不良債権処理加速」政策で、ますます追いつめられた銀行の、なりふりかまわぬ生き残り策としての大規模増資は、新たな矛盾を生み、自らの危機と不況をさらに深刻化させてしまったのである。
銀行が未来を食いつぶしていく
すでに日銀は、日銀法の規定を無視して銀行の保有株を購入するという「銀行への簿外補助金も同然」(英紙「フィナンシャル・タイムズ」02年9月19日)の「禁じ手」に踏み込んでいる。福井新総裁は、この購入枠を二兆円から三兆円に拡大した。
小泉政権が設立しようとしている「産業再生機構」は、銀行の不良債権(要管理先で「再生可能」と判断されるもの)を十兆円の政府保証が付いた資金で買い取り、経営危機に陥ったそれらの企業を再生させるという触れ込みである。
「産業再生機構」が買い取る対象の企業は、債務超過になっていることが想定されており、その「再生」は銀行による債権放棄=借金帳消しが前提になる。大手七行はすでに、ゼネコンや不動産、流通など再建中の大企業に、何兆円もの債権放棄=借金帳消しを行っている。「産業再生機構」もまた、公的資金による銀行救済システムであり、大企業救済システムにほかならない。
預金保険法一〇二条による銀行への公的資金注入は「金融危機宣言である」とされてきた。今回の「りそな」への公的資金注入に当たって竹中や小泉は、「破綻ではない。危機ではない。金融再生のためだ。失政ではない」などと述べ、マスコミからさえ「意味不明の説明」とやゆされるような状態に陥った。減資を行わず、株主責任を問わなかったことも批判されている。
このため竹中や小泉は、「危機認定」もせず経営責任も問わず「予防的」に公的資金を注入できる新法の制定をねらっており、福井日銀総裁も同様の「公的資金早期注入論」を展開し、そのための法的整備を求めている。
金融庁は、過去に銀行が収めた法人税を還付する「繰り戻し還付」(ある年度の欠損金を過去の年度の利益と通算すること)という銀行救済策のウルトラCを目論んでいる。金融庁の要望通り繰り戻し期間が十五年になれば、何と九兆五千億円もの税金がバブル期に「払い過ぎた」ということになって、銀行のふところに転がり込むことになるという(『エコノミスト』6月10日号)。
財務省は六月二日、〇二年度の税収が目標に届かず、一兆円を超す不足に陥るという見通しを発表した。税収不足を日銀納付金などの税外収入と予算の使い残しで補えなければ、歳入欠陥が生じ、追加的国債発行が必要となる。そして日銀は、銀行保有株買い取りなどに資金を投入していることを理由に、政府に日銀納付金の減額を要求している。
まさに切羽詰まったこのような財政状況下で、銀行に九兆五千億円もの税金を「返還」したりすれば、ますます歳入欠陥は拡大し、世界最悪水準の財政危機を際限なく深刻化させざるを得ない。それでなくても二〇〇五年度には、国債発行額が借り換え債だけで年間百兆円を超すことになるのである。
金融破綻を税金で処理することで財政危機を増幅するこのような政策は、消費税の大増税という大衆収奪に直結している。今年一月に日本経団連が発表した政策提言「活力と魅力あふれる日本をめざして」(奥田ビジョン)は、消費税率を毎年一%づつ引き上げて、二〇一四年度には税率一六%にするという試算を行っている。
政府税調の石弘光会長が五月二十七日の総会で示した「中間答申」の「論点」には、年金への課税強化や給与所得控除などの縮小などの大衆所得増税や消費税率大幅引き上げなどがズラリと並んている。「論点」は消費税について、「二ケタ税率」という表現で奥田ビジョンを追認し、一〇%台に引き上げる姿勢を公然と示している。
しかし消費税大増税は、冷え込んだ消費をさらに徹底的に冷え込ませ、底なしの不況のスパイラルをさらに「加速」するだろう。銀行と大企業は、倒産の嵐や激しいリストラに直面する中小零細企業や労働者の苦しみをよそに、天文学的な額の公的資金=税金を飲み込み続けることによって、自分たちも含む社会全体の未来を食いつぶそうとしているのである。
公的資金注入反対!無償国有化を
竹中=小泉の「不良債権処理加速」を軸にした新自由主義経済政策は、これまで述べてきたように、その目論見とは裏腹に金融危機と不況をさらに深刻化させ、日本資本主義の危機に拍車をかけている。それは現代資本主義が歴史的発展の可能性を使い果たし、労働者人民に雇用も生活の安定ももたらすことができなくなったことの端的な表現である。
バブル崩壊後の金融不安の高まりの中で、大衆預金は民間銀行から「国営銀行」としての郵貯に移行し続けてきた。現在では、銀行救済のために設定された世界的にも歴史的にもかつてない超超低金利の中で、「たんす預金」も増え続けている。破綻した長銀の後継である新生銀行は、高額の口座維持料を取ることによって零細預金者を排除している。信用創造どころか、「貸しはがし」によるすさまじい信用収縮が進行し続けている。
私的資本としての金融機関が資本主義社会で果たすべき公的機能、すなわち預貸業務と信用創造機能を、銀行はますます果たすことができなくなっている。その代わりに全力を上げて取り組んできたのが、デリバティブなどの金融投機なのである。
過剰資本に金融投機の場を提供するための世界的金融自由化とグローバル化の進行の中で、金融資本の野放図な投機によって世界各地に「投機マネー」が流れ込み、次々にバブルが作られては崩壊してきた。そしてそのたびに、倒産の波や大量失業が生じ、何百万人もの労働者が職を奪われて街頭にたたき出され、生活を破壊されてきた。
不正な経理操作と金融詐欺が露呈して衝撃的な倒産事件を引き起こしたエンロンやワールドコムの犯罪を食い物にしていたのは、JPモルガン・チェースやメリルリンチなどのアメリカ最大手金融機関であった。いまや「リスクマネジメント産業」とさえ言われるようになった銀行の「収益力」とは、M&Aなどの企業合併や再生の手数料収入であり、デリバティブなどの金融投機とその手数料収入である。ハゲタカファンド的能力を高めることが、銀行の「収益力」を高める最大の手段になってしまったのである。
このような私的金融資本に何十兆円もの公的資金を注入し、「一時国有化」して救済する必要はない。しかもそれは財政危機を増幅し、不況を促進し、より一層の大衆増税を招いて社会的危機の深刻化をもたらす。しかしこれらの巨大金融機関が破綻すれば、大きな経済的混乱を引き起こすだろう。それを食い止めるためには、すべての大銀行を無償国有化して、利潤追求を自己目的にしない単一の国立銀行に移すべきでなのである。ハゲタカファンド的再生のための「一時国有化」は、労働者人民にとって有害無益な結果しかもたらさない。
社会のあり方、世界のあり方全体を根本的に変える闘いが求められている。めざすべきなのは、居住、医療、教育などの基本的人権にかかわる公共サービスや、少なくともヨーロッパ並みの無期限の失業保障や失業扶助、そして新たな雇用を、社会が責任を持って保障する体制である。そのような社会のあり方に移行することは、今すぐ可能である。何十兆円もの公的資金を準備することができるのなら、それはそのような社会を準備するためにこそ投じられるべきであろう。
中小零細企業への金融は、すでに政府系金融機関がこの間、民間金融機関が貸し出しを大幅に削減しているのとは対照的に貸し出しを増やし、不十分ながら肩代わりを進めている。大銀行に「不良債権処理の加速」を強制し、中小零細企業への融資を引き上げさせて倒産に追い込みながら、その大銀行に中小零細企業への融資拡大を求めるという、二律背反の奇怪な政策を、これ以上続けさせてはならない。政府が直接、それらの融資に責任を持てばいいだけである。
かつて住専に公的資金が注入されようとした時、左翼運動と市民運動は「金融犯罪破綻のツケに税金を使うな」として反対運動を展開した。しかし今日、りそなへの公的資金注入に反対する動きはほとんどない。この混乱と後退の理論的背景は、「反体制的」ポーズで「不良債権処理の加速」を竹中以上に叫び立て、一時マスコミの寵児となった金子勝の誤った主張にある。この混乱を一刻も早く克服し、私的金融機関への公的資金注入に反対しなければならないという認識を、左翼と市民運動の中で再建しなければならない。
全世界で、発展の歴史的可能性を使い果たした現代資本主義に代わって、新自由主義的利潤追求と帝国主義的軍事の論理を拒否した「もう一つの世界」をめざす闘いが広がっている。このようなインターナショナルな闘いに合流しよう。銀行への公的資金注入問題は、そのための試金石でもある。(6月8日高島義一)
「全世界を妖怪が徘徊している。トロツキズムという妖怪が」
ネオコンもビンラディンもトロツキスト?
本紙4月14日号で紹介した「ネオコン=トロツキズム」という図式は、思いのほかの広がりで流布されつつあるようである。
本紙が批判した姜尚中は新著『反ナショナリズム』(教育資料出版会)の「まえがき」で「トロツキー張りの世界革命を掲げる元新左翼と国防族が一体となった『ネオ・コン』派の先制攻撃戦略」とか「極左的な世界革命の妄想を、キリスト教的な原理主義と『帝国』の理想でブレンドした『ネオ・アメリカニズム』」などと書いている。トロツキストという言葉を使ってはいないものの「ネオコン=極左的世界革命」という主張は、彼の新著『日朝関係の克服』(集英社新書)にも『イラクから北朝鮮へ』(太田出版)にも登場する。われわれが引用した「NEWS23」での姜尚中発言(3月21日放送)は、たんなるその場限りの「口の滑り」ではなく、彼の「ネオコン批判」の核心を構成するものであるらしい。
次はおなじみの金子勝(慶応大教授)。彼も『サンデー毎日』6月1日号のインタビュー「米国主導の『終わりなき戦争』はグローバリゼーションの当然の帰結だ」の中で、「アメリカの『自由』や『民主主義』を世界中に輸出しようというグループ」、すなわち「ネオコン」を「まるでトロツキストのような原理主義」と性格づけている。
こうした「ネオ・コン」=「極左」原理主義=トロツキズムという論法のきわめつけは、東京新聞5月28日付に掲載された熊田亨なる御仁の連載コラム「ヨーロッパ展望台」欄の「ネオ永久革命」と題する一文である。
熊田は述べる。「ネオコンはネオコンサーバティブ(新保守主義)の通称で、これまで共和党右派とかタカ派とかいわれてきたが、れっきとした革命党である」「ネオコン潮流の開祖でエンタプライズ研究所の長老アービング・クリストル(82)は、往時、ニューヨーク極左のトロツキー主義者であった。トロツキーの思考回路を踏まえて、左から右への転向である」「今日のネオコンが中東の永久革命をこころざすのも、トロツキーの血筋を引いている」「トロツキーとクリストルがそうであるように、ネオコン潮流の知識人のおおくはユダヤ系で、イスラエルを無条件に支持している。イスラエル右翼の代弁者であることをかくさない政治人もいる」。
熊田は、イスラエルの右翼シオニスト政権に軍事的にテコ入れするアメリカの戦略を、「中東を制するものは世界を制する」という展望を抱いた「ネオ永久革命」と規定する。そしてヨーロッパが反発しているのはこの「トロツキー以来の逆さまの永久革命の夢想である」と結んでいる。
まさに噴飯ものの放言であるが、同時にわれわれはこの熊田の主張が、自覚的か否かにかかわらず、前回に批判した東京新聞(3月11日)の「ソ連=ユダヤ人国家」という表現などと同様、露骨な反ユダヤ主義の色彩を帯びていることに注意しなければならない。
姜尚中や金子勝が「反ユダヤ主義者」だなどというつもりはない。しかし彼らは、おそらく深い考えもないまま無自覚的に、反ユダヤ主義の要素をも含んだ「ネオコン=トロツキズム」論に飛びついたのではあるまいか。
少くともわれわれが知る限り、「ネオコン=トロツキスト」論の根拠は、ネオコンの総帥とされるアービング・クリストルが、六十年以上前にトロツキスト組織に属していた、というその一点だけである。その一つの事実だけから「ネオコン=トロツキスト=極左的世界革命論」という荒唐無稽な主張を引っ張り出すためには、「反ユダヤ主義」のネットワークの介在が必要なのではないか、という疑問が生じるのも当然である。
本紙にもその論文を訳載しているジルベール・アシュカル(パリ第八大学教員、国際関係論)は、ブッシュを突き動かしている極右「アメリカ原理主義」とアルカイーダに代表される極端なイスラム・テロリズムの傾向との衝突をハンチントンの『文明の衝突』になぞらえて『バーバリズムの衝突』と名づけた。ところで「9・11」の後、「イスラム原理主義」についてのさまざまな言説が飛び交う中で、ビンラディンを「イスラムのトロツキズム」と特徴づける主張まで現れていた(藤原和彦『イスラム過激原理主義』中公新書)。すなわち自由も人権も民主主義も破壊する二つの「バーバリズム」の衝突は、相対立する「トロツキズム」相互の「内ゲバ」となってしまったのである。
労働者人民の長年の闘いが作りだした人類の進歩的達成を破壊するこの「極端主義」を、一部の人びとはなんでもかんでも「トロツキズム」の呼称で呼んでいる。『共産党宣言』になぞらえれば「トロツキズム」はまさに全世界を徘徊する「現代の妖怪」となっている。
かつて「反トロツキズム」は、スターリニストの専売特許だった。スターリニストたちがもはや「トロツキスト=人民の敵、挑発者、反革命」神話を放棄せざるをえなくなった今日、グローバル資本主義の矛盾と深刻な危機の中で「自由と民主主義」の勝利による「歴史の終焉」という幻想を打ち砕かれた支配階級の絶望が、新たな形での「トロツキスト」神話を流通させている。
「反対党にして、政府党から共産主義だと罵られなかったものがどこにあるか、反対党にして自分より進歩的な反対派に対して、また反動的な政敵に対して、共産主義の烙印をおしつけて悪口を投げ返さなかったものがどこにあるか」。いささか大げさだが『共産党宣言』冒頭のこの「共産主義」の一句を、今日ではそのまま「トロツキズム」に置き換えて通用すると言いたくなるほどだ。
しかしこうした「現代の悪魔=トロツキズム」とも言うべき思想状況が、およそ克服すべき非社会科学的没論理とイデオロギー的退廃の表現であることは言うまでもない。そしてカッコつきではないトロツキストたちは、「ネオコン」の帝国主義的バーバリズムとさまざまの極右宗教的バーバリズムに対決し、「もう一つの世界」としての社会主義的オルタナティブのため闘っているのである。(純)
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