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                          かけはし2003.4.28号より

米朝核問題協議――ついに中国が動いた



金正日体制への中国のいらだち

 四月二十三日に北京で米国、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、中国の三カ国による北朝鮮核問題協議が行われることが明らかになった。ついに中国政府が動いた――協議開催に至る経過はこの一点に集約されるだろう。中国が北朝鮮に対して外交的イニシアチブを発揮したこの決断が三カ国協議の今後の流れを規定していくだろう。
 中国はこの間、米朝間の核問題協議では「北朝鮮の主権が尊重されるべきだ」との外交スタンスで一貫してきたが、これが表面上の外交辞礼にすぎないことは最近の中朝関係の動きからも明らかだ。
 北朝鮮が昨年九月に新義州経済特区の長官に中国系オランダ人のヤンビンを任命して全権を一任しようとした際には中国は当初から反対し、それにも関わらず北朝鮮がヤンビン任命を強行したために中国はヤンビンの拘束・逮捕で応え、北朝鮮の無軌道な経済特区構想を封じ込める姿勢をあらわにした。ちなみに金正日総書記が00年に訪中した際に中国指導部は経済特区を南北国境ラインに建設すること(換言すれば中朝国境ラインには認めない)をすすめていた。
 また昨年10月の北朝鮮核開発計画露見について中国は、米国による一方的暴露戦術を批判することなく、「そういう計画はまったく知らなかった」とむしろ北朝鮮への不信感をにじませていた。そして今年二月の国際原子力機関(IAEA)緊急理事会での北朝鮮核問題の国連安保理付託提案にロシアは反対したが中国は賛成した。併せてこの時期に中国から北朝鮮への重油のパイプライン送油を中国が一時的に中断したことも伝えられている。
 一方中国国内に約十万人いると伝えられる脱北者の外国公館への駆け込み亡命が昨年から多発し、「難民」(脱北者)の存在を認めない中国は国際社会の批判にさらされてきた。
 こうした経過の中で指導部を一新した中国が、静観視から積極対処へと対北朝鮮政策の転換を図っていることを今回の中国主導の三カ国協議開催は明らかにした。指導部一新後の中国が北朝鮮との核問題協議の場で、朝鮮半島の安定を損なう行動には対抗措置を執ることを明確に伝え、米朝間での核問題決着を北朝鮮に迫ったことは明らかだろう。
 今後もしばらくは見せかけの「対米対決姿勢」「核開発疑惑」の演出続行によって米国のネオコン(新保守主義勢力)や国際社会の関心・緊張を朝鮮半島へ集中させ、そうした舞台装置を整えた後に金正日が前面に出て大局的転換を図るという北朝鮮指導部のシナリオは「鮮血で固めた同盟関係」にあったはずの中国の一撃によって修正を余儀なくされようとしている。
 このようにして、中朝間の対立が明確になったことは、逆に中国と韓国の国交がより緊密になっていることを意味するものだ。中韓国交から十年の昨年は韓国の対中輸出比率は二〇・三%に達して対米輸出比率を上回り、中国にとっても貿易額に占める韓国の比率は全体額の七%で、米日に次ぐものとなっている。また中韓間の人的交流も年間二百万人を超え、韓国人海外旅行先トップは中国であり、韓国を訪問する外国人トップも中国(01年)となっている。
 韓国ノ・ムヒョン政権の唱える「北東アジアの時代」構想はこうした中韓関係緊密化の流れに現実的根拠をもつ(ノ・ムヒョンは大統領就任演説でこの言葉を十八回も使ったとされる)。そしてこの「北東アジアの時代」提起に「意味不明で不安が消えない」と間髪を入れずに反発したのはだれあろう中曽根康弘だ。
 中国にとっても中韓関係緊密化の流れは、朝鮮半島安定化志向をより絶対的死活的課題とするものであり、軍事と外交をもてあそぶ金正日のふるまいはもはや桎梏となり果て、北朝鮮指導部に対しては静観放置から能動対処への外交的転換をより明確化させていくだろう。今回の米朝協議への中国の参加とその北京での開催はその始まりを告げるものとなるだろう。

軍事休戦協定からの転換へ

 北朝鮮は米朝中三カ国協議受諾後も、「本質問題は米朝で協議」「使用済み核燃料棒再処理へ最終段階」(4月18日、北朝鮮外務省)と、相も変わらず緊張演出に余念がないが「米国の対北朝鮮政策を大胆に転換する用意」を必ず結語として強調している。
 ではこれまでの米朝関係の土台とは何であったのか。それは一九五三年七月に調印された朝鮮戦争の軍事休戦協定という危うくもろい土台である。北朝鮮の主張する「大胆な転換」とは米朝間を律するこの基本関係からの転換を意味する。そしてこの軍事休戦協定に当時国として署名した三国とは米国、北朝鮮、中国(韓国は署名を拒否した)だった。
 協定署名から五十周年後の今日、同じ顔ぶれの三カ国が米朝間を律する基本関係という歴史的課題について協議するなら、軍事休戦協定からの転換へと協議の核心は定まっていくだろう。歴史的な南北共同声明(00年6月)が出された年は朝鮮戦争開戦五十周年の年でもあった。
 開始される米朝中三カ国協議は、これまでの多国間協議(97〜99年・南北米中4者協議)や米朝協議(米クリントン政権時代)のように長期間のマラソン協議になるとの見方が有力だが、北朝鮮にはもはやそうした余裕はない。経済的破局の進行のもたらす社会的危機(腐敗と専横と無秩序)は、専制独裁支配の要であるはずの軍部にまで深く進行している。それはこの間の亡命者証言によっても裏付けられる。
 そして今回、北朝鮮が米国とともに「大胆な転換」を画する協議へと踏み込むとすれば、私たちは米ブッシュ政権による「北朝鮮・悪の枢軸」規定の即時撤回、「相互に敵対視しない」とした米朝共同コミュニケ(00年10月)の精神をもとにした北朝鮮政策への転換をアメリカに要求して闘っていく。
(4月20日 荒沢 峻)


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