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広河隆一さんが緊急現地報告会            かけはし2003.4.21号より

空爆下のイラクで何が

バグダッドの惨状、米軍のねらい、そして抵抗
「イラクは巨大なパレスチナと化していくだろう」

 四月十二日、東京・教育会館で「広河隆一 緊急報告『爆撃下のイラク』」が日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)・ピースボート共催で開催された。
 広河さんは、三月二十六日から四月二日までバグダッドで取材してきた様子をスライドで紹介しながら報告した。広河さんは「今後のイラクは、巨大なパレスチナのように抵抗が続くのではないか」と提起した(要旨別掲)。
 続いてピースボートは@4・19ワールド・ピースナウへの参加要請Aイラクの次を朝鮮半島にさせないために朝鮮半島の南北訪問Bイラク医療食糧支援基金集めを訴えた。日本国際ボランティアセンター(JVC)は「イラクの母子病院への支援を行ってきたがそれが困難になっている。緊急に人を派遣して医療支援を再開するための活動を明日から始める」と報告した。さらに、JVJAが会の活動を紹介した。
 その後、会場からの質疑や討論が行われた。最後に広河さんは@戦争への加害者の立場に立った日本で、有事法制や憲法改悪の動きが急速に進むことに対する闘いAイラクで何が行われたのかを検証する国際公聴会が必要Bイラクへの救援活動を緊急に行う必要性を訴えた。     (M)


広河隆一さんの報告から
「『誤爆』ではない。米軍は民衆の被害が必要だった」


 日本の大手マスコミは従軍記者とスタジオの中での米軍の軍事的攻撃の分析に終始していた。肝心の爆撃される側の取材のためには危険だからといって、たった一人の自社記者も送りこまなかった。やられる側の様子を伝えたのは、ほとんどフリーランスだ。こうすれば、取材はどちらの側に片寄るか明らかだ。
 フリーランスの人たちが誤爆の様子や傷ついた人の様子を伝えた。このニュースは全体の量からすればわずかだった。これが今回の戦争の取材の大きな特徴だ。私が代表をしている日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)は爆撃される側を報道するために四人いた。現在は三人残っている。

じゅうたん爆撃と同じこと

 ヨルダンからバグダッドに入って行く途中で、道端にイラクの焼け焦げた車両を何台も見た。米軍特殊部隊と遭遇した。空にはアパッチヘリが飛んでいた。そして、次にイラク軍の検問に出会った。そうするとホッとした。なぜなら、イラク軍は民間人を狙って攻撃することはないが米軍は攻撃してくるからだ。
 いわゆる誤爆と言われているもので、ナセル市場で六十六人が殺された。別の民家にトマホークと思われるものが落とされ爆破された。これが一体軍事施設なのか。向こうは一生懸命ピンポイントだと言っているが、ここでぼくが見たものは、ぬいぐるみだとかおもちゃの自動車とかそんなものばっかりだ。ここの周りにあるものといったら病院と学校だ。あとは住宅街なんだ。
 誘導爆弾の誤差は数メールと言われているが、それがくせものだ。通信用アンテナがあったとするとそれが一メートルそれれば、そのトマホークは数百メートル飛んでいき破壊する。爆撃される方からすれば、なんでそんなところが爆撃されるか分からない。じゅうたん爆撃と同じだ。
 米軍は徹底して通信施設を破壊していた。その通信施設の道を隔てた所が学校だったり病院だったりする。通信施設破壊のトバッチリを受けて、そこも完全に破壊されてしまう。ここでも死人がでたり、ケガ人がでたりする。これを知っているから空母キティーホークからの報道に非常に腹がたった。

なぜ商店街に爆弾を落とすのか

 バスラでは浄水場や発電所が破壊された。このことによって弱っている子どもたちなど十万人の命が危険にさらされている。劣化ウランによって白血病になった人は五年間で生存率が四〇%だ。それも、継続治療をしないと死んでしまう。今度の爆撃で継続治療が困難になっている。緊急の医療支援が必要だ。
 商店街の破壊で十五人が殺された。なぜ、爆弾を落としたのか。以前レバノンで、PLOはフリーゾーンを作っていた。そこをやっつけようと思って、イスラエル軍が爆撃をたえず行っていた。イスラエル軍はPLOを爆撃するだけでなしに、その周辺にあるレバノン人の村も爆撃した。最初のうちは、レバノン村民は身内を殺されて、イスラエルへの怒りでいっぱいになった。さらに続くと、「あのPLOさえ出ていってくれたら」と思い始めた。
 それと同じで米軍がやりたかったのはフセインと民衆の離反だ。そのためにはピンポイント爆撃だけではだめだ。一般民衆の被害が必要だった。「フセインがいつまでもここにいるから、お前たちはこんなめにあうんだぞ」と思わせたかったのだ。見事に米軍はそういう作戦を進めたんじゃないかと思う。
 最初の七日間で、死傷者が四千人と言っていた。それはうなぎ登りに増えていったがカウントする情報省がなくなったので何人死んだのか分からない。

「解放と自由」のイメージ作り

 帰りにシリア国境では手錠をはめられて列をなしていた人たちを見た。彼らは義勇兵としてイラクへ行きたがっていた。アラブ人はイラクのために何かしたいと思って行動しようとしたが、アラブ諸国は許可しなかった。この戦争の結末はアラブ人、イスラムとしての誇りや尊厳を打ち砕いていった。しかし、このままでは終わらないだろう。
 
 米軍は解放軍だという演出について。
 歓迎ムードや銅像が引き倒されるところの映像を何回も何回も流した。アフガニスタンでもカブールが陥落してから解放の象徴として、ヒゲをそったりブルカを脱ぐ映像が流した。一週間後、私はカブールに入ったが解放軍のはずの北部同盟は全員がヒゲをはやしていた。「解放と自由」のイメージを作るための映像が必要だっただけだ。
 その後アフガンで起こっていることはこれからのイラクを考える指針になるだろう。「解放・自由・民主化」のイメージが作られているのはカブールだけだ。私は二回ほど地方にも行ったが群雄割拠だ。ジャーナリストが襲撃されたり、救援物資が奪われた。
 米軍が前に出たら略奪が止められるのになぜ止めないのか。
 混乱をどんどん助長して、アメリカ軍に「ここを統治してください。ここに平和をもたらすのはあなたたちしかいません」と民衆からの米軍への「要請」を育てようとしているのではないか。

イラクは今後どうなって行くのか

 レバノンやパレスチナの例からイラクがどうなっていくか考えてみたい。
 レバノンの南部にはシーア派の貧しい人たちがたくさん住んでいる。イスラエル軍の侵攻をシーア派の人たちは「最初はPLOがいなくなると被害を受けなくてすむ」と歓迎したが占領が長引くと、イスラエル軍に対する抵抗を組織した。イスラエル軍は侵攻による死者よりも占領による死者の方が多くなった。そこで、イスラエル軍は後方に撤退せざるを得なくなり、アメリカ軍が平和維持軍として入ってきた。最初、村民は「私たちの安全のためによく来てくれた」と拍手したが、「やっぱり侵略者ではないか」と反撃が始まり、自爆攻撃で二百四十人の海兵隊が死んだ。米軍は敗北を認めてそこから撤退した。
 米軍は自爆攻撃が恐ろしいのでなんにでも引き金を引く。イスラエルのように、検問所は恐ろしいのでコンクリートのブロックをその前に作るだろう。民衆の真っ只中にいると動くネコでも撃つ。占領者の心理はそういうものだ。それで米軍は支えきれなくなるだろう。
 こういうことを考えるとイラクで「歓迎」されているということがこれからどのような歴史をたどるか。今後イラクはレバノンの混沌から、今度はドロ沼のパレスチナのようになっていくのではないか。米軍のテロと民衆の自爆攻撃が繰り返される。抵抗は地面にもぐり、やがて波のように起こってくるだろう。巨大なパレスチナになっていくのではないか。
 イラク民衆は生き延びるために、「フセイン万歳」を「ブッシュ万歳」と変えただけだ。その背後には何万にも民衆が家にひっそりと潜んでいる。アフガンでもタリバン時代の方が良かったと言う人も増えている。占領者によって作られた新生イラクはたえず民衆の抵抗にあうだろう。
(発言要旨。文責編集部)


読者からの通信

広河隆一さんの緊急報告会に参加して

                 佐々木ひろみ

 四月十二日、イラクから帰国したフォト・ジャーナリスト・広河隆一さんの緊急報告会が、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会とピースボートの共催で、東京・日本教育会館でおこなわれたので、行ってきました。会場は、入りきれないほどの人が集まり、床に座ったり、立ち見の人が大勢いました。
 広河さんは四月六日にイラクから帰国し、自分で会場を手配し、呼びかけ文を作ったそうです。ご本人は、これほどはやく情勢が動くと思っていなかったそうで、一時帰国をして、イラクの状況を報告するつもりだったそうです。
 大手メディアは、爆撃される現場には来ず、もっぱらフリーランスのジャーナリストばかりだったそうです。大手メディアは、キティーホークなど攻撃する側からのニュースが圧倒的で、戦争が始まるのが当たり前という報道さえあったことに、広河さんはとても憤りをおぼえたそうです。
 アメリカは、 イラクの市街地に爆弾を無差別に投下したのは、フセインへの反感を強めるためで、その方法は、イスラエルがパレスチナ民衆への弾圧で、あえてPLOの近辺に爆弾を落として、民衆の感情をイスラエルへの怒りからPLOへの怒りへすり替えていくやり方と同じ手法だと、広河さんは非難しました。アメリカは、世界支配のために多くのことをイスラエルから学んだと言えるそうです。
 テレビではさんざん爆撃の状況は見せられてきましたが、広河さんがヨルダンから、イラクへ入国するときの運転手さんとのやりとり(日を追うごとにどんどん上がる運賃)、ヨルダンからイラクに入る一本道で砲撃してくるのはアメリカ軍で、イラクの検問所に到着してホッとしたことなど)や、救急車への砲撃があったこと、オマーンの人が人間の楯イラクに入ろうとしたが、「米軍は、アラブ人を人間だと思っていないから、楯にならない」と言われて帰された話、医療施設の状況を報道したいのにできないことなど、日本のテレビやマスコミではわからないことが聞けました。
 広河さんは、質問に対してもとても丁寧に答えていて、自分で答えられないことは、その方面のエキスパートに話をふるなど、誠実な印象を受けました。


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