| 公共医療と民主主義の抜本的強化を かけはし2003.4.21号より |
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新型肺炎(SARS)の感染を広げた民営化と独裁政治 |
中国広東省が発生源と言われる新型肺炎(SARS¥d症急性呼吸器症候群)が、アジアを中心に世界各地に拡散し、パニックを広げている。香港の革命的社会主義誌「先駆」の劉宇凡同志は、中国の深刻な社会的不平等と医療の民営化、そして報道規制と独裁政治こそが、伝染の拡散をまねいていることを告発していいる。
香港の新型肺炎(重症急性呼吸器症候群=SARS)は、いまだ蔓延している状況ではあるが、実際には香港を憂慮するだけでなく、中国についても憂慮しなければならない。中国にこの種の伝染病をコントロールする能力があるのかどうか、これこそが決定的に重要である。
出稼ぎ労働者の医療と疫病拡散
問題は中国の医療技術にあるのではなく、深刻な社会的不平等にある。一方で富める者はさらに富み、貧しいものはさらに貧しくなり、社会の総生産額に占める労働者の収入の割合はますます減少している。
その一方でこれまでの二十年、世界および中国では一種の政治的伝染病が流行してきた。すなわち医療を含む公共建設および社会サービスが利潤追求の対象とされ、大規模な企業化と民営化、あるいは「利用者負担」化が実施されてきた。この種の政治的感染症は香港はもとより、中国ではとりわけ深刻である。
中国のすべての病院が「医は算術」よろしく、(高額な医療負担ゆえに)労働者は会社で健康保険に加入している場合にだけ診察を受けることができる。このような新型肺炎以外の政治的感染症は、労働者が診察を受けられないという状況を引き起こす。
なかでも特に農村からの出稼ぎ労働者はそうである。今回の新型肺炎の流行では、かれらへの危険の度合いは非常に高い。なぜなら工場が集中しているだけでなく、寮も密集しており、しかも圧倒的大部分の工場が健康保険に加入していないからである。そして出稼ぎ労働者はわずか数百元(一元は十四円)の月給しかなく、一回診察を受けるだけでややもすれば一〜二百元の費用がかかることから、出稼ぎ労働者は病気にかかっても診察を受けることができない。
もし出稼ぎ労働者が風邪を引き熱が出ても、ほとんどが病院にはいかず、よくても薬を買うか、近所の小さな診療所(医者でさえもが開業に必要な許可証のない)で診察してもらうくらいである。それゆえ、いったん出稼ぎ労働者が新型肺炎に感染すれば、工場と寮での感染はあっという間に広がるだろう。
聞くところによると東莞(香港と境界を接する深
市の北側に位置する新興工業地帯)工業区ではすでにある工場の女性労働者が感染したとのことである。健康保険に加入していないことから、故郷に帰って治療をすることになる(出稼ぎ労働者は一般的に重病にかかると帰郷して治療する。治療代金や医薬代および生活費も安く、また家族が看病してくれるからである)。農村において、衛生状況や病人に支払能力がなくても診察してくれるかどうかは置いたとしても、出稼ぎ労働者がすぐに治療を受けることができず、その多くが帰郷させられるという事件だけをみても、すでに病気の拡散を後押ししているのである。
現在中国の感染者千数百人のうち、出稼ぎ労働者がいるのかどうか、もしいるのであればその比率はどのくらいになるのかなどは分からない。しかし次の事実は否定できないことである。中国の深刻な社会的不平等、および政治による安価な公共医療の破壊は、疫病の危険性を大いに高めていると。
社会医療学の研究によって明らかにされているのは、疾患は社会的状況と密接な関連があるということである。貧困、不衛生な飲料水、住居の密集などはすべて多くの疾患(肺結核など)の悪化を誘発するものである。反対に社会的不平等の縮小は、特に下層への無償医療の保障は、伝染病を含む疾患の減少に大いに役立つ。
しかしこれまでの二十年間、各国の政府はそれに逆行し、大規模な民営化を推進してきた。最も早くそれに着手したサッチャーの名言は「いいですか、社会などというものはありません。一人ひとりの男と女、そして家族があるだけです」というもので、これは教育や医療など一切の社会的サービスは、個人にだけ恩恵がもたらされるものであり、それは個人的に責任を負わなければならないというものである。
しかし、今回の新型肺炎の事件が改めて明らかにしたことは、個人は真空の中で生きているのではなく、人間はそもそも社会的な動物であり、それぞれの禍福は互いに密接な関係にあるということである。疾患を予防する上で、とくに必要なことは相互協力を提唱し、病人の支払能力を問わない公共医療制度である、特にこの不景気と貧困の増大の時代においては、公共医療を削減することは疾患の伝染を後押しすることにしかならない。
民衆を欺く官僚行政と報道規制
第二の政治的感染症とはすなわち報道規制と独裁政治である。中国での報道規制こそが香港での感染症をコントロール不能にした。その後、報道規制が解かれはじめた。しかし再び北京の勇敢な医師である蒋彦永によって虚偽データを暴露された。
一九九八年のノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センは『貧困と飢餓』のなかで、中国で一九五九年から六一年の間に大飢饉が発生し、インドが中国に比べて貧しかったにもかかわらず同様の大飢饉が発生しなかった原因のひとつは、インドには多少なりとも報道の自由と選挙によって選ばれた政府があったからであり、政府が民衆の命を完全に軽視することができなかったが、中国にはそのどちらも存在せず、人々の状況が指導者たちに伝わらず、指導者たちもめちゃめちゃに指導したことによって、被害が拡大したと指摘している。
疫病は飢餓とはちがう。しかし中国共産党の対策はかつてと同様で、報道を規制するだけでなく、逆に偽り欺くものである。
ウィルスは恐ろしい、しかし官僚の鈍感さと極端に体裁を重んじる風潮はもっと恐ろしい。この二つは中国官僚の共通の遺伝子である。すべての官僚が上級へのみ責任を負い、人民に対して責任を負うことはまったくない。それゆえ人民の苦しみには振り向きもしない。現在の官僚行政はそれほどまでに深刻である。
深 のとある病院は六年間も無免許で営業していた〔許認可権は行政にあるが、無許可営を取り締まらない〕。そしてこれは氷山の一角に過ぎない。それゆえ独裁の感染症は疑いなく新型肺炎を拡大させたのである。
このような二種類の政治的感染症に対して、原則的に言って二大原則を実現することが必要である。一つは医療の公共性を重ねて明言し、公共医療システムがいかなる商業原則によって運営されることにも反対する。もう一つは報道の自由を実現し、本当の民主主義をかちとらなければならない。中国と香港の人民はそのために長期的な闘いの準備をしなければならない。
公共医療の強化と真相の公表を
目下香港政府がとっている対策以外にも、少なくともさらに二つの対策をとらなければならないだろう。
一、医療を後退させる一切の政策(医療費関連支出の削減、病院の閉鎖、医療費の引き上げ、「利用者負担」の実施など)をやめ、公共医療システムへの財政支出を増やす。すべての新型肺炎患者の入院および治療、医薬費の免除(低所得者層患者がすぐに治療を受けることが可能になる。原則的に言って、政府は伝染病の治療に対してすべての責任を負う義務がある)。
二、もし香港と中国の感染者が今後も増加するのであれば、香港全土の消毒だけでなく、中国と香港との人の往来に対して一貫性のある予防措置をとることを考慮しなければならない。疫病増加に伴って、たとえば香港に入る者には一律に基本的な健康診断を必要とする、香港住民に中国で状況の深刻な地域へは行かないように呼びかける、そのような地域に行ったことがある場合は、香港に入る際に強制的に健康診断を行い、感染の疑いがない場合にだけ香港への入境を認めるなどである。
これらの措置は当然旅行者にも影響を及ぼし、香港に出入りする人数を減少させ、さらには中国政府の不満をかきたてるだろう。しかし疫病の増加という状況で、その上、香港では中国の医療システムと治療に関与できないので、香港はまずは自らを防衛する必要があるし、またその権利もある。
次に香港人のために、そして大陸同胞のためにも、われわれは中国共産党に対して、報道を規制しでたらめの情報とデータを偽造したすべての官僚を徹底的に調査、処罰し、すべての医療労働者がメディアに自由に発言する権利があることを宣言し、真相を明らかにした医療労働者が迫害を受けることのないように保護することを強力に要求する。
董建華(香港行政長官)政府は当然このような措置をとるつもりはないので、市民の動員によって圧力をかけなければならない。われわれは疫病を政治問題化するのか。そのとおりである。実際には疫病の拡大それ自身がとっくに政治問題と化している。それゆえ政治的な方法をとることが必要なのである。
ストックマン医師の闘争精神を
今回、蒋永彦医師が身を挺して登場したことは、十九世紀のノルウェーの作家イプセンの戯曲『民衆の敵』を想起させる。
ストーリーはストックマンという名の医師がある町で開業していた。そこは温泉で有名な景勝地であり、温泉が地元に多くの収入をもたらしていた。しかしストックマン医師はその温泉が近郊の鉱山に汚染されていることを発見し、彼の兄でもある市長に温泉の閉鎖と汚染の改善を要求する。しかし市長の回答は典型的な商売人のものであった。「温泉を閉鎖してしまうと、財源が断たれるではないか」。
ストーリーは市長、市政府、市議会そしてすべての権力者がいかにストックマンを弾圧し、汚染を公表しようとする彼を阻止し、彼を「民衆の敵」として攻撃するのか、そして医師はいかに孤軍奮闘するのかというふうに展開していく。
彼は敗北する。しかし彼の闘いによって誰が「民衆の敵」なのかが明らかにされ、汚染は本当に恐ろしいものではなく、ひたすら利益を追求する既得権益者こそが最も恐ろしいものであることが明らかにされる。このような人間に対しては、大胆に闘いを続けることによってのみ、一時的には敗北するかもしれないが、少なくとも誰がさらに被害を拡大させているのかを人々に知らせることはできる。
疫病が猛威を振るう状況においては、市民は政府と一致団結してこそ疫病に打ち勝つことができる、という意見がある。事実はまったく逆である。ウィルスに打ち勝つには、偽りなき説明を行う本当の民衆の利益を代表する政府が必要である。香港政府はもちろんそのような政府には不合格である。しかし中国政府はもっと不合格である。
われわれは現在、合法的な民主的経路によって政府を変更する方法を全く有していない。それゆえ唯一の武器である言論の自由を用いて、かれらのすべての誤りを批判し続けなければならない。どうにかわずかの真相を知り、これら人民の監督を受けない政府をいくらかでも規制をかけなければならない。
結局、われわれにいま必要なのはストックマン医師の闘争精神であり、奴隷の精神ではないのである。
二〇〇三年四月九日
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