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                          かけはし2003.4.21号より

帝国主義の戦争攻勢に対決する労働者・民衆闘争を組織しよう

「北の核危機」問題と韓国労働者の政治的課題

 昨年10月のジェイムス・ケリー特使の訪北の際に「北韓(北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国)の核保有示認」(?)によって触発された、いわゆる「北核の危機」がまたもや韓(朝鮮)半島全域を戦争の脅威の渦に追い込んでいる。特に、米帝国主義のイラク戦争への攻勢が秒読みに突入した現時点で、韓半島の戦争の脅威は深刻な不況に喘いでいる南韓の資本主義を一層危機的局面に追い込んでいる。
 このような戦争の雰囲気は一次的には北韓の封鎖・孤立化を推進しているブッシュ政権の一方主義的政治軍事的攻勢によるものであり、また米国の圧迫攻勢に対する瀬戸際戦術と表現される北韓側の強硬対応によって一層高められている。このような状況にあって、南韓政府は対応能力を喪失したまま事実上、局外者へと押し出されており、94年の核危機の時のように、われわれも知らないうちに戦争のカウント・ダウンが始まるというとんでもないシナリオが再現されるかも知れない状況が韓半島を制している。
 02年10月3〜5日、ケリー国務次官補がブッシュ政権の特使としての資格で北韓を訪れた。だが02年初めの「悪の枢軸」発言によってパイプのつまっていた北・米関係の改善のための対話となるだろうとの希望的観測とは正反対に、ケリーの対北交渉は「核問題」に対する爆弾宣言とともに、北韓を圧迫する多分に意図的な挑発によって始まった。
 これは前駐韓大使ドナルド・グレークとともに、個人の資格で北韓を訪問していた北韓問題専門家ドーン・オーバトフの「ワシントン・ポスト」の記事(02年11月10日付)で確認されている。彼の証言によれば、北韓側は米国との対話や関係正常化を強く希望していたし、核問題を口実とする米国とのいかなる対立も望んでいなかった、という。
 だがケリーは北韓が核を保有しているという情報についての事実確認を要求して対話(?)の砲門を開いた。会談初日、北韓側の代表であるカン・ソクチュ外交部第1部長がケリーの追及に対して「もちろん、われわれも核プログラムを持っているさ」と応酬し、この発言は米国代表団によって北韓の核保有の事実の示認と解釈された。
 だが米国側はこの事実を即刻公表はしなかった。むしろ、10余日後の10月17日になって初めて米国務省は北韓側が核兵器の保有を認めたとの記者会見を開いた。裏事情通によれば、ワシントン政界のタカ派たちが、この事実(?)をマスコミにリークしてイシュー化しようとし、それであわてて記者会見をしたのだという。
 ともあれ、この記者会見以降、米国側は北韓の核保有を既成事実化し、いわゆる核問題の波紋は韓半島の情勢を撹乱する国際的イシューとして登場することとなった。会談の詳しい内容や北韓側の主張には言及のないまま、北韓側がジュネーブ合意をはじめとする非核化協約に真っ向から違反しているとともに、核開発を推進しているとの非難が米国や国際世論を沸き立たせることとなる。こうして米国は太陽政策によって作られた東北アジアの和解ムードを破り、この地域に対する米国の情勢介入力を復元する政治的意図を貫徹させることに成功した。
 このような論難の中で北韓側は核保有の有無について示認も否認もしないNCND路線を堅持しつつ、ケリー代表団の「傲慢・横柄さ」を非難しつつ、北・米関係の改善ならびに不可侵協定の締結を通じた事態の解決を促し求めた。すでに北韓は94年のジュネーブ合意の未履行部分に言及し、北・米間の対話を通じたこれの解決を推進してきた。米国側の攻勢に対抗し一方ではIAEA査察団の追放、核燃料棒の封印解除など、予定した手順による抵抗を持続している。
 こうして見ると、北核問題に対する論難は事実上、事実に基づいた論難というよりは米国側の既成事実化戦術による論難であり、多くの部分が確認された事実よりは北韓の核保有という仮定の下でなされている論争なのだ。だが韓国政府やマスコミは米国側のこのような工作に驚き事実確認の過程を省略したまま、米国マスコミの報道を既成の事実として受けて入れている。
 だが国内の核専門家の意見やロシア外務省の発表によれば、そもそも北韓が一部の核原料を保有しているとしても、これを核兵器に製造する技術力やインフラが不足しているという。したがって北韓の核兵器は、その存在の有無が全く確認されておらず、一部の核燃料は存在するものと推定されるが、これは米本土どころか、東北アジアや韓半島に軍事的脅威となる可能性はほとんどないというのが現実的な判断だ。
 けれどもブッシュ政権は9・11以後、フセインのアルカイダとの連関性についてのいかなる証拠も提示できないままイラク戦争を推進し、いつの間にか民主主義のための政権交替へと名分だけを変えたまま、国連をはじめとする国際社会の反対や全世界的反戦運動にもかかわらず、無差別的に戦争の攻勢を継続しているように、北韓に対する米国の圧迫攻勢も似たような論理で進めている。
 まさにこれが、いわゆる北核危機の真相だ。北韓が核兵器を保有する蓋然性、核施設に対する疑惑や情報などに基づいた政治的軍事的圧迫や恐怖の助長が北核危機の真相なのだ。そのような意味において北核危機の原因は北韓というよりは米国とブッシュ政権にあるのだ。
 今回の北核の波紋は基本的にブッシュ政権の対北敵対路線に基づいた意図的挑発によって発生したものだ。基本的に対北関係において対話と交渉を通じた平和的・外交的解決がブッシュ政府の公式的対北政策だが、ラムズフェルド国防長官、ポール・ウォルフォウィッツ副長官、ジョン・ポールトン次官など、いわゆる極右強硬タカ派とブッシュ自身の北韓に対する視線は敵対そのものだ。したがって米政府の公式的立場とは別に、彼らの工作による対北敵対攻勢は、特に保守的マスコミを媒介にして持続している。さらにCIAをはじめとする米国の情報機関もまた、充分な根拠や明白な証拠もなしに諜報の水準で対北攻勢に加担するなど、米国の単独行動主義的、覇権主義的攻勢の軸の一角を構成している。
 その上、米国はすでに02年9月に発表した、いわゆるブッシュ・ドクトリン、核態勢検討報告書(NPR)などを通じて、核兵器生産が疑われている施設に対する先制攻撃という挑発路線を米国外交の基調として設定した経緯がある。これによって、米国の対外政策は国際関係の現実に立脚した穏健な解決策を追求しているハト派に対するタカ派のけん制によって、一貫性がなく混乱を一層増幅させている。
 米国の対外関係を調律する超党派シンクタンクである外交関係協議会の文献によれば、基本的に強硬・穏健の対立にもかかわらず、現実的に米国の基本的基調は武力使用の自制と外交的対応だ。これは生化学兵器を含む北韓の重武装、南韓との直接的対峙、南韓と日本に対する直接的被害の可能性などについて、戦争など直接的衝突を回避し外交的に解決しようということだ。
 彼らの提案文書は@北韓の孤立・圧迫を通じて体制の崩壊を誘導する強硬策A最小限の対話だけ維持した北韓を圧迫する制限的強硬策B経済援助を持続しつつ交渉を通じて問題解決を目指す積極的外交策など3つの政策シナリオを検討した後、2番目と3番目を配合する政策を提示している。これは表面的に表れている米国の対北政策の基調と一致しているのだ。
 だが米国は同時に、いつでも武力の使用を排除しないとの原則を明らかにし、韓半島に向けた武力増強配備などの措置を通じた軍事的圧迫戦術も併行している。時によっては、北韓の核放棄を前提とした解決策をメディアに流したりもする。また米国の軍事的脅威に対する北韓の主張は全く度外視したまま、北韓側の一方的な核放棄を対話の前提条件として提示することによって、対話と交渉を通じた解決を根本から封鎖する遅延戦術を駆使したりもする。
 昨年10月以後、米国側は重油供給の中断などの制裁手段を通して北韓を圧迫する一方、南韓、日本、中国、ロシアなどの周辺国に対しても対北圧迫への協力を強制している。特に、小泉のピョンヤン訪問やキム・ジョンイルの転向的態度によって北・日間の国交正常化の歩どりが早まっていた時点で提起された北核疑惑ということで、これは東北アジア情勢での主導権喪失を憂慮したブッシュ政権の意図的介入、妨害戦術だとの解釈が支配的だ。
 北韓側の基本的要求は北韓体制の安全保障だ。53年の停戦協定を不可侵協定または平和協定に代替することが韓半島の平和保障の基本的前提だとの主張だ。96年のキム・イルソン死亡以後、後継体制の安定化に集中していた北韓は93〜97年の食糧危機を経つつ、遅まきながらも独自的開放路線に転換し、対米関係の正常化と、それを通じた平和体制の構築を基本路線として追求している。
 だが94年のジュネーブ合意に含まれた軽水炉建設は遅延し続けており、北・米関係の正常化はブッシュ政権の発足以後、道遠いものとなった。これに対する北韓の不満や抗議は当然のことであり、北韓側の核施設稼働再開は、核武装というよりは米国との関係改善および関係正常化のための交渉用のカードだというのが一般的な解釈だ。
 米国側は、このような事情を充分に知っているにもかかわらず、北韓の核保有説に立脚して北韓の核施設だけを問題視し、圧迫攻勢を強化した。また米国側は北韓に対する圧迫効果を極大化するために多者(国)間協議に固執しており、北韓と対話は持続するものの、北韓側が核放棄の意思を明確にしない限り、いかなる交渉も行わないという頑強な立場で一貫している。これに抗して北韓もまた、よしんば修辞に限定されているとは言うものの、米国との戦争に対する対備態勢を宣言することによって、「同時に2つの戦線で戦争を遂行できる」という米国の好戦的敵対路線に正面から対抗している。
 このような北韓側の対応は核問題を担保とした「瀬戸際戦術」と規定されるが、はたして北韓側の「核保有の示認」はケリーの挑発に対する偶発的失策なのか、それとも核カードを通じた一括妥協をねらった意図的先制攻撃なのかは依然として明確ではない。ともあれ核を担保とした北韓の対応はブッシュ政権の韓半島情勢揺さぶり戦略に対抗するには不適切なものに見えるし、イラク戦争の攻勢の中で、はたして意図していた交渉を誘導できるかも疑わしい。

 バラ色の改革の展望の中で登場したノ・ムヒョン政権は、米国の対北圧迫攻勢に対して名目的に「平和的解決」路線に固執しているものの、最近、韓米同盟の重要性を強調しつつ米国側の多者間交渉路線の強要に屈服してしまった。基本的にノ・ムヒョン政権はキム・デジュン政権の「太陽政策」の継承を明確にしており、またキャンドル・デモの政局の中で対等な韓米関係の定立を対米政策の基調として設定したにもかかわらず、北核危機の高まりの中で、またブッシュ政権の対北圧迫攻勢の中で無気力な姿を示している。
 特に最近、米国内の極右保守勢力の「駐韓米軍撤収」(ニューヨーク・タイムズ)の扇動など見え見えの世論に押されての、ブッシュ政権との協力の雰囲気を作りあげるための涙ぐましい努力は、新政権もまたキム・デジュン式太陽政策のワナに閉じこめられるだろうことを見せつけている。
 前政権から推進されてきた太陽政策は現在の極右ブッシュ政権の反北敵対路線と衝突しつつ、表面的には対立している。特に帝国主義の戦争攻勢が強化されるとともに、太陽政策の立地はいっそう矮小化されざるをえないからで、これはノ・ムヒョン政権の対北政策の政治的試験台となるだろう。だが本質的に、対等な南北関係についての修辞や宣言にもかかわらず、ノ・ムヒョン政権はブッシュ政権の帝国主義的攻勢に抗しきれないだろうし、韓半島で戦争の攻勢が強化されれば、なお一層、その脆弱性が露呈するだろう。
 この半世紀間、自主路線に立脚してアウタルキー(自給自足経済)的主体型社会主義体制を樹立した北韓は96年のキム・イルソン死亡と93〜97年の食糧危機以後、脱北者の爆発的増加で見られるように、深刻な経済難と同時に社会体制全般において深刻な危機現象を露呈している。だが北韓の閉鎖的体制とそれによる基本情報の制約は、キム・ジョンイル政権の予測不可能な行動や政策とともに、南韓の労働者・民衆運動に政治的負担となっている。
 昨年10月の北核波紋の当時、一部の親政府的市民運動勢力は北核に対する事実確認もしないまま、北韓と米国に対する両非(どっちもどっち)論的基調に立脚した一方的平和主義の立場を明らかにし、事態の歪曲に力を添えた。また統一至上主義の勢力もまた北韓側の主張を無批判的に繰り返すことによって米帝国主義の戦争攻勢に対する効果的な闘争を組織できなかった。
 南韓の労働者・民衆運動を、いわゆる民族的観点に立脚して北韓体制の論理や主張に一方的に動員するのは、南韓運動の独自性を深刻に損なうばかりではなく、対北融和路線を追求する新自由主義的南韓政権との関係において「政治的ワナ」として機能することになる。これはスターリン主義の時代に全世界の労働者・民衆運動がソ連外交の道具に転落した国際運動史の誤りを改めて繰り返す愚をおかすものだ。
 米帝国主義は国連決議案を通じたイラク戦争正当化の試図が最終的に失敗した後、イラクに対する露骨な戦争攻勢の最後通告をすることによってイラク戦争を既成事実化している。以後、このような帝国主義の攻勢は明白に北韓に向かうだろうし、これは北韓体制だけではなく南韓の労働者・民衆運動に大きな試練となるだろう。
 したがって帝国主義の戦争攻勢に抗した反戦運動が軍事的攻撃や覇権主義に抗した闘争を超え、全世界的単一のヘゲモニー体制を構築した帝国主義の政治的土台を崩壊させる政治闘争、国際連帯闘争へと拡張されなければならないように、北核危機の韓半島の情勢において帝国主義の攻勢を阻止するための闘争も、一国情勢を超えて東北アジアにおいて帝国主義の体制を粉砕する政治的国際連帯闘争へと発展させなければならないだろう。
 韓国労働者階級の反新自由主義の闘争は反戦反核闘争、反帝国主義闘争へと拡張されなければならないし、このような意味において反帝国主義の闘争は韓国労働者階級の緊急な政治的課題として登場している。(「労働者の力」第27号、03年3月20日付、ウォン・ヨンス、「労働者の力」会員)


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