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映画紹介ロマン・ポランスキー監督作品、エイドリアン・ブロディ主演。
                      
かけはし2003.3.10号より

「戦場のピアニスト」

逃げ回る姿から浮かび上がるもの


 この映画はピアニストのウワディスワフ・シュピルマンが、ワルシャワゲットーから逃れ生き延びた実話にもとづく物語だ。ピアニストがひたすら生き延びるために「逃げまわる」姿が、強い抵抗者よりも弱い観客の気持ちを一体化させる効果を生んでいるような気がする。そして、ショパンのピアノが場面、場面で実に効果的に映像を引き締めている。監督のポランスキーは幼い頃をクラクフのゲットーで過ごし、母を収容所で殺された経験を持つ。
 一九三九年九月一日、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まった。その時、シュピルマンはワルシャワのラジオ放送局でショパンを演奏していたが、やがてユダヤ人ゆえに回りを高い塀で囲まれたゲットーに追いやられた。四十万人ものユダヤ人はナチスのあらゆる暴力と虐殺、そして飢餓に苦しめられた。

 この映画は、「ナチスが絶対悪でユダヤ人はすべて善」というような旧来あった描き方をしていない。ゲットーでのナチスによる非道な暴力・虐殺には身の毛のよだつリアルな映像があるが、同時にユダヤ人同士の食料の取り合いやナチスが組織したユダヤ人警察がユダヤ人を抑圧した事実も描いている。
 四二年に絶滅収容所トレブリンカへの移送が開始された。シュピルマンは天才ピアニストゆえに、友人のユダヤ人警察の助けによって絶滅収容所行きから逃れることができた。彼はゲットーでのレジスタンスに加わるが、蜂起の前にゲットーから逃げ出すことに成功した。この後、シュピルマンはポーランド人のレジスタンスに助けられて、ただひたすらナチスから逃れた。
 四三年四月、追いつめられた四万人のユダヤ人はワルシャワゲットーで蜂起を起こした。シュピルマンはこの蜂起を外から眺めていた。そして蜂起が壊滅するると、シュピルマンは「蜂起なんか、すべきではなかった」と語るが、ポーランド人のレジスタンスは「いや、蜂起はムダではなかった。これから私たちが闘いを継続するのだ」と決意を述べる。
 そしてその言葉通り、四四年八月、ポーランド国内軍(亡命政府)はワルシャワ蜂起を起こした。しかし二カ月間の攻防の後、二十万人の犠牲者を出し壊滅させられた。
 シュピルマンはアジトから逃げざるをえなくなり、廃虚の建物の中で「月光」を弾いていたナチスのホーゼンフェルト大尉と出会った。シュピルマンはホーゼンフェルト大尉の前で、ショパンのバラード第一番ト短調作品23を弾いた。大尉はシュピルマンのピアニストとしての才能をおしみ命を助けた。
 四五年一月、ソ連軍がワルシャワを解放した。ワルシャワ市内に残っていたユダヤ人はたった二十人だった。

 絶望的なゲットーでのユダヤたちのレジスタンスやユダヤ人を助けたポーランド人の蜂起のすごさ。さらにナチスの中にも、高級将校とはいえもし同僚に見つかれば自らの命を失いかねない危険を冒して「文化や自由」を求める人たちがいたことに、私は人間としての勇気、希望を見いだした。
 主人公はひたすら「逃げまわる」のだが、それを見ているとなぜ「私はユダヤ人ではない」と言って逃げ延びることができなかったのか、疑問にとらわれた。ナチスが侵攻する前に、すでにポーランド人の中にユダヤ人差別があり、容姿はほとんど変わらなくても「ユダヤ人」だと分かってしまったのだろう。ナチス対ユダヤ人というだけではすまされないものがそこには潜んでいるのではないだろうか。
 さらに、ナチスの迫害から生き延びた先にユダヤ人はイスラエル国家を建設したが、そこに住んでいたパレスチナ人から土地を奪い、閉鎖地域へ押し込め、いまなお無差別的な虐殺を行っている。歴史から何を学ぶのか、鋭くこの映画は問いかけているのではないか。        (滝)


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