| 寄 稿 呉は海外作戦行動の軍事拠点となった
かけはし2002.3.25号より |
三月九日、戦車揚陸艦「おおすみ」が、東チモールPKO(国連東チモール暫定行政機構UNTAET)へ派兵された。まず室蘭で陸上自衛隊第三師団の隊員五十人、車両七十台を積み込み、護衛艦「みねゆき」(舞鶴)とともに、東チモールへ向かうという。
その日、私たちは、六隻のゴムボートに分乗して、「おおすみ」が停泊するFバースのまわりで、抗議の海上デモを行っていた。数日前までの強風もおさまり、ぽかぽかとした春を思わせる、波もない静かな海だった。しかし、私たちの心は、怒りと無念が錯綜して渦巻いていた。
午前十時、空母のような形をした「おおすみ」は、海軍旗である旭日旗をたなびかせて、バースからスルスルと動き出した。甲板には制服の隊員が等間隔に整列し、帽子を振っていた。私たちのボートに三倍する海上保安庁のボートや巡視艇の規制の中、できる限り近くから抗議の声をあげ続けた。「揚陸艦おおすみの東チモールPKO派兵をやめろ」とシュプレヒコールをくり返した。「おおすみ」は、一九九九年にトルコ地震の被災地へ仮設住宅を輸送したことはあるが、何らかの作戦行動を意図して、海外に出動するのは初めてのことだ。そもそも自衛隊が持つべきではない戦車揚陸艦が、ついに海外派兵を始めたのである。
この瞬間から呉基地は、海外における複数の作戦行動に部隊を派兵する軍事拠点となった。言うまでもなく、昨年十一月二十五日、テロ特措法に基づいて、日本は、アフガン戦争の一部を担うべく、海上自衛隊の補給艦隊を派兵した。その中心に呉の補給艦「とわだ」が位置付けられ、インド洋に向けて出兵した。「とわだ」は今も参戦を続けている。そして、今回の「おおすみ」の東チモールへのPKO派兵である。これは、自衛隊が海外にいることが「普通のこと」になる時代の幕開けかもしれない。
自衛隊は、元々の思想である「専守防衛」とは全く異なる領域に突入している。湾岸戦争での掃海艦隊の派遣以来、日本は、自衛隊の海外派兵をさまざまな形態で実現させてきている。まず一九九二年六月にPKO協力法が成立し、その年の九月、カンボジアに向けて、呉から出ていったのは、今インド洋でアフガン戦争に参戦している補給艦「とわだ」である。その後、「自衛隊」は、モザンビーク、ルワンダ周辺国、ゴラン高原などへ派遣され続けてきた。そして昨年十二月、「テロ特措法」とそれによる戦時派兵のどさくさの中で、ほとんど審議もないままPKF国連平和維持軍への自衛隊の参加凍結を解除する形で、「改正PKO法」が成立している。今や、自衛隊が海外にいることは「普通のこと」になってしまっており、このこと自体に日本の病んだ姿が見えている。
日本は、アジア・太平洋戦争においてアジア諸国を侵略・植民地支配したことについて国家として反省していない。一九四二〜一九四五年の日本軍による東チモール侵略の責任をいまだとろうともせず、侵略・植民地支配の被害者への謝罪と補償も行っていない。戦後も、日本は、東チモールを武力併合し虐殺と人権侵害の限りを尽くしたインドネシアを支え続けてきたのであり、国連での東チモールの民族自決や虐殺の真相解明を求める決議に繰り返し反対票を投じてきた日本が、人道支援を名乗る資格はない。新たな利権と軍事的プレゼンスの確保こそがチモールへのPKO派兵の目的であるとしか考えられない。
そして何よりも問題なのは、そもそも戦車揚陸艦「おおすみ」を輸送艦と称して派遣することである。いくら「輸送艦」と名乗っても、海外侵攻ができる軍事的実体を隠すことはできないはずである。
他方で、こうした海外派兵を担う呉基地は、さらに強化されようとしている。三月中にも、戦車揚陸艦「おおすみ」の二番艦である「しもきた」が呉基地に配備される。搭載するLCACの整備場が、江田島町にしかない状況から、「おおすみ」型は、ことごとく呉に配備される可能性が高い。言うまでもなく「おおすみ」型の輸送艦は、戦車揚陸艦であり、強襲上陸用舟艇LCACと相まって海外への侵攻を可能にする能力を持つ侵略のための軍艦である。どう見ても、専守防衛の自衛隊が持ってはならない軍艦が、私たちの町呉市に次々と配備されようとしているのである。このままでは、呉は戦車揚陸艦の巣になってしまう。
「しもきた」の呉配備に反対し、「とわだ」の即時撤収を求めるべしとの観点から三月八日、私たちは呉市に申し入れを行う予定だった。そこに、「おおすみ」の派兵が出てきた。そこで、「おおすみ」問題もあわせて申し入れることとなった。対応した呉市の総務課長は、「アフガンでの戦闘は、テロに対する国際的な取り組みであり、アメリカの戦争とは考えていない」との観点から、「自衛隊の派遣も、憲法の枠内で行われているはず」と居直った。しかし、少なくとも既に四千人以上もの市民が殺されている現実と、その責任の一端が日本にもあるという事実について、呉市として何の痛みも感じないのかと問うと、無言のままだった。呉市は、自衛隊との共存・共栄を方針としているが、そのときの自衛隊は、専守防衛の枠の中でのことのはずである。しかし、今、自衛隊は自衛隊でなくなってきている。その証拠は、海外の作戦行動に同時に二つも部隊を送る基地になろうとしていることにある。こうした事態に対して毅然とした対応を取るべきであるとのやり取りを行った。
三月九日は、早朝七時から平和船団の準備に入った。八時、呉地方総監部の正門を訪れる。約十人が集まった。三月十日、平和運動センターなどを中心として、「しもきた」配備、有事法制・憲法改悪反対ヒロシマ集会が計画されており一日共闘の実行委員会が作られていた。その呉地区参加五団体の連名で、防衛庁長官宛ての要請書を出すことになったのである。駆けつけた社民党の金子哲夫衆議院議員が当直士官に要請書を手渡した。十五分足らずの短い時間であり、共産党が除かれてはいるが、一日共闘の実行委員会に集まった部分が共同で申し入れを行ったことは、広島では画期的なことだった。
私たちは、そのあと冒頭で述べた平和船団による海上デモを行ったのである。
翌三月十日は、昼から集会。広島県内を中心に約五百人が集まった。軍事問題評論家の藤井治夫氏が「ストップ戦争への道、許すな有事法制」と題しての講演。必ずしも、次の行動が具体的に提起されたわけではないが、昨年の11・25を引き継いだ形で、旧来の社会党の枠と市民運動が合同での行動を積み上げる大きなステップになる企画にはなった。とにかく、有事立法の国会上程を阻止すると言う信念のもと、闘いを組むことが幅広く確認できた意味は大きい。当面「しもきた」配備と補給艦「とわだ」の帰還に抗議する取り組みに全力投球していきたい。 |