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フランス                       かけはし2003.2.24号より

国際主義と支援物資をとどける労働組合国際輸送隊の活動

エリック・アラゴン(SUD―PTT)に聞く

 エリック・アラゴンは、一九五八年生まれ、一九七八年に郵便局に入り、そこで運転手の仕事に従事してきた。一九九一年以来、SUD―PTT(郵便電信電話部門の新しい独立組合、連帯・統一・民主主義労働組合)で活動し、一九九八年以来、専従役員を務めている。その運転手としての活動によって、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、アルバニア、マケドニア、など二週間の旅行の国際労働組合トラック部隊を率いることができた。この二年間、彼はロシア、そしてチェチェンにも出かけた。現在は労働組合輸送隊の書記。

労働組合国際輸送隊の闘いとは

――労働組合輸送隊とは何か?

 労働組合輸送隊は二〇〇一年に結成された団体である。それは、一九九四年から、ボスニア(一九九四〜一九九八年)、続いてコソボ(一九九八〜一九九九年)、そして最後にチェチェン(二〇〇〇年)における連帯行動に自らを動員してきたさまざまな領域の労働組合(SUD、CGT、Onic)によって構成されている。その目的は、具体的な支援(食糧、教材)を提供し、フランスとロシアとチェチェンの労働者の連帯を実現することである。フランスでは、われわれは、人々を立ち上がらせるために、報告集会やすべての人々に対する公開討論を通じてわれわれ労働組合の世界にこの旅行の証言を行っている。具体的な行動はより政治的な発言への助けとなる。

――あなたにとって歴史はいつ始まるのか

 一九九五年、私は郵便局で運転手の仕事をしていて、SUD―PTTの組合員だったが、その時に、ボスニアのセルビア人部隊に包囲されたツヅラの町の住民を支援するために結成された労働組合輸送隊に参加するよう要請された。こうして、セブレニツァ占領直後にツヅラに到着した学生と労働組合員によってチャーターされた十四台のトラックから成るヨーロッパ輸送隊に参加した。その後これまでに十回、輸送旅行を行った。

――それはほとんど人道主義的なものなのか?

 すべてが人道主義的であるというわけではない。尊敬すべき人道主義的団体も一部には存在しているが、それはわれわれの使命ではない。NGO団体は現場では大きな制約を示すこともしばしばで、全面的な参加も政治的考慮も行うことができない。なぜなら、現地当局が常にNGOをよくサポートしてくれるとは限らないからだ。
 われわれのもたらす物質的支援は、人の家に招待されたときに持って行くワインの瓶に少し似ている。この援助は、難民を憐憫の眼差しで眺めることなく難民と対話するのに役立つ。さらに、フランスで集められるこの援助によって、支援の提供者はほぼ物質的な支援に参加することができるし、これら提供者がその後、われわれに報告を求めることができる。それに、現場で小麦粉を渡す方が、市場の出口で署名を集めるよりも有効である。

チェチェン連帯の行動で感じること

――チェチェンに行くと、どんな辛い目に会うのか。

 大きな孤立感を覚える。トラックでそこに行くと、帝国の果ての果てにいるということを肉体的に理解することができる。「ロシア専用の狩猟地域」に入るのだ。難民の状態は、おそらく私がヨーロッパで遭遇したもののなかでも最悪だろう。難民たちはまったく劣悪な待遇の中で生活している。すなわち、この三年間、テント生活なのだ。
 こうしたことはたとえばボスニアにはなかった。難民たちは、グロズヌイのような完全に荒廃した町に再び戻れるという希望もなく、略奪や裁判抜きの処刑……など横暴のかぎりを尽くしているロシア軍に対するすさまじい恐怖を抱えている。

――労働組合員や学生が現場で介入することはよくあることなのか。

 われわれは、紛争状況に対する政府の放任主義を毎日、世界から認めることしかできない。紛争を防止する責任を負う機関である国連は、たとえ後で詫びたとしても、ルワンダの大量虐殺を阻止することができなかったのだ。サラエボは、三年間包囲されていたが、ヨーロッパの諸機関は何をしたのだろうか。
 もしわれわれが共通の未来に関わりのある労働者として何もしないとすれば、われわれはどのような状態にとどまることになるだろうか。選挙で棄権するのだろうか? 毎年、NGO団体に小切手を渡して自分の良心をごまかすのか? それは私の考え方ではない。

――なぜチェチェンなのか。

 すべてのことをやりたがること、それはすべてをざっと通り過ぎることであり、これは小さな団体における悪しき風土病である。今日はここ、明日は別のところ、といった具合いである。この輸送隊によってわれわれが望んでいること、それは結びつきを作り出し、強化し、それを持続させることである。持続がこれを可能にするし、現地の現実の理解を可能にする。
 チェチェンでは、われわれは参加している小さないくつかのNGO団体とともに活動しているが、同時にその前にロシアの小さないくつかの労働組合に会い、われわれがそれらの組合に物質的援助を提供し、これらの組合は、きわめて「反コーカサス的な」ロシアの世論をたとえわずかでも前進させることができる。ロシアにおけるこの論争はときとして騒然たるものになるが、そうした論争は存在意義を持っているのである。その結果が生れ始めている。今度のチェチェン旅行には一人のロシア人の同志がわれわれに同行するはずである。

――フランスに戻ったとき、あなた方の行動はどのようにみなされているのか。

 当初、人々は少し「エキゾチック」だとみなした。それ以降、事態は大きく変わった。たとえ、資金を見つけ出し、旅行に必要な認可を得る上での行政の嫌がらせを克服できるかどうか明確でないとしても、もし計画を実現するために自らを動員するならば、すべてのことが可能であるということをわれわれは立証することができた。今日、仲間たちは、本当にわれわれの行動に興味をもっており、組合活動家でなくても、われわれの運動に加わり、手を差し伸べたがっている。最近では、われわれに対してフランスで集会を開いてほしいという多くの要請が寄せられている。

チェチェンを大量虐殺の場にするな

――ヨーロッパの労働組合はそれに動員されているのだろうか?

 私の知るかぎりでは、ヨーロッパにはこの種のイニシアティブがほとんど存在してこなかった。この活動は、労働組合だけの単独の領域ではない。われわれはその点は理解することができる。私としては、昨日の労働者が今日の難民になり、明日のわれわれの同志になると思う。難民は、戦争のせいで異常で不安定な条件下で生活している人々にすぎない。それ以上でも、それ以下でもない。

――今後の計画は?

 チェチェンが、誕生したばかりのこの二十一世紀の忘れられた最初の大量虐殺の場とならないようにするために、可能なところから再出発することである。なすべき仕事はある。より具体的には、われわれの最近の計画を実現するために再出発することである。すなわち、若い難民のための情報学校の運営を助け、チェチェンの孤児院の復旧を支援し、もしその手段があれば、グロズヌイの文化・教育センターを復旧することである。
聞き手:グザビエ・ルスラン(「ルージュ」(03年1月9日)


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