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メキシコ                      かけはし2003.2.10号より

EZLN(サパティスタ民族解放軍)、サン・クリストバルを再び占拠

ホセ・ロスティエル

 さる一月一日、チアパスのサパティスタはサン・クリストバルを取り戻し、ヴィセンテ・フォックス大統領に対して、いぜんとしてサパティスタが存在しており、大きな勢力を持っていることを証明した。

 二〇〇三年一月一日、サン・クリストバルに夜が訪れた時、チアパスのサパティスタの先住民が数千人到着し、町の中心に入った。タイマツに照らされた膨大な隊列は、三時間にわたって行進し、中央広場を埋め尽くした。顔は隠され、行進の隊列は数百のマチューテ(なた)とこん棒で武装している。一九九四年一月一日にサパティスタが蜂起した時、この町を最初に占拠してから九年後のこの日、EZLN(サパティスタ民族解放軍)は、平和的にチアパスの第二の都市を数時間、再占拠した。夜になると、エステル、ダビット、タチョー、フィデリア、オマル、ミステル、ブルース・リーの司令官たちは、長時間の会議で次々と発言し、いつものサパティスタの沈黙を破った。
 そこに結集した人々の数は一万人を超えており、おそらく二万人近かっただろう。これらの人々はすべてチアパス州の人たちで、この町に着くまでに、数日間、徒歩やトラックや馬で旅してきたのだった。人々はプラカードを掲げ、スローガンを叫んだ。そこでは当然、メキシコ全土で闘っている農民とインディオの諸要求を読み上げた。だが同時に、人々は反グローバリゼーションの運動、女性の解放闘争、……、バスク人民の政治闘争を支持し、イラクに対する戦争を拒否するとも表明した……。
 これらの人々は、サパティスタの支持基盤であり、これらの地域社会は一九九四年以来、メキシコ国家に対する戦争に突入した。これらのツォツィル、ツェルタル、チョル、トホラバル、そしてさらにソケの村の人々は、マルコス副司令官の覆面の影であまりにもしばしば忘れられているけれども、メキシコ軍や準軍隊組織と日常的に対決する市民の戦線を形成するとともに、さらにそれに加えて貧困とも闘わなければならない。
 メキシコ全土でのサパティスタの司令官たちの二〇〇一年三月の行進は、ときとしてサパティスタ民族解放軍の司令官たちしか動員されなかったと批判されたことがあった。今回は、その支持基盤の方が、率先して行動することを選択した。マルコス副司令官は、それに喝采を送ったけれども、かたわらで目立たない存在にとどまった。
 ヴィセンテ・フォックス大統領は、おそらく、最悪の前任者たちから写し取った「強化された陣地戦」政策からの、より純然たる結果に期待しているのだろう。昨年、サパティスタの活動家の暗殺が次から次へと続き、逮捕が復活した。蜂起した人々に対する恐怖政治とともに、権力に忠実な人々のための見え透いた社会政策が並行してなされているが、これらはほとんど効果を挙げることなく、体制の腐敗と政治的解決の買収を許している。
 メキシコでの二〇〇一年のサパティスタの行進は期待していた法律の採択にまで至らず、行進を支持する強い大衆動員は本当に力を確保することにはならなかったので、政府側は、サパティスタ民族解放軍が袋小路に陥ったと考えたが、わなにはまったのがおそらくフォックス大統領であることが明らかになっている。
 この九年以来、その最も大規模な大衆動員の形をとって支持基盤が再び前面に登場したことは、実際、政府側にとって重大な打撃である。それはすべての人々にとって単純なひとつのことを思い起こさせる。すなわち、メキシコでは、戦争が続いているのだ、ということを。この現実を、フォックスは今後もはや覆い隠すことはできない。戦争は、天然資源を最大限吸い上げることによって、中米をアメリカ(そしてEU)のためのの巨大な組立て工場にしようとする、大金融機関が練り上げたいわゆる「プエプラ・パナマ」計画を見直させることになる。
 この計画とフォックス大統領の全般的な自由主義的攻勢とに直面して、サパティスタは全国的レベルでのオルタナティブ勢力を引き出すことに成功してこなかった。しかしながら、サパティスタは今日、依然として多数を結集しており、完全に組織されていて、強力な大衆動員力をもっていることを示している。このことが自体がすでに勝利である。一月一日の夜に、サパティスタがサン・クリストバルを再び占拠したのは、おそらくこのことを祝うためであったのだろう。(「ルージュ」、03年1月9日号)


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