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三里塚                        かけはし2003.2.10号より

危険な欠陥滑走路の運用をただちに中止せよ

暫定滑走路オーバーラン事故糾弾

 一月二十七日、午後九時四十九分、三里塚暫定滑走路(二千百八十メートル)で北側から着陸したエアージャパン航空九〇八便(乗客・乗員百二人、B767\300型)が南端から約七十メートル先の緑地帯までオーバーランし、誘導路灯や滑走路末端補助灯を一部を壊して止まるという重大な事故が発生した。
 事故機の前方三百数十メートル先には東峰部落が存在している。もしそのまま直進し続けたら、東峰部落を直撃する可能性があった。乗客たちには負傷者が出なかったが、「本当にひやっとしました」「着陸前から機体が右に傾き、ひどく揺れてびっくりした」などと精神的打撃があったことを訴えた。
 昨年十二月一日、日本エアシステム機とルフトハンザ機が暫定滑走路誘導路上で接触した事故に引き続き、連続的に重大事故が起きてしまった。これらの一切の責任は、政府・空港公団にある。これ以上の事故を起こさないために、ただちに暫定滑走路の供用を中止せよ。人権・生活・環境破壊、欠陥だらけの危険な暫定滑走路を廃止せよ。
 事故時の天候は、空港上空を低気圧が通過し、風速が秒速最大約十三メートル、強い雨風が吹いていた。当時、空港は、風速方向が次々と変化するウインドシア状態で、航空機飛行にとって非常に危険な天候状態であった。B767\300型の着陸必要距離は約千五百メートルだが、悪天候の場合、通常よりも延びてしまい、最低二千メートルの滑走路距離が必要なのである。さらに滑走路が雨でぬれている場合、ブレーキが利きにくく一五%も滑走路距離が延びてしまうのだ。
 今回の事故は、滑走路が短かすぎる暫定滑走路を、空港反対派の追い出しと、金儲け主義を優先した過密運航のために安全性と人命を軽視して、供用し続けている政府・空港公団の人災である。日本乗員組合連絡会議の林田議長は、この事故に対して、「滑走路が短すぎて余裕がない。悪天候時には使いたくない」と批判した。このような抗議、危険性の指摘は供用前から国内外の各航空会社、乗務員から繰り返し行われてきたことだ。
 昨年十二月の誘導路接触事故にしても、誘導路が「へ」の字に曲り、坂になっているため、「航空安全推進連絡会議」(乗員組合など二万人の会員)が「安全上支障が生じる可能性があり改善を」という要望書を〇二年四月と七月、二回も出していたほどだ。
 航空法施行規則は、誘導路本体が幅二十三メートル以上、側帯が百十メートルと定めている。だが、実際の側帯の全体幅が九三・五メートルと基準よりも七・五メートルも狭いにもかかわらず国交省は、安全根拠を示すことなく「安全が担保された」として、つまり通常よりも気をつけるというレベルで例外的に認可してしまったのだ。さらに、島村昭治さん所有の林にしても高さ十メートル以上あって飛行危険対象物であるにもかかわらず、供用を優先するがために手前勝手に「大丈夫」などと判断して、轟音をまき散らしその上をかすめるように飛び、東峰住民の生活と環境を破壊し続けている。
 暫定滑走路に対する数々の危険性の指摘が、次々と現実の事故として発生している。この先に予想される事故は、大規模な人身事故かもしれない。なんとしてでもそのような事態は止めなければならない。そのために欠陥だらけの危険な暫定滑走路の供用を強行し続ける政府・空港公団を糾弾し、安全優先感覚が麻痺した犯罪行為を止めさせなければならない。

 一月二十七日の事故について各報道機関は、「あわや大事故」「初のオーバーラン」「改めて欠陥あらわ」という見出しで一斉に報道した。この報道に驚いたのが空港公団黒野総裁だ。その動揺を隠し切れず、旧来の官僚的対応を開き直り的に突き出した。黒野は言う。「改めて二千五百mの必要性が身にしみた」「(滑走路が)長ければ防げた可能性は否定出来ない」「(用地買収のために)従来に増して、地権者の方々に誠実にお願いしていく」などだ。
 黒野は、今回の事故の責任を暫定滑走路に反対する東峰部落住民、反対派に押しつけようとしているのだ。こんな責任逃れを絶対に許してはならない。
 政府・公団の平行滑走路完成キャンペーンは、暫定滑走路供用一周年を前に強まっていくだろう。東峰部落住民の断固たる闘いに連帯し、政府・公団の反動的キャンペーンを粉砕していかなければならない。
 一・二七事故に対して国交省は、航空事故調査委員会を設置した。マニュアルどおり飛行機や現場検分、機長、副操縦士、客室乗務員から事情調査し、原因を明らかにしていく段取りだ。しかし、過去の調査委員会による原因報告からすると、結果現象的な悪天候状況の指摘、航空機会社の過密運行の強行状況を素通りした操縦士に対する個人責任の押しつけをした上で、事故の根本原因は滑走路が短いことにあるという結論を出す可能性がある。そして、早急な延長が必要だとして東峰部落住民、反対派への追い出し攻撃キャンペーンに加担していくだろう。このような対応を許してはならない。
 空港公団は、〇四年民営化にあたって、官僚たちの自己保身のために「(平行滑走路完成に向けた工事着工の)仕事をしている」とアピールを強めなければならない状況に置かれている。この流れの上に、空港反対派の一坪共有地の買い取りに応じることを要求する民事訴訟提訴、東峰住民追い出しのためのいやがらせを目的とした東峰地区空港拡張・貨物地区計画、横風滑走路建設に向けた準備工事拡大、労闘・労活評現闘団追い出しと横堀部落解体攻撃の強化を昨年から立て続けに行ってきている。
 公団はやれることはなんでもやるという、一種の「あせり」を根拠とする綱渡り的な攻撃を展開している。こういった公団の弱点を見すえ、全国的な三里塚闘争陣形の拡大を展望しつつ四月暫定滑走路供用強行一周年抗議闘争を闘っていかなければならない。東峰部落住民は、東峰貨物地区構想に対して反対する申し入れ書を発表した。(別掲参照)また、現在、東峰神社裁判において原告・東峰住民は、公団を追い詰める果敢な公判闘争を展開してる。支援・連帯を強めていこう。
 成田暫定滑走路声明事務局の仲間たちの呼びかけによる「3・27三里塚のこれからを考える集会」(三月二十七日、木、午後六時半、文京区民センター、鎌田慧さん講演・現地から柳川秀夫さん、石井紀子さんが出席)が準備されている。この三月〜四月にかけて欠陥だらけで危険な暫定滑走路の廃止を求め、政府・空港公団の犯罪を許さない全国キャンペーンを展開していこう。   (遠山裕樹)



申し入れ書

「東峰の森」を破壊し村を消滅させる貨物地区構想を受け入れることはできない


 1 新聞報道(二〇〇三年一月十三日読売新聞)によれば空港公団内で東峰十字路の南東部に貨物地区を整備する構想が浮上しているとのことである。これが事実とすると計画により東峰地区は東西に分断され、今以上に生活上の不便を被る。また当区に残る唯一の自然景観であり、防風・防音林であり、生活用水・農業用水の滋養林でもある旧県有林(通称東峰の森、約一二・三ヘクタール)の大半、あるいは全部が伐採され、コンクリートに覆われることになる。このことは結局東峰区の村としての存在を消滅させようとするものであり、断じて受け入れることはできない。
 2 「暫定」供用によってもたらされている激甚被害
 昨年四月の暫定滑走路供用の前から、当区の生活道路は分断され、トンネルをくぐらされたり、迂回させられたり、すでに大変な不自由を強いられている。とりわけ暫定滑走路南側にひろがる当区の西半分の地域では、道は回廊状にフェンス張りされ、畑や住居のある生活空間も誘導路の遮音壁や、誘導灯の保護柵などに囲われ、周囲からは隔絶されてさながら収容所のような状態に置かれている。ここには監視塔からの監視もあり、畑で作業をしていて生理的欲求を感じても果たすこともできない。暫定滑走路供用後は常時誘導路を行き来する飛行機の騒音と振動に悩まされ、そこへ多いときには数十メートル真上を二、三分間隔で平均九五ホンを超す轟音が襲う。離陸機の発進時および着陸機の停止前のエンジン噴射は地響きを伴って人体や建物に襲う。供用前には知られていなかった飛行機の翼が起こす圧風で、家の屋根瓦がずれ落ちる被害まで生じている。
 新たな貨物地区の建設は、このような空港被害をさらに村の東側部分にまで広げるものである。
 3 東峰の森の存在意義
 伝えられる貨物地区の建設が強行されれば当区の中央にある旧県有林は消滅する。この森は五十数年前の開拓の当初から山菜摘み、きのこ採り、粗朶集め、落ち葉掻き、床土取りなどで村人が入会い的に使ってきた場所である。防風、防砂、そして空港ができてからは防音の役目果たしてきた。この森はまた天水が北へ利根川、南に栗山川に流れる分水嶺にあって、雨水はいったんこの森で蓄えられ、少しずつ取香川、尾羽根川、大須賀川、高谷川の谷津筋に浸み出し、田畑を潤してきた。東峰が台地上にあっても井戸水が涸れなかったのも近くの谷津田の水が涸れなかったのも、東峰の森の恵みがあったからである。もしこの森が刈り払われコンクリートに覆われるようなことになれば、村の農業に壊滅的な被害が出るばかりか、周辺地域にも甚大な影響が及ぶにちがいない。
 4 貨物地区構想は公団のかつての周辺緑化構想と相容れない
 この東峰の森について空港公団は一九九六年から翌年にかけて、「成田空港周辺緑化基本計画」に基づき、樹林地としての整備・育成の方針を東峰区に示した。そこでは「長年東峰で生活をされた方々がなじんだ風景に対する愛着を大切にし、その原点ともいえる、この森への思い入れも十分に配慮します。そのような視点に立って、環境の大きな変化を避けながら以前のような親しみのある森の形成に努めていきます。」(一九九七年二月十三日「東峰地区樹林の段階的整備〈二次案〉)と考え方を述べている。今回伝えられる貨物地区構想はこの緑化計画を自ら否定するものである。
 このときの実地調査には東峰区からも人員を出して参加し、以後樹林地として整備・育成を図ってゆくとの了解の下に、当区でも区民がいっそう手をかけ森を良くしてきたのである。空港公団だけが相互の約定とも言うべき東峰の森育成の了解を破り、これを潰廃できるものではない。
 貨物地区構想はこのような経緯を見ても、思いつきとしてさえ許されるものではない。今後これ以上の計画化も具体化もなきよう、強く申し入れるものである。03年1月30日 東峰区区民一同
   (見出しは編集部)

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