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                           かけはし2003.2.3号より

「駐韓米軍削減」をめぐる次期大統領の発言に大揺れの政界

 子どもの魂を慰めるろうそくの行列は年が明けても、とどまるところを知らない。韓米同盟50周年の年を迎え「新たなパートナー関係」を模索すべきだという自省の声が高まっている。それにもかかわらず駐韓米軍の地位と役割について根本的な問いを投じることは、いまなおわが社会の聖域として残っている。まるで開いてはならない神話の中の「パンドラの箱」のように、米軍の削減や撤収を口にするのは依然としてタブー視されている。
 新年早々から政治圏を中心に駐韓米軍をめぐる論難がし烈だ。ノ・ムヒョン次期大統領が昨年12月30日、陸海空三軍参謀総長から合同業務報告を受ける場で、「駐韓米軍の削減の可能性およびそれに備えての対策」に言及したのが発端となった。
 ノ次期大統領は同日、忠南・論山の三軍本部を訪れ「駐韓米軍の削減戦力を韓国軍がどう補強するのか、長期的対備策はどう準備されてきているのか、聞いたことがないので聞きたい」と語った。ノ氏は「駐韓米軍に対して米国が自ら削減するとの戦略を立てたことがあるし、国防戦略に沿って削減の話が出てきた後、それが中断されたりもした。ところで最近、駐韓米軍削減の話が再び出てきている。軍は変化した状況に対処できるように5年あるいは10年、20年の計画を立てて備えるようにすべきだ」と強調した。
 発言内容が伝わるやいなや、ハンナラ党は激しく反発しだした。ソ・チョンウォン代表最高委員は12月31日、主要な党関係者会議で「次期大統領は、だれからどんな話を聞いて(米軍)削減を既成事実化したのかを明らかにしろ」と要求した。ソ代表はまた「米軍撤収を既成事実化するのではなく、撤収されるように、あるらゆる努力を傾けるべきだ。米軍が撤収すれば韓(朝鮮)半島にどんな影響を及ぼすかは、3歳の子どもでも分かることだ。国内に言及する経済的・社会的混乱に、だれが責任をとるのか」と叱咤した。
 幾つかのマスコミも素早く動いた。「駐韓米軍が突然撤収したり削減したりすれば、韓国の安保はもちろん経済の側面からも、企業活動、証券市場、貿易、財政など各分野に致命的悪影響を及ぼす可能性、大だ」という憂慮をぶちあげた。現行の韓米合同防衛体系において米軍が占めている比重を考えるとき、米軍撤収に伴う空白を埋めるためには140億〜259億ドル(約17兆〜31兆ウォン)に及ぶ天文学的費用がかかるだろうという推定値も出てきた。
 論難が高まるとノ・ムヒョン氏は記者との懇談会で「このような重要な問題について国家的対応のプログラムや選択可能な幾つかのシナリオが準備されていないという考えに至った。今日まで何回か駐韓米軍の削減の話があったが、大体において韓国の意思ではなく、米国の国防戦略の変化に沿って削減された。米国が再びそのような決定をしたとき、武器、兵力体系、作戦指揮権などについて国民が信じ、かつ安心できる対応できるプログラムが準備されていなければならない」と語った。
 次期大統領の指摘通り、駐韓米軍はこれまで何回か撤収と削減とを繰り返してきた。45年の解放とともにわが国に進駐した米軍は韓半島を米国の防衛ラインから除外することにした、いわゆる「アチソン宣言」にしたがって49年6月に撤収した。だが翌年、韓国(朝鮮)戦争が勃発するとともに米軍は国連軍の名によって再び韓半島に足を踏み入れた。半世紀にわたって続いてきた不平等な韓米同盟の始まりだ。

 戦争が終わった後、再び駐韓米軍撤収の動きが出てきたのは69年だ。同年7月、ベトナム戦の敗北に刺激を受けた米政府は、武力紛争の際の米国の直接介入の範囲を縮めるかわりに当時国の防衛の役割を強調した、いわゆる「ニクソン・ドクトリン」を持ち出した。これにより71年3月から駐韓米軍6万1千余人のうち、約2万人が韓半島を去った。パク・チョンヒ政権が「自主国防」を唱え始めたのも、このころだ。
 77年1月に執権したカーター行政府は米地上軍の撤収計画を立て実行に移した。当時、カーター行政府は4年間に3段階にわたって82年の中盤まで兵力の撤収を仕上げる計画だった。だが韓国政府はもちろん、米軍部や共和党の強い反対によって撤収計画は事実上、撤回され、結局カーター大統領在任期間中に実際に撤収した米軍は3千余人にとどまった。
 80年代後半にも米軍の撤収問題がワシントンの政界で深刻に論議された。脱冷戦に伴い東北アジアの安保の環境が急変したうえ、米国の貿易、財政赤字が深化するとともに駐韓米軍の削減や役割の調整、防衛費の分担問題が提起されたのだ。これにより89年8月、米上院は、いわゆる「ナンウォナー修正案」を採択するに至る。これは89年4月、米国防省が議会に提出した「アジア・太平洋地域に対する戦略構造:21世紀に向けて」という報告書で明らかにした3段階方案を骨子としている。
 まず第1段階(90〜92年)で93年までに駐韓米空軍2千人と地上軍非戦闘要員5千人を含めて全部で7千人を削減するようにした。また第2段階(93〜95年)では米第2師団の2個旅団と第7空軍1個戦闘飛行団で再編し、94年末までに平時の作戦統制権を韓国に返還するととした。最後に第3段階(96〜2000年)では韓国が自国の防衛を主導的に担当し、駐韓米軍は戦争抑止力を維持するための最小規模だけを残し、すべて撤収する、との方針だった。
 この段階で米国は戦時の作戦統制権を韓国軍に返還し、韓米間に並列的軍事指揮体制を発展させ、龍山基地も移転するという計画が提示された。だが3段階削減案は第1段階にしたがって7千人の駐韓米軍だけが削減されたまま、北韓(北朝鮮)の核問題を契機に全面的に中断された。削減案がそのまま実行に移されていたなら、現在、韓半島には極少数の「象徴的な」駐韓米軍の戦力だけが残っている可能性が大だ。
 このように駐韓米軍の削減や撤収は、わが社会内部の意思とは関係なしに、米国の戦略的利害判断によってなされてきた。いつであれ米国の利益のために必要だと判断すれば、駐韓米軍はわが国を去り得るということだ。これまでがそうであったように、駐韓米軍の削減の時期や規模は、われわれの想像をはるかに超えるほどに早く、かつ大きなものとなり得るだろう。
 米国の代表的保守の論客ウイリアム・セファイアーが昨年12月26日付の「ニューヨーク・タイムス」に書いたコラムは、このような現実を刻明に示している。
 「駐韓米軍のおかげで過ぐる半世紀の間、自由を享受してきた韓国の有権者たちが今回の大統領選挙で、クリントン行政府のときに無益だった対北政策を踏襲しようという指導者を選択した。米国は帝国主義国家ではないのだから、米国を望みはしないと決定した国に米軍が駐屯する必要はない。米軍の撤収によって休戦ライン付近に前方配置された米地上軍が北韓の大規模報復攻撃の人質にならないようにしようとするなら、北韓の危険な核施設を無力化するための米軍の行動半径は、もっと広がるだろう」。
 平和ネットワークのチョン・ウクシン代表は「韓米同盟は南北の敵対的構図や分断、韓国(朝鮮)戦争と切り離しては考えられない双子のようなものだ。同盟誕生の背景がそうであってみれば、構造的な問題を解決していく過程で、ぜひとも越えて行かなければならない課題だ。駐韓米軍の得失を冷静に測ってみるべきであり、駐韓米軍の駐屯が目的となることはできない」と指摘した。
 米軍の駐屯を通じてであれ、撤収を通じてであれ、韓半島の平和と安定という上位の価値を出させることが、より重要だ、ということだ。南北関係の改善と急変する東北アジアの安保の環境に歩調を合わせ、駐韓米軍の役割と地位に対する本格的論議を始めなければならない訳が、ここにある。(「ハンギョレ21」第442号、03年1月16日付、チョン・インファン記者)


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