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韓国                         かけはし2003.12.1号

移住労働者防衛の闘いは韓国労働運動全体の任務

取り締まり追放と雇用許可制を粉砕しよう


 7月31日、「外国人勤労者の雇用等に関する法律」が国会を通過することによって、「雇用許可制」が導入された。だが、この法律は既存の産業研修制度を維持したままで雇用許可制を導入した。したがって雇用許可制は導入と同時にすでにその有効性を喪失したばかりでなく、移住労働者を奴隷状態に縛りつけておくとの非難を避けられなくなった。
 雇用許可制が、奴隷制度である産業研修生制度を1歩たりとも越えられなかったというのは、事業場移動の自由が保障されないからだ。結局、移住労働者たちが本国に送還されるか、未登録労働者となるのかは雇用権限を握っている社長の胸三寸だ。したがって、いかなる抵抗も根本から封鎖される。また1年ごとの再雇用を明示しており、移住労働者たちも1年単位の契約の非正規職労働者とならざるをえないという点において、当局の言い分とは違って労働権や労働者としての権利が制限されている。
 政府は9月1日から10月31日まで未登録移住労働者たちの登録を受け、3年以上4年以下滞留の未登録労働者の場合、最長2年間の就業を許容し、国内滞留期間が3年以上4年未満の移住労働者は出国後に再入国して就業できるようにするとともに、4年以上の労働者たちには出国後は、もはやその機会は与えられないとの内容を発表した。
 これにより政府は未登録移住労働者の登録が終わった後、11月15日からは出国しない未登録労働者たちを取り締まり、追放するというのだ。狭い部屋に移住労働者たちが集まって息を殺している所を容赦なく探し出し、無慈悲な暴力によって彼らを保護所に引っ張って行った後、罰金を科して本国に送還するという人間狩りを始めるのだ。
 韓国にはすでに30万人を超える移住労働者たちが働いている。彼らの80%が未登録移住労働者だ。雇用許可制に対する彼らの反応は、韓国をこのまま離れはしないし、絶対に離れることはできない、というものだ。必要な時には劣悪な条件の長時間労働を知らないまま働かせ、さんざんこき使った後、いまになって追い出すというのは理解できない、と怒っている。
 いまや彼らも「搾取」の何たるかを理解し、自ら組織してこそ、このぞっとするほどの奴隷生活に終わりを告げることができる、との認識に到達した。移住労働者たちを労働者として認定し合法化させようとするならば、これまで韓国で労働者として生きてきた30万人を超える未登録労働者たちに条件をつけることなしに労働権を付与することから始めなければならない。そして労働3権を絶対的に保障しなければならない。
 95年1月9日、明洞聖堂入り口での鉄鎖籠城を皮切りに産業研修生たちの団体行動、02年には移住労働者93人のストライキ闘争、そして平等労組傘下の移住労働者支部建設闘争を行いつつ、移住労働者たちは遥かな険しい道を歩んできた。そして9月13日、平等労組移住労働者支部非常闘争委員会委員長を移住労働者であるシャマル・タバ同志が担うこととなり、初めて移住支部の指導力が移住労働者自らによって構築された。
 移住労働者たちが自ら指導力を構築した断固たる過程には強制出国を恐れず、韓国資本と政府に闘争してきた移住労働者の同志たちの血と涙のにじんだ闘いの過程があった。移住労働者運動が国内の運動において市民権を獲得できず、いわゆる「冷や飯」暮らしを免れなかったにもかかわらず、このように自ら指導力を構築できたのは、絶えず労働運動の1個の主体として移住労働者運動を打ちたてようとしてきた国内活動家たちのねばり強い努力が後押ししていたからだ。
 いまや移住労働者運動は、これまでの過程を経て決定的な局面に立っている。取り締まり・追放を食い止める闘いは移住労働者たちの生存権を守る闘争であると同時に、移住労働者運動の根幹を守り抜く問題でもある。また移住労働者運動の死活のかかった問題であると同時に韓国の労働運動にあって新たに形成されている運動の主体を守り抜く問題でもある。
 移住支部だけではなく、釜山で、大邱で、そして全国的に未登録労働者たちは怒り、労働者としての権利を保障せよ、と叫びつつ闘争を決意している。彼らをいかにして闘争に組織し、支持・援護するのかは移住労働者運動をしている移住支部や幾つかの労働組合の問題ではない。新たに形成されている主体を死守しなければならないという韓国労働運動全体の任務でもあるのだ。
 10月26日、宗廟公園で開かれた非正規職労働者集会で平等労組移住労働者支部非常闘争委員会闘争局長ビドゥとラソン同志が連行されることによって、移住労働者への取り締まり・追放の信号弾は破裂した。
 10月31日までが未登録労働者たちが登録できる期間なのだから、2人の移住労働者同志を連行したのは、いかなる根拠もない。闘争過程において一緒に連行された他の活動家は釈放されたのに、彼らだけが連行され華城保護所に移送されたのは、すでに取り締まり・追放が始まったということを意味する。
 政府は各事業場に公文を送り、未登録移住労働者を雇用した企業に対しては3年以下の懲役か2000万ウォン以下の罰金に処し、不法滞留者は1年以下の懲役または500万ウォン以下の罰金刑と強制出国措置を取ると脅迫している。
 この脅迫によって未登録労働者たちは事業場から大規模に解雇されており、実際に3年以上4年未満で労働権を一部付与された移住労働者たちも、雇用期間2年以下では期間が短いとして事業主たちが雇用を回避しており、職を求めてさまよっている。結局、これらの人々も追放の対象となる。政府は国内にいる未登録移住労働者たちを出国させる主要な手段として解雇を利用している。そして11月15日になれば彼らをすべて追放させ、その次には雇用許可制を導入して非正規職として移住労働者の雇用を積極的に推進するというのだ。
 雇用許可制の導入は、政府が管理・統制できないほどに移住労働者たちが増加した状況にあって現在、政府の重要な問題でもある。陽性化させつつ管理はしなければならず、さればとて労働者としての権利を与えるのはイヤ。そこで出てきた案が、まさに雇用許可制なのだ。したがって雇用許可制粉砕! 事業場移動の自由争取! 労働権が保障される労働ビザ争取!だけが解答なのだ。
 だが韓国の労働運動の一部には、すでに国会通過した雇用許可制をどう無力化させるのかについて心配がある。けれども未登録移住労働者たちが強制出国に立ち向かって集団的に抵抗し、韓国で労働権を実質的に闘い取ることになれば、この雇用許可制は事実上、無力化せざるをえない。
 今日まで移住労働者たちは取り締まり・追放が行われるごとに、しばし仕事をやめて安全な所に身を隠し、その時期を避けてきた。だがいまや移住労働者運動は質的な飛躍をしなければならない時期に来ている。
 今回の強制出国阻止闘争を通じて移住労働者運動の主体を強化し、移住労働者内の指導力を確保しなければならない。この契機を作り出すために移住労働者たちが無気力に個別的に隠れ込むという断末魔的な解決策ではなく、集団的に抵抗できる闘争の事例を作らなければならない。取り締まり・追放の対象である未登録労働者たちは移住支部と移住労働者たちを包括している一般労組、移住労働者にかかわる諸団体を中心に集団闘争を展開していくことのできる求心を積極的に設置しなければならない。
 労働運動陣営も移住労働者への取り締まり・追放阻止闘争を支持・援護することによって新たに労働運動の主体として立っている移住労働者の同志たちを死守しなければならない。これは、とりもなおさず労働運動の新たな主体を死守し、援護する闘争だ。困難の中で労働運動の新たな主体として立ち上がっている移住労働者の同志たちを失うわけにはいかないではないか。(「労働者の力」第42号、03年11月5日付、チェ・ムンギョン/会員)

移住労働者ビドゥ同志の手紙

すべての移住労働者とともに命の尽きるその瞬間まで闘う


 まず闘争によって同志たちにあいさつをさしあげます!
 私は同志たちが私について心配していることを知っています。だがいま私に対して心配する時期ではありません。韓国の40万移住労働者たちの未来について苦悩すべきです。
 いまわれわれは未来のために闘わなければならない時です。われわれが、この闘争において失敗するならば、われわれすべては追放されるでしょう。けれどもわれわれが団結すれば強制追放をやめさせられるでしょう!
 そうするために、まさにいまは、われわれが何をなすべきかを決定しなければならない時なのです。移住労働者を追放しようとしている政府の計画に対抗して闘うのか、それとも身を隠してしまうのか……。
 私は確信します。われわれのすべての同志たちが正しい選択をするだろう、と。なぜならば、私は同志たちが闘争するに充分な力を持つに至ったと確信しているからです。
 いま、私は華城保護所にいます。私は他のすべての移住労働者たととともに、ここでも闘い抜きます。われわれが、ここで組織化すれば、われわれはここでのいかなる弾圧にも対抗できるでしょう。私は闘うために最善を尽くします。
 私が仮にもこのようなとんでもない空間に拘禁されているとはいえ、搾取と抑圧に対抗して労働者闘争の一部分となることができるという考えによって、誇らしく思っています。
 私は命の尽きるその瞬間まで闘い抜くでしょう。
 同志たち。
 移住労働者、韓国の労働者同志たちのすべてを愛しています。
 労働権と人権を闘い取るために、われわれはともに連帯しましょう。
 次の労働者大会でお会いしましょう。   ビドゥ
   2003年10月28日
(「労働者の力」第42号、03年11月5日付より)

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