もどる

                           かけはし2003.12.1号

新自由主義との闘いを

資本の非道を許さぬ日韓労働者連帯の力で


『全泰壹 評伝』出版記念講演会
「全泰壹の生と闘い」
オモニ(李小仙さん)、妹(全順玉さん)が語る


 十一月二十二日、東京・飯田橋のシニアワーク東京で、「『全泰壹(チョン・テイル)評伝』出版記念――李小仙さん(イ・ソソン、全泰壹の母)、全順玉さん(チョン・スノク、妹)講演会」が開かれ、百五十人が参加した。

チョン・テイルの闘いと日韓連帯

 司会の中岡基明さん(全国一般全国協委員長)が開会を宣言した。全泰壹さんと『評伝』の著者・趙英来さん、今年になって労働弾圧や非正規職への差別に抗議し、命を絶った六人の韓国労働者などへ全員で黙祷をささげた。
 続いて、藤崎良三さん(全労協議長)が次のような歓迎の辞を述べた。
 「チョン・テイルさんは、三十三年前の一九七〇年十一月十三日、平和市場で労働基準法の制定を求めて焼身決起した。朴軍事独裁政権が高度成長をめざして、労働者へ過酷な労働条件を押しつけたからだ。テイルさんの闘いはそれに抗議した人間宣言の闘いであった。チョンさんの闘いは全国各地で決起をうながし、闘う労働組合ができるきっかけとなった。日本でも金大中拉致事件などを通して日韓労働者連帯運動のかけ橋となった。いま、新自由主義・グローバリゼーションによって、労働者への収奪・弾圧が強まっている。いまほど労働者の国際連帯が必要な時はない。今回の出版が新たな日韓労働者連帯のかけ橋となるように期待したい」。
 郭秀鎬さん(韓統連副議長)はチョン・テイルさんの伝記が出来る経過を振り返り、「一九七七年に、韓国内では出版できないということで、写真原稿を受け取った。『炎を私をつつめ』(たいまつ社)の出版、映画『オモニ』の制作となって実現した。今回完全版として出版できたことは、韓日労働運動をさらに深めるのに役立つ」と出版の意義を語った。渡辺健樹さん(日韓ネット共同代表)は「イラク派兵反対や新自由主義反対の共通の闘いがある。日韓労働者民衆連帯を強めたい」と語った。

李小仙オモニの訴えに深い感動

 李小仙オモニは「全泰壹の生と闘い」と題して講演を行った。
 小仙オモニは息子の死後、仲間たちを集めて平和市場で労働組合を組織するために闘い、三回も逮捕されながら、「全国連合労組清渓支部」を結成した。それが、韓国民主的労働運動の出発点ともなった。小仙オモニは「韓国労働者運動の母」と言われるように、労働者の尊厳を回復するには資本との非妥協的な闘いが必要であることを何度も強調し、会場の参加者に深い感動を呼び起こした(別掲)。
 休憩後、十一月九日、ソウル市庁舎前の広場を五万人の労働者が埋めつくした韓国労働者大会のビデオが上映された。ノ・ムヒョン政権の労働者弾圧に一歩もひかない決意と、戦闘的な闘いの様子が写しだされた。熱い闘いの気持ちが会場をつつんだ。

ノ・ムヒョン政権の新自由主義政策

 最後に、全順玉・妹さんが「全泰壹の闘いと韓国労働運動」と題して講演した。
 順玉さんは、兄と同じ職種の衣類工場のミシン工になり、辛い体験の中で、兄の考えを理解するようになった。その後、イギリスに留学し新自由主義下のイギリスの労働者の実態をつぶさに見てきた。現在は兄の意志を引き継ぐため、真女性労働福祉センターを設立し代表を務めている。
 「今年三月、チョン・テイルの本は英語版で出版され、二千部作ったが完売し、いま増刷中だ。香港とタイで出版したいという話がきている。日本で完全版が出版される意義は大きい。いま、全世界に新自由主義が広がっていて、これとどう闘うが重要な課題となっている。チョン・テイルの闘いを知ってもらうことがこの闘いに役立つと思う」
 「私は八九年にイギリスに留学して、新自由主義が何なのかを知った。新自由主義は最初に、サッチャー首相が進めた。公営企業の民営化を進め、正規労働者のリストラを行い非正規労働者を増やし、福祉を切り捨てた。いまでは、国鉄、通信、学校(教育)、電気、水まで民営化されてしまった。その結果、労働組合の組織は一千二百五十万人から七百九十万人まで減り、失業者は五千七百万人の人口で五百万人にふくれあがった。労働者は、この新自由主義政策と充分に対決することができず、政権交代に期待をもった。しかし、九七年に労働党が政権を奪還したが、新自由主義政策を変えようとしていない」
 「韓国でもノ・ムヒョン政権ができた時、参与政府だと期待がもたれた。しかし、ノ・ムヒョン政権も新自由主義政策を推し進め、労働者への弾圧を強めている。労働組合はこれとどう闘っていくのか分からなくなっている。ソウルで、チョン・テイル三十三周年で民主労総も韓国労総も参加して『チョン・テイル精神をどう実現していくか』かのシンポジウムを開いた。今後も、連帯して労働運動がどのように闘いを進めていくのか、討論を作っていきたい」。

歓迎会で出版に至る「秘話」紹介

 講演会終了後、小仙オモニたちを囲んで歓迎レセプションが行われた。翻訳者から、「翻訳は一年前に終わっていた。出版先を探したが、『いま、労働運動の本なんか、売れない』と言って、会ってもらうことさえできない状態が続いた。たまたま、翻訳者の一人がハングル講座を開いていて、そこに生徒として参加している人が、柘植書房新社を紹介してくれ、ようやく出版することができた。ぜひとも、多くの人に読んでもらいたい」と出版にいたる秘話を紹介した。
 小仙オモニが「日帝時代、親族を殺されているので、日本が大嫌いで、日本に行くのもいやだったが、日本に来てチョン・テイルへの思いや本の出版で苦労されたことを聞いて、そんな気持ちは薄れてしまった。本当によかった」と語っていたのが印象的だった。(M)
 b『全泰壹評伝』(趙英来著、大塚厚子・田中敦・福井ちえ子・堀千穂子共訳、つげ書房新社刊、2800円+税)

チョン・テイルのオモニ(李小仙さん)の講演から
「人らしく」生きられる社会を団結して作ろう


 私は「韓国労働運動の母」と言われており、独裁政権時代、出国禁止が続いていたので、来ることができなかった。チョン・テイルが死んで三十三年がたっても、名前を覚えていてくれてありがたく思う。二十五年前にも本を出してくれた方や映画を制作してくれた方、そして今回完全版を出版してくれることに本当に感謝したい。
 テイルの死に際して、テイルの友達は「平和市場の労働者は十年、二十年、三十年経っていけば、奴隷になってしまう。このままでは何人死に追いやられるかわからない。お母さんが『労働者も人間である』と闘ってくれたら、必ず陽の光が見えてくる」と言った。
 私は平和市場に足をむけた。そこの労働者はひどい低賃金で、正当な要求をすると解雇された。テイルが望んでいたことは、「人間らしく生きるためには労働組合が必要だ、組合があってこそ要求が実現できる」ということだった。私は@八時間労働制A狭い座ってしか労働できないような労働環境の改善B賃上げなどの八項目を要求し、そして「労働組合を許可しろ」と闘ってきた。
 資本家や政府は「大金をやるから闘争をやめろ」と言ってきた。私たちの生活は人間として生きていけないほど貧乏だったが拒否した。もし、そのカネをもらっていたら、テイルの「労働の正当な対価をよこせ」とする闘いをふみにじっていただろう。気持ちを一つにして、労働者たちとテイルの意志を実現するために闘い、労働組合の結成を認めさせることができた。
 今年になってから、五人の労働者が亡くなった。亡くなったことに対して「自殺」と使われることが残念だ。抗拒と使うべきだ。抵抗して死んだのだ。亡くなった人の家族に「葬式するな。カネをもらうのも拒否せよ」と説得してまわっている。だれが殺したのか、なぜ死ななければならなかったのか、ハッキリさせなければならない。企業や政府に責任を取らせなければならない。
 日本で年間三万人ともいわれる労働者の自殺者が出ていると聞く。それに対して、団結して闘うのではなく、みんな疲れて関心を持たれないという。韓国では、犠牲者が出ると悲しみを分かち合い、政府・資本と闘う労働者の仲間がいる。日本の労働者は、このままでいいのか。物を生産し社会を成り立たせ、社会を動かしているのは労働者だ。労働者が一つになって立ちあがり、資本の攻撃と闘うべきだ。
 人間らしく生きるためには、本当に覚悟した闘いが必要だ。民主労総も連綿とした闘いの結果としてある。人間が人間らしく生きる社会を作りたい。そのためにがんばっていこう。(講演要旨・文責編集部)




地域での野宿者排除と差別――みんながともに暮らせる社会を
「野宿者の人権を考える集い」


 【東京東部】十一月十三日、「みんなが共に暮らせる社会を―野宿者の人権を考える集い」が開催された。会場は東京・荒川区の南千住西部区民事務所。会場には地域で野宿者の問題を考える市民・団体ら約四十人が集まった。

野宿労働者への排外主義的動き

 この集いを開くきっかけになったのが、今年五月に同区東日暮里四丁目に建設された民間の野宿者宿泊施設「立身寮」である。約百人が収用可能なこの施設に対して地元町会は、町会長名で反対署名運動を展開した。いわく「通学路にホームレスがたむろしていると不安をかきたてられる。学校の近くにこういう施設は建設すべきではない」「入居者に支払われる生活保護費は区の税負担であり、その分、区民へのサービスが低下する」。
 さらに施設周辺にはいたるところに「ホームレス宿泊所絶対反対!立身寮は速やかに立ち去れ!」との煽動的なポスターを貼りだした。こうした野宿者の施設をめぐる地元住民との「トラブル」=排外主義的な動きは台東・板橋区でも起きているという。
 「防災」に名を借りた都知事石原の治安訓練への反対闘争を担ってきた地域の労働者・市民は討論を重ね、「まず野宿者の人権問題として事態を捉えるべきだ」と本集会を企画した。

少年による野宿者暴行死事件を問う

 最初の講演は篠原勇さん。篠原さんは昨年一月東村山で起きた少年による「野宿者鈴木邦彦さん暴行死事件」の目撃者であり、加害者少年の通う学校の保護者。地域で教育問題を考える市民運動に関わっている。篠原さんは「鈴木邦彦さんを追悼する会」を立ち上げ、この事件への行政(教委)・学校側の対応を追求してきた。事件後の行政や市民の取り組みには多くの参加者があり、事件への関心の高さをうかがわせた。
 しかし市教委・学校の対応は「親の問題・各々の家庭のしつけの問題」に矮小化した形式的なものだった。加害高校生はその後の裁判の中で、自分が野宿者に対して「何をやってもかまわない」という露骨な差別意識を持っていたと証言した。大人と子どもに共通する野宿生活者への差別・偏見や排他的な感情=差別の問題=が公的に明らかにされ、それを克服する人権教育の推進が行われなければ、事件は「一部の突出した少年たちが起こした」ととらえられてしまい、問題の本質には迫ることができない。
 二人目の講師は湯浅誠さん。湯浅さんはNPO法人自立生活サポートセンター「もやい」の共同代表を勤める。DV被害者や野宿者の入居支援、生活保護申請を支援する活動をしている。
 湯浅さんは先月、自身が企画して荒川区内の中学校で行われた「ホームレス問題」を考える公開授業の報告をした。プログラムの「椅子とりゲーム」では、通常のルールと、足りない椅子の数の人を椅子から遠ざけた状態で行うハンデ付のルールの二通りを実施した。さまざまな教材で、「ホームレス」になるのは本人の努力が足りないのではないこと。同情ではなく「社会の問題」として、椅子から遠ざけられて座れなかった人たちの存在を受け入れていくべきだと説いた。そして授業の前と後で、子どもたちの意識がどう変わったか。こうした取り組みを湯浅さんは報告した。

地域と行政の差別と偏見との闘いを

 講演の後、参加者との質疑応答が行われ、最後に部落解放同盟荒川支部の高岩さんの発言で締めくくった。
 立身寮の賛否をめぐって荒川区は、「施設反対」の署名を受けた形で七月九日、二十三区で初めて業者の進出を規制する「指導要綱」を施行した。宿泊施設の問題点としては、@民間業者が強引に野宿者を勧誘し、入居者に支払われている「生活保護費」を食い物にして利潤をあげているA地域住民の治安への危機感を煽る排外主義に利用されている。
 以上を口実として行政は、業者の進出を規制し、かつ生活保護費の削減を狙うため、「相部屋」などの場合は「部屋単位」の支給額にするなどの方策を打ち出している、などが挙げられる。自治体によっては「野宿者収容対策」として業者の進出を歓迎する側面もある。いずれにしろ、社会によって生み出されながら、邪魔者・怠け者扱いされる野宿者への無理解・差別・偏見が人々の底辺にあって、これを打ち破っていく運動が重要だと、集会では確認された。  (S)


もどる

Back