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                           かけはし2003.12.9号

欧州社会フォーラムとフェミニズム

ナディア・デモンド



 なぜヨーロッパ社会フォーラム(ESF)で女性デーが設定されるのか。ESFの中で、全日を女性の討論にあてる日を組織するという考えは、フィレンツェの第一回ESFが提供したワークショップやセミナーでの討論のスペースが限られたものだったという文脈の中から生み出された。
 第一回フォーラムの枠組みの中で、この問題についての実質的討論にあてられる時間が欠けていたという女性たちの提起は、明らかにその通りであった。このイベントを準備するための欧州会議に最初から参加していた「女性たちの世界行進」の努力にもかかわらず、女性たち(とりわけフェミニストたち)の出席と、フォーラムの討論の中での彼女たちの影響は、きわめて限定されたものだった。このことは、社会組織や社会運動をふくむわれわれの社会の中での家父長制(両性の間の支配的諸関係として理解された)の根強い存続と、各国的・国際的レベルにおいて強固に確立された自立的な女性運動の不在に対応している。
 女性の諸権利についての企画に全日(最初は週末に行うとさえ考えられていた)をあてるという提案は、こうした状況へのバランスを取り直し、さまざまな女性組織と欧州諸国の諸運動との結束を強化しようとするものであった。
 このアイデアは、ESFの各欧州会議に女性デーへの準備をはさみこむことによって、女性運動の伝統的な境界と地平を超える力学を創出するためであった。実際のところ、この定式を適用するのはそれほど容易ではなかった。各国レベルで女性組織が直面する同様の困難――地理的・課題的な分散、経済的原資や組織された持続的構造の欠落のため――が、この集まりに向けた実質的な調整活動の実現に重くのしかかった。その結果、フォーラムを開催する国が、膨大な組織的・政治的仕事を担わなければならなかった。
 コインの積極的な側面は、この集まりがさまざまな国、とりわけ組織・未組織の数百人の女性たちがすでに登録を済ましていたフランスで生み出されたことで、大きな成果を得たことである。主要に地中海地域の幾つかの国では、集会が実質的に現場での経験を交流し、銀行・軍隊・バチカンのヨーロッパに対する抵抗の共通戦略を作成できるようにするために、フェミニストグループが集団的な準備を行った。
 実際に、この集まりの目的の一つは、建設されつつある欧州、その規約ならびにそこからもたらされる政策に反対する女性たちの宣言を起草することである。
 この宣言は、欧州の女性たちの権利と自由にかかわる重要問題に集中したキャンペーンの提案を伴っている。それは、セクシュアリティーと出産との関係での自由な選択の権利から始まり、移民の女性と彼女たちの自立的地位を含み、まず最初に、そして最も厳しく女性たち(とりわけ高齢の女性)を貧困化するEUの新自由主義政策に反対するものである。
 女性たちの集会は、第一に、ネットワークとキャンペーンを築き上げる段階として認識されている。それは女性たちの運動が大陸的規模で行動し、政治の全欧州的側面にアプローチすることを可能にするだろう。
 女性デーの午前中の活動は、六つのワークショップに分かれて以下の課題についての抵抗と闘争の経験を交流する。女性と戦争、暴力、自由選択、移民と生殖、雇用・貧困・不安定職種、パワーの獲得。
 扱われる話題は午後の全体会議で提起され、この日の終わりに採択される協定に関する宣言と結び付けられることになっている。そしてこの一連の過程は、女性デーをESFの公式開幕と結びつけることになる。
 女性の権利のためのヨーロッパ集会の開催は、次に述べる二つの前提を基礎にグローバルな正義を求める運動に参加してきたフェミニズムの一翼による、巨大な主体的努力の成果である。
 1 女性運動の存在は、「もう一つの可能な世界」を求める運動の中で不可欠であり、支配システムに対するラディカルな批判は、フェミニズムの貢献ぬきでは失敗を運命づけられている。
 2 女性の運動は、この混合したグローバルな正義を求める運動に深く浸透することによってあらゆるものを獲得しうる。この運動は、主に若者――その多くは若い女性――によって構成されている運動であり、女性運動は自らを更新し若い世代との架け橋を築くために、この運動への浸透が必要なのである。

 このイベントの開催が可能な最低限の条件を保証したのは、おもに二〇〇〇年以来の暴力と貧困に反対する世界女性行進のヨーロッバネットワークが維持されていたおかげである。
 第一の前提との関係では、グローバルな正義をめざす運動がその分析と言説の下にフェミニズムを全面的に吸収することが難しかったことは、明らかである。フェミニズムは運動の中に、実際的には依然として女性の責任ということになっている家事労働の承認と価格化を通じて経済構造を読み直すとか、社会諸関係の解釈のためにジェンダーの視覚を使用するといった根本的諸課題を導入した。今やこうしたテーマに関して、世界中のどこでも研究者や活動家が作成した全面的な書籍目録や「専門的見解」が存在している。
 フェミニズムは理論的レベルでは、変革主体の多様性(そこから、他との関係において優先性がある一つの矛盾などというものはもはや存在せず、その過程を指令する単一の前衛などもはや存在しないということになる)、革命的展望の中で生活のさまざまな側面を統合する全体的アプローチの必要性(直接的に影響を受ける人びとのエネルギーと情熱を動員すれば唯一成功しうる構想)といった基本的概念をもたらす。
 しかし、現在にいたるまでグローバルな正義をめざす運動を特徴づけてきた思想や勢力との関係では、それはいまだ完全に周辺的なものに止まっている。この運動はフェミニスト的言語で自らを明白に表現することは稀である。女性運動の理論的・戦略的財産が世界社会フォーラムの中で大きな力を持つようになるためには、運動の中での強力で明瞭なフェミニズムの存在が不可欠な条件ではあるが、それは必ずしも十分条件ではない。
 千年間の家父長制は、社会フォーラムに対して重圧としてのしかかる構造的・社会的・経済的関係として確立されており、それは闘争と組織化の様式、異なった指導部の訓練、運動の優先的内容の定義を刷新しようとする企図に関する、恐るべき緩慢さを示すことになっている。
 しかし、諸原則の確認という観点からすれば、世界社会フォーラムとそのさまざまな地域的表現は、労働運動の伝統となっていたものと比較すれば進歩を達成してきた。少なくとも言葉の上では、フェミニズムが語られ、家父長制的構造に対する闘争が語られてきた。国際的なフェミニストネットワークと、この運動に参加しているさまざまな諸国の女性運動は、彼女たちがフォーラム参加するために開かれたドアを見いだしてきた。ポルトガル、イタリア、スイスなど、女性の権利や性的自由の面でとりわけ進歩的というわけではない幾つかの国で、社会フォーラムはフェミニストやレズビアン、ゲイ活動が提起した課題をそのプログラムの中に組み込んできた。
 こうしたことは、運動を構成するさまざまな潮流や主体がその場に止まらないこと、その前進は部分的にはわれわれの手中にある問題でもあるということの最初の兆候である。同時にグローバルな正義をめざす運動の内外で、フェミニスト的分析との関連で女性の運動と利害の復活を示すサインが存在している。
 南の諸国では、この数十年間に女性の組織は成長を止めなかった。アフリカ、アジア、ラテンアメリカの一定の諸国での二〇〇〇年の世界女性行進への大衆的支持は、それを立証している。社会フォーラムの枠組みの中で、女性の一部のセクターはこの運動に(若い)女性として参加する特別のあり方の問題を提起している。
 例えば、この間行われたローマでの銀行と社会的排除のヨーロッパに反対するデモにおいて、カンクンでのWTOに反対する動員における農民女性の直接行動に刺激され、警察に対抗してデモの中で目立つ独自の形態とラディカルな行動を追求し、はじめて「不服従」の青年たちが自主的に組織化を行った。イタリアでは、フェミニストの討論リストに関して大きな討論が続いた。対立を排除しない行動形態は、われわれの運動と調和するものであるのか。そこにはフェミニスト的意識の萌芽が存在するのか。
 私の意見では、運動の枠組みの中で動員する若い女性たちが、社会に存在する従属的ジェンダーや家父長的関係という条件や、彼女たちがこうむっている差別に気づくようになるのは、まったく自動的なプロセスではない。しかし、われわれが同一の運動の一部だと認識され、われわれの考え方と経験を人を引きつけるようなやり方で伝えあうことができれば、この環境はフェミニスト的言説が注目され、取り上げられるための最良の可能性を提供するのである。
(ナディア・デモンドはイタリア共産主義再建党〔PRC〕の党員で、「バンディエラ・ロッサ〔赤旗〕」潮流〔第四インターナショナルを支持するPRC党員の組織〕のメンバー。彼女は欧州レベルでの世界女性行進のコーディネーター。)

(「インターナショナルビューポイント」03年11月号)               


米大統領選民主党内候補者選
クシニッチ候補の政策
J・Z(米カリフォルニア州サンノゼ)

 クシニッチは一九七〇年代末、三十一歳の若さでアメリカの大都市クリーブランドの市長に選ばれた。彼は市営の電力事業をミューニーライトという会社、および銀行に売却しなかったため、次の選挙ではクリーブランドの財界の介入で落選した。十五年間、彼は公共の場に現れなかった。
 しかし九〇年代になってから、クリーブランドの住民たちは、まわりの都市の民営化された電力システムの高額な負担を見てクニシッチの業績に感謝し、彼を再び公共サービス(政治)に復帰させた。一九九六年以来、クシニッチは連続して国会議員に選出された。いま彼は、国会内民主党の最大派閥である「進歩的コーカス」の会長である。もう一人の共同会長は、あの「ただ一人」ブッシュに反対したバーバラ・リーである。
 いまクシニッチは民主党内で二〇〇四年大統領選の候補者選びに出馬し、ほかの八人と争っている。彼の政策は民主党の伝統的な路線と異なって、多くの進歩的な勢力、または政治無関心層の支持を呼び出した。例えば、労働党は独立性を保つため民主党候補を支持しないが、その多くの党員(筆者を含めて)は彼を支持している。多くの緑の党の支部と党員も彼を支持している。前回大統領選で緑の党の候補として出馬したネーダーは、クシニッチが出馬すれば立たないと表明した。
 ではどうして、アメリカの主流マスコミはクシニッチを意識的に無視し続けるのだろうか。クシニッチの選挙政策は何であろうか。

 1 普遍的な国民健康保険制度の確立
 現在の、利潤のための私営保険制度では、四千万人の人に保険がなく、三千万人の人はミニマムな保険しか受けていない。保険がある人でも高額な費用を払わなければならない。この制度はもはや失敗した。
 国会会計総局(GAD)の研究では、「アメリカがカナダのような普遍的国民健康保険制度に移れば、行政コストの節約によって、十分に全人口の保険をカバーできる」と結論づけられた。
 クシニッチが大統領になれば、そのような普遍的国民健康保険制度を確立する。
 2 六十五歳から社会保障を完全受給
 社会保障制度は、わが社会と労働者との基本契約である。それは絶対に民営化されてはならない。経営者(CEO)が普通の労働者の二百四十倍の収入を得ている現在、六十五歳になった労働者は完全な社会保障を受給しなければならない。
 3 NAFTAとWTOから撤退
 NAFTA(北米自由貿易協定)とWTOは、多国籍企業に莫大な財産をもたらし、労働者、農民と環境を底辺におとしいれた。クシニッチが大統領になれば、第一の仕事はアメリカをNAFTAとWTOから撤退させ、新たな公平貿易条約を締結することだ。
 4 「愛国者法」を廃止する
 「愛国者法」は、アメリカへの愛国心とまったく関係がないもので、専制をもたらす。
 5 市民権、女性の中絶選択権とプライバシーの保護
 6 労働者の権益を保護
 アメリカの労働者は、二十年前より労働時間が長く、所得が少ない。クシニッチが大統領になれば、労使関係を調整し、税制(とくに不動産税)を調節する。ミニマム収入の購買力が二十年前より二一%落ちた現在では、それはもはや有効な指標ではない。「生きていける収入」を採用する。五千億ドルを金持ちのために減税するよりも、学校、道路など公共設備建設に投資すれば、経済を刺激する。
 7 教育を充実
 子どもの教育が親の経済状態に左右されるのはおかしい。連邦政府の教育への支出は、予算の二・九%にすぎない。クシニッチが大統領になればこうした政策を変える。幼稚園から大学まで無料の教育を受けることは、アメリカ人の基本的権利と価値である。軍事費を一五%削減すれば、教育費用は十分に足りる。
 8 平和と外交政策の転換
 「先制攻撃」ドクトリンに代表される外交政策は、アメリカをより危険な状態に陥れる。アメリカはAMBTや京都気候変動条約などに署名すべきである。クシニッチはかねてから「平和省」の設立を提唱してきた。非暴力原則は、国内だけではなく国際的にも適用すべきである。
 9 農家を保護
 種から食品まで独占するアグリビジネスを解体し、独立農家の製品を市場に参入させ、安全な食品を確保する。
 10 環境に良い、再利用可能なエネルギーの開発と利用
 現実的な当選可能性を前にして、クシニッチの提起する以上の政策は、アメリカが直面する基本問題解決への第一歩である。(03年11月20日)


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