かけはし重要記事

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02\03山谷越年越冬闘争               かけはし2003.1.20号より

厳寒に負けずに生き抜くぞ

昨年よりさらに増えた炊き出し

 十二月二十八日から、一月六日の早朝まで、都・城北福祉センター前の路上を拠点に山谷越年越冬闘争が闘われた。
 二十八日の昼より城北福祉センター前には物資が次々に運び込まれ、早速、夕方の炊き出しの準備が始まる。毎週日曜日の炊き出しでみんな手慣れたもので、その作業と平行してブルーシートを使った寝床などの設営作業が進められる。
 カンパも布団やと場労組からの肉、三里塚からの野菜、長野の農民からの米、などが次々に届く。
 越年期間中はセンター前を炊き出し拠点に二十四時間の野営体制を敷き、上野での炊き出しや浅草などへの夜間パトロールを行った。その中で出会った新たな仲間がセンター前に結集し、炊き出しなどの活動を担っていった。
 ここ数年は、とりわけ越年時には普段出会わない仲間、新たに路上に放り出された仲間と出会うことが多くなっている。今回も二十代、三十代の若い仲間を始め、野宿するブルーシートのテントすら持たない仲間に多く出会った。
 また、前回の越冬時にそのようにして上野で出会った二十代前半の労働者が、今回の越冬に飯場から駆けつけてくれるということもあった。昼間の雪が雨に変わった三日深夜の浅草パトロールでは、寒さに震えていた三人の仲間がセンター前に合流したが、一人は九十三歳であった。
 炊き出しの列に並ぶ(並ばなければならない)労働者は昨年に比べてかなり増えた。これは全体としての野宿者が増えていることもあるが、野宿が長期化し、小屋(テント)をかまえて定住化した仲間が多く、東京都の越年期の山谷対策「なぎさ寮」に入る仲間が減ったこと。(入寮を希望したのは昨年に比べて約四百人減の千六百人)なぎさ寮に入った仲間の内、施設に入りきらずに、山谷のドヤに回された仲間が、渡されたコンビニの弁当券だけでは足りずに炊き出しを食べにくることなどが原因として考えられる。いずれにせよ、行政の対策なるものが後手後手に回っていることの証左に他ならない(なぎさ寮では二日朝にひとりの仲間が亡くなっている)。
 これらの活動に加えて越冬では大晦日の年越しそばや、上野公園、隅田公園、センター前、なぎさ寮での餅つき大会や、大晦日のセンター前、二日の上野の餅つきに今年も駆けつけてくれた「さすらい姉妹」の芝居「たそがれ酒場」などの企画も行い、各地の労働者と団結を固めていった。
 また、センター前では一日、三日、四日と、夕食後に映画上映会が企画され、娯楽映画のほか、「山谷 やられたら やりかえせ」「パレスチナ パレスチナ」を観た。それぞれ盛況で、あいにくの雨で山谷労働者福祉会館での上映となった「山谷」などは入りきらないほどの仲間が集まった。
 一年間を通しての炊き出し、パトロール、医療相談会、福祉行動、自立支援センターへの面会行動などを担っている労働者や支援に加えて、越年期にはパトロールなどで出会った労働者がスタッフとして加わり、また初めて山谷を訪れるという若い支援者も多く、今後の闘いへの可能性を感じさせる越冬となった。
 長引く不況と新自由主義の席巻によって「だれでも野宿者になる時代」に入ってきた、というのが、越年期の闘いを終えての正直な感想である。
 十二月五日には労働政策審議会職業安定分科会の民間労働力需給制度部会が、労働者派遣事業制度に「製造業」を解禁するなどの「改正」案を」発表した。(一月の通常国会に提出の予定だという)。
 これが通れば、経営者は労働者を「雇用」しなくてもよいことになる。戦後にGHQの作った労働法制によって、いわゆる「口入れ業」は禁止された。ただしその直後にひとつだけ復活していた業種がある、建設業である。これが日雇い労働力市場としての戦後の「寄せ場」の起源である。
 つまり、資本のやろうとしていることは、「社会の寄せ場化」にほかならないだろう。これに反対して闘うのは当然として、そのためには断固として「受けて立つ」闘いが必要だろう。「寄せ場・野宿労働者の闘いの社会化」が求められているとは言えないか。
 越年期の闘いは終わったが、本当の寒さはこれからだ、山谷では二月末までを「越冬期」と位置づけて闘っていく。寄せ場・野宿労働者の闘いに今後も注目と支援を。(板)


第29次寿越冬闘争
八日間、毎回千食の炊き出しと人民パトロール


 【神奈川】第二十九次寿越冬闘争が今年も横浜の地で行われた。二〇〇二年十二月二十六日に生活館四階で突入集会を行い、二十九日から例年通り寿公園でプレハブ自主管理闘争に入った。自主管理期間中は大晦日の年越しそば、元旦の餅つきをはじめ、労働者が一千食、八日間の炊き出しと配食に奮闘し、夜間は藤沢、桜木町、戸塚といった広域を含む四班編成の人民パトロールを貫徹。雪まじりの寒空の中をやりぬいた。他に医療班の医療相談などを受けながら、さすらい姉妹の公園、カラオケ大会などでにぎやかに年を越した。
 六日、八日には中区福祉事務所への福祉行動を行い、並行してハーバー宮前などの自立支援施設へ宿泊者の紹介につなげていけたのは、聞き取り相談活動の充実がもたらした結果だろう。
 今年のプレハブ宿泊者数は例年よりも少なめで、高齢者層はドヤ宿泊、自立支援センター宿泊で収まったこともあって、若年労働者や精神疾患を抱える仲間の相談が目立った。また、宿泊者に対する無料結核検診を横浜市から勝ち取ったことは前回越冬以降の大きな成果だった。交流学習会でも宿泊者を中心に寄せ場、野宿者に関わる問題について話し合ったり、それと関連して原発事故の隠蔽について討論されている。
 越冬期だけでなく長く取り組まれてきた闘争によって、路上において緊急を要する仲間への行政の対応は変化してきているが、より差別的な形で、構造的に生み出されて社会的に「不適応」の烙印を押された労働者へのケアが求められている。現在寿街に建設中の八階建ての新自立支援センターにそういったケアを放棄させないよう監視していくとともに、新しい年を、日々姿を変えて現れてくる生活困窮の諸問題、困窮層を生み出す社会システムとの対決を有利に推し進める年にしていきたい。(海田)


02-03新宿越年越冬闘争

若い支援者の姿も多く

 〇二―〇三越年越冬闘争に、短時間ではあるが参加した。新宿は、西口地下に闘争拠点があった時以来である。十二月二十九日の夕方から行動に加わった。
 午後五時に現地に着くと、すでに支援と野宿者がほぼ同数集まっていた。支援者らは夕食の準備に取りかかっていた。
 前日に山谷に参加したが、ここ新宿中央公園は山谷と違って周囲に風を遮る建物がない。それどころか林立する高層ビルの「ビル風」が、よけいに吹きつけてくるようで、とにかく寒い。しかし、それでも大学生らしき若者が次々と一人で、「手伝いにきました」とスタッフに声を掛け、作業に加わっていた。
 会場の中央にはPAらしき機材が置かれている。配られたビラを読むと、この日は「音楽祭? ラビイサリ」とある。先程から音合わせをしているのはこのためか、と納得する。私たちの背後にはキリスト教関係者と思われる人が、周囲に人を集めて話をしている。労働者は膝を組んで静かに聞いている。やがてコンサートが始まる。女性の透き通った歌声が響く。それが終わるといよいよ配食だ。スタッフが丼に次々と白米を盛り、煮込みをかけていく。それを重ねて積んでいくのだが、そうこうしているうちに行列が数倍に膨れ上がっていた。食事は千人分だというから驚きだ。
 新宿は山谷とは別の雰囲気がある。スタッフにしろ、野宿者にしろ集まってくる人の「層」が広いと感じた。それにしても支援は、決して楽な活動ではない。これを機会に、できるだけ関わっていこうと思った。(S)

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