もどる

破綻するイラク占領                  かけはし2003.11.24号

今こそイラク占領軍の即時撤退・自衛隊イラク派兵阻止の広範な共同行動を



 「復員軍人の日」の休日である十一月十一日、ブッシュ米大統領はアーリントン国立墓地とヘリテージ財団で行った演説で「イラク駐留米軍は十月だけで千五百回の攻撃をかけ、千人以上の『殺人者』を殺害または拘束し、迫撃砲弾四千五百発など多くの武器を押収した。今後も攻撃的作戦を継続し、敵は打倒されるだろう」と述べた。この演説は、五月一日の「大規模戦闘終了宣言」以後も、イラク全土で戦争が継続されている厳しい状況を確認した上で、戦争・占領目的の「正統性」をあらためて打ち上げ、「最後の勝利」まで戦うことを宣言するものであった。
 しかしブッシュ演説の翌日の十二日、イラク南部のナシーリヤにあるイタリア警察軍の駐屯地でトラックによる自爆攻撃が敢行され、イタリア軍兵士など二十八人の死亡という占領以後最大規模の死者を出す戦闘となった。十一月十六日には、北部モスルで、米陸軍一〇一空挺団のヘリ(ブラックホーク)二機が地上からのロケット砲により撃墜され、十七人の米兵が死亡した。これで十月二十五日以来わずか三週間のうちに米軍ヘリが五機撃墜され、約四十人が死亡したことになる。
 戦闘はさらに激化している。恐怖にかられた米軍の「誤射」による市民の殺害や、不当きわまる拘束・殴打などの人権じゅうりんが頻発し、一般市民の間の反米意識はいっそう燃え盛っている。地上からのロケット砲攻撃や米軍車両への爆弾設置による待ち伏せ攻撃などは、反米武装勢力に対する一般住民の支援ぬきには成功しないのだ。
 十一月十一日のバグダッドでの記者会見でイラク駐留米軍サンチェス司令官は「六十日前には一日十五〜六件だった米軍への攻撃はいまや三十五〜六件となっている。地域的な統制や指令系統ができている」と本格的な戦争状態の存在を認めていた。それは数日のうちに米軍の予測をはるかに超える事態にまで進んだのである。
 米軍は、バグダッドや北部ティクリートの「反米武装勢力の拠点」に対するF16戦闘爆撃機による空爆などを強めているが、それは米英両軍の占領支配の破綻をさらに明るみに出し、イラク民衆の大衆的反米闘争や旧サダム・フセイン派などの反米武装勢力のいっそうの攻勢を導く結果となる可能性が大きいのである。
 こうした占領支配の危機の中で、十一月十二日にブッシュは暫定占領当局(CPA)のブレマー代表などと協議し、暫定憲法制定などを通してイラクでの「主権移譲」を早めることを確認した。この確認を受けて、十一月十五日にイラクでブレマーと統治評議会主要メンバーの会談が行われ、統治評議会は「イラク人による暫定政府を来年五月までに樹立し、六月までに主権移譲を完了する。そして二〇〇五年末までに選挙を通じた民主的政権を作る」と発表した。
 言うまでもなく、この「主権移譲」の前倒しプログラムは決して占領統治がスムーズになされていることの結果ではない。それはマスメディアも指摘するように「占領政策の行き詰まり」の表現なのであり、苦し紛れの「逃げ」以外のなにものでもない。この方針は、米国内の反戦気運の広がりに直面したブッシュ政権が、来年秋の大統領選挙を前に「占領終了」のメドをつけ、イラク戦争・軍事占領問題を争点から外すための対策だとの観測が広がっている。
 アメリカが言う「自由で民主的なポスト・フセインのイラク」を代表する安定勢力など存在していない。「統治評議会」は、イラク民衆の多くにとって米軍支配のかいらいでしかないのだ。訪日したラムズフェルド米国防長官は小泉首相との会談で「二千三百万人のイラク国民のうち不満を持っているのは数千人」と語ったと報道されている(朝日新聞、11月15日)。しかし「十数万人の米軍が不満を持っている数千人に翻弄されている」というこの構図を、さすがのラムズフェルドでも信じているわけではないだろう。
 アフガニスタンに続いてブッシュのグローバル反テロ戦争戦略が音をたてて崩れ去っている。そしてこのブッシュ戦略の破綻によって、あくまでブッシュの戦争につきしたがってイラク特措法を成立させた小泉政権のイラク派兵方針も、いま深刻な動揺にさらされている。
 小泉政権は総選挙後、十一月十四日にも自衛隊イラク派兵の基本計画を閣議決定する方針であった。しかし十一月十二日のナシーリヤのイタリア軍基地に対する自爆攻撃は、小泉政権のイラク年内派兵方針を根底からゆさぶった。ナシーリヤは自衛隊が派遣される予定のサマワとは百キロほどしか離れていない地域であり、南部のナシーリヤとサマワと十月に派遣された政府調査団の報告でともに「安全地域」と判断され、それを受けてサマワに絞り込まれたという経過がある。したがってナシーリヤでの戦闘とイタリア軍の大量の死は「非戦闘地域への派遣」という政府の口実を最終的に覆す衝撃事だったのである。
 小泉首相は十一月十四日のラムズフェルド米国防長官との会談で「米国の大義を支持」し「イラク復興にもできるだけのことをやる」と述べたものの、自衛隊派兵には敢えて言及しなかった(しかし石破防衛庁長官は十五日のラムズフェルドとの会談で自衛隊派兵は「早期に実施する」と強調した)。派遣時期は「慎重に検討した上で」とする政府関係者の発言も相次いでいる。そして十一月十五日に派遣した自衛官十人による「専門調査団」の帰国を待って、十二月初旬以後に「基本計画」の閣議決定を行うという報道がされている(朝日新聞、11月18日)。
 小泉政権の「派兵時期」をめぐる動揺は、衆院選で議席を増大させた民主党との関係で「攻撃材料」を与えることは得策ではない、という判断も働いている。しかし同時に、ブッシュ政権との「派兵確約」を行っている小泉政権は、対米関係から言って自衛隊員の生命を犠牲に供してもイラク派兵を強行する決断を下すことを迫られている。
 小泉政権のイラク派兵方針は動揺とジグザグを繰り返している。世論調査でも六割を超える人びとがイラク派兵に反対している。自衛隊イラク派兵は、決定的な危機に入っている米英軍のイラク占領統治を救済し、イラク民衆との「殺し、殺される関係」を自衛隊員に強制するためのものだ。
 総選挙における「護憲・革新派」の敗北にもかかわらず、自衛隊イラク派兵を止めることは、ブッシュ政権のグローバル戦争とそれを無条件に支持する小泉政権へのカウンターパンチとなり、憲法改悪と「戦争国家」体制の構築を阻む政治的流れを登場させる重要な契機となりうるのだ。
 「主人が自衛隊に勤めています。同僚のイラク派遣が決まりました。来年四月には主人も派遣の声があり、毎晩不安で、私は眠れない日が続いています。本当に自分の無力さを感じます。小泉の米国追従を絶対に許しません。皆さまの力で派遣がなくなるようにお願いします」――これは「自衛隊のイラク派遣と憲法改悪に反対し、戦争への非協力を宣言する意見広告運動」事務局あてに十一月六日に寄せられた北海道に住む自衛官家族からのメッセージである。こうした声は、自衛官の間で決して少なくはない。
 自衛官に対する訴えを強め、イラク派兵反対の全国的なネットワークを築き上げよう。十一月二十四日の「自衛隊はイラクへ行くな! 殺すな! 殺されるな11・24行動」に続き、十二月七日には航空自衛隊小牧基地に対する行動が予定されている。さらにイラク派遣予定の陸上自衛隊主力第一陣を構成する第二師団(旭川)、第二陣の第十一師団(札幌)のある北海道でも広範な闘いが準備されようとしている。
 全国の運動を結びつけ、自衛隊イラク派兵阻止へ!   
 (11月18日 平井純一)
     

もどる

Back