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                          かけはし2003.10.9号より

国家主義イデオロギーの強制を許さない!

ふきとばせ!「日の丸・君が代」

学校現場で進む強制と教員への処分乱発に抗して


 九月二十三日、東京・文京区の茗台区民センターで「ふきとばせ! 『日の丸・君が代』9・23意思表示の会」が開かれ、七十人以上の労働者・市民・学生が集まった。主催は「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会。この集会は「国旗・国歌法」の成立から四年を経て、学校現場で進む「日の丸・君が代」の強制、教員への管理・統制と処分の乱発に反対するとともに、憲法改悪・有事法制と結びついた国家主義的イテオロギーを促進する教育基本法に反対する市民の運動を結集していくことをめざしたものである。
 「意思表示の会」の呼びかけ人を代表して天野恵一さんが主催者あいさつ。天野さんは、池田浩士さんの『抵抗者たち』を引き合いに出しながら、「英雄」ではない無名の人びとの抵抗の可能性とそのあり方を問題の中心にすえて、国家の強制にあらがう道を模索しよう、と訴えた。
 続いてこの集会のメイン企画である中山千夏さんと趙博(チョウ・パギ)さんのお話と歌。「うたと私」というテーマて語った中山千夏さんは、人権思想の第一の重要性は何よりも「国家より個人が大事」ということにある、と強調し、彼女の住む静岡県伊東市でも「日本会議」などによる「教育基本法改正」署名運動が浸透している現実を紹介した。
 中山さんは「日本の伝統」などと訴えている人たちは本当の意味で「伝統」について全く知らないと述べ、人間の「歴史」の蓄積が十九世紀以前にはなかった小笠原諸島の「民謡」を自らも歌いながら、南洋系、欧米系、そして日本人の織りなす「伝統」のユニークさを訴えた。
 中山さんの大ファンだったという趙博さんは、いつものユーモアに満ちたトークで会場を笑わせながら、「日の丸・君が代」を圧倒するパワフルな歌声を響かせた。
 最後に、「日の丸・君が代」強制に反対する市民ネットワーク、反「昭和の日」プロジェクト、「昭和天皇記念館」建設阻止団、もうやめよう! 国体・埼玉の会、都立高校で自衛隊勧誘に反対している教員、女性と天皇制研究会からの発言を受けた。(K) 


関東大震災・朝鮮人虐殺の歴史学ぶフィールドワーク 
石原都知事の排外主義扇動に反撃を

  
 【東京東部】九月二十一日、関東大震災虐殺の歴史を学ぶフィールドワークが開催され、約三十人の仲間が集まった。この企画は、三年前に都知事石原によって強行された「ビッグレスキュー」に反対する闘いを引き継いで毎年取り組まれている、東京東部三地区の統一した闘いだ。今年は東京・墨田区の震災跡地を歩き、知られざる「朝鮮人大虐殺」の実態を学んだ。
 台風の接近で冷たい雨が降りつけるなか、両国国技館裏の「横網公園」には、集合時間前から次々と参加者が集まった。今回のフィールドワークを案内する慎民子さん(遺骨を発掘する会)の提案で、一行はまず公園内の慰霊堂を見学した。都立のこの公園内には、前記の「都慰霊堂(震災記念堂)」の他、「復興記念館」そして「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」がある。
 震災当時、この地は陸軍被服廠跡の空き地であった。巨大地震でパニックに陥った数万人が、周辺からこの空き地に集まり、数時間後には三万八千人の老若男女が折り重って黒焦げになっていたのである。
 堂内には、当時の惨状を描いた絵画と、東京大空襲を記録したカメラマン石川光陽(警視庁)の写真が飾られている。華道展が行われているこの会場、焼香に訪れる人も絶えない。外に出た一行は、朝鮮人犠牲者追悼碑に合掌したあと、「復興記念館」に入った。ここには、震災当時の惨状を描いた油絵・写真・図表(手書き!)・各種資料・被災品が展示されている。その数は膨大で、すべてを見て回るにはかなりの時間がかかる。館内は原則的に「撮影禁止」で、私は許可を取って撮影した。
 その際、管理人は「投書されると困る」などと説明したが、その時は意味がよくわからなかった。が、観覧が進むとそれが氷解する。膨大な展示資料それ自体は、大変な労力で作られたと容易に想像できる価値あるものだ。だがしかし、「朝鮮人大虐殺」についての展示が皆無であるのみならず、犯行主体である自警団が美化されている油絵がある。さらに被災者が絶望しひざまずく前を、馬に乗って「ご巡視」する「摂政宮殿下」の油絵もまた中央に鎮座するなど、史実を隠蔽し、植民地支配と天皇制の責任などには一切触れない官営展示なのだ。この内容についての批判を避けるために、「撮影禁止」になっているのである。
 予定ではこの後「法泉寺」へ向かうはずだったが、天候が悪いため、遠方参加者のみを優先して車で送迎し、他の人々はタクシーに分乗してビデオ上映会場へ向かった。
 墨田区八広小に着くとさっそく「隠された爪跡」が上映された。朝鮮人大虐殺の真相を追究したこのビデオは八三年、在日二世と日本の若者によって作られた。当時を生きた七十人の証言は、排外主義へ突っ走る現代の社会状況に厳しく警鐘を鳴らす。
 上映後の交流会は、慎さんによる運動の経過の説明から始まった。「発掘作業では三日間掘り続けた。土手は掘り返せない。残念ながら、遺骨は発見できなかった」「『押上周辺で女性が朝鮮人に襲われた』などという信じがたい噂が今でも流れる。コンビニ周辺でまことしやかにささやかれている。もちろん警察は事件を確認していない。恐ろしいデマだ」「当時の加害者への処罰が行われていないことも問題だ」。参加者は熱心に聞き入った。
 一向は降り続く雨の中、夜の土手に向かった。発掘場所を確認した。虐殺推測地点には花が植えられている。
 ファシスト都知事石原の排外主義扇動がますます過熱している。史実を覆い隠し、あの悪夢を再来させる治安強化の流れに、ひとつずつ反撃を展開していこう。(S)


日本政府は犯罪者フジモリを引き渡せ
ペルーから被害者遺族と人権団体代表迎えて
人権侵害の責任者に処罰を

 九月十九日、参議院議員会館第五会議室で「フジモリ元大統領の引渡しを考える〜被害者遺族と人権団体代表を迎えて〜」緊急院内学習集会が千葉景子さん、福島瑞穂さん、中村敦夫さんという三人の参議院議員の呼びかけで行われた。
 ペルー元フジモリ大統領は、在任中の数件の事件に対して捜査され、刑事裁判で訴追された。今年七月三十一日、ペルー政府は日本政府に対し、日本に滞在中のフジモリ元大統領の身柄引渡請求を正式に要請した。この件は現在、日本の法務省に送られ、検討されている。
 ペルーから、引渡請求の容疑事件のひとつであるラ・カントゥタ事件(後述)の被害者遺族のヒセラ・オルティスさんと、ペルーの約六十の人権団体が所属するペルー人権団体連合会(CNDDHH)の事務局長のフランシスコ・ソベロンさんが来日し、日弁連に「人権侵害事件の直接の責任者であるフジモリをペルーに返すべきである」との勧告を求めて提訴した。さらに二人は日本政府に対しても身柄引き渡しの要請行動を行った。
 最初に、ペルーのフジモリ政権は何を行ったのかについて、大串和雄さん(東大教授)が次のように報告した。
 一九九〇年にフジモリは政権につき、センデロ・ルミノソなど反政府ゲリラへの武力弾圧を強めた。九一年にコリーナ部隊(陸軍特殊部隊)を使い、バリオス・アルトスで十五人を虐殺する事件(センデロの協力者だったとされたが、実は誤認だったことがわかる)を起こし、九二年には大学生・教授を拉致殺害したテ・カントゥタ事件を引き起こした。
 フジモリは野党に対して、不当な税査察、誹謗中傷、暗殺の脅しを行った。さらに、裁判所と検察庁を行政府の下に置きコントロールした。マスメディアも完全に統制下に置いた。コリーナ部隊の行った人権侵害事件が裁判にかけられ、有罪判決が下ったのに対して、九五年、フジモリは恩赦法を作り、服役していたコリーナ部隊員を全員釈放してしまった。
 八〇%以上のペルー人はフジモリの引き渡しを求めている。日本ではフジモリは善玉のように見られているが、世界中でフジモリの人権侵害関与が問題とされており、インタポール(国際刑事警察機構)から手配されている。日本社会がフジモリ問題をあいまいにしていることの方が不健全だ。
 続いて、ペルー人権侵害被害者遺族のヒセラ・オルティスさんが証言した。オルティスさんは、ラ・カントゥタ大学在学中の一九九二年、ラ・カントゥタ事件により同大学の学生だった兄のエンリケさん(当時21歳)が虐殺された。事件後は、精神的苦痛のために学業を中断せざるをえなくなる。一方で、フジモリ政権の逆風の中、真実と正義を求める遺族らの活動において中心的役割を果たす。一九九三年、その活動が認められ、ペルー人権団体連合会によってペルー人権賞を授与された。

 九一年五月、フジモリの政治に反対して、学生たちが大学を占拠した。それに対して五百人の軍隊が急襲し、日常的な監視下に置くようになった。軍隊と学生の摩擦は日常的であった。九二年七月、特殊部隊三十人が襲い、教授一人と九人の学生を連れ去った。家族は、病院などを探したが行方がわからなかった。公的機関に訴えたが無視された。
 一年間行方不明だったが、報道機関の調査で埋められた場所がわかった。行方不明当日に、学生らは殺された。発見を恐れ、最初に埋められた所から別の場所に移された。遺族にはDNA鑑定など、調査結果はすべて知らされなかった。遺族は真相究明の活動を開始した。すると、軍事裁判に移されたが、十一人の軍人が有罪判決を受けた。しかし、フジモリは恩赦法を作り、釈放してしまった。犯罪を犯した人が何もなかったように生活しているのが許せない。
 フジモリ失脚後、〇一年、コリーナ部隊五十人が起訴された。フジモリはこの事件に責任を負っている。フジモリが日本にいることができているのは日本の市民の方々のフジモリ追及の弱さでもある。ぜひともフジモリをペルーに返して裁かれるようにしてほしい。
 続いて、フランシスコ・ソベロンさん(ペルー人権団体連合会の事務局長)は「形式的な日本国籍の問題ではなく、ずっと彼はペルーで活動してきたことを重視してほしい。フジモリはペルーの国家元首として五回以上日本を訪れている。被害者の要求が通るようにしてほしい」と訴えた。証言の後、参加した千葉議員は「アムネスティをサポートする事務局長をしている。証言を聞いてフジモリ問題の重さを痛感した。今後、しっかり解決の筋道をつくりたい」と語った。
 人権弾圧の犯罪者フジモリのペルーへの引き渡しを実現しよう。   (M)    

フジモリ問題のホームページ http://www.fujimoriextraditable.com.pe
☆問い合わせ先(社)アムネスティ・インターナショナル日本(東京事務所)〒101-0048 東京都千代田区神田司町2-7 小笠原ビル7F TEL:03-3518-6777 
FAX:03-3518-6778 
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