| WTOカンクン会議失敗後の世界 かけはし2003.10.27号 |
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いまや「グローバル市民社会」がもっと大きな勝利へ行動する時だ |
WTO(世界貿易機構)第五回閣僚会議の議長のルイス・デルベス(メキシコ外務相)が九月十四日午後に、「いかなるコンセンサス(合意)もない」と宣言して、突然会議の閉会を告げた時、彼の行動は重大な結果をもたらした。
第一に、WTO会議の失敗は全世界の人々の勝利であって、南と北とのグローバルな協定の機会の喪失などではない。二〇〇一年十一月にカタールでの第四回閣僚会議で開始されたいわゆる「ドーハ・ラウンド」は、「開発ラウンド」と呼べるようなものではなかった。しかも、そこで貧困国に対して与えられたわずかばかりの約束すら、カンクン会議よりもずっと前に裏切られていた。この状況を象徴したのが米国政府による医薬品特許問題への対応だった。ドーハ宣言では製薬会社の特許権よりも公衆の健康への関心が重視されていたが、米国は閣僚会議の直前までこの宣言に沿って行動することを拒否し、発展途上国が面倒な手続き――それはHIV・AIDSやそのほかの難病に苦しんでいる人たちの生命に関わる医薬品の低価格での輸入を極度に困難にするものである――に同意した後に、ようやくこの宣言に同意した。
もっとも楽観的な発展途上国でさえ、カンクン会議で金持ちの大国から、発展の役に立つ何かの譲歩が得られると期待してはいなかった。大部分の発展途上国は守りの体制でカンクンにやってきた。大きな問題は、歴史的な「新たな取り決め(ニューディール)」を練り上げることではなく、米国やEUが発展途上国に対して新しい要求を押し付けてくる――彼らはその一方で、自分たちの通商のやり方に対するいかなる多国間の規制をも逃れようとしている――のを阻止することであった。
この点で、閣僚会議を失敗させたのは発展途上国ではない(米国通商代表のロバート・ゼーリックは最後の記者会見で発展途上国が失敗させたかのように発言していたが)。責任は完全に米国とヨーロッパにある。九月十三日に閣僚宣言の第二次草案が提示された時点で、米国とEUが彼らの高水準の農業補助金を大幅に削減する意志は全くない――発展途上国には関税引き下げを非妥協的に要求しつづけながらである――ことが明らかだった。また、EUと米国が「ニューイシュー」と呼ばれる投資、競争政策、政府調達、貿易促進の問題について、交渉開始のためには全加盟国の同意が必要であるというドーハ宣言の規定を無視するつもりだったことも明らかだった。
「われわれの設定した条件の上で交渉せよ、そうでなければ交渉しない」―これが第二次草案の意味するところだった。発展途上国が自分たちの利益にとってこれほどまでに不利な交渉枠組みに同意しなかったのは驚くことではない。
第二に、WTOは重大な打撃を受けた。閣僚会議が二度にわたって失敗し(シアトルとカンクン)、一度だけ辛うじて成功した(ドーハ)という現実を見れば、誰もWTOに魅力を感じないだろう。超大国にとって、それはもはや自分たちの意志を他の国に押し付けるための実用的な道具ではない。発展途上国にとって、WTOに加盟していることが大国の横暴からの保護につながらず、ましてや発展を促進するための役にも立たない。
これはWTOが終わったということを意味しない。WTOを絶壁から引き戻そうという努力が行われるだろう(米国とEUがドーハでやったように)。しかし、ありうることは、閣僚会議の成功によって勢いをつけることができなかったため、WTOが急激に失速するということだ。ゼーリックがドーハ・ラウンドは二〇〇五年一月という期限までに完了しないかも知れないと述べたのは正しいことだ。一方、EUの通商コミッショナーのパスカル・ラミーがWTOはドーハのアジェンダ(議題)の三〇%を完了させたと述べたのは、悪い状況に対して明るく振る舞おうとしているにすぎない。
WTOは、失速と基本的な機能の損傷によってだけでなく、金持ち国における保護主義の拡大、長期にわたる停滞によるグローバル経済の状況悪化、対イラク政策等をめぐる政治的対立による大西洋同盟の綻びによって、貿易自由化とグローバリゼーションのための主要な機関として機能するための好ましい環境には置かれていない。WTOは最終的には、自らもその一因となったUNCTAD(国連貿易開発会議)の末路、すなわち存続するがますます無力で、忘れられていく機構へと向かっていくかもしれない。
ここで問題が出てくる。私たちは発展途上国の利益を損なう閣僚会議の失敗を望んでいたが、WTOそのものが弱体化することを歓迎するべきなのか、という問題である。ある人々は次のように言う。「結局のところ、WTOは一連の規則と機構の集合体なのであって、適切な力関係のもとに置かれるなら、発展途上国の利益を保護するために活用することができる」。この考えを支持する人たちは、米国通商代表のロバート・ゼーリックが最後の記者会見で今後は二国間貿易協定を重視すると述べたこととの関係で、二国間協定よりもWTOの方がましだと言っている。
しかし、実際にはこれは間違った選択である。WTOは弱い立場の者の利益を保護するために利用できるような中立的な規則や手続きや機構の集合体ではない。その規則の主要なものは自由貿易の原理、「最恵国」原則(各国は、もっとも優遇されている相手国に提供されている特権と同じ特権をすべての相手国に提供しなければならない)、および「内国民待遇」の原則(外国のサービス事業者に国内の事業者と同じ権利と特権を与えなければならない)の至上性であり、このような規則はそれ自身が現在の不平等なグローバル経済のシステムを制度化するものである。
弱い国が持っている武器は限られている。WTOの前身であるGATTで制度化されていた発展途上国に対する「特別かつ差異のある待遇」の原則(発展途上国は歴史的および構造的な差異のために、先進国とは異なる規則が適用されなければならない)は、WTOの中ではごく小さな位置しか与えられていない。実際、カンクンでは米国とEUは、ドーハ宣言によって信託されていた「特別かつ差異のある待遇」のアジェンダ(議題)を交渉から完全に消し去った。この要求に対する傲慢な姿勢は、ある米国の通商関係スポークスパーソンの尊大な発言に示されている。彼は「WTOは福祉の機関ではなく、貿易の機関だ」と述べた。
WTOは本当の意味での多国間機構ではない。それは米国とEUのグローバル経済に対する共同支配を永続化するための機構である。
第三に、カンクンではグローバル市民社会が主役となった。シアトル以来、貿易の問題をめぐる市民社会と政府の間の対話が拡大した。NGOは交渉の政治的、技術的側面について、発展途上国の政府を支援してきた。NGOは、たとえば医薬品特許や公衆の健康の問題などで、金持ち国の政府の反動的な立場に反対して国際世論を動員してきた。
NGOは国内における強力な連合体として登場し、自国の政府に危機感を抱かせ、金持ち国に対するこれ以上の妥協をしないようにしばりをかけた。カンクンで多くの発展途上国の政府が米国やEUからの圧力に抵抗したとすれば、それは自国に帰ったときに市民社会のさまざまなグループによる政治的な報復を受けるのを恐れたからである。
人々のデモが市の中心部を席巻し、NGOが開会のセッションから一貫して会議場の内外でデモを行っているという状況の中で、カンクンは国家と市民社会のグローバルな攻防の縮図となった。警察のバリケードの場所での韓国の農民、イ・キョンヘ氏の自殺は会議場にいたすべての人々に、もはや世界の小農民の苦境を当然のことと考えることはできないことを警告した。そのことは各国政府によっても認識され、彼を追悼して一分間の黙祷が捧げられた。
まさにカンクン閣僚会議の失敗は、「ニューヨークタイムズ」紙の「グローバル市民社会が世界の二番目のスーパーパワーになった」という観察をあたらめて確認させるものだった。
第四に、「二十一カ国グループ」は、世界的な力関係の変化に貢献しうる重要な新しい発展である。ブラジル、インド、中国、南アフリカを先頭とするこの新しい結集が、カンクンを低開発の歴史のもう一つの悲しいエピソードにしようとしたEUと米国の試みを窮地に追い詰めた。
このグループの可能性は、このグループの代弁者となったブラジルのセルソ・アモリン貿易相の発言によって示唆されている、彼はこのグループが世界の人口の半分以上、世界の農民の六三%以上を代表していると述べた。彼は閣僚会議における演説で、この新しいグループの立場と可能性について次のように述べた。
「われわれは結束しているし、結束しつづける。われわれは他の国がわれわれのメッセージを聞き、われわれと対決したりわれわれを分断しようとするのでなく、われわれとともに、多国間貿易システムに新しい生命を吹き込むために力を合わせることを心から希望している。このシステムを周辺に追いやられている人々、つまり圧倒的多数の人々、自分たちの労苦の果実を刈り取る機会を与えられてこなかった人々のニーズと期待に接近させるために。いまやこのような現実を変える時だ。これがカンクンの精神でなければならない」。
米国の通商交渉チームが二十一カ国グループを一九七〇年代における南側諸国の「新しい国際経済秩序」への要求の再現とみなしたのは驚くことではない。
しかし、このグループの可能性については多くの事情があり、過大評価するべきではない。このグループは現時点では、主要に北の諸国の農業補助金の大幅削減に焦点を当てた同盟である。それはまだ、小国の小農民の希望――主要には国内向けの生産の保護を求めている――を十分に取り上げていない。一部の小国の態度保留は理解できることである。というのは、ほとんどの国で国内市場向けの、農民を基礎とする生産が大きな比重を占めているにも関わらず、二十一カ国グループのもっとも有力な構成国が大規模な農産物輸出国だからである。
しかし、小農民を基礎とする持続可能な農業のための政策が、このグループの提言の中心に置かれることはありえないと考える理由はない。また、このグループがその役割を拡大して、工業やサービスの分野でも共通のプログラムを形成することがありえないと考える理由もない。さらに、もっとワクワクさせる可能性として、二十一カ国グループが貿易にとどまらず、投資や資本の移動、産業政策、社会政策、環境政策などの政策についての調整のための南の諸国間の協力の機関となることもありえないことではない。貿易や市場よりも発展に焦点を当てた南の諸国間の協力は、WTOに対しても、現在米国やEUが追求している二国間貿易協定に対しても、オルタナティブ(対案)となるだろう。
二十一カ国グループは、その政策を明確化する上で、グローバル市民社会を本来の同盟者と見なすだろう。米国とEUが現秩序の維持を固く決意しており、二十一カ国グループの政府間に分裂の種をまこうとしている時、このような市民社会との同盟は、できる限り速やかに、可能性から現実へと進まなければならない。
もちろんそれは容易なことではない。進歩的な市民社会グループは、労働者党に率いられたブラジル政府と提携するのは心地よくても、ヒンズー原理主義・新自由主義・自由市場主義のインド政府や、独裁的でしかも新自由主義に傾斜しつつある中国の政府と提携するのには抵抗があるかもしれない。しかし、同盟関係は現実の中で形成されるのであり、どのような政府であろうと、民衆指向の持続可能な発展の側に獲得できない政府として自動的に分類されるべきでない。
結論として、ドーハ閣僚会議の直後に、いくつかの市民社会の団体が、発展途上国の利益は「WTO閣僚会議をWTOの改革のためのフォーラムに変える」ことではなく、次の閣僚会議(カンクン)を脱線させることによってこそ、もっともよく擁護されると宣言した。カンクン閣僚会議が近づいた時、大国の頑なな態度が、あらゆる領域において南との対話を行き詰まりに追いやった。カンクン閣僚会議が真近に迫った時には、WTOの改革について語られることは皆無になっていた。
事態は全く明白になった。EUと米国が自分たちのやり方を押し通すことを決意している時、不当な合意よりも合意しないほうがマシだったし、低開発の棺にもう一本釘を打つことにしかならないような閣僚会議の成功よりも、閣僚会議の失敗のほうがマシだった。
カンクン後のグローバル市民社会の課題は、不平等な構造を取り払うための努力を一層強化することであり、グローバルな経済協力――貧困層、周辺化された人々、発言権を奪われた人々の利益を本当の意味で増進するような――のためのオルタナティブ(代替的)な制度をめざしていくことである。
しかし、空論家が提唱する自由主義や企業主導のグローバリゼーションに反対してきた人たちは、一息ついて、第五回閣僚会議の失敗を祝ってもいいだろう。カンクンの会議場で交渉決裂の発表を聞いた活動家たちが威勢良く歌ったビートルズの「キャン・ト・バイ・ミーラブ」の替え歌を歌うのもいいだろう。
世界は売り物じゃないよ
あんたの欲を満たすための
あんたが約束した
安全と豊かさはどこへ行ったの
ゼーリックなんかに関わってられない
ゼーリックさんも世界は買えないよ
世界は買えないよ
世界は買えないよ
カンクンのニューイシューはお断りだよ
そんなのは間違ってるよ
ごり押しの名人も
真夜中のグリーンルームもまっぴらだ
いじめっこに関わってられない
ビジネスは世界を支配できないよ
世界を支配できないよ
世界を支配できないよ
[「バンコクポスト」9月21日号に掲載されたもの。「フォーカスオンザグローバルサウス」のwebページより]
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