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地球温暖化問題(中) 共産党系原子力学者・中島篤之助の腐敗                                 かけはし2003.10.20号より

「ブッシュさんと同じ」だって?

温暖化防止の闘いに水をさす反動的主張


「ブッシュさんと同じ」でもいい?

 続いて中島は、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は国際政治のさまざまな思惑が入り乱れた機構であって、その報告は科学的とは言えない妥協の産物であり、信用できないと主張する。
 中島は、当初は科学者主導で始まった気候変動に関する国際会議を、アメリカが政府の息のかかった学者や官僚を送り込むために「政府間組織」にするよう要求し、それが通って作られた政治的妥協の産物がIPCCだという。そして中島は、「最近五十年間に観測された温暖化のほとんどは人間活動によるもの」というIPCCの第三次報告書にも、IPCCそのものにも「賛成できない」と主張する。
 どうも話がおかしい。アメリカは中島と同様、人間の生産・社会活動による温室効果ガスの放出による地球温暖化の進行という考え方に疑問を呈し、二酸化炭素などの排出規制に最も強く抵抗してきた。そのアメリカが参加し、議長にもアメリカ石油産業の意を受けた経済学者がゴリ押しで送り込まれたIPCCでさえ、人間活動による温暖化の進行に警鐘を乱打し、温室効果ガスの排出規制強化を訴えざるを得なくなっているのである。中島は、地球温暖化を食い止めようとする動きに、どんな反動的な政治的思惑がうごめいていると言うのだろうか。
 ブッシュ政権は、温室効果ガス排出規制強化は「経済の足かせになる」として京都議定書から離脱した。中島はこの論文で、ブッシュ政権の京都議定書離脱を「(地球温暖化問題には)自然科学的背景にあいまいさが残っているから」だとして、むしろ防衛する。そして、「(IPCCの結論に)反対しようものなら『あなたはブッシュさんと同じか』と言われる」と嘆いて見せるのである。
 中島は最後に「温暖化の原因が温室効果ガスだけではないとなったらことであろう」と強調し、「日本は地球環境問題のようなスケールの大きな問題に対する政策立案能力が欠けている」、として「アメリカのような政策シンクタンク」を育てることが必要だと結論する。性急に対策を立てて実行するより、まず研究だというわけである。
 中島がここで例として上げているアメリカのシンクタンクが、レスター・ブラウンのワールド・ウォッチ研究所であるというのも奇妙である。言うまでもなくレスター・ブラウンとワールド・ウォッチ研究所は、最も早くから二酸化炭素など温室効果ガスによる地球温暖化の進行に警鐘を乱打し、環境破壊を食い止めるために直ちに実行できるような具体的政策的提言をし続けてきたグループの一つである。温暖化だとか二酸化炭素の排出規制だとか騒ぐ前に、シンクタンクでも作ってもう少し調べてみましょうという中島の主張とは、まさに正反対の立場なのである。

中島の真意と共産党の論理


 今日のエコロジー運動の常識からすれば極めて奇妙で反動的な、この中島の主張の真意ははっきりしている。中島は論文のなかで、「核軍拡の過程で発生した深刻な環境破壊」と「核兵器の廃絶」が「実は二十一世紀における最大の環境問題」であるにもかかわらず、それには「殆ど手がつけられておらず、放置されている」と主張し、しかもこの核兵器廃絶の問題をゴチックでわざわざ強調している。
 平たく言えば中島は、生涯をかけて「核の平和利用」を求め、「核の軍事利用」に反対してきた自分の闘いの方が、「原発絶対反対」と騒ぎ立てるエコロジストたちの「地球温暖化を食い止めようとする闘い」よりもはるかに重要なのだと言いたいのである。
 共産党の原発問題についての伝統的態度は、「原発の危険に反対」という奇妙なものである。それは、「原発絶対反対」に反対し、「原発には反対しないが、それがもたらす危険には反対する」というものであった。日本共産党と共産党系科学者は「核の軍事利用」といわゆる「核の平和利用」を切り離し、軍事利用には反対するが平和利用は推進するという基本的立場を保持し続けてきたのである。
 この観点から、全原発の即時停止や脱原発を訴える運動を「原発の危険を非科学的に誇張して絶望を振りまき、核兵器禁止・廃絶の要求から目をそらさせるニセ左翼分子も含む『原発絶対反対論者』」などと、「赤旗」紙上で繰り返しののしってきた。
 一九五三年の米大統領アイゼンハワーの国連演説を想起するまでもなく、「原子力平和利用」なるものが核兵器開発の副産物であり、原子力産業と核開発を政治的・経済的に防衛しようとするところから始まったことは、動かし難い事実である(例えば、P・プリングル、J・スピーゲルマン『核の栄光と挫折』時事通信社などを参照せよ)。「平和利用」は「軍事利用」と最初から一体であり、切り離すことができないものだった。
 「原発絶対反対」に反対する共産党の反動的主張と態度は今日、多発する原発事故に抗議し運転の差し止めを求める闘いなど、地域での「原発絶対反対論者」との共同行動の積み重ねのなかで後景化している。しかし党として撤回したわけではない。
 中島論文が掲載されている『経済』の同じ号には、共産党衆議院議員の吉井英勝の「原子力エネルギー依存型からの転換を」と題する論文が掲載されている。
 この夏、東電と小泉政権の「電力危機キャンペーン」が破綻し、原発が不必要であることがあらためて実証され、「脱原発がいますぐ可能」であることがあらためて実証された(本紙8月11日号)。また、各地で大地震が連続し東海大地震が秒読みに入るなかで、多くの地震学者が浜岡原発の破壊による「原発震災」の恐るべき危険性を訴えている(本紙9月15日号)。
 しかし吉井論文は、「すべての原発をいますぐ止めよ」「直ちに脱原発を」という要求はもちろん、「浜岡原発即時停止」の要求さえ出していないのだ。ただ「代替エネルギーの開発・普及にあわせて段階的に原発からの撤退の道に進む」と言うだけである。
 しかも「段階的に撤退」するというのは、現在主流の軽水炉からだけにすぎない。吉井はその結論部分で、「小型で安全に制御できるタイプの原子力エネルギーの利用の可能性は将来あり得るものです」「核融合実用化の可能性を高めることを期待しています」とまで主張し、ITER(国際熱核融合炉)の予算が一兆円から半減されたことを嘆いてさえいる。「原発絶対反対」に反対し「核の平和利用」を押し進めるという基本的立場は変更されていないのである。
 中島の『経済』9月号論文はこのような、原発とエネルギー問題に関する共産党の伝統的主張のバリエーションである。地球温暖化との闘いも核廃絶をめざす闘いも脱原発をめざす闘いもともに重要である。中島のようにこれらの闘いを分断し、対立させる必要は全くないのである。(つづく)(高島義一)


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