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毒ガス訴訟                    かけはし2003.10.13号より

小泉政権は控訴を直ちに撤回し、被害者に謝罪し賠償を支払え

断罪された戦後責任への開き直りを許すな


 小泉政権は十月三日、中国で旧日本軍が不法に遺棄した毒ガス兵器や砲弾で死傷した中国人とその遺族に総額約一億九千万円を支払うよう政府に命じた九月二十九日の東京地裁判決を不服として、東京高裁に控訴した。われわれは、旧日本軍の侵略と不法行為の結果として深刻な被害を受けて苦しみ続けてきた犠牲者を踏みにじる小泉政権のこの暴挙を、怒りを込めて糾弾し、控訴の即時撤回を要求する。
 中国に侵略し、一千万人を超える中国人民を殺害した天皇制旧日本帝国主義は、当時の国際法でも禁じられていた化学兵器(毒ガス)を大量に製造し、使用した。この不法な残虐大量殺害行為が、敗戦にともなって発覚して国際的な非難と追及を受けるのを避けるため、旧日本軍は敗戦を前後してこの毒ガス兵器を中国内で土中に埋めたり河川に投棄するなどして組織的に遺棄・隠匿するという、違法に違法を重ねる行為を働いた。中国内に遺棄された旧日本軍の毒ガス兵器は、中国の推計で約二百万発、日本の推計でも約七十万発も残っている。
 これまでに中国各地の十を越える省で、日本軍が遺棄した毒ガス兵器が発見され、それが漏れ出すなどでこれまでに二千人を超える被害者が出ており、その多くが深刻な後遺症などで人の助けなしには生活できない状態に追い込まれているという。今年八月四日にも、中国東北部黒龍江省チチハル市の建設現場から出てきた五発の日本軍毒ガス兵器からイペリット(マスタードガス)がもれ出し、四十三人が入院し八月二十一日にはそのうち一人が全身の九五%が焼けただれた状態になって死亡するという、悲惨な事故が起こった。
 マスタードガスは、皮膚や目、呼吸器に触れると火傷のような水ぶくれと炎症を引き起こし、吸い込めば肺気腫となり呼吸困難で死亡する。骨髄や脾臓、リンパ組織にも損傷を与え、発ガン性もあり、慢性呼吸器疾患や感染症に罹患しやすくなるなどの、長期の後遺症もともなう。
 極めて少量でも深刻な被害が生じる。チチハル市の事件では、漏れたガス液に触れた人だけでなく、建設現場から運び出された土に触れただけで多くの人が火傷状態になり、歩けなくなって入院するなどの被害を受けている。それはブッシュ政権が、フセインが隠し持っているとしてイラク侵略戦争を正当化しようとした「大量破壊兵器」そのものである。
 日本帝国主義はこの「大量破壊兵器」である化学兵器(毒ガス)を、いつ被害者が出てもおかしくないような状態で不法に、しかも大量に遺棄した。そのためいまなお多くの中国人民が深刻な被害に苦しみ続けているのである。
 日本政府は七二年に日中国交正常化が実現して以降も、中国で国際法違反の毒ガス兵器を使ったことも、それを不法に遺棄したことも認めようとしなかった。国際的批判の高まりのなかで、日本政府がようやく遺棄化学兵器の存在を認めたのは、戦後四十六年も経った一九九一年になってからであった。
 九七年には「化学兵器禁止条約」が発効し、日本も批准した。化学兵器禁止条約は化学兵器の製造、保有、使用を禁じ、二〇〇七年までに保有するすべての化学兵器の廃棄を条約締約国に義務づけ、さらに他の締約国に遺棄した化学兵器も〇七年までに回収し廃棄することを義務づけている。
 また、九九年には日中両国政府が遺棄化学兵器の処理に関する覚え書きに署名した。そのなかで日本政府は、処理に必要な資金、人材、設備などを提供し、〇七年までに処理を終えることを約束し、〇〇年九月から発掘・回収作業を開始した。
 しかし処理は危険かつ困難で、処理が終わったのは中国政府推計二百万発(日本政府推計七十万発)の化学兵器のうち、わずか四万発あまりにすぎず、期限までにはとうてい終わりそうにないのが現実である。したがって今後も、建設工事で土を掘り返したり川底をさらう作業などにともなって、いつ日本軍の化学兵器から毒ガスが漏れ出し、中国人民に深刻な被害が生じるかわからないという、危険な状況が続いているのである。
 九月二十九日に東京地裁で原告勝訴の判決が出された訴訟は、この日本軍の毒ガス兵器などが漏れ出したり爆発したりして死傷した中国人被害者とその遺族十三人が、日本政府を相手取って提訴したものである。
 来日した原告団の一人として来日した李臣さん(58)は、七四年に黒龍江省チャムス市の川で浚渫(しゅんせつ)作業に従事していて毒ガス弾を引き揚げ、被害に遭った。一緒に作業していた他の三人とともに呼吸困難に陥り、両手がただれ、入退院を繰り返したが完治せず、左手の筋肉が萎縮し、仕事ができなくなって生活困難に陥り、八五年には自殺を図ったという。日本軍の毒ガスに触れてから二十九年経ったいまも、口のなかやわきの下に、ただれが発症するという容態が続いている。
 東京地裁判決は、この事件のほか、黒龍江省牡丹江市で下水工事中に毒ガス缶が掘り出されて作業員四人が重傷を負った事件、同省双城市の道路工事現場で砲弾が破裂し作業員二人が死亡し一人が重傷を負った事件の三件を、日本軍の遺棄兵器によって引き起こされたとして、日本政府の損害賠償責任を認めた。
 判決はまず、「毒ガス兵器の遺棄・隠匿行為は、中国国内に毒ガス兵器を配備して使用していたことにつき国際的非難を避けるため、日本軍の組織的な行為として実行されたものと認められる」と断じた。
 その上で、そのような遺棄行為は、「日本軍が戦争行為に付随して行った行為で、公権力の行使にあたる」とし、「その後の放置行為」も「被告の国が国家として行うべきことをしなかった不作為」であって、それもまた「公権力の行使にあたる」とした。
 さらに「兵器の遺棄」という行為について、「単にものを置き去りにするという行為にとどまらず、生命や身体に対する危険な状態を積極的に作り出すという行為である。危険な状態を作り出した者には、その状態を解消して結果の発生を回避することが要請される」と厳しく評価した。
 そして「被告の国としては、中国から引き揚げてきた旧日本軍の関係者から事情を聴取し、残された軍関係の資料を調査するなどの方法を採ることで……毒ガス兵器や砲弾の遺棄状況の相当程度の把握をすることができたと考えられる」としている。
 そしてその遺棄場所や兵器の量と性質、処理方法などの情報を中国に提供し、調査や回収を申し出ることが、日本政府の「危険な状態を解消するための作為義務」であったにもかかわらず、その義務を果たさず、結果として多数の被害者を出してしまったのである。 判決は、七二年に国交が回復されて日本政府がこの「作為義務」を果たすことが具体的に可能になって以降もその義務を果たさなかったことは「違法な公権力の行使に当たる」と断罪した。その上で七四年の事件について、事件から二十年で請求権を失うという「除斥期間」の適用で日本政府が損害賠償義務を免れることは著しく正義に反するとして「適用を制限することが条理にかなう」と述べ、一億九千万円の損害賠償を命じたのである。
 原告団代表として来日していた李臣さんと劉敏さん(27)は、勝利判決を受けて十月三日に国会を訪れ、わずか二分半、川口順子外相と面会し、控訴を断念するよう訴えた。李臣さんは涙ながらに「二十九年間、痛みと貧困に苦しみ抜いてきた。これでもう、この問題を解決させてほしい。私のような被害者を二度と出さないよう、徹底的に化学兵器を処理してほしい。日中人民の友好を永久に!」と訴えた。
 時間がなく発言できなかった劉敏さんが話そうとして準備していた言葉は、次のようなものだったという。「父を失った母は、病気になりながら私たち二人の子どもを育ててくれた。私たちは学校へ行き続けることもできなくなった。私はハルピンの母となくなった父に、『もう心配はないよ。この問題は解決したよ』と報告したい」。
 このような被害者と遺族の悲痛な叫びを踏みにじって、小泉政権は「日本政府には責任はない」として非道な控訴を強行したのだ。今年八月のチチハル市で多数の死傷者を出した日本軍遺棄毒ガス事故では、事故直後から始まった日本に賠償を求める署名がたちまち百十万人も集まるという怒りと抗議の高まりを前に、小泉政権は「誠実に対応していきたい」と述べていた。日本の裁判所が「政府は責任を果たせ」という判決を出したことに対して「責任はない」と控訴することが、日本軍遺棄毒ガス兵器問題に対する小泉政権の「誠実な対応」なのである。
 チチハル市の事件で死者が出たことに対する福田官房長官の記者会見は「おわび」ではなく「お悔やみ」であった。小泉政権は被害者やその遺族になにがしかのカネを出すことも検討してはいるが、「日本政府には責任はない」という立場のため、それは「賠償」ではなく、あくまでも「お見舞い」なのである。
 今年八月のチチハル事件で死亡した犠牲者の遺族は日本政府に対して、責任を認めて謝罪と補償をするよう要求し、日本政府が応じない場合は裁判に訴えることを決め、日本の弁護士に権限を委譲した。日本政府は、日本軍「慰安婦」問題をはじめ、戦争責任・戦後責任を清算するよう求める侵略戦争の犠牲者とその遺族の要求を拒否し続けてきた。アジアの戦争被害者に連帯し、謝罪による人権回復と被害の補償をかちとろう。
 小泉政権は毒ガス訴訟東京地裁判決への控訴を直ちに撤回し、被害者に謝罪して賠償を支払え!(10月6日 松本龍雄)

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