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大衆的に公認された「第3党」へ           かけはし2003.1.13号より

大統領選で民主労働党が大躍進

チョン・モンジュンの土壇場爆弾宣言にもかかわらず

 「戦闘では敗けたが、戦争では勝ちました」。クォン・ヨンギル民主労働党大統領候補は12月19日夜、ソウル・汝矣島の民労党本部で開票放送を見守った後、このように語った。労働者、農民、貧民らの疎外勢力を代弁する政党として民労党の存在と可能性とを大衆の脳裏に深く刻み込み、2004年に行われる総選挙で院内に進出できる足がかりをつかんだ、との分析だ。イ・サンヒョン民労党中央選対委メディア対策委員長は「韓国の進歩勢力が政治的市民権を獲得した選挙だった」と評価した。

大衆的全国政党への可能性示す

 特にクォン候補は進歩政党の歴史上、初めてテレビ討論会に参加して既存の政治圏を極めて明快に批判し、新鮮な公約をテキパキと提示し、一躍スターの座に上がった。ハンナラ党と民主党を指して、それぞれ元祖腐敗党、新装開業党だと呼ぶなど、才智の輝きも人気にひと役、買った。
 クォン候補は今回の選挙で95万7千余票を得て3・9%の得票率を挙げた。これは1956年にチョ・ボンアム進歩党候補が216万票(24%)を得て以来、最も多く、5年前の97年大統領選挙と比較すれば3倍にも急増した大躍進だ。92年以来、行われた数回の大統領選挙で進歩政党の候補は1%台の支持率から脱しきれなかった。今回は湖南(全羅道)を除くすべての地域で3〜5%の安定した支持を受け、蔚山、慶尚南北、江原、仁川、京畿、大田、忠清南北では全体平均の3・9%を超え、全国的政党としての可能性を示した。またインテリ、学生運動圏、組織労働者、20〜30代中心の構造から脱却し始めたという点は注目に値する。これとともに大工場の密集地域での労働者らの「階級的投票」は一層本格化したものと民労党は見ている。
 ある党員は「先の地方選挙で8・1%の得票率で第3党となったが、このときの『第3党』ということの意味は、党中央の幹部らが『広報』することによって初めて人々が同意する、という水準だった。国民の大部分は民主労働党という党名さえ耳慣れなかった。だがいまや民労党は『大衆的に公認されている』第3党になった」と評価した。
 民労党が最近、世論調査の専門機関に依頼した世論調査の結果を見ると、2004年の国会議員総選挙で政党名だけで投票すれば、どの政党に投票するのかを問う質問に、民労党という回答が11・8%を占めた。また今回の大統領選挙の過程で民労党に対する好感度の変化を問う質問には71%が「良いと考えるようになった」と答えた。シン・ジャンシク企画委員長は「2004年の総選挙では1人2票ずつの政党名簿式比例代表制が実施されるので、わが党の院内進出はもはや規模の問題だけを残しているも同然だ。院内交渉団体(20人)を目標とすべきだ、との声もある」と語った。
 今回の選挙が過去と違う点を挙げるとすれば、進歩的な価値が公約という名によって日の目を見ることができた、という点だ。それは民労党が存在するのに必要なことだった。民労党は「平等な世の中、自主的な国」という旗じるしの下、「30億ウォン以上の金持ちに富裕税を課して無償教育、無償医療、住宅問題の解決」という公約を掲げ、「ヒョンスニ、ミソニ」事件に積極的に介入し、韓米駐屯軍地位協定(SOFA)改正に対する汎国民的要求を率いていくことに功を挙げた。また韓(朝鮮)半島の平和協定の締結を堂々と主張したりもした。昔日ならば親北的主張という「アカ」攻撃を受けざるをえない公約だった。民労党の鮮明性のおかげでノ・ムヒョン民主党候補が「アカ」攻撃の直撃から避けられるという側面もあった。

爆弾発言の影響は大きかったが

 けれども民労党の支持者たちや党関係者らは今回の選挙結果を極めて残念がっている。選挙の土壇場で勃発したノ・ムヒョン、チョン・モンジュンの共助破棄との報道に、極右保守勢力の執権を阻止しなければならないとの気分が急速に広がり、ホワイト・カラーなどの支持票が大挙離脱したからだ。
 「チョン・モンジュンの爆弾宣言は、わが民主労働党に飛んできた直撃弾でした。わが党に来るべき票の最小限3〜4%は(ノ・ムヒョン側に)いったと思います。わが党が『ノ1等兵救出』の犠牲者となったのです」(イ・サンヒョン委員長)。
 キム・ジョンチョル代弁人は「チョン・モンジュン関連の速報がテレビに現れると、わが党のホーム・ページの瞬間接続件数が8万余件に達する状況で、サーバーがダウンしたりした」と語った。今回ばかりは、どうかノ・ムヒョンの手を挙げさせてくれ、という泣訴型から、ハンナラ党の別働隊か、という苦しい批難の声まで、はてしないほどだった。
 選挙が終わった次の日には「クォン・ヨンギル候補に投票しようと思ったが……。本当にすみません」という文章が相次いだ。実際に3回目のTV討論の後、クォン候補の支持率が6〜7%までに上がった点を考えると、彼らの告白がウソ偽りでないことが分かる。民労党は「特にソウルの支持率が全国平均以下として出てきたのは30代のホワイト・カラーがかなり移動したためだ。決選投票制であったなら3〜4倍は出てきただろう」と分析した。
 民労党政策委員長のチャン・サンファン慶尚大教授は「わが社会には2つの時代的要求がある。1つは開発独裁のパラダイムの弱化という民主主義の進化の要求であり、2番目には通貨危機以後の貧富の格差問題をはじめとする階級問題の解決だ。わが党は2番目の要求を代弁したが、今回、若い人々は民主主義の完成により多くの関心があった」と語った。結局、民労党の「きっぱりした」政策に対する支持を、民労党自体に対する支持へと発展させることが民労党の課題、というわけだ。
 このために民労党は民生保護特別委員会を設置して国民の暮らしに密着した政治を図る計画だ。また富裕税の導入、韓半島の平和軍縮などの主要公約を実現するために国民投票署名運動を展開することを検討している。これとともに全国農民会総連盟との連帯を推進して大都市中心の組織構造から脱け出し、韓国労総の民主社会党とも積極的に協調することを模索する方針だ。

党員も3万人へと増大した

 民労党は大統領選挙以後、党の存廃を心配しなくともよい初の進歩政党として記録されるものと思われる。ある党員は「民労党の前身である国民勝利21の名で大統領選を行った97年の選挙直後、30万票というみすぼらしい成績表に落胆した組織員らは散り散りになってしまった。最後まで残った活動家らは30余人にすぎなかった。けれどもいまは党員が、むしろ3万余人へと増えた。選挙以後も今日の政綱・政策をもって、ぐいぐいと進んでいける」と自慢げだった。チャン・サンファン委員長は「党員を5万、10万人へと増やし信頼される政党へと発展させるのが課題」だと語った。
 民労党は、言うまでもなく党員のカネによって運営される最初の民衆政党だ。今回の大統領選でも19億ウォンの選挙費用のうち、国庫補助金の5億3千万ウォンを除いた残りのカネを党員や後援者らのカンパによって調達した。今後、野党らしい野党を目指すと宣言した民労党。戦争ばかりをこととする野党ではなく、本当の政策野党が国会で活動するのを見ることができるのか、見守るべきところだ。(「ハンギョレ21」第440号、03年1月2日付、イ・ジェソン記者)


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