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年頭アピール                     かけはし2003.1.1号より

グローバルな反戦運動でブッシュのイラク侵略戦争を止めよう!



フセイン政権打倒への臨戦態勢

 二〇〇一年の「9・11」は、「終わりなき対テロ・グローバル戦争」の時代を画する決定的契機となった。アメリカ帝国主義のブッシュ政権は「テロリストならびにテロ支援国家」に対する「自由と正義を守る戦い」を前面に掲げて、世界の諸国家に「アメリカの側に立つのか、テロリストの側に立つのか」の二者択一を突きつけ、「アメリカの戦争」に対する全面協力を取り付けた。ブッシュ政権は二〇〇一年十月七日から核兵器以外のあらゆる大量破壊兵器を使用したアフガニスタン侵略戦争を発動し、「テロリスト・アルカイダをかくまった」タリバン政権を崩壊させ、多国籍軍の軍事的占領を背景に親米かいらい政権=カルザイ政権を発足させた。
 ブッシュはさらに二〇〇二年一月の一般教書演説で「テロリストという寄生虫を取り除くために」世界中どこにおいても戦争を発動すると豪語し、さらに「無視すれば世界の破局を引き起こすテロ支援国家」として北朝鮮、イラン、イラクの名前を特定し、この「悪の枢軸」を打倒するための戦争準備を公言するに至ったのである。
 いまや、イラクに対する全面侵略戦争がカウントダウンの段階に入っている。イラクと「テロリスト・アルカイダ」との関係はなんら立証されていない。しかしブッシュ政権にとってそんなことはどうでもいいのである。アメリカ帝国主義の戦争目標は、「サダム・フセイン打倒」という武力による政権転覆そのものにある。それはあらゆる意味で帝国主義的侵略戦争にほかならない。
 十一月十三日、イラクのサダム・フセイン政権は「大量破壊兵器廃棄」に関する国連安保理決議を無条件に受諾し、国連による武装査察が始まった。十二月八日には「大量破壊兵器開発疑惑」を否定するイラク政府の申告書がニューヨークの国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)とウィーンの国際原子力機関(IAEA)に届けられた。しかしブッシュ政権は、査察委員会の調査や国連の動向いかんにかかわらず、単独でもイラク侵略戦争を発動してフセイン政権を打倒する態勢を着々と整えている。すでにカタールなどの中東諸国、地中海、ペルシャ湾、インド洋には空母機動部隊、地上侵攻部隊をはじめとする大規模な軍事力が配置され、侵攻が可能な臨戦態勢に入った。
 「9・11」直後から、アメリカを支援するためには「できることは何でもやる」と宣言していた小泉政権は、イラクへの全面戦争発動を前にして十二月十六日にはイージス護衛艦きりしまをインド洋に派遣した。十一月十九日のテロ対策特措法にもとづく米軍支援の期限延長にあたって、イージス艦派遣を見送ってからわずか一カ月もたたない間に行われた暴挙である。さらに掃海艇派遣や、戦争後の対イラク「復興支援」を名目に、自衛隊派遣新法の成立も構想されている。
 アメリカ帝国主義のグローバル戦争の発動を絶対に許してはならない。二〇〇三年の初頭にあたってわれわれは、何よりもアメリカ・ブッシュ政権のイラク侵略戦争と小泉内閣の参戦を阻止するために、労働者・市民運動の全力を注ぎ込むことを呼びかける。

「国家安全保障戦略」のイデオロギー

 国際法や国連をも無視したブッシュ政権の侵略戦争の本質は、二〇〇二年九月十七日付で発表された「アメリカ合衆国の国家安全保障戦略」(ブッシュ・ドクトリン)に最も鮮明な形で表現されている。ブッシュ本人の署名で序文が書かれ、ホワイトハウスが刊行し、全政府機関が準拠すべき基本政策文書となっているこの「国家安全保障戦略」の分析は、ブッシュの対イラク戦争に反対する運動に取り組む上できわめて重要である。
 ブッシュ・ドクトリンの第一の特徴は、その強烈な「アメリカ中心主義的世界観」というイデオロギー的性格である。同文書は、二十世紀を通した「全体主義(ファシズムやスターリニズム)との戦い」に勝利した「自由と民主主義」、すなわちアメリカ的理念の普遍性と「正義性」をうたいあげている。ブッシュの言う「正義と悪」の二項対立は、つねにアメリカが「善」と「正義」の体現者であるという主張を不動の前提としたものである。
 ブッシュは述べる。「一部の人びとは『正義と悪』という言葉を語ることは、いささか外交儀礼に反し、丁寧さに欠けるのではないかと心配している。私は同意しない。異なった環境は異なった手法を必要とする。しかし異なった道徳を必要としないのだ」(02年6月)。すなわちブッシュの「悪の枢軸」に対する「正戦」の論理は、政治・経済・軍事・道徳が一体となった「アメリカの比類なき優位性」という自己主張に裏打ちされたものなのである。
 政治学者の藤原帰一は「ここに、普遍的原則によって政治統合を達成する社会が、まさにその普遍主義のために、『国内』と『国外』の壁を自覚しない、という現象が生まれる。国民国家がその権力を海外に及ぼすことは内政干渉であり、侵略とされるはずだ。ところが、アメリカの中から見る限り、『アメリカ』という自由の空間を外部に広げることは、内政干渉どころか自由の拡大であり、無謀な権力行使ではなく使命の実現だ、ということになる」(『デモクラシーの帝国』岩波新書)と述べている。すなわち、ここでは「主権国民国家」を基盤にした国際関係という国連や国際法の旧来の秩序が、「比類なき軍事的・モラル的優位性」にもとづく唯一の「秩序形成者」であるアメリカにとっては無視して当然だということになってしまう。
 ブッシュ・ドクトリンは述べる。「アメリカ合衆国の国家安全保障は、われわれの諸価値と国益の結びつきを反映する明白なアメリカ的国際主義に基づいたものになるだろう。この戦略の目的は、世界をより安全なものにするだけでなく、よりよいものにするために助力することにある」。アメリカの「国益」と「よりよい世界」や「世界平和」が等号で結ばれるこの立場は、気候変動に関する京都議定書の枠組みからの離脱や、ABM(弾道弾迎撃ミサイル)制限条約の廃棄、そして国際刑事裁判所の裁判権は米軍人には及ばないという主張に示される「単独行動主義」を正当化するものである。
 そしてこの徹底したアメリカ中心主義イデオロギーは、ソ連というカウンターパワーを失ったポスト冷戦期において、アメリカの国益を脅かす存在に対していつでも戦争を起こす力学を解き放ったのである。

グローバル資本主義と戦争の論理

 ブッシュ・ドクトリンの第二の特徴は、核超大国・ソ連に対する冷戦期の現状維持的抑止戦略に替わって、「ならず者国家やテロリストの脅威」に対しては核兵器をふくむ「先制攻撃」も許されるということが繰り返し公言されていることである。
 「(ならず者国家やテロリストという)現代的脅威のいずれも、われわれに対してソ連が配備した巨大な破壊力に匹敵するものではない。しかしながら、このような新たな敵対者の性格とその動機、従来は世界の最強国のみが手に入れることのできた破壊的兵器を獲得しようとする決意、そして彼らがこうした大量破壊兵器をわれわれに対して使用する可能性の増大は、今日の安全保障をめぐる環境をより複雑かつ危険なものにしている」。
 「われわれはこうしたテロリストたちがわれわれの国民、わが国に対して危害を加えるのを阻止する目的で先制的に行動することによってわれわれの自衛権を行使するために、必要とあらば単独で行使することをためらわないだろう」。
 ここでは「敵対的行動の機先を制し、妨げるために、合衆国は必要な場合には先制的行動をとる」とか「文明の敵が公然とかつ積極的に、世界で最も破壊的な技術を求めている時代においては、合衆国は危険の高まりに手をこまねいたままでいることはできない」などのどう喝が多用され、しかもそれはどう喝に止まらず実際に軍事的集中攻撃として相手を壊滅させるものであることが、アフガン戦争や対イラク戦争準備の中で示されている。アメリカの「国益」たる排他的・一元的覇権と階層的世界秩序を防衛するためとあらば、従来の国際法や国連などの国家間システムは踏みにじられて当然というのが、このドクトクリンの立場である。言うまでもなく、「文明の敵」を認定する権限はアメリカ帝国主義のみが握っている。
 ブッシュ・ドクトリンの第三の特徴は、その「テロリスト」や「ならず者国家」に対する戦争の論理が、アメリカが主導する資本の新自由主義的グローバリゼーションの促進と完全に一体の関係にあることである。
 「強力な世界経済は、世界の他の地域の繁栄と自由を前進させることで、われわれの国家安全保障を高める。自由貿易と自由市場に支えられた経済成長は、新しい雇用とより高い収入を作りだす。それは人びとが自らの生活を貧困から引き上げ、経済的・法的改革を刺激し、腐敗と闘うことを可能にする」。
 「政府の強大な手による指令・統制経済ではなく市場経済こそが、繁栄を促し貧困を削減する最善の道である。市場のインセンティブと市場の諸制度のさらなる強化が、あらゆる経済――先進工業諸国、新興市場、そして開発途上諸国――にとって適切なものである」。「『自由貿易』の概念は、それが経済の支柱となる以前においてさえ、道徳的原則として立ち現れた。もし諸君が他人が評価するなにものかを作ることができるとしたら、諸君はそれを彼らに売ることができるべきである。それが真の自由、すなわち個人あるいは国家が生きていくための自由である」。
 「人間的自由の保障」としての「自由貿易」と「自由企業」――この典型的な市場原理主義にもとづいた教育・医療・福祉などの公共サービスの民営化や、規制緩和を名目とした雇用破壊・労働条件の改悪などの諸権利の剥奪が、いま全世界で進行している。世界銀行とIMF、そしてWTO(世界貿易機関)などによる「自由市場」の強制が、世界的に貧富の差を拡大し、飢餓や環境破壊を増幅させている元凶なのである。
 ブッシュ・ドクトリンは「一部の人が安楽に潤沢に生活する一方で、人類の半数が一日二ドル以下で生活している世界は、公正なものでも安定したものでもない」と眉をひそめて見せる。しかし、この不公正と不安定は、グローバル資本主義の新自由主義的論理が現に拡大再生産しているものであるということを「ブッシュ・ドクトリン」は認めようとしない。反対に「グローバル化の恩恵」が不十分であることが、貧困・飢餓・紛争の原因なのだと言いくるめる。
 自由貿易・自由市場の論理こそが、個々人の人権を奪い、社会的公正や民主主義を踏みにじって、超国籍資本の搾取と支配の下に人びとを隷属させる。それは人びとを弱肉強食の競争と敵対によって分断させ、労働者・市民の「平和と安全」を破壊する。そしてこの新自由主義的グローバリゼーションの破壊的作用に対する大衆的抵抗の発展を暴力によって抑え込もうとすることが「ブッシュ・ドクトリン」の内容になっている。

反グローバル化運動と反戦闘争

 こうした「ブッシュ・ドクトリン」とアフガニスタン、イラクへの侵略戦争の発動が、ブッシュ、チェイニー(副大統領)、ラムズフェルド(国防長官)といった石油産業、軍需産業の利害を直接に体現する「戦争屋」にリードされ、カスピ海の石油資源や埋蔵量世界第二位のイラク石油資源への支配権を確保しようとする「石油戦略」を背後に抱えたものであることは確かであろう。しかしこの戦争を「石油のための戦争」としてのみ単純に性格規定することはできない。
 前述した第一の特徴で述べたように、アメリカ的価値として解釈された「自由と民主主義」の普遍性を、「自由市場」「自由貿易」というグローバル大企業の支配と、それを支えるアメリカの比類のない軍事的優位を通じて地球上くまなく確立し、このアメリカ的世界秩序にとって異議をとなえる可能性を持つあらゆる国家・勢力を「文明と平和の敵」として有無を言わさず抹殺するという、強烈で独善的なイデオロギー的性格が「ブッシュ・ドクトリン」には貫かれている。そしてそれが「現実主義」的な利害得失の判断よりも前面に出ているところに、「ブッシュ・ドクトリン」のいっそう攻撃的で好戦的な特徴が表われている。
 アメリカ帝国主義の「グローバル・対テロ戦争」と先制攻撃戦略が、資本のグローバセリゼーション、それがもたらす危機と不可分の関係にあることは、ますますあからさまになっている。一九九九年のシアトル以後の反グローバリゼーション運動の急速な世界的拡大が、ブッシュの攻撃的戦争政策に反対する闘いと結びつかざるをえない必然性がここにくっきりと浮かび上がってきたのである。
 「9・11」以後の世界政治情勢は、「テロリスト」など「見えざる敵」の脅威に対する危機管理と治安対処を口実とした、社会総体の軍事化と強権化のエスカレーションを重要な特徴としている。アメリカやイギリスなどの先進資本主義諸国でも「反テロ法」が制定され、アジア・アラブ・アフリカ系の移住労働者などを「潜在的犯罪者」として裁判ぬきに長期間拘留するなどの民主主義と人権無視が強まった。新たに国土安全保障省を設立したアメリカでは一般労働者・市民を「テロ犯罪」に関する情報収集のために「ボランティア」的に動員するシステムが作りだされている。
 第三世界諸国では「対テログローバル戦争」の一環として、フィリピン、インドネシア、チェチェン、コロンビアなどで地域の自治・独立運動勢力、解放運動勢力に対する軍事的壊滅の攻撃が持続している。「9・11」は世界各国の支配者に対して、反対勢力を軍事的に壊滅させる「お墨付き」を与えることになった。
 パレスチナ自治政府と解放運動勢力に対するイスラエル・シャロン政権のやむことのない戦争は、オスロ合意の枠組みを通じたパレスチナ自治政府から独立国家建設への展望を完全にご破産にしただけでなく、アメリカ帝国主義にとって戦略的に重要な中東地域の安定化の可能性を消滅させてしまった。対イラク戦争は、混乱と戦乱をさらに増幅させるだろう。
 アフガニスタンでもタリバン政権の打倒以後一年有余を経て、多国籍軍の占領下で軍閥共存のカルザイ政権を樹立したにもかかわらず、安定した国家・政府機能は形成されておらず、多国籍軍が撤退すれば大規模な内戦の再燃が不可避の状況にある。かりに対イラク戦争の発動によって、莫大な数にのぼる民衆の犠牲の上に「ポスト・サダム」体制が準備されたとしても、それは決してアメリカ帝国主義の「信頼」に足る内実を持ちえない。第二次大戦後の「日本占領」をモデルとしたイラク占領方式などはまったくのたわごとにすぎない。ブッシュは十一月下旬のワシントン・ポスト紙とのインタビューで「イラクを体制変革して、次はサウジアラビア、続いてエジプト、シリア、その次にイラン、その次にパレスチナを民主化する」と発言した。
 これはまさに「アメリカ原理主義」の幻想以外のなにものでもなく、文字通り「文明の衝突」に点火するものであるが、「ブッシュ・ドクトリン」の論理そのものが、そうした終わりのない戦争の論理を内包したものであることにわれわれは注意を払わなければならない。
 莫大な戦費支出やイラク占領経費は、デフレリスクを抱えているアメリカ資本主義経済を直撃して金利の高騰をもたらし、消費支出を支えてきた住宅景気のバブルを崩壊させ、「世界同時デフレ危機」のシナリオを現実化するという予測も出されている(高尾義一「アメリカ発世界同時デフレの危機」、『エコノミスト』02年12月24日号)。
 イラクへの侵略戦争は、グローバル資本主義の危機、金融危機をいっそう激化させ、すでに新自由主義的グローバリゼーションの下で失業や福祉の解体、生活水準の下落などの社会的不安定を累積させてきた先進資本主義諸国においても、国民的統合の危機を加速させることにならざるをえない。
 それは旧来の労働組合をも動員した大規模な集団行動の登場(スペイン、イタリアのゼネスト)、あるいはそうした伝統的な構造と反グローバリゼーション運動に代表されるさまざまな社会運動の結合、さらに反戦運動と反グローバリゼーション運動の一体となった発展という形で進んでいる。アメリカでのベトナム戦争以来の反戦デモ(10月26日、ワシントン二十万、サンフランシスコ十万人――本紙前号参照)、ロンドンでの四十万人反戦デモ、そしてフィレンツェで行われた欧州社会フォーラムの最終日の百万人の「欧州平和行進」として、それは表現された。
 もちろん、ヨーロッパ諸国で台頭している極右排外主義勢力(仏大統領選第一回投票で国民戦線のルペンが二位につけたこと)の動向についてわれわれは警戒を怠ってはならない。しかしわれわれは、この戦争と新自由主義的グローバリゼーションに対する闘いの主体的結合の中から、「もう一つの世界は可能だ」という世界社会フォーラムの訴えが確実に根を張っていることに注目すべきなのである。

戦争国家体制へ突き進む小泉政権

 二〇〇一年四月、「聖域なき構造改革」と「改革なくして成長なし」というスローガンを打ち上げ、新自由主義的な市場原理主義の「自己責任」と競争の論理によって、政官財ゆ着の戦後国家的利益配分システムを「破壊」することを宣言した小泉首相は、同時に「首相公選制」と憲法改悪、さらに靖国公式参拝などの右翼ポピュリスト的相貌をもって「強力なリーダーシップ」をイメージさせた。メディアは十年間に及ぶ経済危機の中で社会的にまん延してきた閉塞感に風穴を開ける存在として小泉人気を煽り立て、支持率は一時九〇%に達した。
 小泉は「9・11」以後、わずか二カ月でテロ対策特措法案を成立させて自衛艦をインド洋に派遣した。海上自衛隊の補給艦による米英艦船への無償の給油は一年間で二十三万四千キロリットル、金額にして八十六億円に及び、米軍艦船への全燃料供給の40%に達するほどになった。「ブッシュ・ドクトリン」は、この日本の事実上の参戦について「日本と韓国は、テロリストの攻撃から数週間以内にかつてないレベルでの軍事的兵たん支援を提供した」と特記している。さらに同年末の十二月二十二日には、中国の「排他的経済水域」内の東シナ海の公海上で、海上保安庁の巡視船が北朝鮮の「工作船」を撃沈するという事件も発生した。
 こうした戦争情勢の追い風を受けて、小泉政権は戦争法案としての「有事法制3法案」を二〇〇二年一月から始まった第一五四通常国会に提出した。すでに本紙紙上で詳しく説明しているように、有事3法案は「武力攻撃事態」に直面した時(そこには武力攻撃の「おそれ」や「予測される」事態もふくむ。したがって「先制攻撃」も正当化されるのである)に、首相に独裁的権限を集中した超憲法的軍事・行政指導機関たる「武力攻撃事態対策本部」を設立し、この下で国、自治体、民間の諸企業、個人にいたるまで戦争遂行への「協力義務」を負わせようとする「戦時国民総動員法案」である。
 さらに有事3法案の一つである自衛隊法改悪案においては、物資保管命令や立入検査を拒否した人や企業に対しては、「戦争非協力者」と見なされて懲役や罰則が課せられることになっている。それは総論としての「武力攻撃事態法案」で、憲法で保障された「国民の自由と権利」の制限をうたいあげていることにはっきりと示されているように、戦時強権支配体制を導入して「戦争ができる国家体制」を築き上げることを目指すものであった。
 だが「有事3法案」はついに二〇〇二年には成立しなかった。法案自体の極度のずさんさ、「米ソ対決」時代からの伝統的な「大規模日本侵攻」を想定した時代後れの「日本有事」概念と「大規模テロ・ゲリラ」をふくむ「新しい脅威」概念の混在がもたらす不整合、鈴木宗男スキャンダルによる国会審議の大幅な遅延と自民党内の足並みの乱れ、そして「陸海空港湾労組二十団体」や宗教者・市民団体が呼びかけた反対運動の拡大などの諸要因が結びつき、通常国会では大幅な会期延長にもかかわらず衆院特別委員会での採決もできないまま「継続審議」となったのである。秋の臨時国会でも有事法案はまともな審議もなしに先送りとなった。
 その一方、この有事=戦争法案がめざす「戦争ができる国家体制」作りは、ブッシュの「グローバル戦争」のイラクへの拡大、日本人拉致事件という金正日軍事専制体制の国家犯罪の焦点化を通じた北朝鮮に対する排外主義的戦争キャンペーンの拡大を通じて、確実に進行していると言わなければならない。イージス艦の派遣を通じた「集団的自衛権」発動容認の既成事実化、自衛隊イラク派遣新法案の準備、十二月十四日に報道された「国際平和協力懇談会」(福田官房長官の私的諮問機関)の「多国籍部隊支援新法案」提言などがそれである。
 憲法改悪問題に関しては十一月一日に衆院憲法調査会の「中間報告」が発表された。それは確実に、改憲プロセスの重要な一環として位置づいている。「憲法改正国民投票法案」上程の動きも浮上している。「日の丸・君が代」の「国旗・国歌」としての教育現場での強制をベースに、十一月十四日には中央教育審議会が教育基本法改悪に向けた「中間答申」を発表した。答申の内容は「愛国心」「たくましい日本人」など、国家主義を前面に押し出したものであり、これが有事3法案や憲法改悪とセットになった「戦争ができる国家体制」のイデオロギー的基礎を提供するものであることは言うまでもない。

「小泉改革」が加速する経済破局

 しかし、こうした既成事実としての「戦争ができる国家体制」作りの進行は、そのまま小泉内閣への安定した支持を伴ったものではなかった。むしろ一五四通常国会の冒頭から小泉内閣の求心力は急速に失われていったのである。小泉内閣への支持率は田中真紀子外相の解任を通じて下落しはじめ、鈴木宗男スキャンダルによってさらに急降下し、夏にかけてはついに不支持が支持を上回るところにまで達した。有事3法案の不成立は、小泉内閣の政策展開能力の喪失を象徴する出来事だった。その後、九月十七日の日朝首脳会談をきっかけに支持率の上昇が見られたものの、十二月の世論調査では再び下落して五〇%を割り込んでいる。これは十月に比べて一五ポイントの大幅下落であった(毎日新聞、02年12月16日)。
 ここには、小泉内閣が掲げた新自由主義的な「構造改革」路線の前に立ちはだかり、「小泉改革」自体が増幅させることになった日本資本主義の深刻きわまる危機が存在する。二〇〇一年度の国内総生産(GDP)成長率はマイナス一・三%、二〇〇二年も、五月に「景気底入れ」を宣言したものの、十一月の月例経済報告では早くも「下方修正」が行われ、デフレ危機のいっそうの加速化が進行している。二〇〇一年の企業倒産は二万件を超え、負債総額十六兆千四百億円とワースト2の記録となった。
 十一月末に総務省が発表した労働力調査結果によれば、十月の完全失業率は五・五%(三百六十二万人)と過去最悪に並び、九月まで五カ月連続で五・四%という横ばい状態から、再び悪化の上昇カーブを描きはじめた。男性失業率は過去最悪の五・九%である。この数字は、大卒・高卒などで進学や就職をあきらめた人など「無業者」を入れれば一〇%に達するだろう。
 十月三十日に小泉内閣が決定した「総合デフレ対策」は、その中心である「不良債権処理加速化」を通じて、倒産と失業のテンポをいっそう早め、日本資本主義の経済的破局を決定的に深化させることになる。「デフレ対策」がデフレ危機を決定的に手繰り寄せるものになっているのだ。
 帝国データバンクの中森貴和情報取材課長は書いている。
 「今後の見通しだが、03年以降、業種、規模を問わず、これまでとは異なるレベルでの倒産ラッシュの口火が切られる可能性が大きい。というのも不良債権同様、倒産予備軍は水面下では膨張し続けており、倒産急増を促す材料が次々と積み上がり、臨界点が目前に迫っているからである……何としても公的資金注入を避けたい銀行の思惑から、当面は大手問題企業の短期集中処理は回避されそうだが、枯渇寸前にある銀行の処理原資の範囲内での中小零細企業の最終処理が加速することになる。たとえいかなる中小企業対策を講じたとしてもその効果はあくまで限定的であり、構造的な本業の落ち込みぶりを見るにつけ、もはや淘汰の波を押しとどめることはできない」。
 中小企業への「貸しはがし」が強烈に進行し、かつてないほどの倒産の嵐が吹き荒れているが、言うまでもなく問題は中小企業に止まるものではなく「上場企業の本格的淘汰」もこれからだ、と中森は述べる。いずれにせよ「もはやソフトランディングは不可能であり、かといって再編への道筋はいまだ見えてこない」(中森貴和「倒産・失業はこれからが『本番』だ」、『エコノミスト』02年12月24日号)。
 道路公団民営化問題などをめぐる自民党内からの批判の噴出は、新自由主義路線による戦後的な国民統合支配体制=企業主義と政官財ゆ着の「利益配分システム」の解体過程が、グローバル資本主義の危機の進行そのものに基づいて重大な抵抗を生み出していることの表現である。この「抵抗」は、労働組合運動をはじめとする大衆的な社会的抵抗運動の事実上の不在、さらには野党の解体状況に規定されて、もっぱら旧来の既得権にしがみついた自民党内からの「小泉批判」という形で表現されている。
 しかし、日本資本主義の財政・金融危機は、そうした旧来的な弥縫策によって解決されるものではない。新自由主義的グローバリゼーションの下での日本資本主義は、大規模な企業整理=倒産と失業、正規雇用の破壊と賃金・労働条件の徹底した切り下げ、公的福祉の切り捨てと大衆収奪によって、「グローバル競争」を生き延びることに進路を見いださざるをえない。
 十一月十九日に例年より一カ月前倒しで発表された政府税制調査会の「03年度税制改正答申」は、徹底した大企業・金持ち減税(企業向け研究開発支出減税、設備投資減税、相続税の最高税率引き下げ)と大衆増税(配偶者特別控除の廃止、酒税・たばこ税の引き上げ)や、外形標準課税の導入を盛り込んだ。日本経団連の奥田会長は「二〇〇四年度以降、消費税率を毎年一%ずつ一六%まで引き上げる」という提案を行っている(11月26日)。

無気力な現状追随に抗する闘いを

 小泉内閣の求心力の喪失と自民党内からの小泉批判の拡大によって、二〇〇三年中に「ポスト小泉」体制が準備される可能性を否定することはできない。すでに二〇〇三年早期の国会解散・総選挙も取り沙汰されている。
 だが「ポスト小泉」のコースは、小泉の採用した新自由主義的「改革」と「戦争ができる国家体制づくり」という路線を軸にしたものにならざるをえないのである。新たな政党再編は、戦後国家の利益配分構造に依拠した既得権勢力との妥協の範囲とテンポ、この路線のさまざまなニュアンスを持った適用という形で進行していくだろう。
 それは国会内野党勢力の事実上の崩壊状況にも規定されている。九月の代表選挙で鳩山由紀夫を再選した最大野党・民主党は、幹事長人事をめぐる迷走や十月の衆参一斉補欠選挙での惨敗を受けて鳩山代表の責任問題が噴出した。自由党との統一をめぐる独走を最後の引き金にして鳩山は国会会期中の代表辞任を余儀なくされ、菅直人が代表の座に返り咲いたが、熊谷弘前副代表の離党と与党・保守党への合流など、民主党の危機は不可逆的に深まるばかりである。
 「改憲派」から「9条護憲派」までの幅を抱え、自民党に代わる「政権の受け皿」という一点で結集した野党・民主党は、今や新たな政党再編の「草刈り場」の様相を呈している。極小勢力に転落した上に、相次ぐ離党議員を生み出した社民党も、朝鮮労働党の「友党」としての関係も問われることで自壊局面に入りつつある。
 政権政党内の抗争を通じてしか小泉内閣に対する「抵抗」が国会内部で表現されないという現実は、政治に対する「国民的」フラストレーションを蓄積させている。それは一方では、自治体選挙、とりわけ首長選挙での非政党候補の当選という形で表現された。県議会の不信任を受けた長野県知事選での田中康夫前知事の圧勝(9月1日)、兵庫県尼崎市長選で市民運動が支持した新人・白井文候補の当選(11月17日)は、その現れである。
 しかしこうした自治体選挙での非政党候補への支持は、国政に場を移した場合、戦争国家体制づくりと新自由主義的「改革」路線に対する労働者・市民の抵抗に対する「受け皿」の不在という現実に直面することになる。このジレンマを短期的に克服することはできない。
 たとえば北川正恭三重県知事を中心に据え、地方分権と情報公開を旗印にした「北川新党」が取り沙汰されている。しかし、この「北川新党」の政策は「現在のセーフティーネットなき猪突猛進型である小泉・竹中路線とそれほど変わらない」とその推進者の一人である新藤宗幸・千葉大教授が述べている通りである(「労働情報」02年12月15日号)。ただし新藤は、自ら`二周、三周遅れのサッチャー主義aと規定する、この「北川新党」の政策について「ここまで悪くなってくると一回そうやってもいいのかなと思わないわけではない」「そこにできる政党で本当にいいのか、経済政策の面でも榊原(`ミスター円aと言われた元大蔵省参事官で現慶応大教授)が書いている分権研究会の政策案で本当にいいのかという思いは残るが、現実にはそう動いていくだろう」とシニカルに語るのみである。
 われわれは「現実にはそれ以外にない」という悲劇的な現状追随に身を委ねることはできない。戦争国家体制と新自由主義的「構造改革」に対する広範な社会的・集団的抵抗の発展を基礎にしてしか、いかに困難であろうとも「オルタナティブな政治勢力」への展望を現実化することはできないのである。同時にそうした立場からわれわれは、労働者・市民運動とともに四月統一地方選、さらに二〇〇三年中にも予測される総選挙に向けて可能な関わりを追求していくだろう。

戦争を止める共同行動に全力を!

 冒頭で述べたように、われわれは二〇〇三年初頭にも開始される可能性があるブッシュ政権による対イラク全面戦争と小泉内閣の戦争協力・参戦を阻止する闘いを、広範な労働者・市民の共同行動として発展させることに全力をあげなければならない。それは有事3法案制定と憲法改悪に反対する行動をいっそうの広がりと厚みをもって持続的に推進していく課題とセットのものである。また、この反戦運動を、多様な広がりを持った反グローバリゼーション運動を日本の地に定着させていく課題と結び付けて推進していくことが、われわれの主体的責務となっている。
 二〇〇一年末に結成されたATTAC―ジャパンは、二〇〇二年十月にフランス農民連盟のジョゼ・ボベを招請した集会を全国五カ所で開催し、計二千人を上回る結集をかちとった。このキャンペーンの成功は、日本における反グローバリゼーションの運動を労働者、農民、市民の新自由主義に対抗する社会運動として作りだしていく上で、それにふさわしい出発点を築き上げた。二〇〇三年一月に開催されるインド・ハイデラバードのアジア社会フォーラムとブラジル・ポルトアレグレの第三回世界社会フォーラムへの日本からの参加は、反戦・平和運動と反グローバリゼーションの運動の結合にとって重要なステップとなるだろう。
 同時にわれわれは、二〇〇一年の「9・11」のテロや「イスラム原理主義」の評価をめぐって、このテロ攻撃を賛美する中核派や革マル派、あるいは「反テロに反対」という人びととの論争を行ってきた。また北朝鮮・金正日軍事独裁政権の「拉致」という国家的犯罪に対して、その正面からの批判をためらったり、相対化する人びととの論議を積極的に展開しようとしている。排外主義的国家主義意識との闘いと金正日体制の国家犯罪を糾弾する闘いを同時的に進めることが必要なのである。
 二〇〇二年八月に開催されたわが同盟の19回全国大会決議は次のように述べた。
 「われわれは、新自由主義とグローバル戦争に対する抵抗と、『もう一つの世界』をめざすオルタナティブを『グローバルな平和・人権・公正・民主主義』という方向で推進していくことによって、グローバリゼーションに対する闘いを『もう一つの資本主義』の枠内で構想しようとする限界を、ねばり強く克服していこうとする。この闘いを、グローバリゼーションの枠組みそのものを否定するラディカルな反資本主義の論理、そしてスターリニズムをトータルに否定する社会主義再生の論理へと発展させるために意識的な闘いを進めていかなければならない」。
 われわれはそうした立場から、一貫した闘いを発展させていくことを決意している。一月十八日に予定されているアメリカや世界中の反戦統一行動と連帯した「WORLD PEACE NOW 1・18 もう戦争はいらない〜わたしたちはイラク攻撃に反対します〜」の行動(午後1時、日比谷野音と小音楽堂)の成功を皮切りに、二〇〇三年の闘いを力いっぱいスタートさせよう! (平井純一)


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