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パンフ紹介 日韓民衆連帯全国ネットワーク発行--500円                                  かけはし2002.2.25号より

『韓国在野民衆運動内路線論争論文集』

--金大中政権退陣論をめぐって--


民族民主戦線か反新自由主義戦線か

  昨年末に、日韓民衆連帯全国ネットワークが「韓国在野民衆運動内路線論争論文集―金大中政権退陣論を巡って」と題するパンフレットを発行した。このパンフには、昨年上半期に発表された四つの論文が翻訳されている。
 民主主義民族統一全国連合の機関紙『民』から、パク・セギル編集人の二つの論文――「広範な民族民主戦線に基づく自主的民主政府の樹立」、「金大中政権に対する民族民主陣営の対応」。そして社会進歩のための民主連帯の機関紙『月刊社会進歩連帯』から、ホン・ソンマン編集室長の二つの論文――「民族自立経済を批判する」、「民族民主戦線の限界と反新自由主義連帯戦線の形成課題」である。
 両者の論文からは、今日の韓国民衆運動の展望と任務の設定にあたって、根本的ともいえる対立点が明確に浮かび上がってくる。まずは、両者の論文の特徴点を簡単に紹介してみることとする。

反米自主化闘争を基軸とする主張

 パク論文は、李承晩政権以降の歴代政権はすべて親米従属政権だと規定し、金大中政権も、IMF信託統治のもとで、そうした政権に転落したと分析する。そうした評価の上でパク論文は、「反米自主化闘争」を基軸とする一貫した主張である。
 結論的にいえば、パク論文は、韓国における親米従属政権を打倒し、民族自主政権としての自主的民主政府(民族民主連合政権)を樹立するために、その推進力として、労働者、農民を主軸とする広範な統一戦線としての民族民主戦線を形成することを最大の課題として設定している。
 そして、こうした大衆的な戦線を形成するための戦略として、反米闘争と統一運動を位置づけている。反米闘争の核心を在韓米軍撤退闘争として、「反米なのか親米なのか!」、民族の「和解なのか対決なのか!」という二者択一を迫る「対峙戦線」を積極的に形成してゆこうとする。したがって、この二者択一の分岐が、統一戦線ののための基準となるわけである。市民運動への対応、金大中政権(とりわけ統一運動をめぐって)への対応も、こうした基準に基づいて判断されることになる、また、別のホン論文が強調する「反新自由主義闘争」に関しても「反米感情」の急激な拡散と位置づけることによって、反米自主闘争の枠に集約されている。

新自由主義反対を基軸にする立場

 ホン論文は、今日の韓国経済の危機について、高成長の中でも財閥中心の輸出指向的工業化の結果、対外的な国際収支の危機と、対内的な労資の階級対立の緊張などの危機的な要素を常に内包してきたのであり、新植民地―従属的蓄積がもたらした国民経済の構造的危機だと分析する。
 また、IMF経済危機の中で、民主労総の金大中政権退陣闘争宣言以後の労働者民衆闘争に対する金大中政権の民衆弾圧は、軍事政権の暴政に匹敵するものだとする。その上で金大中政権は、帝国主義勢力の徹底した執行者として、韓国社会に新自由主義的メカニズムを形成し、太陽政策(対北朝鮮政策)を通して、帝国主義への従属を深めていると評価する。
 さらにホン論文は、パク論文の根底には、階級矛盾を通した変革への限界を前提にして、民族的要求―反米自主化闘争により力量を拡大しようとするものがあると批判する。その上で、現実的に進行する新自由主義的な矛盾との闘争を水路とすることにより、労働者、農民、貧民の階級的利害を通して、直接的に反帝闘争が提起されているとし、また、その反帝闘争は反新自由主義闘争の労働者国際主義の流れのなかに方向を見いだすべきだと主張する。そしてそうした観点から、新自由主義改革勢力の一部として機能している市民運動の主流的傾向を批判するのである。
 また、統一運動に関しては、労働者民衆の政治的進出と闘争が伴わない状況下での(支配勢力による)南北関係の改善に振り回されるべきではないと主張する。

具体的実践の中での大衆的な論争

 以上、簡単に紹介してみてもわかるように、両者の論文から韓国民衆運動(革命)の展望(主体形成も含めて)にかかわる違いが鮮明化している。さらに注目しなければならないことは、民族民主運動の中心体として九一年十二月に結成された「全国連合」と、現在の民衆闘争の主力部隊として成長した民主労総の運動と闘争の実践の中で、論争が大衆的に展開されているということである。
 ここで見られる論争の根底には、八六年春に日本でも紹介されたいわゆる「NL―PD(CA)論争」がある。その論争は、韓国社会の性格をどのように把握して、民衆運動の戦略として理論化してゆけるのかという作業の中から発生した。その作業と論争は、マルクス主義理論の研究を基礎としながら、八〇年代の中旬以降、多くの運動家から学者まで急速に広まっていった。いわゆる「社会構成体論争―階級構造論争」として、韓国資本主義の性格規定と革命戦略の方向性を確定していこうとする作業と論争である。
 論争は、「植民地半資本主義論」と「新植民地国家独占資本主義論」の対立構図として展開された。前者は、南北分断の現実と米帝国主義の影響から、民族解放と広範囲な階級連帯による変革主体形成の必要性を主張する。一方後者は、従属的ではあるが韓国独占資本の自立化と支配階級の成長により階級矛盾が顕在化しており、労働者階級を主体とした社会変革を主張する。
 こうして展開される論争が、大衆運動のなかで表面化したのは、八六年五月の仁川民衆闘争においてであった。八三年の学園自律化措置(民主化闘争で解雇、除籍された教授、学生の復帰)以降、急激に力量を回復し、八四年十一月には全学連結成に至るまでに成長してきた韓国学生運動が、大衆闘争の現場で分裂して登場したのである。反米闘争の大衆的展開を強調するNL派の学生闘争機関である「自民闘」と、階級矛盾と労働者主体論を強調するPD(CA)派の学生闘争機関である「民民闘」の部隊として二分されたのであった。
 学生運動の分裂は、戦略論争の深化と大衆化の過程で必然的であったといえる。そしてその背景には、八三年以降の韓国民衆運動の回復と闘争経験の蓄積があった。ターニングポイントは八五年二月の総選挙(数々の不正があったのにもかかわらず)で、新生野党の圧勝と軍部独裁与党の惨敗という情勢の到来であった。独裁政権は、三月に金大中、金泳三の政治活動の禁止措置の解除を通して、野党との話し合いに持ち込もうとしていた時に、五月の米文化センター占拠闘争が展開された。この闘争は、反米闘争の本格化を刻印することとなった。一方、六月には大宇アパレル争議と九老工団連帯ストや、大宇自動車争議などでの労学連帯(大学出身者の労働現場への進出)闘争の深化があった。また労働運動においても、政治色の強い労働団体として、ソウル労連、仁川労連などか続々と結成されていった。闘争の実践を通して、論争が深化し大衆化してゆくという状況がつくり出されていったのである。
 こうした闘争の経験と、闘争主体の形成が、軍部独裁の激化する弾圧をはね返して、軍部独裁の生きの根を止める八七年六月民衆抗争と、その後の労働運動の全国的で爆発的な高揚を準備したといえる。
 その後、三度の大統領選挙をめぐって展開された論争と分裂(金大中批判的支持派と民衆の独自候補派など)、全国連合強化論と階級政党形成論の対立などが表面化した。今回のパンフにも見られる対立は、いわゆる「NL―PD論争」を根源とする論争が、数々の弾圧に屈せず展開される生きた実践経験を媒体としながら、今日まで深化されてきていることを示しているのである。
 こうして、生き生きとした現実の大衆闘争の実践を通しながら、路線論争を展開する今日の韓国民衆闘争は、日本のこれまでの運動のなかから何を最も学んだのか。ひとつは、論争を内ゲバ主義的に展開することが、民衆闘争の命取りになるということである。もうひとつは、親帝国主義的労働運動への堕落が労働者の階級的利害にとって命取りになるということである。
 しかし、日本のこれまでの運動を反面教師として否定的に見る一方で、反帝―南北統一闘争や労働運動などを通した、国際主義的な連帯を切実に求めているのも事実である。それは韓国民衆闘争の勝利にとって、最も強力な国際的な同盟力としての日本の進歩的な民衆勢力の再生が不可欠だと考えているからに他ならない。     (高松竜二)


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