かけはし重要記事

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アジア民衆フォーラムに参加して           かけはし2002.2.11号より

香港に結集したアジアの反グローバル化運動 (4)

早野 一


深せん特区の厳しい労働事情

 フォーラム終了の翌日、香港に隣接する中国の経済特別区の深せんを日帰りで訪れた。香港から深せんへは電車で境界まで行き、そこから歩いていく。手続きを終えて出入境ビルをでると、地下鉄を建設中ということもあってごったがえしている。深せん市街地に入ると奇妙な形の高層ビルが建ち並んでいる。銀行やホテルだ。小平の肖像画と深せんのビルの街並みが描かれた大看板にある「党の基本路線を堅持しよう 百年間不動である」というスローガンも健在だ。
 深せんでも比較的早い時期に開発が進んだ八卦嶺地区を訪れた。到着した時は丁度昼休みの時間帯だったこともあり、街頭には労働者が昼食をとりに出てきていた。こちらも適当に食堂に入り、昼食をとりながら、向かいに座っていた若い男性の労働者と話をしてみた。
 数年前に湖南省から出稼ぎにきたという二十三歳のAさんは、農業を営む両親の負担を軽くするために深せんにやってきた。八人きょうだいである。現在は三十人ほどの家具工場で働いている。「景気はどうですか」と話しかけると、「あまりよくないね」と。「人材募集の掲示板にはいっぱい仕事があるようですが」と聞くと、「いやそうでもないよ。仕事はなかなか見つからない」と。
 Aさんの給料を聞くと、千三百元程度。香港の友人から聞いていた深せんの平均賃金や、街頭のあちこちにある人材募集の張り紙にあった賃金よりもかなり高い。「そうですか、そう悪くないですね」と返事を返したところ、「でももう三カ月も賃金が支払われていないんだ」と。
 少々驚いて「組合とかないのですか?」と聞くまでもない質問をしてみたところ、「組合?」と、労働組合のことをよく分からない様子。「香港では労働者が自分たちで組合を組織して、未払い賃金の支払いとかを勝ち取っているんですが。これは労働者の権利なんですが」と説明した。「香港ではそうなんですか…」と返事したAさんに「労働局にかけあっては?」と聞いてみたところ、「そんなことをしても無駄さ、あの人たちも忙しいし。それにこっちもクビになるかもしれないし」と元気のない返事だった。昼休みが終わる時間になったのでAさんとはその場で別れた。夕方になって深せんを離れ、香港に戻る。
 深せんで出稼ぎの女性労働者への支援を目的としたNGOで働く香港の友人に聞いたところ「よく聞く話ね」と。このNGOは公然とは争議支援はできないが(そんなことをしたら追い出される)、いろいろな相談を持ちかけられたりアドバイスをしたりしている。もちろん現地の政府機関がほとんどそういった争議を積極的に解決しようとしないこともよく知っている。
 中国の中央テレビ局が、このNGOの特集を組んだ番組を見せてもらった。香港では女性問題に関する活動を行なっているこのNGOは、現地の共産党地区委員会との協力で深せんに事務所を構えて、女性労働者に対する安全衛生や労働法の講習会やレクリエーション活動をしている。また専用のマイクロバスで市内を回り、現地の医師の協力で出前健康診断や移動図書館などを行っている。
 番組の中であるスタッフは、女性労働者たちのかかえるさまざまな困難を具体的な事例をあげて紹介していた。この番組はこのNGOの活動を肯定的に紹介していた。香港の友人に聞いたところによると、香港人のスタッフだけでなく、現地でボランティアとして活動に参加してくれている女性労働者たちが、非常に積極的になっているそうだ。出稼ぎ労働者、特に女性労働者の置かれている立場は厳しいが、こういう話を聞くとすこしだけ希望がでてきた。

香港市街地を一望する所で

 翌日、香港の友人がハイキングに誘ってくれた。香港島にある太平山という、香港の市街地を一望できる場所だ。台湾からの参加者も一緒だ。山は市街地につながる中腹からトラムで山頂近くまで行くことができる。そこから山頂まで半時間程度の軽いのぼりが続く。歩きながら色々な話をした。
 「ここは百年前まで中国人は立入り禁止だった所なんだ。はじめてここに別荘を構えた中国人も片親がイギリス人。『半分がイギリス人ならいいだろう』というイギリス帝国主義者のお慈悲さ!」と香港の友人が言う。ビクトリア港を挟んで九龍半島先端と香港島の繁華街が一望できるところにきた。
 九龍半島の奥に遠くかすんでいるのは、新界地区。その向こうが中国だ。九龍半島に眺めを移すと、新たな埋立地が建設されている。「これじゃあいつか陸続きになっちゃいますね」と香港の友人に聞いたところ、「あの埋立地? あそこは香港一の大富豪の息子が経営している不動産会社が開発を受注したんだよね。ところで先日のデモで警察が指定したコースの終点はあの埋立地だったんだよ。あんな誰もいないところで解散集会してどうするってんだ」との返事が返ってきた。
 話は民衆フォーラムにも及んだ。多くのNGOメンバーや労働組合が関わったが、グローバリゼーションという切り口でフォーラム、集会、デモを開くことができたのは、先にも触れた『グローバリゼーションモニター』という雑誌に集まるメンバーが意識的に組織をしたことによるものが大きかったようだ。
 この雑誌は九九年に創刊され、その後ほぼ隔月ごとにさまざまな観点からグローバリゼーションの諸側面を取り上げてきた。労働、環境、女性などの分野で活動する意識的な活動家が十五人ほど集まって編集委員会がつくられている。一年ほど前から準備をはじめ、労働NGOや生協運動、キリスト教団体など幅広く組織した。「今後はこの枠組を継続していくんですか?」との問いには「できればそうしたいが、難しいだろう。『グローバリゼーションモニター』を中心に、反グローバリゼーション運動を模索していきたい」とのことだった。
 「ところでフォーラム最終日に『行動綱領』云々と長々と話していた彼は誰だか知ってるかい?」と聞かれ、「いいや」と返事をした。そう言えば話の冒頭に「いま香港の運動には行動綱領が必要である」と言い、長々と要領のつかめない問題提起をした男性がいた。
 僕のとなりに座っていた通訳の人が途中で「これは僕の意見だけど、もう十五分も話しているけど、彼が最初に言った『行動綱領』が何をさしているのか、まったくわからない」とこぼしていたのを思い出した。「実はあれは、私の『啓蒙導師』(自分をオルグした先輩という意味らしい)でね、かつては革マ盟の中心的活動家だった人なんだ。最近はポストモダニストと活動をしているそうでね」と肩をすくめて教えてくれた。となりで聞いていた台湾の友人が「え? そんな人いたっけ? 何語で話していたの? 英語? 中国語?」と本当に驚いたように聞いてきた。「彼もあれだけ『行動綱領』を提起したのにまったく可哀想だ」と大笑い。
 台湾の彼だけは「まったく思い出せない」と一人首をひねっていた。フォーラムや集会には現役、「引退」トロツキストだけでなく、学生運動で活躍し、現在もさまざまな活動を継続している活動家なども参加していた。なかにはかつて学生運動で活躍し、現在は香港有数の不動産会社の会長となっている人物もフォーラムに参加していた。香港の友人は「やはり不安なんだろう、今のグローバリゼーションが今後どうなるのかと。彼は結構社会活動に寄付をしている」と教えてくれた。
 陽も傾きはじめたので下山し、フェリーで九龍半島側へ帰ることにした。途中のショッピング街で、民衆フォーラムにも参加していた学生たちのグループの情宣活動に出会った。あいさつをしてチラシを受け取る。「大量消費社会にNO!を」というようなアジビラだ。「彼らは大型スーパーに対してボイコット運動を提起しているんだけど」と少々困ったような表情で先駆社の友人が教えてくれた。
 「個人的には仲はいいんだけど、民衆フォーラムの実行委員会でも『フォーラムは屋外でやるべきだ。デモは警察に規制されたら無届けでもやり通す』と言って聞かなかったんだ。そういうことは全体に迷惑がかかるから自分たちだけでやってくれ、って言ったら実行委員会にはこなくなったけどね」と教えてくれた。どこにでも後先を考えない元気な連中はいるもんだ。
 しばらく歩くと埠頭に到着した。フェリーには帰宅する香港人がたくさん乗りこんでいた。真っ暗な海面に映る原色のネオンが飛び交う広東語の会話と溶けあっていた。ホテルは午前中にチェックアウトしていたので、先駆社の仲間L君のアパートに宿泊させてもらった。L君はすでに結婚を誓い合ったパートナーと同棲している。障がい者の施設で介護の仕事をしており、ローテーションなので、帰宅も遅くなることが多いそうだ。「すいません。申し訳ないです。日本に来た時はぜひうちに」と何度も頭を下げたのは言うまでもない。    (つづく)


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