かけはし重要記事

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                          かけはし2002.10.7号より

日本革命的共産主義者同盟(JRCL)第19回大会決議 -- 情勢と任務(4)

4 新しい階級関係と労働者・市民運動の分岐


(1)

 小泉の「構造改革」路線は、10年以上に及ぶ日本資本主義の底無しの不況とグローバル資本主義の危機のいっそうの深まりの中での今日のブルジョア支配階級の総路線を戦略的に体現したものである。それは、医療・年金・福祉・教育などの「公的支出」をいっそう削減して市場主義的競争原理に委ね、「規制緩和」やリストラの名の下に大量の失業者を排出し、無権利の不安定雇用を全面的に導入し、労働条件や実質賃金を切り下げるものであり、労働者階級・市民の犠牲の上に、グローバル競争の中で生き残りをはかる資本の利害に基づいている。
 それは、1980年代以後すでに20年以上にわたって大規模な「集団的抵抗」の闘いを解体されてきた日本の労働組合運動に残された最後の「既得権」を消滅させるものとならざるをえないだろう。小泉が推し進める新自由主義的構造改革路線は、徹底した「能力主義」にもとづく「優勝劣敗」「自己責任」イデオロギーを普遍化させ、戦後の国際的な労働運動、市民運動が闘いの中で蓄積してきた平等、公正、社会的連帯、人権などの理念をも「時代おくれ」なものとして放棄する方向に向かいつつある。
 「9・11」以後の「テロとの闘い」を名目とした「民主主義」的帝国主義諸国における「裁判ぬきの拘留」などの強権主義的な民主主義的諸権利の破壊、難民や移住労働者に対するレイシズムそのものともいえる排除は、小泉政権の「有事」国家体制作りの中にも貫かれている。「国民」としての国家への服従が「日の丸」「君が代」などを通して「自発的」「内面的」な形をとって誘導されるとともに、警察的な「監視」と「管理」の網の目が日常的に強化されていく事態が作りだされていく。石原都知事の「不法入国中国人」を「犯罪者」「治安攪乱要因」として住民の排外主義をあおる一連の発言や、「住基ネット」を通じて現実化される「国民総背番号」体制は、小泉政権が推し進める新自由主義「改革」とセットの「戦争国家」体制作りの構造的な一環を形成しているのである。


(2)

 「連合」指導部は、こうした新自由主義と新たな国家主義の攻勢を通した労働者階級の諸権利剥奪、失業と不安定雇用の全般化、超長時間労働と「サービス残業」に有効な反撃を行うことができないばかりか、イデオロギー的にもそうした資本の攻撃を補完する役割を果たしつつある。
 しかし、既存の労働組合運動が敗北と屈服を繰り返す中で、労働者階級の不満と抵抗の基盤はいまだ社会的・集団的な形をとってはいないとはいえ、確実に醸成されざるをえない。
 日本の「伝統的労使関係」の安定性の基盤であった大企業における終身雇用制と年功型賃金制度はすでに崩壊し、パート、派遣などの無権利・非正規雇用形態が、公務員と民間を問わず急速に拡大している。「雇用均等制」や「男女共同参画社会」がうたわれる中で、こうした雇用形態の変化と結びついて事実上の男女差別賃金はむしろ拡大している。労働者の実質賃金はすでに着実に低下しつつあり、年金・医療制度等の福祉の改悪、税制改悪などを通じて、社会的な貧富の差の拡大と「底辺への競争」が進行し、「豊かな社会」の幻想は解体している。
 こうした旧来の労働組合運動の存立基盤そのものを大きく揺るがす新自由主義的な社会再編の中で、連合から全労連をもつらぬいて労働組合運動の新しい戦略の模索が始まろうとしている。たとえば、「オランダモデル」の「ワークシェアリング」が資本の側からも連合指導部からも大失業時代の新たな雇用モデルとして提示されはじめている。しかしそれが、正規・パート労働者間の賃金・権利の差別を固定化した上で導入されるものである限り、労働者の賃金と権利を押し下げ、不安定正規雇用の解体をいっそう促進する口実にしかなりえないことを指摘しなければならない。
 新自由主義的な社会再編に対する失業と権利破壊に対する労働組合の集団的抵抗闘争の復権を企業主義と一国主義を超えてどのように作りだそうとするのか。左派労働組合が挑戦すべきこの課題に、われわれはともに取り組んでいかなければならない。
 国労の闘う闘争団は、国労執行部が「四党合意」を受け入れ、それを批判する人びとを排除するというきわめて困難な条件の中で、原則的な闘争を堅持し、リストラ・失業に対する社会的闘争としての普遍化をめざしている。郵政全労協や電通労組全国協などの独立・少数派組合は、今日の民営化、リストラ、権利剥奪の攻撃に対する抵抗の拠点を作りだすために奮闘している。昨年に行われたフランスSUDの招待・交流の活動は、こうした闘いを反グローバリゼーションの観点から国際的な展望をもって作りだす方向性を打ち立てるものであった。
 われわれは、ヨーロッパ、アメリカ、韓国など今日の国際的な労働者運動の貴重な経験を積極的に共有化しつつ、連合など既成労働組合運動の流動化の可能性にも着目しながら、新たな社会的労働運動のための拠点をめざさなければならない。
 労働者が具体的な闘争経験を通じて、階級的団結の必要性と労働組合運動を「再発見」し、政府・資本と対決する全国政治闘争の必要性を「再発見」するための契機となりうるキャンペーンが決定的に必要である。今日の有事法制=戦争国家体制づくりと対決する労働組合レベルのナショナルセンターを超えた共同闘争の経験は、そうした観点からいってもきわめて重要であり、20労組を軸にした闘いの構造を発展させるためにわれわれは全力をつくす必要がある。


(3)

 新自由主義的グローバリゼーションと「戦争ができる国家体制」づくりが進められる中で、NGO、市民運動、女性運動などの側も新たな再編と分岐に直面している。
 ヨーロッパ「緑」が、社民党主導政権に参画する中で「人道主義的介入」という名の下にユーゴスラビアやアフガニスタンへの戦争を積極的に是認したことは、その一例であった。国際協力NGOグループの中には、帝国主義国家による新たなグローバルな軍事介入には沈黙して、事実上各国政府の侵略的対外政策を「市民」的に補完する役割を果たす傾向も生み出されている。政府とNGOの「パートナーシップ」論に基づく「参加・提言」方針が、そうした傾向を支えるものとなっている。
 「官僚支配の打破」「官から民へ」を合言葉に、小泉政権が推進する「聖域なき構造改革」に期待し、それを市民の側から支え、「応援」する流れも生み出されている。政治的には民主党と結びつくことになるこうした「市民」的流れは、一方では小泉内閣の戦争国家体制づくりや憲法改悪を批判しつつ、「小泉改革」そのものについては官僚やそれと癒着したゼネコンなどの「権益政治」を打破するという観点から、積極的な評価を与え、そこに新しい「市民派政治」の可能性をつかみとろうとしているのである。
 新自由主義を「市民」の側から推進しようとするこうした流れは、資本のグローバリゼーションを「不可避」なものとして受容するところに根拠を持っている。その主張は、小泉の「聖域なき構造改革」が「公正で平等で透明な社会」を市民サイドから実現する「チャンス」と捉えているようである。
 しかし言うまでもなく、小泉内閣が推進する「構造改革」は決して労働者・市民の民主主義的スペースを拡大・定着させるものではない。それは決して既得権を持つ者の特権を廃止し、市民が自らの「創意」に基づいて自由に参入する「公正」な「機会の平等」をもたらすものではない。
 新自由主義が実現するのは「強者」である資本の独裁であり、「弱者」としての多数の労働者・市民はあらかじめ排除されている。そこでは労働者・市民の民主主義的スペースは極度に圧縮され、少数者による上からの権威主義的な決定が強化されていく。ごく少数の経営指揮者に意思決定が独占されている今日の大企業の「トップダウン」方式が、全社会化されていくことになるのである。首相公選論者であり、首相権限の集中をめざす小泉の「改革政治」の手法にそれが表現されている。
 われわれは何よりも、小泉の「構造改革」路線による失業と雇用破壊、公共的社会支出の切り捨てに対決する行動的な抵抗を組織するとともに、「守旧派」的抵抗ではない労働者・市民の民主主義的自治に基づくオルタナティブを対抗的に獲得していく道を目指さなければならないのである。
 そのための核心的な闘いは、資本のグローバリゼーションに対する労働者・市民の多元的な抵抗を行動として結合する反グローバリゼーションの運動を社会的に発展させることにある。ATTAC\Japanなどの運動が目指そうとしているそうした目標を定着させるためにわれわれは全力をつくさなければならない。

(4)

 われわれは、資本の新自由主義的グローバリゼーションとグローバル戦争に対する労働者・市民の闘いを、グローバルな「平和・人権・公正・民主主義」を実現するという価値意識に基づいて推進していく。それは、「平和・人権・公正・民主主義」という普遍的な価値をそれを否定する現実に抗して追求するための指針であるとともに、社会主義のための闘いにとって現存する大きな溝を埋めていこうとするものである。
 資本のグローバリゼーションは多国籍企業の独裁であり、そこでは資本の利潤の無制限な追求にとっての一切の制約を「市場原理と自由競争の絶対性」によって撤廃することが至上の目標となる。その際にふみにじられるのは「国民国家の主権」だけではなく、民衆の自己統治としての民主主義的主権であり、民衆の尊厳そのものなのである。
 新自由主義的・軍事的グローバリゼーションがふみにじるものは、「第三世界」の人びとの権利と公正だけではなく、帝国主義諸国に住む民衆のそれでもある。そのことは、「テロとの闘い」の名の下でのブッシュのグローバル戦争において、そして小泉の「武力攻撃事態法案」において、如実に示されたことであった。
 かくしてわれわれは、新自由主義とグローバル戦争に対決する抵抗と、「もう一つの世界」をめざすオルタナティブをグローバルな「平和・人権・公正・民主主義」という方向で推進していくことによって、グローバリゼーションに対する闘いを「もう一つの資本主義」の枠内で構想しようとする限界を、ねばり強く克服していこうとする。この闘いを、グローバリゼーションの枠組みそのものを否定するラディカルな反資本主義の論理、そしてスターリニズムをトータルに否定した社会主義再生の論理へと発展させるために意識的な闘いを進めていかなければならない。
 「一国的護憲平和主義」の立場で今日の資本のグローバリズムに立ち向かうことはできない。「人道的介入」や「国際貢献」の論理で進められるグローバル戦争と対決することはできない。さまざまなNGOグループ、平和運動、環境保護運動、フェミニスト運動やマイノリティーの運動とともに、われわれは今日の国際的で多元的なイニシアティブの一翼を担い、「平和・人権・公正・民主主義」の価値を、社会主義革命運動の再生へとつなぐ「かけはし」とするために闘おうとするのである。(つづく)

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