寄稿
ハンセン病家族国賠訴訟(下)
戦後も続いた隔離政策
「社会防衛」イデオロギー批判へ
磯崎 繁
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1 草津楽泉園に作られた「重監房」の実態は?
「重監房」というのは通称で、正式には「特別病室」という。ここ群馬県草津町の国立療養所栗生楽泉園の敷地内に作られた施設だが、実際には治療は行われず、ハンセン病患者専用の刑務所として使用されていた。全国の療養所に監禁室が作られ「監房」と呼ばれていたが、それよりも重い罰を与えたことから、今は「重監房」と呼んでいる。一九三八年に建てられ戦後一九四七年に廃止されるまで、全国の療養所から九三人の患者が送り込まれ、そのうち二三人もの人が命を落としたと言われている。
施設は、崖を切り拓いた敷地を高さ四・五mのコンクリート塀で囲い、中は八室の独房に仕切られていた。一室の広さは便所を含めて四畳半程度。電灯の器具はあっても電源はなく、小さな明かり取り窓と食事の差し入れ口があるだけの密室だ。患者には「減食の刑」が科され、わずかな麦飯や具なしの味噌汁、または白湯が一日二回だけ与えられた。飯は麦が多過ぎて握り飯にできないため、「箱弁当」と言って弁当箱に入れて配ったとも言われている。
投獄された患者は、誰とも面会できないのはもちろん、食事を配る係の入所者とさえ口をきくことを許されなかったようだ。逃亡を防ぐために床が極端に低い造りとなっていて、夏は湿気がひどく、冬は寒さが直に伝わって来たのではないか。冬季は零下二〇℃になることもあったと言われる暖房のない部屋に監禁され、薄いふとんだけで耐えなければならない。闇、飢餓、孤独、極寒と酷暑の五つの「地獄」を備えた過酷な監房だった。
当時、「らい予防法」に基づく「国立らい療養所懲戒検束規程」によって、療養所の所長の判断で裁判も経ずに監房への収監が行われて国立療養所内の秩序が保たれていた。しかしこの運用はでたらめで「監禁期間は再度の延長を含めて最長二カ月まで」と規定されていたにもかかわらず、五〇〇日を超えて投獄された人もいた。その上に、さらに重監房を作った理由として最も大きな理由は、一九三一年に「らい予防法」が制定されると、強制収容の対象が在宅患者にも拡大された。全国で「自分たちの町からハンセン病をなくそう」という「無らい県運動」によって、急速に強制収容者が拡大し、国立療養所内に、内部の刑務所を作らねばならないとの必要性のためだった。
2 「無らい県運動」とはどのように組織されたのか
無らい県とは、すべてのハンセン病患者を隔離して、放浪患者、在宅患者が一人もいなくなったことを意味する。最初愛知県で始まったが、一九三六年「ハンセン病絶滅計画」が開始された一九三六年以降、患者を摘発し、療養所に送り込むという官民一体の運動になった。
この運動を主導したのが、らい予防協会で、渋沢栄一と内務省が中心となり、貞明皇后の下賜金と財界の寄付で作られた財団法人であった。もちろん下賜金とは名目で,無らい県運動が、皇室の恩恵のもとに行われるという天皇制を全面的に利用するものであったことは明らかだ。
らい予防協会は官民一致で一九三二年より、貞明皇后の誕生日である六月二五日を「らい予防デー」にし、「つれづれの友となりても慰めよ 行くことかたき我らにかはりて」の和歌を詠んだ一一月一〇日を「お恵みの日」と定め国民にはハンセン病予防には、隔離しかないことを訴え患者には皇恩に応えて隔離に応じるように求めるなど皇恩を強調して、絶対隔離の世論喚起を行った。
例えばらい予防協会長清浦奎吾は「一家にらいの患者を出しましたなら一家親族がみな恥じとして始末しなければならん気になりますと同様に国民同胞の間にかくのごとき患者が一万も二万もあるということはすなわち一家が一人の患者を出したならば親子兄弟親族まで恥じとし……これすなわち文明国として誇るところの我が日本に汚点なからしめる……」などとらい予防デーの講演で述べている。このようにらい予防デーは、国民の間に過大な恐怖心を形成し、ハンセン病患者への偏見を植え付け、患者の摘発を課する日になったのである。
このような無らい県運動は、全国にハンセン病患者、そしてその家族への社会からの排除の差別構造を作り上げ、戦後,平和主義と共に、国民主権、基本的人権の尊重を基本とする日本国憲法が発布、施行され、社会の民主化が図られても、らい予防法は社会防衛の手段として残り続けることになる。一九五一年になってもハンセン病問題管轄の厚生省は一九五〇年から三年間で療養所の定員を三五〇〇床も増やす計画を立て、隔離政策を推し進めようとしていた。
そして、国会で証言した光田健輔は、らい予防法を改悪してさらに厳しく強制収容できるようにと訴えていたのだ。
【訂正】前号5面ハンセン病国賠訴訟記事下から2段右から1行「旧らい」を「救らい」に訂正します。
6.3
辺野古実が月例防衛省行動
ドローン規制強行に反対!
土砂搬出は「本土」の問題だ
六月三日六時半から、辺野古への基地建設を許さない実行委員会が月例の防衛省への申し入れ行動を行った。
最初にドローン規制で防衛省と交渉を行った仲間が報告した。「六月一六日からドローンの規制が施行される。辺野古の海の環境保護のために汚濁防止膜を張ったというが全然なっていない。埋め立ての土砂は岩ズリと言っていたが実は赤土が混ざったものだ。こうしたことはドローンを使って調べて初めて分かった。今回の改正によって、基地も含まれ今後調査が出来なくなる。そこで防衛省と交渉をした。防衛省は報道の自由はある。しかし、安全保障のためには規制が必要だ。報道の規制をするという文案は入れていないなどと、のらりくらりとこちらの質問の趣旨に答えないものだった。軟弱地盤の問題や土砂投入で海を汚している問題など、ドローンを飛ばして調べようと申し入れたが満足な回答は得られなかった」。
三多摩でオスプレイの横田配備に反対している仲間は「七月一三日、自衛隊の軍拡・オスプレイ配備に反対する映画(This is a オスプレイ)「ドローン撮影の効果と暴かれた防衛局の不正」)と講演会(木元茂夫さん)を開く(国分寺労政会館)ので参加してほしい。基地から三〇〇mはドローンの規制が加わる。この警備に警察官と同じ力を持って自衛隊が加わる。言論の自由を弾圧する。絶対に許さない闘いを進めていく」と発言した。
沖縄から電話で大城悟さん(沖縄平和運動センター事務局長)がアピールした。
「キャンプ・シュワブゲート前、本部港や安和桟橋での阻止行動を始めて五年が経つ。一〇年で完成させると言われているが埋め立てはわずかに辺野古側が行われているだけだ。工事も工期も示せないずさんな計画だ。工事はいずれ頓挫する。軟弱地盤で設計変更する。知事は許可を与えない。これからもこのようなことが繰り返される。政府の横暴を止めたい。土曜日の集中行動日には九〇〇人が集まった。沖縄は新たな基地建設を止める。負けられない。連帯を強めよう。共にがんばろう」。
土砂連全国連絡協の仲間は「六月一〇日に、土砂投入反対署名六〇万筆を政府に提出する。引き続き、第二次三次と署名運動を続けていく。この土砂搬出は本土のわれわれの問題だという意識で闘っている」と報告した。
ジュゴン保護センターは「四月一九日、防衛省と交渉した。ジュゴンのBが亡くなりA、Cが行方不明になっている。ハワイのウチナンチュが米下院議員署名を始めた。六月一五日をジュゴンの日としてパフォーマンスを行う。ジュゴン訴訟の高等裁判所の審理に向けて働きかけを行う。国際司法機関にも訴えていて、検証のワークショップが行われることになっている」と報告した。
ストップ埋め立てキャンペーンは、「埋め立て企業の株主総会に対して、六月二五日大林組、五洋建設、六月二六日大成建設へ、宣伝行動を行うので参加を」と訴えた。
トランプ来日・G20反対!実行委は「六月二八日〜二九日に大阪でG20の会合がある。ヘリ空母かがでトランプが訓示したように、日米安保の強化を行う。東京でも二国間協議が行われる。戒厳体制が日常化している。グローバルな軍事力強化を止めよう。六月二五日午後六時半集合、JR新宿駅東口アルタ前からデモ出発、に参加しよう」と呼びかけた。中野陳情アクションの仲間が「中野区議会に、辺野古基地建設反対の陳情を行う。そのために署名や街頭宣伝などを行う」と報告した。
最後に埋められ連が「できない!つくらせない!辺野古新基地6・15新宿アクション(午後2時、新宿東口アルタ前集合、3時デモ出発)、辺野古へ行こう!キャンペーン第2弾(派遣カンパ運動)」が行動提起をした。
防衛省に向けて、ただちに辺野古基地建設をやめろとシュプレヒコールを行った。この日の申し入れはうちなんちゅの怒りとともに!三多摩市民の会が行った。 (M)
6.9
自衛隊増強―安保強化反対
沖縄にも練馬にも基地はいらない
陸自練馬基地にデモ
【東京北部】六月九日、自衛隊増強―日米安保強化に反対する!沖縄にも練馬にも基地いらない!6・9練馬駐屯地抗議デモが行われた。出発地点の東武東上線・東武練馬駅近くの徳丸第2公園には四〇人を超える労働者市民が結集した。
一時半から始まった集会ではまず実行委員会の仲間があいさつに立ち、有事の際の首都中枢の治安部隊としての練馬駐屯地の成り立ちから、自衛隊の実戦化にともなって強化されてきた歴史について解説し、地域から包囲する闘いを訴えた。続いてミサイル基地はいらない宮古島連絡会のアピール文が代読された。宮古島では三月四日に戦後七四年ぶりに自衛隊が上陸し駐屯を開始した。いま琉球弧の島々には自衛隊が次々と進出し、軍事化・要塞化が進行しているが、地道な闘いも粘り強く続いている。
商店街でも住民
にアピール行動
続いては参加団体からの発言。厚木基地騒音防止期成同盟、沖縄と東京北部を結ぶ集い実行委員会、沖縄一坪反戦地主会関東ブロック、立川自衛隊監視テント村と発言が続き、シュプレヒコールをあげデモに出発。買い物客でごった返す駅前の商店街を抜け駐屯地へ。正門前では申入書を読み上げて手渡し、解散地まで「練馬駐屯地撤去!」「辺野古新基地建設反対!」「安保法制廃止!」と元気にデモを貫徹した。解散地では北部労働者共闘会議、沖縄戦を考える練馬実行委員会の発言を受け、最後に実行委員会が総括を行いこの日の行動を終えた。(板)
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