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    かけはし2019年6月10日号

三里塚 一坪共有地を守りぬこう


「所有者不明」土地の「登記
管理適正化」との闘いを


買収攻撃激化許すな

 安倍政権は、資本・行政の環境破壊・乱開発を促進させる「表題部所有者不明土地の登記・管理適正化法」(五月一七日参院)を制定した。この法は、成田国際空港の完全完成化を阻む三里塚一坪共有地運動に真っ向から敵対する悪法だ。成田国際空港会社による一坪共有地強奪を跳ね返していくために一坪共有者、支援にこの悪法の危険性を伝え、三里塚大地共有運動の会とともに一坪共有地の闘争拠点を強化していこう。
 「表題部所有者不明土地の登記・管理適正化法」(適正化法)は、法務局の登記官に旧土地台帳を調査する権限を与え、所有者不明土地(@不動産登記だけで所有者が判明しないか連絡がつかない土地A相続手続きをせず、相続登記をしていない土地)の所有者の特定、所有者がわかれば登記の変更などを行う。とりわけ所有者が特定できないケースでは裁判所が選任した管理者による売却が可能となり、行政や企業に売却した代金は供託して権利を取得することができるのだ。資本や行政の要求通りに作り上げたのが適正化法なのである。
 一坪共有地運動は、三里塚芝山連合空港反対同盟の呼びかけによって一九六六年八月に開始し、一九八三年からは再共有化運動が取り組まれてきた。だが長年の三里塚闘争に連帯してきた一坪共有運動の過程で共有者が死亡したり、一坪共有地の権利を相続していないケースが発生している。
成田国際空港会社の土地買収スタッフは、現在も「綿密」な行程表のもとに一坪共有者の追跡調査および個別アプローチ、買収を続けている。この適正化法をバネにして一坪共有地に対する買収攻撃の策動を強化してくる。それだけではない。安倍政権は、適正化法の制定に止まらず、@相続登記を義務化し、期限内に手続きをしていない土地を売却可能にするA土地所有権の放棄確認の緩和促進の立法化も準備している。
 そもそも所有者不明土地対策は、安倍政権と財界の利権談合計画会議の「経済財政運営と改革の基本方針二〇一七 」の「(2)社会資本整備等」で「所有者を特定することが困難な土地や十分に活用されていない土地・空き家等の有効活用」を掲げ、「官民連携による空き家・空き地の流通・利活用等を促進するため、地方公共団体や不動産関連団体等の取組を後押しする」ことを強調した。
 「未来投資戦略二〇一七 」でも「所有者不明土地の解消に向け、相続登記が長期にわたり行われていない土地を調査して所有者の把握を容易にするため、制度改正を含めた具体的施策の検討を行い、来年度中を目途に検討結果に応じた所要の措置を講じる」としていた。この所有者不明土地対策は、引き続き一八年の「経済・財政一体改革(骨太の方針)」でも取り上げ、「二〇年までに必要な制度改正の実現を目指す」と設定した。

連絡取り合い
反撃しよう!
政府・資本の長年の願望であった所有者不明土地対策の第一弾が「所有者不明土地の利用の円滑化等に関する特別措置法」(二〇一八年六月)制定だ。この悪法によって所有者が特定できない土地を行政機関が利用できるようになった。これを突破口にして資本も買収できるようにするために適正化法の制定へと踏み出したのである。
だからこそ一坪共有地の防衛と全国運動の継続・強化、および一般社団法人三里塚大地共有運動の会への登記移転が重要な反撃となる。加瀬勉さん(元三里塚大地共有委員会U代表)は「三里塚空港反対同盟は決意を新たに一坪共有地法人化全国運動の決断をここに下した」と呼びかけ、柳川秀夫さん(三里塚芝山連合空港反対同盟代表世話人)は「(一坪共有運動の)五三年になる年月は相続の発生等、共有地の分散を考慮いたさねばならないことが多くなります。その解決策として社団法人化を進めることになりました」とアピールを発し、一坪共地有運動の法人化、法人への登記変更を呼びかけた。
具体的には三里塚大地共有運動の会(二〇一八・一〇
・二八)を設立し、「(1)会員から譲渡を受けた土地の管理 (2)三里塚闘争への支援 (3)三里塚闘争・成田空港問題についての啓発・宣伝 (4)会員間の交流,各地の空港反対運動との交流 (5)前各号に附帯関連する一切の事業」を開始している。
すでに会と共有者は連絡を取り合い、移転登記を終了した仲間たちが誕生している。多くの共有者の皆さんから調査票、登記変更同意書なども届いている。会事務局は、登記変更手続きを加速化させていく決意だ。
共有者の皆さんは、以下のようなケースがあてはまるはずだ。
@共有者が登記名義のままで、登記住所から転居してない場合
A共有者が登記名義のままで、登記住所から一回転居している場合
B共有者が登記名義のままで、登記住所から複数回転居し移転履歴書類を入手できる場合
C共有者が登記名義のままで、登記住所から複数回転居し移転履歴書類を自分では入手できない場合
D相続が発生(共有者が死去)し遺族が一人で登記変更に同意している場合
E相続が発生(共有者が死去)し遺族が登記変更に同意し遺産分割協議が成立している場合
F相続が発生(共有者が死去)し遺族が登記変更に同意し遺産分割協議が成立していない場合
各ケースによって登記変更手続きの流れがあり、各書類が必要となる。会事務局と連絡をとりながら登記変更手続きに協力してください。三里塚大地共有運動の会への入会も強く要請します。    (遠山裕樹)

■三里塚大地共有運動の会ブログ https://kyouyu-undou-no-kai.blogspot.com/

一坪共有運動法人化に寄せて

理念に立ち返り権力
の企図に反撃しよう


関東 T・S

 二〇一八年一〇月二八日、「一般社団法人三里塚大地共有運動の会」が設立された。東京・秋葉原で設立総会を開催した。同年一二月二日には文京区の文京区民センターで、設立報告集会が開かれた。集会には反対同盟員と支援者ら約八〇人が集まった。
 千葉県・成田の地に新国際空港を建設すると閣議決定された一九六六年。三里塚・芝山連合空港反対同盟が空港内の地権者から土地の提供を受けて始めた「一坪共有運動」は、五三年の歳月を経て、新たな段階に移行することになる。
 「一坪共有運動」は「大地共有運動」とも呼ばれ、土地の名義を多数の支援者らで分割し、空港公団(新東京国際空港公団・当時)による用地買収の手続きを煩雑にすることが目的の闘争戦術である。
開始当初は社会党(当時)が協力し、同党国会議員や地方議員とともに、周辺住民ら約七〇〇人が共有した。一時は約一二〇〇人にまで共有者が増えたが、公団の買収も進んでいた。このため反対同盟は一九八三年に「再分割運動」をはじめ、八五年には約一四〇〇人になった。
 半世紀以上取り組まれてきた共有運動がなぜ今、「法人化」なのか。三里塚空港は現在、第三滑走路建設、夜間発着枠の拡大、B滑走路再延伸など、空港機能強化のただ中にある。昨年六月には、所有者不明の土地を公共事業のために収用できる「所有者不明土地特措法」が成立した。
 一方で共有者は高齢化が進み、登記当時の住所からの移転や本人の死亡・相続などの問題に直面している。空港会社(成田国際空港株式会社・現)は業務として調査を進めているが、運動の側―大地共有委員会―の対応は立ち遅れ、全体を把握できていない。放置すれば、空港会社による取得が進むことは明らかとの危機感がある。
 私が「一坪再共有化」に賛同し、数名の仲間とともに土地の登記に加わったのは、今から三〇年も前の一九八八年のことである。それ以前にある先輩の同志から、すでに登記を済ませているという一人の男性を紹介され、私はその人(Aさん)に会うことになった。
 三里塚闘争と一九七八年三月の「管制塔占拠闘争」に共感していたAさんは、特定の政党や集団に属してはいないが、全共闘運動や新左翼運動を同時代的に体験したかなりの情報通で、私はむしろAさんに教えてもらうことのほうが多かった。
 一坪共有に参加していなかった私が、すでに共有者になっていたAさんと関係を持つというのも逆説的ではある。それでも「機関紙・世界革命」を媒体にした交流が数年間続いた。
 ところが、共有運動を「土地ころがし」「脱落派」などと規定し、陰惨なテロや嫌がらせで私たちに敵対していた中核派が、あろうことかAさんに目をつけ、自宅にまで押しかけていた。
 本来私たちはAさんに対して、テロからの防衛や激励の対象として、万全の対策を採らなければならなかったはずである。具体的には、対象者を襲撃する前に、その家の電話線を切断するという周到かつ悪質な手口に対して、それを非常音で知らせる「断線ブザー」という装置を、同盟員だけではなくAさん宅にも設置するなどの配慮をすることである。
 中核派だけでなく警察権力も「機関誌の読者」という理由でAさん宅を訪れた。繰り返される恫喝で仕事もままならなくなり、結局Aさんは土地の名義を反対同盟に返還した。私が他の数人とともに再共有者として加わったのは、その直後のことである。三里塚闘争のシンパを孤立無援の状態に置き、内ゲバと権力の弾圧にさらしてしまったことは、今思い出しても悔恨の念を禁じ得ない、重い出来事である。
 第一次共有運動から五三年。第二次運動から三六年、私が登記してから三〇年目。全国に散らばり、消息が不明になった仲間や、すでに他界した仲間も少なくないだろう。 
 私自身は、三里塚闘争を積極的に担っているとは言えない現状があり、その負い目によって、昨年からの流れにコメントする立場ではない。法人設立は唐突の感があったが、なんとか自分なりに理解しようと、成り行きを注視していただけの傍観者に過ぎない。
 長い空白の時間を遡り、それを埋めることは、容易なことではない。事務手続きも緩慢であるだけでなく、私のケースでは想定外のハプニングまで発生した。法人化に向けた主体の側の各々の意識――慎重さや意気込み――の違いも、いずれ顕在化するのではないか。
 時代の流れとともに、運動の側も丁寧な議論を積み重ね、勝利のための多様な可能性を追求すべきだとは思う。人はそれぞれ、さまざまな事情を抱え、困難を抱え生きている。政府に対する非妥協的な闘いが広く支持されるためには、「これなら私にもできる」という最大公約数的な人々のかかわりや支援とともに、関係者の間に起こるいかなる事態へも柔軟に対応できる英知や迅速さが欠かせない。
 今回の法人化が、共有運動の原点、その理念に立ち返るきっかけになればと願うばかりである。
       (六月二日)


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