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    かけはし2019年6月3日号

三里塚・東峰現地行動へ




.7・14三里塚・東峰現地行動の呼びかけ

?日時:7月14日(日)午後1時/場所:旧東峰共同出荷場跡(千葉県成田市東
    峰65―1)/集会後、開拓道路に向けてデモ
?会場への行き方:京成東成田駅地上 12:00集合 迎えの車待機
          /10:34発 京成上野特急 →11:41着 京成成田→11:52発 京成成田 →乗り
           換え 京成東成田線(普通) (芝山千代田行き)→11:57着 東成田
?主催:三里塚空港に反対する連絡会/連絡先:千葉県山武郡芝山町香山新田90―5/
電話:FAX0479―78―8101


安倍政権打倒!

 安倍政権は世界のどこでもアメリカと共に戦争ができる体制を作るために憲法改悪を目論んでいる。労働者・人民を戦争に動員するためにナショナリズムと排外主義をあおり、挙国一致体制を構築しようとしている。民主主義と完全に対立し、一切の差別と戦争の元凶である天皇制を強化し、戦争と天皇制に反対する者の存在を許さない社会作りである。
安倍は沖縄の辺野古への米軍新基地建設を、沖縄住民の反対の意志を踏みにじって一方的に推し進めている。そのやり方は一片の民主主義も存在せず、ただ強権をもって進めるのみである。これに対して沖縄の住民はあらゆる手段を使って、体を張って粘り強く闘い抜いている。
民主主義を破壊し、戦争の道を突き進む安倍政権を打倒しなければならない。

やめろ! 人権・環境破壊の飛行時間制限緩和

 三里塚においては成田国際空港会社が第三滑走路を二〇三〇年度までに完成させ、二〇二〇年東京五輪・パラリンピックによる便数増加に対応するためだとして飛行時間(現行午前六時から午後一一時まで)を一時間延長するという計画を打ち出した。
一月、夏目誠空港会社社長は、「第三滑走路建設など成田空港のさらなる機能強化について地域の思いをしっかりと胸に刻み、全力で取り組みたい。A滑走路の夜間飛行時間制限緩和もできるだけ早く実施したい」と語った。夏目は昨年より、飛行時間の延長を一年前倒しで一九年の冬ダイヤから(一〇月二七日から)実施したいとしていた。
これについては二月四日の四者協議会(国・千葉県・空港会社・周辺自治体)において合意された。しかし、騒音被害を実際に受ける飛行ルート直下の芝山町・横芝光町住民はあくまで飛行時間の延長を認めることができないと反対している。横芝町住民は「空港騒音断固反対」「わたしたちの静かな生活環境をこわすな」などの看板を掲げ、抗議や不安を強く表明している。
空港会社は滑走路建設などの用地確保に向けて地元で移転、土地買収の動きを進め、空港会社は現時点で地権者の大多数の同意を得たと発表している。
用地買収については移転補償や地域振興策などの問題が山積し、飛行時間延長の問題同様、地域の住民の意志と目先の利益のみを優先させる行政の思惑との間には対立があり、空港会社の住民の意志を無視した進め方には懐疑と反発の声が上がっている。
三月末には横芝光町の水田で航空機の金属プレートが発見された。飛行直下の住民は騒音被害と共にこうした落下物の危険にもさらされることになる。
住民の生活を破壊し、不安を増大させる第三滑走路建設、飛行時間延長に反対していこう。用地内東峰・天神峰の住民追い出し、農地強奪を許さず、連帯して闘おう! (二〇一九・五・二〇)

一坪共有地運動に敵対する
所有者不明土地の登記・管理適正化法


五月一七日、参院で「表題部所有者不明土地の登記・管理適正化法」が成立しました。この法は、所有者不明土地(@不動産登記だけで所有者が判明しないか連絡がつかない土地A相続手続きをせず、相続登記をしていない土地)を売却可能にする悪法です。
例えば、一坪共有者が死亡し、相続手続きをしていない一坪共有地は、この法の適用対象となります。法務局は、所有者が特定できないと認定し、裁判所が選任した管理者による売却が可能となり、売却した代金は供託にするのです。法務省は、この法に加えて、来年には売却がやりやすいように@相続登記を義務化し、期限内に手続きをしていない土地は売却可能A土地所有権の放棄確認の緩和の立法化もねらっています。
現在行われている一坪共有地の一般社団法人三里塚大地共有運動の会への登記移転がますます重要な取り組みとなってきます。ぜひ御協力ください。 詳細は三里塚大地共有運動の会ブログを参照してください。https://kyouyu-undou-no-kai.blogspot.com/

5.23

狭山事件の再審を求める市民集会

つぎつぎと無実の新証拠

東京高裁は鑑定人の尋問を

 五月二三日午後一時から、日比谷野外音楽堂で「つぎつぎと無実の新証拠!東京高裁は鑑定人の尋問を!」狭山事件の再審を求める市民集会が同実行委の主催で開かれた。全国から部落解放同盟員や部落解放共闘会議の仲間たちが集まり会場を埋め尽くした。
 集会の前段で、李政美さん(シンガーソングライター)による、すばらしい歌が披露された。次に組坂繁之さん(部落解放同盟中央本部委員長)が「石川一雄さんは三一年七カ月拘禁され、八〇歳になった。未だ見えない手錠を掛けられている。再審無罪を勝ち取ろう」と主催者あいさつをした。続いて参加した立憲民主党、国民民主党、社会民主党の議員が連帯のあいさつを行い、鈴木貴子衆院議員(袴田巌死刑囚救援議員連盟事務局長)からのメッセージが読み上げられた。

石川一雄さんが
無罪獲得へ決意
次に、石川一雄さん(再審請求人)が「今年こそ命をかけて運動をやっていく。八〇歳になるがまだまだこれからが第二の人生である。不屈の精神で闘う」と無罪を勝ち取る固い決意を述べた。連れ合いの早智子さんは「和歌山の女性が一九七三年に石川さんに手紙を出した。石川さんから『勉強することは人のためではなく、自分のためだ』と励ましの返事が届いた。石川さんの闘いが勇気づけた。石川さんは獄中で文字を取り戻した。獄中生活は無駄ではなかった。検察は隠していた証拠を出してきた。運動は前進している。第三次再審は必ず勝利する。世論を喚起して欲しいと訴えた。
弁護団報告を中山武敏さん(狭山弁護団主任弁護人)と中北龍太郎さん(同事務局長)が行った。中山さんは「三者協議によって、一九一点の証拠が開示され、二二一点の新証拠を弁護団が提出した。石川さんが一審でなぜ自白を維持したのか、裁判官に理解してもらう必要がある。貧乏だったゆえに最低限の教育しか受けられなかった。そのことにつけこみ、差別捜査が行われ、えん罪が作り出された。事実調べが再審開始を決めることになる」と語った。
中北さんは「狭山事件の背景に部落差別がある。一九六三年五月一一日に、犯人が被害者を埋めた時に使われたとされるスコップが発見された。そのスコップに脂が付いていた。それで、養豚をやっていた部落の人間がやったと決めつけた。ところが養豚農家は九五〇軒もあった。部落民と決めつけることなどできないのに、部落への集中捜査を警察は行った。そして、石川さんを犯人とでっち上げた。五月二一日に、脅迫状と石川さんの筆跡が同じだと警察は報告書を作った。五月二三日に、石川さんが逮捕され、次々と証拠がねつ造された。開示された取り調べテープによると、自白前に『もう、お前が犯人に決まっているんだから、自白しろ』と延々と強要している。石川さんが五月二三日に書いた上申書が、四七年ぶりに開示された。その上申書は脅迫状と筆跡がまったく違っていた。発見された被害者の鞄は自白の場所と地形や距離も違っていた。鑑定人尋問をやりたい。そうすれば再審決定がなされる」と報告した。

えん罪被害者
が連帯の発言
次に、片山明幸さん(部落解放同盟中央本部書記長)が「五月二三日付けの朝日新聞東日本版(静岡県から青森県、三七〇万部)に意見広告を出した。狭山再審闘争は最終点を迎えている。できれば後藤眞理子裁判長の任期の間に新しい決定をしてもらいたい。弁護団の最終意見書を遅くとも来年の今頃までに提出したい」と提起し、そして「長谷川豊(維新の参議院比例代表立候補予定者、フジテレビの元アナウンサー)が『士農工商の下に犯罪のプロ集団がいる』という部落差別発言をした。狭山の闘いは部落差別との闘いでもある。最後の決戦の時がきた。勝利しよう」と基調報告を行った。
続いて、袴田秀子さん(袴田巌さんのお姉さん)、山崎俊樹さん(袴田さんを救援する清水・静岡市民の会)、菅家利和さん(足利事件)、桜井昌司さん(布川事件・えん罪犠牲者の会)、客野美喜子さん(再審法改正をめざす市民の会事務局長)が連帯アピールを行った。
袴田事件は昨年六月一一日に、東京高裁が不当にも静岡地裁の再審決定を取り消し、現在特別抗告が行われている。何としても再度の再審決定を求める訴えが行われた。
そして、桜井さんが「三月二日にえん罪犠牲者の会を作った。えん罪事件で有罪とした警察、検察、裁判官は反省していない。証拠開示は当たり前だ。証拠をデッチあげた人は罪をつぐなって下さい」と訴えた。客野さんは「二〇〇二年から二〇一八年までに一一件の再審決定がされたが五件しか無罪になっていない。ほんの一握りであり、狭き門だ。原因は再審法の不備にある。五月二〇日に市民の会を結成した。すべての証拠開示、検察官の抗告の禁止などを議員立法で実現したい」と報告した。
この後、鎌田慧さんの話と集会アピールの採択があり、数寄屋橋を通り、常盤橋公園までデモを行い、狭山再審の実現を訴えた。 (M)

コラム

安部誠さんの思い出

 二〇〇六年に自民党政府は、ホワイトカラーエグゼンプション(いわゆる残業代ゼロ法案)の導入を目論んだ。当時管理職ユニオンで活動していた安部誠さんに話を聞いた。その理路整然とした説明に感心し、意気投合し親しくなった。
 この当時、自民党政権は長期低迷にあり、政権交代の機運が盛り上がっていた。一方で、バブル崩壊後、長期のデフレ状況にあり、就職氷河期、非正規の拡大、ニートなど貧困問題がクローズアップされていた。安部さんはホワイトカラーエグゼンプション導入阻止の闘いに、分裂している全労連・全労協と連合を引き入れ、労働者の統合した闘いを積極的に作るために「接着剤」の役割を果した。その結果、残業代ゼロ法案は葬り去られた。マクドナルドにおける名ばかり管理職問題でも労働者性を認めさせ、過労死するような長時間労働の残業代を支払わせ、長時間労働を是正させた。
 そして二〇〇八年のリーマンショックによって、不況が深刻化し貧困問題が大きく取り上げられた。二〇〇八年から二〇〇九年、日比谷公園にテントを張り、炊き出しを行い「年越し派遣村」を組織し、政府に派遣切りや貧困問題について訴えた。これは社会的に大きな反響を呼んだ。この運動は日雇い運動や弁護士、反貧困運動など幅広い運動の連携によって担われた。安部さんは幅広い付き合いもあり、この運動の中心を担った。二〇〇八年から二〇〇九年、京浜ホテルの自主管理闘争も闘われた。
 安部さんの偲ぶ会をやるというので、私がインタビューし、週刊「かけはし」に掲載した安部さんのインタビュー記事を探してみた。二〇〇七年、二〇〇八年、二〇〇九年、二〇一三年に掲載記事があった。今読み返してみても、安部さんの鋭い分析と運動にかける熱情が伝わってくる。
 安部さんとは何かにつけて、よく酒を酌み交わした。全労連の活動家や週刊誌の記者、そして、管理職ユニオンの組合員たち、私が今まで付き合ったことのない人たちの飲み会でもご一緒させてもらい貴重な意見を聞けた。
 広い知識を持つ安部さんの話は私の知識欲を引き出してくれた。例えば、「ノモンハン戦争―モンゴルと満州国」(田中克彦著、岩波新書、2009年)を読めと薦められた。それまでのノモンハン戦争についての本は、日本軍の敗北の原因を追及するものだった。
 しかしこの本はこれまで触れられてこなかったモンゴル民族の悲願「パン・モンゴル主義」を明らかにするものだ。 一九二四年にソ連の庇護のもとに成立したモンゴル人民共和国、そして「五族協和」のスローガンを掲げて成立した満洲国の間での、モンゴル民族のあり方を決めた「戦争」として捉え直している。スターリンはモンゴルの共産党指導者と人材二万人余を粛清している。日本軍もモンゴル人を戦争の手先として使っていた。「かけはし」に本の紹介をお願いしたがかなわぬことになってしまった。
 安部さんとの最後は二〇一九年一月二〇日、管理職統一ユニオンのIさんといっしょに、赤い檄布を届けた時だった。この時週刊「かけはし」を持っていき、安部さんに渡したら最後までしっかり握って離さなかった。安部さんは私たちが激励に来たことを分かってくれたようだった。安部さん、ありがとう。  (滝)


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