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    かけはし2019年5月13日号

手抜き政策が悲劇的結末生む


フランス

ノートルダム炎上 

マノン・ボルタンスキー

  ノートルダム聖堂の火災が世界を驚かせ、その再建への協力の動きが国際的にも広がっている。一方で、たとえば黄色いベスト運動など、大金持ちや大企業の巨額寄付の動きに対する批判も出ている。以下は、遺跡修復に携わっている当地の同志によるこの火災事故に対する論評。火災の翌日に書かれている。(「かけはし」編集部)

責任は個人の
ものではない
二〇一九年四月一五日は、ノートル・ダム・パリが炎に包まれた日として記憶されるだろう。この記事を書いている時点(四月一六日)で、火災は抑え込まれ、僅か二、三ヵ所の残り火だけが、新たな爆発的燃焼の危険を恐れている消防士に食い止められた状態で残っているように見える。
建物の諸構造物やもち出すことのできなかったアート作品に対する、火炎や熱、骨組みや尖塔の崩落、さらにまた消火のために放水された数十万リットルの水、これらの影響が引き起こした損害や損傷の程度を知るためには、実際に数日あるいは数週間かかるだろう。
火災は修復作業が行われていた部分で偶然に始まった、との仮説が今日当局者や専門家たちが好んでいる選択肢であるように見えるが、その原因は依然分かっていない。原因を事実に即して明らかにすることを可能にするのは調査しかない。
しかしわれわれにはすでに言えることがある。それは、責任を、あり得るものとしての個人的失態……としてではなく、政策全体およびそこには国家の責任も含まれる頂点における集団的責任の総計の中に探し求め、そこに特定しなければならない、ということだ。つまり問題は、建設作業現場の安全保障と作業進行の指揮に対する責任なのだ。

火災の結末はど
うなったのか?
消防士から与えられた最初の情報は、その印象的な画像が日刊紙すべての一面に掲載された尖塔の崩壊の結果として、「屋根全体に損傷がある、構造全体が破壊されている、アーチ天井の一部は崩落した」と示している。この尖塔は、屋根やその骨組みと共に、一九世紀にヴジューヌ・エマニュエル・デュク(一九世紀のフランス人建築家)によってやり遂げられた仕事に遡る。崩壊した骨組みの残りは、一三世紀に遡り、一二世紀の最初の建設に遡る木材の梁を使って再建された。そしてその大きさと規模によって、この骨組みには「森」というニックネームが与えられていた。
尖塔は崩壊の中で、聖堂の石造りアーチ天井の一部を破壊したが、構造全体を危険にさらしたようには見えない(今のところ)。多くの遺物、アート作品、また諸々の物体は火炎、煤煙、水によって影響を受けたと思われる。さらにいくつかのステンドグラス窓の鉛枠もまた大なり小なり影響を受けた。修復を済ませたばかりだった大パイプオルガンもまた、大きな損傷を受けたように見える。

政治的思惑の
反応が次々と
聖堂の間近には、まさに多くのパリジャンが駆け付け集まり、大いに心を揺さぶられた……。しかし、心からのまた自然発生的とは言い難い政治的反応もまた早々に増殖を見た。その筆頭は、彼の大きな口頭試験公表を逃れることができ、その上フランスの遺産および国民の、そしてその新たに見出された統一の「救世主」という役割を演じることができて、おそらくは大いに幸運を喜んだマクロンだ(注一)! 
彼の踏み跡に続いて、そして同じテーマで、レイシスト、ファシスト、折り紙付きの民族主義者全部が、国民的キリスト教遺産の(そして文明の)心についてわれわれに語りかけようと、互いに進み出た。彼らから見てそれらが攻撃にさらされていた。彼らのある者たちは早くも、はなはだしく愚かしいイスラム嫌悪……を基礎とした陰謀論に取りかかっていた。

これは予想でき回避
できただろうか?
これから調査が決定することを可能にする特定の事実は別として、この規模の惨害は、責任の集団的な連鎖の結果としてのみ起こり得る。この事故は、二つの構造的な問題を明るみに出し、国家の直接的な責任を指し示している。
まず一方で、遺産の(同じくあらゆる公共サービスの)防護と保全における、代を引き継いだ諸政権による投資引き上げ政策がある。そして他方には、遺産の現場における(同じく公共建築物の建設現場すべてにおける)不十分な安全基準という問題がある。
「起きたことには起きる必然性があった。実のある保全と大規模建物に対する日常的な注意の欠落がこの惨事の原因だ。問題は責任ある者を探すことではない。それがこの国でもっとも集団的な記念碑であるからには、責任は完全に集団的なものだ」、ジャン・ミシェル・レニュー(全国遺産調査所科学評議会会長)はこう説明した。財政的投資引き上げとスタッフ不足、遺産建物の諸条件は多くの場合惨めだ。そして、保全、修復、改築に対する必要は膨大だ。保守と修復に関係する専門家の大勢、およびこの種の建物の現場で働く公務員とスタッフすべてがこの証人だった。そして彼らは、死文として残されたままになっている警告を出し続けた。諸々の事故は、人的、物的、双方で、不幸なことだがありふれている。

貧しい者たちに
負担させる好機
マクロン大統領に言わせれば、「この聖堂、それをわれわれはみんなで再建するだろう」だが、ついでながらはっきり言おうではないか。まず、それを再建するのは彼ではない(まったく同じように、当時それを再建したのはモーリス・デ・サリー司祭ではなく、何世紀にもわたって次々に仕事を継いだ何千人という労働者と職人だった)と。
他方で再建に当たっては、その再建設に国家の投資が必要になるだろう……がそれは明らかに、考えになっているようには見えない。逆にマクロンは早くもこの四月一六日、復旧への資金手当のために「国民的寄付募集」開始を公表した……。二〇一七年にはすでに、それ以前に進行中だった修復、特に尖塔と屋根のそれを始めるために、民間基金が資金提供先(民間)を見つけ出し、司教からの認可を求めることが必要になっていた。尖塔と屋根は一九三〇年代以来修復されていなかったのだ……。
国民的遺産全体は今、国家によるこの投資引き上げの犠牲になっている。しかしこれらの金銭的関心とは対照的に、住民全体は、特にその最も民衆的な部分を含んで、多くの場合公共的遺産や文化的、歴史的記念物……に愛着をもっている。そこには特に、パリの最も民衆的な生気ある心臓部としてヴィクトル・ユーゴーにより有名にされたノートルダムが含まれる。政府にとっては、その修復への資金手当を国民的募金集め(!)という背中に丸投げする好機の到来だ。
作戦は巧妙であり、それは、この火災に対する彼自身の責任から彼を逃れさせ、そして偽りなく心を揺さぶられた民衆は、早くも寄付をしようと殺到中だ。しかし資金を出さなければならないのは国家なのだ! それ以前にわれわれの諸税は、全員が活用できる遺産や文化のサービスを含んで、公共サービスに財源を充てるために役立たなければならない! その代わりに進んでいるのは、最大規模の諸大企業に対する諸々の税額控除……なのだ。

ある所には
カネはある
しかし何よりもこのドラマは、次のことを思い起こす好機になる。つまり、文化や遺産に対する資金提供は、資本家が見つけることのできる税の抜け穴としては、群を抜いて最良なものの一つ、ということだ。彼らは一石二鳥の形で、まず「気前のよい」寄付により、時としてひどくマイナスになっている彼らのイメージに磨きをかけ、同時に、代を継いだ諸政権が提供した目録すべて(とはいえ、何とも長々しい)の中でもっとも有利な税額控除を受けるのだ。
スポンサーはすでに殺到中だ。たとえば、LVMH(ルイヴィトンなどを傘下に持つ持ち株会社:訳者)とアルノー家(この一家のベルナール・アルノーは前記持ち株会社とクリスチャン・ディオールのCEOであり、世界有数の富豪:訳者)からは二億ユーロ、この手合いの中では大方から小物と見られているピノー(フランスの事業家:訳者)からは一億ユーロ、石油メジャー多国籍企業のトタルは一億ユーロ、そしてヴァンシ(世界有数のフランスのゼネコン、建設とインフラ経営が主な事業:訳者)は人目を引くだけで無意味な飾りとして、「十分な資産を裏付けとした後援」を申し出、聖堂再建に「見返りを求めず」務めるために建設業者(大手のブイグなど?)と連携することを示唆している。
アート市場と富への投資は早くから、特別に有利な税制から利益を受けている。しかし「助けを求める呼びかけ」の中で彼らの多くは、ノートルダムを「救い」、資金拠出を力づける……ために、より多くの税額控除を求めて叫びを上げていた。
これらの最前線に、政府内の文化と最富裕層に贈られた贈り物間にある同族的つながりの象徴であり、またその召使いでもある者の第一人者、ジャン・ジャック・アイラゴンがいる。九〇%税額控除から資金拠出が利益を得ることをめざし、この聖堂を「国富」に格付けすることを今求めているこの人物は、順繰りに、文化相、ピノーの個人博物館管理人、次いでベルサイユ宮殿管理人……になっていた。そうである以上、彼が上げた声はおそらく、関心を呼ばなかった……。

文化尊重よりも
最小費用が重要
われわれは明らかに、再建に向け国家が公表するつもりの方策とその意思については、疑念以上のものをもっている。偉大な国民的記念物に関する仕事すべて(より小物的な後代のものに関してはなおのこと)について国家は、「最小費用」の諸解決策を系統的に選択してきた。そしてその方策はまた、元々の素材や構築法に対する敬意や道義的配慮でも最低だった。われわれはただ、これからの再建について自らに問わなければならないだけだ……。
「ノートルダムの場合も、同じだろう。われわれは今後その骨組みと木造の尖塔を見出すことは二度とないだろう。しかしながら、廃墟になる怖れがあったためにフランス革命直前に取り壊されていた尖塔の、一八六〇年の再建は、第二帝政の挑戦だった。それは本物のネオ―中世風の力作だった。今回について私は悲観的だ」、ジャン・ミシェル・レニューはこう証言する。

支配層の優先先
が今回も露骨に
マルセーユで昨年一一月、八人の住民が彼らが暮らしていた不衛生な建物の崩壊で死亡し、他の借家人数百人は、次の住宅に対する何の解決策もないまま追い出された。そのすべてが今日気をつけの姿勢で立っている大企業や当局者が、当時このできごとに軽蔑を示し、何も語らなかった、と指摘している人々を、われわれは確かに理解できる。
寄付の現在の洪水は、企業は、彼らの関心(本質的に象徴的なまた金銭的な)の中にそれを見出す場合、まったく時を置かずにカネを見つけ出し、その巨額にかけた錠を開ける、ということを証明している! 同じことが、政府が彼らに贈り物を贈ると決定する……場合、政府にも言える。このバランスの取り方の中で労働者階級の暮らしは、税額控除の線に一致する場合にのみ重きをなすのだ!

文化的投資
否定は過ち
ある人びとはしばしば、時として抽象的な科学研究に対しても事実になり得るように、文化と遺跡保護にそのような額のカネを投じる(そしてそれはその上、残りの公共のカネを益々少なくする)ことの妥当性をいぶかっている。しかし、そうした投資に対し何らかの社会的問題を対置するのは過ちになると思われる。人が適切なところに行きさえすれば、カネは不足していないのだ。
遺産は、ある種集団的な財産の一部だ。その増大と全員に対するその利用可能性は、諸個人とわれわれの諸社会の発展にとって一つの設定課題だ。

文化的象徴を
右翼に渡すな
ノートルダムは他の記念物同様、われわれの歴史とわれわれの集団的な暗黙知の一部だ。重要なことは、あらゆる種類の民族主義者に対するその象徴の明け渡しを拒絶することだ。
それは確かに時を通じて、カトリック教会と国家権力の力関係を象徴してきた。しかしそれはまた、宗教的建築物の進化におけるまばゆい象徴でもある。最後の点としてそれは、パリの歴史における世俗的な記念碑でもある。ヴィクトル・ユーゴーは彼の名付け親的な作品(英悟では「ノートルダムのせむし」、フランス語では単に「ノートルダム」)を通して、パリで命に満ちあふれ普及していたものにそれをこうして結びつけた。
フランス革命の中で、次いでパリコミューンの中で、それはあらためて、集団的な生気と政治集会の場として創出された。その中で、マルセイエーズと他の革命歌が大きなパイプオルガンの中で鳴り響いた。これはまた、われわれの社会階級による文化的かつ集団的な再収用という課題でもある。
今回ありがたいことに、カネへの関心にもかかわらず、人間の命が直接危険にさらされることはまったくなかった。しかしわれわれは、われわれの集団的な遺産のもっとも価値のある象徴の一つを失うことになった……。あらためて、この政府とそのしみったれた前任者の犠牲になって……。(二〇一九年四月一六日)

▼筆者は、フランス反資本主義新党(NPA)の指導的メンバーであり、遺産修復の仕事をしている。
(注一)マクロンは、彼が始めた「大討論」から結論を引きだすとして、この日午後八時にテレビを通して国民に語りかけることになっていた。(「インターナショナルビューポイント」二〇一九年四月号) 


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