紹介
大野光明・小杉亮子・松井隆志編 新曜社刊 定価1500円+税
『社会運動史研究 1 運動史とは何か』
寄稿:天野恵一(反天皇制運動連絡会)
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書きにくさ
の原因は?
まるごと、キチンと読み終えて、ハテどんなふうに内容紹介の文章を書きだしたらよいのか、かなり迷った。
職業的研究者の三人がつくりだした『社会運動史研究』という年間雑誌の創刊号(特集・「運動史とは何か」)である。一九七九年生まれの大野光明と一九八二年生まれの小杉亮子、そして一九七六年生まれの松井隆志の三人が編者である。松井の名前がなければ、ちょっと手にして、いくつかの論文などを読み、フーンとうなづいてポンと放り出して、読了。ということですます距離感の本(雑誌?)である。
松井は、かなりの期間、私と反天皇制運動連絡会の事務局メンバーとして運動をともにした関係もあり、彼が大学研究者コースに入って、運動と距離を取り出した後も、以前からの研究会(まあ読書会だが)を長く長く、今でも続けている関係でもある。またピープルズ・プラン研究所の機関誌も、共に編集委員であり、そこでの天皇「代替わり」を問う連続講座、もう一年をこえて続けているそれの、共に中心スタッフでもある。であれば、私が販売を手つだったり、こういう紹介文を書くのは、当然といった関係があるというわけだ。ところが、その〈近さ〉が、書きにくさの原因である。
運動への
向かい方
ひらきなおってこの〈距離〉の問題を軸に、批評してみることにする。それは、より具体的に言えば、〈職業的研究者〉と〈運動当事者〉との〈距離〉の問題である。
松井は三人の編者と二人の研究者(阿部小涼・安岡健一)の座談会(「社会運動史をともにつくるために」)で、私を「かつても今も運動当事者である」と紹介している。そしてそこで彼は運動当事者ではなく研究者として運動史に向かうと、自分のスタンスを明示している。彼が自分のスタンスをハッキリと自己限定し、曖昧な方法を排除しようという意思は、私なりによく理解できる。
これに対して小杉は、こう語る。「私自身は運動の実践に深く関わった経験がなく、割合当事者性が薄い立場から研究してきていて、それでも研究はできると思いたいです」。
大野は松井をはさんで、小杉とまったく対極の立場を宣言する。
「私自身は、運動しながら研究するというスタイルでやってきたし、そこにこだわる部分があります。研究対象である『過去』の運動を知れば知るほど、自分が今生きている現在への違和感が強くなる。……疑問を抱えながら現在進行形の運動に参加していく、そのような往復があります。逆に、運動史を通じて得られる知見を、現在の運動状況へと返していくことの意義にも自覚的であると思います」。
「一つは、現在の運動に参加し、様々な世代の参加者と交流するなかで、運動特有の内在的論理、経験世界や意味世界に触れるわけですが、それらがわかっているか否かで、過去の運動の読解やインタビューの質は変わる。研究者としての感度をあげるトレーニングの場として現在の運動がありうると思います。/二つめは、端的に言うと研究とは何かということです。研究しているのは誰なのか。まじめな活動家ほど、過去の運動史を勉強し、運動の戦略や戦術、その帰結を意識的に『研究』しているように感じます。学生や研究者よりも歴史を知り、深く考えている。運動のなかの研究性に気づくことがある。僕が論文のなかで『歴史実践』という言葉ですくい取ろうとしたのは、社会運動史研究をしているのは研究者だけではないという前提があり、そこから運動参加者と研究者との関係をもう一度考え直したいと思ったからです」。
この大野の主張は、ひたすら運動を生き、運動の中で考え、主に運動に向かって発言し、書き続けてきた、私には、一面で一番共感できるものだといえよう。しかし、どうもスッキリとこう断言されると、「ソウカナー」という気分が大きくなってくるのを抑えがたい。
緊張感を
含む関係
まず、私は「研究する人」あるいは「研究者」などというアイデンティティーを持ったことはない。これは、私たちの世代(全共闘)が、運動人生の入口で職業的研究者への深い絶望と軽蔑感をバネにした運動を全力で生きたということから来ているものであろうが、それだけではあるまい。大野のいう世代をこえた運動の〈現場経験〉の交流が研究者の研究感度を上げることはまちがいないが、運動現場は「知的トレーニング」とはかなり無関係なムスケルの山である、というのも、もう一つの重い真実ではないか。
私は、かなり若い時代にある政治党派の専従活動家であり、やめて大学研究者となった人物に、ある会議で、「天野さん、運動の会議は実務の分担と段取り決めのためにほとんどついやされるだけで、まったく知的な刺激なんてない。クタビレルだけだった」と話しかけられたことがある。
よく、あなたはアキませんネー、ということだったのだろうが、何の悪意もなく吐かれた、その言葉。何も答えなかったが、心の中で、こういう言葉を飲み込んだ。〈研究者から見れば、時間のロスとしか思えないそれに、俺は大切な価値を見出してきたんだナー。それが運動に生きるという覚悟ってもんだなんて言うのは、妙にキザだナー〉。
やはり限られた時間を、どう使うかという問題は、本当に切実で,〈研究〉と〈運動〉との間には大変に強烈な緊張感がやはりあるのが真実ではないか。〈二足の草鞋をはく〉という主張、二足だからこそ研究が根拠を持ち、パワーアップされるという主張は、美しい。しかし、その実現は、すさまじい困難に立ち向かう超人的努力が必要なはずだ。
論より証拠。大野の立場は、本誌の本号ではまったく編集的に実現されていない。短文の書評まで含めて、この号には職業的研究者コースの人間以外の文章は、まったく不在ではないか。〈運動〉の中の書き手に、それなりに書いてもらうための編集作業は、職業的〈研究〉者である〈書き手〉仲間に書いてもらう場合のように安易にはいかないケースの方が多いはずだ(そこをガンバルのが編集的努力というやつではないのか)。
バラバラ
と「編集力」
よけいな方向へペンが走りすぎた。私はこの三者の立場(自覚的なそれ)が、まったくバラバラである点、それがこの雑誌に潜在している強力な編集力の核となることを期待したい。違いと対立が組み合わされてハジけるような編集がベストだと思う。三人の論文と座談会でのやりとりを読んで、その対立的共存のベースは、それなりに形造られていることは確認できるのだ。
ペンの走りついでに、もう一点。先にふれた座談会のつくりは、あまりに読者の読みやすさという、常に編集者が考え続けなければいけない問題をないがしろにした産物のように、私には思われる。二人の長い報告(コメント)はそれとして次の座談会の前に収め、その後に五人の座談が続くというスタイルがあたりまえではないか。二人の報告を座談の発言としてブッちぎって収めるという方法は、少し乱暴にすぎないか。
もう一点、〈社会運動〉とは何か、がより具体的に検証され続ける必要があるのではないか。
ここで伊藤晃が緻密かつクリアーに紹介している「運動史研究会」の運動史の対象は、日本共産党を中心に置いた共産主義革命運動史以外ではない。なんでも入る〈運動史〉などという概念ではない。ゆえにこの〈運動史研究〉は、この雑誌の「社会運動史研究」とはまったく切断されている。左翼の運動史というのは革命運動史(その戦術・戦略論争を軸にした)であるという時代は、とうに終わっている。それでもこれとそれなりに連続する部分をも考えた〈社会運動史〉なのか、まったく百%の断絶が前提なのか。キチンとつめた論議が必要なはずである。かつての〈革命運動史〉は、なぜ、どうして、いつ消えていってしまったのか? この問いを歴史的にたどるプロセスを通して、自分たちのいう課題別で多様な〈社会運動史〉とは、どういう対象なのかが、より具体的に示される必要があるのではないか。
注文ばかりの、奇妙な紹介文になってしまったが、こういう雑誌(試み)が、長く持続されることを期待します。とにかくガンバってください。
投書
元号とマスコミ
S・M
四月六日(二〇一九年)の『朝日新聞』朝刊(三七面)が「メディアタイムズ 令和フィーバー 報道も過熱 災害・不況…平成リセット願望?」という記事を載せている。四月一〇日の『毎日新聞』朝刊(二六面)が「アクセス 首相「令和」を私物化? ネット意識しアピール」という記事を載せている。
四月九日の『東京新聞』夕刊(五面)が「象徴のうた 平成という時代」という毎週火曜日掲載の永田和弘氏(歌人・細胞生物学者)の連載(「61 『皇后として』お二人の共感」)の左に霊倭氏の「大波小波 新元号狂騒」という小さなコラムを載せている。
四月七日・日曜日の『東京新聞』(二七面)が「週刊誌を読む 三月三一日〜四月六日 「象徴天皇制」議論しては 新元号フィーバー」という篠田博之氏(月刊『創(つくる)』編集長)の意見を載せている。前の三つは反天皇制や反元号制の立場に立った記事でも何でもない。最後は皇族に敬語を使い、私の誤解でなければ、自身が編集長の月刊誌(『創』)で『週刊金曜日』的なレベルの「反天皇制派の意見も入っているが、決して反天皇制一色ではない、天皇制特集」すら載せない篠田博之氏の意見だ。何を言いたいのか、私には不明だ。
反天皇制派でも「公正・中立」でもない極右で「他の新聞の先生」のような存在の『産経新聞』(二面)は四月九日に「令和 野党支持層も好感 本社・FNN合同世論調査 共産支持層で7割超」という記事を載せている。四月二日の『東京新聞』夕刊(六面)は「事前公表に抗議 官邸侵入の男逮捕 建造物侵入の疑い」という記事を載せている。
私は四月二日の新聞各紙を図書館でざっと見くらべてみた。『東京新聞』朝刊と『神奈川新聞』は元号に反対する声も小さくだが載せている。『東京新聞』朝刊は「元号制定に反対する署名運動の事務局を務めた六〇代の男性」のコメントを載せている。『神奈川新聞』は反天皇制運動連絡会の新孝一氏のコメントを小さく載せている。
『東京新聞』朝刊の「非民主的制度で混乱招く」 「元号に反対署名6800筆」という見出しの記事を紹介する。「元号制定に反対する署名運動の事務局を務めた六十代の男性は『(新元号の)文字解釈にふけるつもりはない。民主主義の実現を目指す立場で、改めて反対を呼び掛けたい』と話す。今回の代替わりで、改元の不便さを議論する空気が広がったと考えている。
『これをきっかけに、身の回りの制度に疑問をもつ人が増えてほしい』と語る。『元号は〈君主〉の時間に民衆を従わせる非民主的制度。混乱をもたらす無用の長物』と主張する署名は、昨年一年間に約六千八百筆が集まった。年末に首相宛てに提出して終了した。男性は三十年以上、天皇制反対を訴える運動をしてきた。『民主主義なのに、何か変じゃないか』と感じてほしいと訴える。改元への疑問が、自由な議論の入り口になることを願う」(四月二日『東京新聞』朝刊、二七面)。
興膳宏京大名誉教授(日本学士院会員)の考えは新元号制的で親天皇制的なニオイがするが、『神奈川新聞』の「根強く残る不要論 西暦普及、『不便』の声も」という見出しの記事を紹介する。
「『なぜ必要なのか』『国民主権の憲法と相いれない』。1300年以上前に天皇が時間を支配する象徴として用いられた元号は、西暦の使用が普及していることもあり、『不要』『不便』との意見も根強い。元号は敗戦に伴って法的根拠を失い、不要論が高まった。1950年に開かれた参院文部委員会では、戦後初めて元号の存廃について本格的な議論が交わされた。西暦の方が使いやすいなどとして、日本学術会議会長や外務省局長、大学教授ら参考人の意見は大半が元号廃止だったが、廃止には至らなかった。再び国会で元号が問題となったのは79年。先立って福田赳夫内閣が元号法制化を打ち出し、反対議員からは『天皇中心主義の戦前に逆戻りする』などとの意見が出されたが、廃止の機運は高まらず、同年の元号法成立で法的な根拠が再び与えられた。ただ40年たった現在でも元号使用に反対する声が上がる。日本学士院会員の興膳宏京大名誉教授(82)は『もはや天皇が支配する世の中ではない。元号は国民が望むようなものでなければならず、何故必要なのかというところから議論を始めないといけない』と話す。『反天皇制運動連絡会』の新孝一氏(60)は『国民に主権があると規定する憲法に反する』と廃止を訴えている」(四月二日『神奈川新聞』、一二面)。
東京も神奈川も新聞全体のトーンは、私の誤解でなければ、天皇制賛美・元号制賛美だ。従って、小さな批判的記事は「免罪符」にはならないと考える。だが他の新聞よりはちょっとだけマシだ。私はそう考える。私の誤解でなければ、朝日・毎日・産経・日経・読売・日刊スポーツはまったくダメだった。Japan Timesと日経流通新聞は見ていない。
ただし『朝日新聞』は「きれいな言葉 幸せな時代願う」という瀬戸内寂聴氏(作家で僧侶)と「政権による政治ショー化 問題」という内田樹氏(思想家)のコメントの下、「本社 号外20万部」という記事の左に「改元機に広がる西暦表記」という小さな記事を載せている。その中で元号に反対する意見は「一方、元号に反対する長野県在住の弁護士ら3人は3月下旬、国に対し元号制定の差し止めを求める訴訟を東京地裁に起こした。『元号は日本のみに残る統治者による時間の支配』としている。」(四月二日『朝日新聞』朝刊、三二面)とだけ紹介している。
『読売新聞』朝刊は「若い世代 元気に頑張れ」という長嶋茂雄氏(読売巨人軍終身名誉監督)と「響きがとてもきれい」という指原莉乃氏(HKT48)のコメントの隣に阿川佐和子氏(文筆家)の「自由と平等 思いはせ」などというコメントを載せている(四月二日『読売新聞』朝刊、三二面)。天皇制国家のどこが自由で平等なのか。ふざけるな。私はそう思った。
追伸。『朝日新聞』朝刊は「5・3集会『令和 私の宣言』」という見出しの小さな記事を掲載した。朝日新聞労働組合は一日、「言論の自由を考える5・3集会」を、五月三日に兵庫県尼崎市のあましんアルカイックホール・オクトで開くと発表した。一九八七年五月三日に記者二人が殺傷された朝日新聞阪神支局襲撃事件を機に毎年開催しており、三二回目。テーマは「でも、言っちゃうね。 令和日本 私のファーストペンギン宣言!」。群れから飛び出す一羽目のペンギンのように、思いを隠さず、発信する方法を語り合う。……」(四月二日『朝日新聞』朝刊、三一面)。何だこりゃ。ブルータスお前もか。マスコミ労組はこれでいいのか。私はそう思った。
(四月一一日・木曜日)
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