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    かけはし2019年4月8日号

責任はレイシズムの浸透に力貸した者にも


ニュージーランド

ムスリムへのテロ攻撃糾弾!

イスラム嫌悪・白人至上主義打倒

アオテアロア/ニュージーランド国際社会主義組織全国委員会

 クライストチャーチでのテロ攻撃を受けて、アオテアロア/ニュージーランド国際社会主義組織国際委員会(アオテアロアはニュージーランドのマオリ語呼称、「白く長い雲のたなびく地」を意味する:訳者)は以下の声明を発した。
その攻撃はほとんど理解を超えている。五〇人が死亡した。さらに五〇人が負傷した。数百人、おそらく何千人もが深い悲しみと想像できないような喪失感と向き合っている。
これはムスリムであるが故にムスリムに加えられた、彼らの神聖な場を標的にし、彼らの神聖な日に実行された攻撃だった。それはテロ行為だった。

今回のテロ攻撃には背景がある


われわれの出発点は連帯、傷付けられ殺害された人々への、彼らの家族や愛する者への、この島にいるすべてのムスリムと移民に対する連帯だ。このテロリストの暴力――人種的殺戮――はわれわれの分断を目的としていた。われわれはそれらの傷を受けた人々と団結する。
この行為の残虐さはものごとを信じることに公然と挑戦しているが、しかしそれには一つの政治的論理がある。これは、計算されたテロリズムの行為であり、ファシズムとイスラム嫌悪を利用した。ここに大きな秘密はまったくない。
ムスリムの指導者たちはこれまで何年もの間、イスラム嫌悪を主流の動きにし、それを正常なことにすることについて、声を上げ続けてきた。反ムスリムの偏見を正常なことにする上で一定の役割を果たしてきた、あらゆる政治家、あらゆるコラムニストやトークショーの主宰者、あらゆる知識人やメディアの有力者は、この悲劇について何らかの責任を負っているのだ。
トランプの「ムスリムの入国禁止」やテロとの戦争は世界的に舞台を設定した。しかし、当地の人物たちも彼らの役割を引き受けたのだ。「スタッフ」紙や「ニュージーランド・ヘラルド」紙のコラムニストは昨年、ファシストのステファン・モリニウクスとローレン・サザーンの「権利」を守るために整列した。イスラム嫌悪を「宣伝屋」がはやらせている一つの言葉、と呼び捨てたジョルダン・ペーターソンは、今年早く広範に取り上げられた。ある催しでは彼が、「誇りあるイスラム嫌悪者」と書かれたTシャツを着たファンと並んで笑顔を見せていた。シモン・ブリッジ、ジュディス・コリンズ、そして国民党は、国連に関しアルト右翼や極右の言い回しをもてあそんできた。そしてイスラムやムスリムについて一つの問題、あるいは対処が必要な問題と話し回ることは、主流の仲間内では社会的かつ政治的に受け入れ可能なことなのだ。
オークランドでは昨年「シャリア法」反対で数百人が集会を行い、ACT党(議会に議席を確保しているニュージーランドの政党:訳者)のステファン・ベリーは、彼らを支持してそこにいた。クライストチャーチのファシストグループは二〇一一年に選挙集会を混乱させ、ムスリム、ユダヤ人、その他の可視化されているマイノリティは何年もの間、国中の彼らが集まる場所での悪口、嫌がらせ、落書きを報告してきた。その間ずっとほとんどの評論家は、「アイデンティティポリティックス」と自由な発言の後退こそが当代の問題だ、とわれわれにぜひとも信じてもらいたいと思っている。これが、ファシストの暴力を成長させた背景なのだ。

反移民の政治文化に問題の根源


殺戮された人々の多くは難民と移民だった。そこには付け加えられた冷酷さがある。つまり、彼らの故国における迫害から逃れてここにやってきた人々が、彼らの新天地でそれに向き合わなければならないという、そしてそこにも一つの政治の論理があるという酷さだ。現議会にいるすべての政党が、この一〇年にわたって何らかの形で、反移民のレトリックをもてあそび、それを後押ししてきた、ということがまさに真実なのだ。
ウィンストン・ペータースは二〇一七年に、「ニュージーランド流の暮らし方に移民が及ぼしつつある実体的影響」について話し回った(注)。国民党(ニュージーランドの最大右派政党で前政権党:訳者)は難民割当数の倍増に反対した。殺人まで行うファシズムは極端かもしれないが、しかしそれも、主流が後押ししたより幅広い反ムスリムと反移民の政治文化がなければ存在し得ないのだ。
今回のことは謎に満ちたできごとではない。それは、イスラム嫌悪と白人至上主義のイデオロギーの一表現として理解されなければならず、したがって対抗するべきことだ。
レイシズムは、少なくとも治安維持という姿ではどこでも、ニュージーランド社会に染み渡っている。ムスリムコミュニティは何年もの間、彼らが直面している脅威を分かっていた。しかしそれでも何ごともなされなかった。ニュージーランドイスラム女性評議会のアンジュム・ラーマンは、反ムスリムの脅しを真剣に取り上げるよう、彼女の組織が当局にどれほど嘆願し要請したかについて、書いたことがある。
マオリの活動家をでっち上げの「テロ」容疑で迫害するために、さらにリンウッドのようなモスクを監視するために何百万ドルもが無駄にされてきた。平和活動家たちは、ウェリントンでの兵器見本市に抗議したことで、インチキの起訴のために無駄にされたもっと多くのマネーを伴って、嫌がらせを受け訴追された。そしてそれでも、殺人犯は見つけられずにテロを組織することができた。警察の優先先、政策、そして偏見について、真剣に問われる必要のある問題がある。
そしてこの悲劇の後、警察の対応はどのようなものになったのか? それは、ムスリムおよびそれと分かるマイノリティが人前で集まることを思いとどまらせ、人々を抗議と見張りから遠ざけておこうとすることだった。彼らは完全に道義的権威を欠いている。

分断拒絶し団結と連帯の道へ

 違う道がある。それは連帯の道だ。ムスリムと共に立つあらゆる集会、あらゆる見張り、あらゆる抗議は、集団としてわれわれがもつことができる力を示す。テロリズムはわれわれを孤立させ、分断しようと挑んでいる。労働者として自らに信を置く大衆的な決起は、われわれがムスリムを孤立させないということ、そしてわれわれは分断されないということを示す。それは抑圧された人々に安らぎと勇気を与えることができる。そしてそれは、他の労働者にさらなる連帯を示すよう促すことができるのだ。
われわれはこれからの数週間、ムスリム歓迎、レイシズムノー、さらにイスラム嫌悪と白人至上主義の打倒、というメッセージを定着させるために連帯集会を作り上げる必要がある。われわれは深い悲しみの中で団結しているが、これは一つの政治的悲しみだ。それはファシズム的憎悪への回答だ。ファシズムは、われわれの自由――ムスリムの宗教的かつ市民的自由、われわれの多様性の自由、集団としての労働者の力――をひどく嫌う、したがってわれわれはこれらの自由を集団的に行使することにより、今回の人種的殺戮をかき立てている憎悪に対するわれわれの拒絶を示さなければならない。
このような脈絡を背景とすれば、哀悼と敬意は街頭にとどまることを意味しなければならない。労働組合の催しは前進しなければならない。集会、ストライキ、作業を止める集会は、階級的団結と力のエンジンであり、それこそまさに極右が憎むものだ。それらはわれわれに、勤労階級の団結として、ムスリムと非ムスリムが見える形で団結した闘いとして、共になる機会を与える。われわれは、労働組合の活動の取り消しや先送りを求めるあらゆる呼びかけへの反対を強く主張する。
ファシズムは絶望の政治だ。それは、クライストチャーチでの行為のような、冷酷さをもつ野獣的な行為を通じて他の者たちに絶望を伝えたいと思っている。それは、レイシズム、偏見、怖れ、他者への強い嫌悪を育てる。それは希望のなさの中で成長する。
社会主義は希望の政治、労働者階級の団結の、白人至上主義と上から推進される分断に対決する、底辺からの協力がつくる政治だ。今回の悪逆行為後に国中で起きている大衆集会は、前進に向けた道筋、すなわち連帯、希望、公然とした反抗を示している。ファシズムに立ち向かうこと、そして反ムスリムと反移民の偏見を社会から追い出すことは、今日われわれすべてにとって急を要する任務だ。
われわれはまず哀悼する。そして今組織する。
二〇一九年三月一七日

(注)ウィンストン・ペータースは、ニュージーランド第一党の指導者であり、彼の党が労働党と連立する中で、その後副首相になったことがある。(「インターナショナルビューポイント」二〇一九年三月号)  

クルディスタン

トランプの裏切りを前に

クルド解放運動との連帯を

デイヴィッド・フィンケル

 

  軍国主義者のタカ派と自由主義的専門家は、ドナルド・トランプの「勝利」宣言とシリアからの米軍部隊撤退の公表に関し同様に憤慨している(もちろん、派手に)。実際のところ、中東に降りかかっている諸々の惨害に対しそれが意味しているものは何だろうか?

米帝国主義の
身勝手な策動
確実に真実であることは、二〇〇〇人の米軍部隊はシリアの内戦とこの国の破壊を解決はできず、米帝国主義には、そこや他のどこでも、介入というビジネスに何の正統性ももっていない、ということだ。
これは、部隊を撤退させるというトランプの計画に何の重要性もない、あるいは平和に関係するものは何もない、ということを意味するわけではない。それは、地域の将棋盤上における一つの動きなのだ。そして帝国主義にとっては、連携相手は将棋の駒だ。
シリアのクルド勢力は、残虐な「イスラム国」を相手にしたもっとも力を発揮する戦士になっていた。彼らは、シンジャール山におけるISISの皆殺しからヤジディの人々を救い出し、性奴隷からヤジディの女性数百人を解放し、コバニの町をISISの包囲から守った。トランプの公表は、トルコ大統領としての独裁者、レセプ・タイップ・エルドアンに対する一つのそぶりであった可能性があり、それは、クルドの戦士たちに対する冷笑的な裏切りだ。
エルドアンの最優先は、彼の支配に対する民主的反対派すべてと並んで、クルドの民族的大望を打ち砕くことだ。シリア北東部における米軍部隊の存在は、トルコがそこでクルドに対する殺人的な攻撃を始めることを制約している。
クルドの背中と自律や独立に対する彼らの切望に当てられた帝国主義のナイフは、再三再四繰り返されている一つの話だ。同時に、サウジアラビアの米国が甘やかしている殺人的な王室は、イエメンを皆殺し的飢餓に今追い込んでいる。イランに対するイスラエルと米国の脅迫は、テヘランによるそれ自身の均衡が取れない抑止力強化――イスラエル・レバノン国境近くのヒズボラに対する高性能な誘導ミサイルの供与――を引き起こしつつある。
理解するための主要点は、帝国主義はそれが解決不能な問題を諸々つくり出す、ということだ。それは、二〇〇三年のイラク侵攻以後に一層、悲惨な形で明白になっている。

「戦略的利益」
にこそ対決必要
犯罪的なことに、民主党の政治家たちは何人かのリベラルと思われている者を含んで、より軍国主義的な姿勢をとることによって、ドナルド・トランプを出し抜こうと務めている。しかし、平和運動内部の善意ある人びとがトランプの撤退公表を支持すると語ったり、あるいは褒めそやすことまで行うことは、大きな間違いだ。問題は、この帝国主義政権によるこれやあれやの戦術的な動き――あるいは言葉だけの姿勢――が、軍事的―政治的介入主義政策全体から切り離した上での、いいことか悪いことか、ではない。
今トランプは、「イランを見張る」目的で米軍部隊をシリアからイラクへ移すと語っている。それが何を意味するかは正確にははっきりしない。しかしそれは疑いなく、イランに対する不気味なかつ高まる一方の脅威の一部だ。そしてそれには、問題を悪化させる可能性しかない。そしてイラクの政治指導部は、ドナルド・トランプの浴室マットのように扱われることには言うまでもなく、ワシントンの反イラン十字軍に引き込まれることに怒りをあらわに応じた。
この地域の宗派主義に向けた恐るべき転落、内戦、そして大規模破壊の中で、特にシリアにおけるクルド解放運動は、民主的大望を表し、何らかの軍事的能力を保持しているという、その両者をもつ唯一の残っている勢力だ。そこに限界や矛盾があるとしても、これは国際的な左翼と反戦勢力の連帯を集めるべき運動なのだ。
米国は、アフガニスタンからパレスチナにいたるまで、人々を苦しめる惨害諸々をつくり出すことと、大量に関係してきた。シリアの片隅からの部隊撤退という突然の公表が「われわれの戦略的利益」に含まれているのか否か、をめぐる政治的騒ぎは、それらの「利益」こそが問題であるという事実に、触れてさえいない。(「アゲンスト・ザ・カレント」より)

▼筆者は、米国の社会主義組織の「ソリダリティ」が発行する「アゲンスト・ザ・カレント」誌の編集者。(「インターナショナルビューポイント」二〇一九年三月号)

 


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