フランス
ジレ・ジョーヌ:新しい種類の民衆運動
階級闘争のあり方に再考迫る
クリスティーヌ・プパン/パトリック・ルモール
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昨年一一月から始まり、マクロン政権にはじめて一定の後退を強いたジレ・ジョーヌ運動は、政権による激しい弾圧や懐柔工作を受けつつも、全国各地での毎土曜日デモや交叉路封鎖の継続など、その強さを今も保持している。以下は、この運動、および政権との衝突の推移を追いつつ、運動の特質と今後への可能性をあらためて分析し、核心的な課題を確認している。(「かけはし」編集部)
政府に後退を強いた運動が出現
昨年一一月から始まり、マクロン政権にはじめて一定の後退を強いたジレ・ジョーヌ運動は、政権による激しい弾圧や懐柔工作を受けつつも、全国各地での毎土曜日デモや交叉路封鎖の継続など、その強さを今も保持している。以下は、この運動、および政権との衝突の推移を追いつつ、運動の特質と今後への可能性をあらためて分析し、核心的な課題を確認している。(「かけはし」編集部)
マクロンの「行動開始」というロードローラーは、容赦なく進んでいるように見えていた。しかしジレ・ジョーヌ(黄色のベスト)運動は、彼の政府を危機に投げ込んだ。民衆の怒りは、少なくとも象徴的に、この政権が後退を強いられたほどのものになった。フランス政府が、その計画を放棄することでのみ解決が可能になる危機に直面したのは、二〇〇六年以後では初めてのことだ。その二〇〇六年、諸労組が呼びかけた数日間のストライキによって支援された若者の大規模な決起が、初期雇用計画の撤回を強要したのだった(注一)。
一九八〇年代の新自由主義的転換以来、フランスでは社会的闘争が積み重なってきた。しかし、これらの連続的な闘争、ストライキ行動、また大規模なデモも、最良の場合でも、以前の時期の社会的獲得成果に対する破壊の幅を限定できたにすぎなかった。そして、雇用法令の一部を解体した雇用法、フランス国鉄の私有化、鉄道労働者の地位の破壊という形でこの数ヵ月続いてきた社会的後退、また長く連なる諸々の敗北を阻止できなかった。
先立つこの間の何カ月にもわれわれは、これらのスパイラルを断ち切り、二〇一九年に向けマクロンが計画した新たな年金反改革を打ち負かそうと努力したが、成果はなかった。しかし今日、激しく、創意に溢れ、統制不能の社会運動、ジレ・ジョーヌ運動の大きさと急進的な決意が、フランスの社会的で政治的な情勢をそれと分かる形で変容させ、力関係を変えた。
次に何が起ころうとも、この運動はすでにマクロン政権を不安定化し、少なくとも一時的に、反改革への常軌を逸した疾駆を止めている。年金、医療、市民サービスの分野では、いくつかの改革が、無期限に延期されるように見える。
既成の枠組み外で運動が永続化
この運動は二ヵ月以上持続し、年末休戦も、昨年一二月にストラスブールのクリスマス市場で起きた攻撃後の国民的団結も無視した。運動は、ソーシャルネットワーク上で野火のように広がった請願署名で始まった。それはこのような形で、あらゆる政治的枠組みあるいは労組の枠組みの外で発展した。高速道路上での環状交差路に対する封鎖が一一月に始まった。経済的機能を乱し、トラック運行を妨げるために、町々のすぐ外側の交差点が標的にされた。数十万人(最低でも三〇万人)のジレ・ジョーヌが、およそ二五〇〇ヵ所の封鎖に参加した。
昨年一一月一七日から、警察との調整がない無届けデモが毎週末、数十万人の参加者を連れ出した。パリではその連れ出し先が、労働者運動のデモが向かわない高級住宅街、政府省庁の事務所、権力の現場、そして市中心部だった。デモに対する警察の抑圧は、度を増し続けてきた。一二月一日には、凱旋門が標的にされ、非常に激しい衝突の中で外観が傷付けられ、ル・ピュイ・アン・ブレ(オート・ロワール県の自治体:訳者)では知事官舎が焼き討ちされ、ニースとナンテールの空港が封鎖された。一二月八日、政府は、軍用武器と装甲車を装備した警官八万五〇〇〇人を動員、パリや大都市のほとんどでのデモを止めることもなく二〇〇〇人以上の「予防」拘禁を行い、一つのメッセージを送りたいと思った。
この日以後弾圧が、ジレ・ジョーヌがパリで一斉にデモを行うことを妨げることになった。しかしこの国の残りではそうはなっていない。一二月半ば以後デモ参加者数が減少したとはいえ、その数は毎土曜日、依然非常に高い水準を保ってきた。運動は今なお存在し、非常に決意の固い人々数万人を動員し続けている。それでも政府は、ジレ・ジョーヌを住民の残りから政治的に孤立させようと、僅かな譲歩を行い、見せかけの論争を始めつつ、前例のない警察の弾圧と法を使った弾圧によって、決起を破壊するためにあらゆることを行ってきた。
政府は一二月一日のデモの後、抗議の起点になった燃料税引き上げの取り消しを公表した。しかしそれは小さすぎ遅すぎた。政府は一二月八日のデモの後、「あなたにプレゼントを贈るが、その支払いはあなただ」との全体原則にしたがった公表を行った。プレゼントの資金はすべて税金から当てられる。富裕層や経営者から徴収される資金は一ユーロもない。そしてそのプレゼントとは、「費用を雇用主に課すことがまったくない」、被雇用者に対する最低賃金月額一〇〇ユーロ引き上げ、諸企業における年末ボーナス(雇用主がそれを選択すれば)、時間外労働に関する税控除の復活、そして月収二〇〇〇ユーロ以下の年金生活者に対する、社会保障資金を補助する税の引き上げ取り消しなどだった。それはトリックだが、しかし象徴となる形で、彼らは後退したのだ!
激しい弾圧の一般化と抵抗
今年三月一五日までとして、全員が居住地あるいはインターネットで自ら表現できるとされる「大論争」が政権により組織されてきた。しかしこの論争は全体的に操作され、関を設けられている。つまり、「引き下げられるべき税は何か」、「いくつかの公共サービスは抑えられてよいのか」、「環境保全の移行に対する資金手当はどうあるべきか」、徴収によってか、税によってか、等々のタイプの問題は遮断され、「話し続けよう」タイプの問題には開かれているのだ! このまやかしがジレ・ジョーヌをだますことはなかったが、それはメディアの動員に余地を与え、政府とマクロンの主張により多くの場を与えている。
「危険な階級」に対する弾圧は、テロリストの攻撃の中で確立された非常事態を起源とする治安法を基礎に、前例のない水準に達し、均衡を欠いた警察の暴力の展開に導いている。これまでに、数千人におよぶ逮捕、時には一二月八日のパリでのような予防拘禁、一定の町における一〇〇〇件単位のデモ禁止、数百人にのぼる投獄や数ヵ月の、実際は数年の投獄刑宣告があった。そのほとんどは簡易手続きを通すものだった。八〇歳になる一人の老婆が、催涙ガス弾で殺害された。一方、数百人のデモ参加者が深刻な傷を受けた。すなわち、四人は破裂弾で手に裂傷を負い、二〇人は閃光弾や痛撃弾で負傷し、数十人は破裂弾の破片で負傷し、数百人は故意にこづき回された。何万人もの非暴力のデモ参加者は、「憎むべき暴徒」にたとえられてきた(マクロンによって)。政府は、新たな超抑圧的な「反略奪者」法の導入を求めている。
ここであらためてジレ・ジョーヌが、情勢を変えることになった。マクロン政府はオランド政府同様、一つの政治的武器として抑圧を利用し乱用することになった。つまり、諸々の決起を掘り崩すための、衝突シーンに焦点を絞るメディアを使った、あらゆる社会的かつ政治的表現における、非常事態を起点とする諸方策、抑圧、犯罪化の一般化であり、民衆居住区や移民に適用されている諸手段の一般化だ。
しかし、諸々の暴力シーンは、ジレ・ジョーヌ運動に対する住民の無言の支持を引き下げなかった。つまり、暴力に大いに責任があると見られているのは警察なのだ。そして、閃光弾(実弾を使わない最後の頼り)や破裂弾の使用に反対する、人権諸組織に支持を受けた一つの決起が始まっている。不平と調査の増加は、政府の弾圧政策を弱体化しつつある。
ジレ・ジョーヌとは何者か?
この運動は、見えなくされてきた人々を可視化し、メディアと有力者の恩着せがましい父権主義、実際は階級的侮蔑を証拠で示すことになった。その侮蔑は、政治とメディアの世界にとってまさに重要である代表者やスポークスパーソンを欠いたこの決起に対し、あからさまに表現されたのだった。この運動は、労働者、被雇用者、失業者、不安定就労者、年金生活者、職人、零細企業主……から構成される一つの運動だ。それは彼らの半分にとっては初めての決起であり、一方その他は、特に退職者の間では、ある時点で元の、あるいは現役の労組活動家だ。
そして彼らの半分は女性だ。彼らは最貧困層ではないが、ほとんどは自家用車を所有し、町や田舎や周辺のさびれた地域の庶民的居住地域で暮らしている質素な層だ。大都市、特にパリにはほとんどいかなるジレ・ジョーヌもいない。ジレ・ジョーヌが都市中心部でデモをする場合、それは彼らにとって馴染みの薄い場でのことだ。
毎日一七〇〇万人が居住地になっている彼らの自治体の外に向かっている。その内の一四〇〇万人は、大都市化で忘れ去られた小さな町の住民を加えて個人所有の乗り物を利用しなければならない。そして職の八〇%が一五の大都市で生み出されている中で、それらの小さな町では、職は一層まれになっている。
空間的な隔離は、彼らをますます、居住地区へ、大都市広域圏から遠く離れた小さな町へ、あらゆる公共サービスを奪われた、ほどよく暮らすために必要なすべてを奪われた場へと追い出すことになった。彼らは、ますます困難になる条件の中で懸命に働かなければならない。しかし、収支を合わせることが、尊厳をもってまともに暮らすことが難しいと気付いている。彼らは、ある種の下り坂を経験し、これに加えてエリートからの嘲りにさらされているのだ!
彼らは、自分の意見を自由に話し、高まる不平等、日々の暮らしの諸困難、そして有力者の横柄さと侮辱を糾弾する。この民衆的激高には、明確な階級的性格があり、それが民衆諸階級のあらゆる層の中でこの運動が得ている人気を説明する。フランスの現在として、それが、搾取され抑圧された者の階級の一部、さまざまな地位に基づき断片化され、不安定にされている一つの階級、から現れた底深い社会運動であるからだ。
この決起の中にいる被雇用者の多数派には、労組諸組織、ストライキ、あるいは集団的防衛との接触がない。ひとりの労働者が、もはや階層制に耐えることができないがゆえに、あるいは職を見つけることができないがゆえに自営になる場合、彼らは、銀行や大グループによって首を絞められている職人たちと自分たちがすぐそばにいることに気付く。彼ら全部は、同じ居住地に、同じ圏域に、相対的追い出しの同じ条件の中で、同じつらい単調な仕事の中で暮らしているのだ。
すぐさま拡大した諸要求とは?
この決起は、燃料税の新たな引き上げに対する拒絶から始まった。この引き上げは、社会的に不公正で、環境の側面では効果のないものだった。最初有力であったように見えた税そのものへの反対という性格は、また極右による(彼らにとっての)道具化に向けたもくろみは、かなりの程度に拡大した運動にはらまれた特別の勢いによって相対化された。つまり燃料税は、支持力の限界までの重さが載った棚に加えられた一本のわらしべにすぎなかったのだ。
不公正に対する拒絶は、もっと世界的な社会的反対へと向かう一つの運動を引き起こした。出発点からの進展は次いで早々に、税の不公正さに対する拒絶を超えて政府の諸方策の拒絶へと進み、攻勢的な諸要求を進める一組の要求作成で引き継がれた。
われわれは、それらが確かに存在しているとしても、民衆の大望を純粋に物質的な要求に切り縮めてはならない。国家の恣意性と民主主義否認を拒絶する一つの決起の早さと深さには、物質的要求だけをはるかに超える、不公正の拒絶を形に移し替えようとする深い感情の表現がある。彼らは、力ある者たちの軽蔑に「うんざり」し、社会と特に大統領のマクロンから押しつけられている軽蔑に、もはや耐えることができない。
運動の要求はどういうものだろうか?
▼不公正な税制反対。つまり、金持ちは富裕税(ISF)の取り止めのような税控除を享受する一方で、公共サービスは貧困な、実際は利用できない状態にある。したがって、脱税は処罰されるべきであり、各自はその資力に応じて拠出すべきだ。
▼購買力と退職者に対する積み重なる攻撃への反対。そこでは、もっとも弱い者は保護されるべき、労働者は公正な賃金を受け取り、連帯は機能し、公共サービスは確保される、との道徳的要請が表現されている。
▼力ある者たちの軽蔑に対する拒絶――尊厳と尊重を求める要求――は、マクロン反対の焦点化を説明している。彼は、寡頭支配を代表し、彼の傲慢で軽蔑的な権力行使を通して、不平等の政策を体現する、上層と下層からなる世界の政策を体現する、金持ちの大統領なのだ。「マクロン辞任」はこうして、どこでももっとも人気のあるスローガンになっている!
▼政治システムと被選出代表に対する不信、そして彼ら自身を声が聞き届けられる者にする手段を見出し、投票権に切り縮められることのない、実体のある民主主義を求める要求を中心に置こうとする意志。これは、市民主導国民投票(RIC)を求める要求が意味するものだ。それらが、不公正と有力者に反対する怒りの中に、新たな政治的表現を打ち立てようと追求する支配された者たちの連帯の中にある。
▼この政治的な側面を伴った、諸々の出会いの場、また孤立や個人化や孤独を断ち切る社会的で友愛的な結びつきからなる経験。
ジレ・ジョーヌ運動は、社会的不平等を増幅し深刻化してきた四〇年におよぶ新自由主義の攻勢に対する、民衆諸階級の一部による反応だ。支配階級は、その指導的役割、その権威を保つことに失敗した。それはもはや、搾取され抑圧を受ける者たちに同意を強要することができない。
マクロンは選出された時、一九八〇年代以後新自由主義の諸政策を率いてきた諸政党の信用失墜から利益を受けた。権威主義的政治体制の枠組みの中でのウルトラな新自由主義政策という彼の構想は、今日相当な障害、つまりその犠牲者の反抗、と衝突している!
彼の選出以来彼は、前任の諸政権の新自由主義諸政策を拡張する政策を実行してきた。彼は、第五共和制が抱える君主制的諸制度をこれ見よがしに利用することを通して、しばしば延期されてきた新自由主義的改革を押しつけようと願った(注二)。彼は、彼自身のイメージの中にいる政治的要員に囲まれて、妥協を含んだ諸政党や労組とのあらゆる討論を除外した。この寡頭支配にとっては、民主主義は時間の無駄であり、例外的な場合に諮問は想定される可能性はあるとしても、交渉の可能性はまったくなかった。
新自由主義の攻勢に対する反応
ジレ・ジョーヌ運動は、不公正な政策に反対し、それらには政府と大統領に責任があると思った。しかし、雇用主あるいは資本家の搾取それ自体を標的にはしていない。それは、もっとも紛れもない不公正の賠償を求めている。それをサミュエル・ハイヤットは「社会的諸要求のそれらの目録は、本質的に道義的な経済原則の定式化だ」と書いた。つまり「それは、もっとも傷つきやすい人びと(家のない人々、障がい者、その他)は保護される、労働者の賃金は適切である、連帯が機能する、公共サービスが供与される、脱税者は罰せられる、という要請だ。……確かにこれが運動に強さと住民内部の高い支持を与えている。それは、社会的諸要求の形で、現在の体制が明確に攻撃を加えてきた、あるいはそこへの攻撃を誇ってすらいた、道義的経済の諸原則をはっきり声にしている。この点から見れば、この運動の首尾一貫性は、運動が集権化された組織がなくても機能できたという事実として、もっとよく理解できる」と。
運動の推進力は、政治組織や労組組織が一つの役割を果たすことがないまま、その成り行きにしたがってきた。この運動は政府と全面的に衝突した。しかしそれはまた、労組や政治の指導者とも衝突したのだ! 住民の、主には民衆諸階級の極めて高い支持と、多くの左翼の界隈で作られた戯画との間には、くっきりした対照が生まれた。しかし職場で被雇用者がこの運動を大々的に支持している中でも、そして労組活動家や急進的活動家がそれに向けた決起を追求した場合であっても、今のところストライキ行動の形での伝染はまったくない。
ジャン・リュク・メランションやフランソワ・ルフィンのような不屈のフランスの指導者たちが、NPAのオリヴィエ・ブザンスノー同様、この運動を支持してきたとしても、大労組組織すべては、CFDTやFOだけではなくCGTも、デモ支持を拒否した。現場では、いくつかの労組と活動家組織が支持を与え、ジレ・ジョーヌの諸行動への参加を求めた。一二月一日や同六日の暴力的弾圧と逮捕に対し、たとえばフランス中でのデモを伴った一日スト形態のような、労組諸組織からの統一的対応がなかったことは、闘争中の民衆諸階級メンバーに対する支持を示す上で一つの機会を逸することになった。
一月に入って情勢は変化し始めた。数多くの町で、労組の「ジレ・ルージュ(赤いベスト)」がますます現れ、諸々のデモに受け入れられた。そしてCGTが単独で、遅ればせながらも、二月五日の二四時間ストライキを呼びかけた時、ジレ・ジョーヌの重要な層は、それを「延長可能なゼネスト」にするよう訴えた。
こうしたことは、ジレ・ジョーヌ単独あるいは労組組織単独よりも数を増したデモに反映された。これらのデモに参加した者たちにとって、収斂は実体あるものになり、共にあることには喜びがあった。同時にこの結集は、もっとも反動的な諸潮流に対する一定の抵抗を表した。
しかしながらわれわれは、延長可能なストライキはいうまでもなく、二四時間ゼネストからも遠く隔たっている。今のところ、民衆諸階級の他の層が決起するという点では、質的変化はまったくない。
社会運動の連続的敗北の産物
この運動はまた、労組運動にその行動様式の有効性について疑問を突き付けている。ジレ・ジョーヌの存在は、フランスの近年における社会運動の連続的敗北の産物だ。彼らの斬新さ、粘り強さ、そして成功は、近年の諸闘争が抱えていた諸限界を冷徹に照らし出している。
戦後高成長時代、階級的対立は社会内部の結合を示す一形態だった。資本家は、社会保障、年金管理、職業訓練その他について労働者運動と交渉した。しかし新自由主義者にとっては、たとえばサッチャーが「社会というようなものはない」と言ったように、あるのは諸個人と市場だけだ。つまり労組運動の退場だ。国家は、競争の保証人であり、必要な時は、またますますそうなる中で、国家が抑圧を保証する。
資本家が遂行した経済再構築という諸政策は、職場でのストライキによって経済を止める能力を引き下げることになった。産業集団はまずます大規模になり、ますます小さな生産単位に基づき国際化され、下請け化によって分散化されている。被雇用者の三四%だけが五〇〇人以上を雇用する企業で働き、その相当数はより小さな職場にいる。いくつかのまれな特筆的例外(精油所、運輸、その他)を除けば、被雇用者は、彼らのストライキに効力がある、とは感じていない。労働条件――不安定就労の爆発をもって――と職場活動――職員代表性に関する法の効果をもって――はますます変化を遂げた。われわれが失業者と自営の人々を加えるならば、搾取され抑圧された者たちの中で、労組との接触をもっている部分はますます限定される。
この間の全国的決起(年金、雇用法)は、時には非常に強力な、数百万人を動員する一連のデモを経験したが、しかし不満分子数の計測を可能にする以上のことはできなかった。われわれはもはや、デモの力が衝突のもう一つの水準という脅威をもたらす時代にはいない。今日これらの労組のデモは、逆に(それらが大規模である場合をも含めて)不能性の印となっている。われわれは、効力のある圧力手段が他にないがゆえにデモに決起している。また政治組織も、もはや被雇用者を職場で組織化していず、民衆諸階級とは選挙上の関係しか、つまり非常に遠い関係しかもっていない!
ヌイ・ドゥブの出現を受けた古い枠組みの外側からの、ジレ・ジョーヌの出現は、民衆層の多くの部分との関係における組織された社会運動の外在性を照らし出している。この部分の中に、これらの組織はもはやいかなる根付きも確保していないのだ。
ヌイ・ドゥブ運動は、フランスでは限定的だったとはいえ、他の社会諸層、都市の若者、より教育のある者、論争により意欲のある者を、しかしまた組織された社会運動の外部で、動員した。そして彼らは、町の広場の占拠によって力関係を変えようとした。この運動の中には、ジレ・ジョーヌの場合同様、無益、実際は有害と、いずれにしろ状況にはふさわしくないと、支配された者の必要には対応していないと見えた組織すべてに対する拒絶があった。この外在性はまた、行動に出ることを欲している者たちの当然の代表とは受け取られていない現存の市民諸団体(女性運動や環境運動)にも影響を及ぼしている。
ジレ・ジョーヌの運動はさらに、職場がもはや階級衝突を組織する中心ではないという事実をも照らし出している。それは、他の場(環状交叉路)、他のツール(ソーシャルネットワーク)、他の形態(封鎖、無届けデモ)、また他の標的(高級住宅街、政府権力の所在地)を捜し、見出した。
水平的な自己組織化への切望
代表をもつことができない一つの運動について、これまで何という辛辣なコメントが行われてきただろうか! しかし一人も代表がいないということは、必ずしも、組織や論争や民主主義がまったくない、ということを意味するわけではない。民衆諸階級のこれらの部分は、共同行動体を築き上げ、職場の外での、環状交叉路や高速道路料金所のような公共空間での結集を追求してきた。
完全に予想外のことは、現場で調整された諸行動を通じて同時的にあらゆる所で発展を見たという、自然発生的運動にはらまれた全国的重要性という側面だ。ソーシャルネットワークが、完全に水平的で平等主義的なやり方で、いわゆるソーシャルネットワークの演算様式に媒介されてだが、互いに見ず知らずの諸個人を結びつけた。しかしこの運動の幅は、ソーシャルネットワークの力だけでは説明できない。
少しずつ少しずつ、運動が自然発生的に組織化されたのは、これら環状交叉路の諸グループの周辺でだ。それらの行動が続いたところで、諸グループが多様な形態の下で生み出されることになった。つまり、定期的に会合し、論争後にその行動を多数票決で決定し、また公衆への表現をもっているグループから、何の論争もなしに決定する部分や時には自称指導者と共にそこにいる者たちまで、ということだ。時々は、一つのあるいは数カ所の環状交叉路グループが一人のスポークスパーソンを指名している。
各グループは、その決まりがどうなるかを自分で決めている。ここで、極右が反資本主義者の活動家を排除し、他のところでは反対のことが起きる! 共同行動に対しては、基礎になることはソーシャルネットワーク上で決められている。一つのグループがたとえばショッピングセンターの占拠という提案を作り、ソーシャルネットワーク上に情報を送り、他が反応したりしなかったり、ということだ。そして十分な人数がいれば行動が起きるのだ。
週末の土曜デモには時々は労組活動家など、ますます他の参加者が加わっている。ルートはこれらのデモの中で非公式な総意によって決定されている(警察の攻撃への対応によって強要されない場合)。それは、ほとんどの場合これらのグループとの暗黙の合意によって、どんな行動をとるかを全員が決定する運動だ。労組員である者やストライキに参加したことのある者を含んで、ほとんどの参加者にとって、自ら決め行動したのはこれが初めてのことだ。
この組織性の欠落は明らかに、個人的な、また極右グループからという両者の意味で、さまざまな策謀に余地を与えている。極右が反移民のテーマを押しつけることに成功しなかったという事実が示すように、この運動の中で極右は有力ではないとしても、一定の環状交叉路やデモの中に、それでもやはりそれは存在しているのだ。後者の中では、何らかの民主的な構造の不在は、一二月一日のパリのデモにおける作戦のような行動、あるいは一月二六日のNPA隊列に対する攻撃、こうしたことを組織する余地を小グループに与えている。
全体としてある調査が示すことは、参加者の三分の一は自らを「ノンポリ」で右でも左でもないと明らかにし、一定の立場をとる者の中では、四〇%以上が自らを左翼と、一五%は極左と、右翼は一五%以下、極右は約五%と認識している、というものだ。
現場レベルでの行動と決定は自分たちの統制下に置くべきというジレ・ジョーヌの切望は、間違いなくこの運動を根のあるものにし、その成功に力を与えている。しかしそれは、地域と全国のレベルで調整される必要がある。ここまでのところ、運動の成熟化が何らかの民主的な構造化を生み出す、というところまでにはいたっていない。
政治的対立を避けてはならない
コメルシー(ムーズ県にある自治体:訳者)のグループのイニシアチブにおける「総会の総会」を通した全国的構造化の始まりは前向きだが、依然限定的だ。一月二七日に開催されたこの会合は三五〇人を結集したが、環状交叉路/諸グループ/現場総会から権限を与えられた代表は六〇人にすぎず、個人の参加者やジャーナリストを勘定から除くと、オブザーバーとしての代表も約二〇人だった。
民主的な全国的論争の不在は、この運動を構成する特徴の一つ、つまり満場一致への要請、を強化している。直ちに総意を得ることができる諸要求が前進させられている。市民主導国民投票(RIC)が典型的な事例であり、意見が分かれそうなものは脇に置かれている。
分裂のない均質な民衆を求める切望は、その行動の政治的な側面を否認することに導いている。分裂、対立、は抑圧されている。しかしさまざまな選択肢間の論争はある。たとえば、交渉にもっと開かれた選択肢、「デガジステ」選択肢(代わりが何かを述べずに単純に現体制を取り除く)、イタリアの「五つ星」運動風の政治運動形成を求める選挙志向の選択肢、などがある。最後のものは当面人気を得てはいない。最後に、国民をアイデンティティと主張する者たちの選択肢にもまた、定着の可能性が与えられている。
政治論争に対する拒絶を克服することが、鍵を握る課題の一つだ。「民衆」は均質でも同意見でもない。それには多様な利害と見解の横断線が走っている。平等と社会的公正に可能性をもたらすのは、抑圧や搾取の存在に対する否認ではなく、それらの消失なのだ。抑圧が「民衆」という呪文の中で溶けることはなく、それとの闘いには当事者の自己組織化が必要になる。直接民主主義は、政治を抑圧するどころかさまざまな社会的選択を表現する可能性をもっている。われわれは、政治的敵対、対立、を受け入れなければならない。それらは民主主義に必要なのだ。
運動は論争をいくつか進めた
?エコロジーと気候変動問題について。
他方でわれわれは、気候の運動の発展を今目撃中だ。実際昨年九月以後、定期的かつ数知れない気候行進があり、そこには、気候変動に関する無行動を理由としたフランス政府に対する法的行動、を支持する「世紀的事件」請願の成功が伴われている。ちなみにこの請願には二〇〇万筆以上の署名が寄せられた。燃料に対する炭素税引き上げは、それがどういうものかが、つまり社会的に不公正(富裕層よりも貧困層に罰を与える他の直接税同様)、かつ環境的にも効果がない、ということがあらわになった。
自動車使用の道義化/処罰化は、その自動車が仕事、居住、公共サービスの全体的組織化によって押しつけられている中では効果がない。資本主義は、労働力の搾取だけに甘んじているわけではなく、自動車、土地投機、社会的かつ経済的組織化によって形作られた、時間と空間をも構造化しているのだ。そしてこの構造化は、新自由主義的グローバリゼーションを背景にいくつかの大都市周辺に集中している。
この空間的隔離が、忘れ去られ犠牲にされた人々、公共サービスとほどよく暮らす上で必要なすべてを奪われた人々によって際立たされることになった。社会的公正と気候の公正間にある避けられない結びつきは、諸々の気候行進のスローガンと環境運動が示している懸念の中で前進を遂げた。
?女性の位置。
彼女たちの強力な存在が多くを驚かせている。それは、労組や政治的行動における女性の低い可視性と対照をなしている。彼女たちの決起は、彼女たちが貧しい、パートタイムの、不安定就労の勤労層や貧しい年金生活者などの多数派であることを白日の下に引き出している。それは、ケア、医療、個人的サービスなどのほとんどの仕事に責任を負っている、プロレタリアートのこの部分に押しつけられてきた不可視性を粉砕している。
彼女たちは、異なった労働条件に基づいてほとんど認められず、低い賃金しか払われていず、多くは彼女たちの子どもを一人だけで育てている。要求は、職や賃金だけではなく、生活を構成するすべてにも関係している。たとえば、住宅、交通、また公共サービスへの権利――主に女性に関係があり、労働組合運動が取り上げていない諸課題――がある。
新しい可能性と現実の政治
この巨大な動乱は新しい可能性を諸々開いている……、しかしすべては白紙だ。決起した最大部分(五〇万人にのぼる)と残りの住民に今政治的に起きていることの間には、違いが一つある。運動の内部とは逆に、極右の台頭という深い傾向は逆転していない。衝突における進展には、反マクロンの推力、新自由主義の資本主義的選択への疑問視がある。しかし現在の政治的推進力は、この類型の運動もまた極右を利する可能性をもっている、というようなものなのだ。
この運動それ自身だけでは、これらの論争を自然発生的に解決することはできない。極右にはジレ・ジョーヌ運動に乗ずる可能性はあるとしても、それは極右を強化している運動、と考えれば間違いとなるだろう。
住民の広大な多数によって支持された二、三〇万人のジレ・ジョーヌは、マクロンと彼の政府を何とか不安定化できた。しかしはっきりしていることは、政府を屈服させるためには、搾取され抑圧された他の層、この運動を支持していても自らはまだ行動していない人々、を始動させることが必要になる。
怒りのすべてを統一するためには「結集」を語るだけでは十分でない。そして何よりもそれは、その有効性を示してきたジレ・ジョーヌのものであっても、たった一つの横断幕の下でなされることはあり得ない。搾取され、抑圧された者たちの行動におけるこの統一は、組織諸形態と行動手段の相互横断的な豊穣化の中で、また均質な民衆というものは決して存在していないということ、しかし抑圧、支配(ジェンダー、階級、人種)は、それらと闘うための当事者の自己組織化を求めているということ、これらの認識の中で、はじめて達成され得る。
われわれは、猛烈で創意ある、さらに統制しがたい社会運動を付随させた、前例のない情勢の中で生きている。最終的にあえて極論的に言えばわれわれは、六八年五月の五〇周年を闘いによって、階級闘争の諸条件がこの五〇年でどれほどまで変化を遂げたのかをその諸特性で示した、ジレ・ジョーヌのこの決起をもって祝っている。
それは一つの動乱であり、われわれは二一世紀に入っているのだ! しかし、現在の運動が大きな政治的危機をつくり出しているとしても、われわれはこの時代の基本的な力学を、世界的な力関係の中に刻み込まれている「ファシズムの可能性」という力学を、転倒させることからはほど遠いところにいる。
決起のこの新たな波はあらためて、搾取され抑圧された人々の政治的表現、そして彼らの日々の行動に有益な政治的ツール、それらの明白な不在を突きつけている。そうした活動家の共同機関、ネットワーク、組織は、一つの解放構想を軸に、一つの政治的展望を起点に、はじめて建設が可能になる。そしてそれらは、社会的公正、富の再配分、さらに民主主義を求める要求を起点に発展させられなければならない。
実体的諸運動から、運動に向けた共同機関から、組織の民主的な諸形態の再考から……、これはかつて以上に反資本主義派、革命派、そして搾取と抑圧を終わらせたいと思っている人々の任務になっている。
▼クリスティーヌ・プパンは、化学部門の労組活動家であり、フランスNPA(反資本主義新党)の全国スポークスパーソン。
▼パトリック・ルモールは、第四インターナショナルメンバーであると共にNPAの一指導者。
(注一)初期雇用契約は、被雇用者の解雇をもっと容易にする目的の下にシラク政権によって導入された。(注二)そこには、布告による、雇用法と解雇法の章句全体の取り除き、賃金凍結、失業者管理の強化、ポイント制の導入に基づく年金改革、公共部門の職の圧縮、最貧困層を含む年金生活者による社会的拠出全体の引き上げ、職業訓練の改革、フランス国鉄の公共サービス義務への問題視、新たな年金改革が含まれている。(「インターナショナルビューポイント」二〇一九年二月号)
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