沖縄報告 3月24日
ジュゴンが死んだのは埋め立て工事のせいだ!
沖縄 K・S
3.20
県内外の100人以上が参加
安和桟橋で土砂搬出阻止行動
|
三月二〇日水曜日、琉球セメント安和桟橋で、オール沖縄会議現地闘争本部による土砂搬出阻止行動が行われ、県内外の一〇〇人以上が参加した。安和桟橋ゲート前および海上の行動はダンプの搬入を遅らせ、運搬船の積み出しを遅らせる具体的で目に見える成果がある。参加者もそのことを実感しているため、安和現地行動の参加者は元気で意気軒高だ。毎週水曜日、辺野古ゲート前にバナナの差し入れを続けていた元師範鉄血勤皇隊の古堅実吉さんも安和に姿を見せ差し入れを続けてくれる。沖縄平和サポートの稲葉さんは毎週手作りのぜんざいやフルーツポンチを大鍋に入れて持参してくれるので、参加者の楽しみの一つになっている。
安和を午前中で切り上げて、私は今帰仁へ向かった。前日新聞で報道された、ジュゴンが死骸となって打ち上げられた岸壁がどんなところか、この目で見たかった。まず今帰仁漁協へ行き、写真をデータで送ってもらうことにした。そのあと、岸壁へ向かった。海は穏やかできれいだ。
死んだジュゴンは
「個体B」メス
三月一八日夕方、死んだジュゴンが今帰仁漁港の防波堤に打ち上げられているのを漁協の組合員が発見した。沖縄周辺海域でこれまでジュゴンは三頭しか確認されていなかった。三頭にはそれぞれ「個体A」「個体B」「個体C」の名称がつけられていたが、今回死んで打ち上げられたのは「個体B」とみられる。体長三m、体重五〇〇sのメスで、頭や顔、口の周辺、胸びれに出血があり、皮膚がむけている個所も確認された。今帰仁村はジュゴンの死骸を管理し、沖縄美ら島財団に死因の調査を求める予定だ。
熱帯・亜熱帯の浅い海に生息する「海牛目」のジュゴンは絶滅危惧種で日本の天然記念物だ。日本には沖縄だけにしかいない。過去二〇年にわたって実際に確認されたのは三頭のみだった。そのうちの一頭が今回死に、ほかの二頭も四年前と昨年から目撃されていない。どこかで死に絶えてしまったのか、沖縄を離れてどこかへ移動してしまったのか不明だが、沖縄のジュゴンは絶滅した可能性が高いと考えなければならない。
沖縄のサンゴ礁の海の生物多様性を象徴するジュゴンが死んだ。ジュゴンは元々藻場が豊富で豊かな環境の辺野古・大浦湾に生息していた。ところが、埋め立て工事のせいで、広大な餌場となる藻場を奪われ、住処を追われ、死んだのだ。別の言葉で言えば、直接手を下していなくとも、安倍がジュゴンを死に追いやった。
今帰仁漁協の元組合長の平良さんは「戦前から七〇年以上漁業をしている。ジュゴンを見たのは初めてだ。このジュゴンは辺野古の藻場を食糧にしていたと思う。埋め立てで辺野古を追われて今帰仁にやってきて、エサを探し回りながら命が果てたのだろう」と語った。もしジュゴンが言葉を発することができたなら、住処をかえせ!餌場をかえせ!と叫んでいたことだろう。
「埋め立て工事はジュゴンに影響がない」と言っていた政府防衛局のウソがジュゴンの死という痛ましい形で明らかにされた。政府は埋め立て工事を中止せよ。ジュゴンの餌場である藻場を囲った護岸を撤去し藻場を元通りにせよ。もし生き延びて他に移動しているジュゴンがいるなら、再び辺野古・大浦湾にジュゴンが戻ってくる方法は原状回復しかない。
3.23
平和市民の学習会に130人
辺野古埋め立てはできない! させない!
三月二三日土曜日、平和市民連絡会主催の学習シンポジウムが開催された。会場の教育福祉会館三Fホールに約一三〇人が集まり、三時間をこえる講演・意見交換に熱心に参加した。司会は平和市民の岡本由希子さん。
はじめに、和田重太弁護士がアメリカでのジュゴン訴訟に関する報告を行い、「なぜ米国で裁判をしているのか?」について説明するとともに、裁判の経過と現状を話した。さらに、徳田博人琉大教授、平和市民連絡会の北上田毅さんのパワーポイントを用いた講演が続いた。
和田弁護士がジュ
ゴン裁判を報告
辺野古の基地建設は日本政府・米国政府の共同の行為。従って、日本政府・米国政府とも基地建設にあたり自国の法律を順守しなければならないのは当然。米国の国家史跡保存法(NHPA)は、米国外に存在する文化財に関しても、国家の行為が悪影響を与える可能性を十分に考慮すべき義務を課している。米国で裁判をすることのメリットは、環境保護の視点が不十分な日本の法制に比べて、進歩的な環境保護法制があることと、国の行為の違法性に関して、判断を避け行政を止めない日本の裁判所に対し米国の裁判所は独自性があるので、米国政府の違法を主張しやすいことにある。ある意味三権分立が機能しているともいえるが、日本の場合は絵に描いた餅にすぎない。
米国地裁で現在
控訴審で審理中
二〇〇三年一〇月に提訴。二〇〇五年、二〇〇八年にサンフランシスコ連邦地裁の中間判決が出て、米国防総省がジュゴンへの悪影響の考慮を履行せず違法と認定した。それに対し、米国防総省は二〇〇八年以降ジュゴンへの影響を調査し悪影響はないと二〇一四年に判断したと主張した。その結果、二〇一五年二月地裁は、「基地工事の中止を命じる法的権限はない」とする国防総省勝訴の判決を出したが、二〇一七年八月、高裁は、地裁判決をひっくり返す判決を出し、地裁に差し戻した。二〇一八年八月、地裁は再び、米国防総省の判断に違法性がなく、ジュゴンに悪影響がないとする判断が恣意的であると言えない、との判決を下した。現在控訴審で審理中。自分たちの作った規則はきちんと守らせる。
徳田教授が国との
裁判闘争を語る
県民投票で辺野古の埋め立て反対!との民意を明確にしたことによって、通常選挙のように争点の一つに過ぎないなどという政府の弁明ができなくなった。
日本は天皇を頂点にした上意下達のピラミッド型国家として成立してきた。戦後の国の三権分立と国地方自治体の権力分立により、一つの自治体に適用される国の政策に対し当該住民の同意なしに推し進めることはできなくなり、当然態度を改めるべきなのだが、国は旧来の上意下達型行政に固執している。明治憲法から現憲法への変化の最大の点が戦争の放棄と共に、地方自治にあるにもかかわらず、だ。
「安保・外交問題は国の専権事項」という主張はまさに上意下達のピラミッド型国家の主張であり、住民自治と団体自治を壊す言葉に他ならない。沖縄は地方自治がうまく機能しているにもかかわらず、いろんな理屈をつけて国が違法に関与する。県民投票でも、「国の専権事項」を言って国に寄り添い住民自治を軽んじる市長や政治家がいた。こういう人たちを選ばないようにすべきだ。県民投票がつくった流れは今後の埋立承認の再撤回や設計概要変更申請において大きなウエイトを占めるものになる。
日本の裁判所は憲法通りの判決をしてくれない。行政の違法行為に対して救済すべき機関も機能しない。行政追随が蔓延している。辺野古の闘いは行政を正常化させる闘いだ。
北上田さんが工事は頓挫すると解説
昨年一二月から埋め立て工区A―1に対する土砂投入が始まった。A―1工区は面積六・三ヘクタール(全体の四%)、土量一三・七万立方メートル(全体の〇・七%)。政府は工事は順調と宣伝しているが実際は違う。三カ月過ぎた今も、土砂投入量は四分の一どころか五分の一程度に過ぎない。この現状で三月二五日から新たな埋め立て工区Aに土砂を入れるというのだ。A工区は面積三三・八ヘクタール(全体の二一%)、土量一一〇・九五万立方メートル(全体の五・四%)
埋め立て工事は順調に進んでいない。陸揚げ桟橋がないため土砂運搬が追い付かない。海上で停泊したままの運搬船は一〇隻にのぼる。工区Aの土砂投入を始めれば、工区A―1に入れる土砂がなくなる。四月から本部港(塩川地区)からの土砂搬送を始めると言っても、現状以上に増やすのは困難だろう。結局、辺野古側の一面を破壊し、原状回復ができないことを見せつけ県民をあきらめさせることだけが目的だ。
現在造成中の新たな揚陸護岸K8は、事業開始当時計画され頓挫した「仮設桟橋・仮設岸壁」の代替だが、完成まであと四カ月程度かかる。画面の安和および大浦湾の写真に明らかなように、搬入されたのは赤土混じりの土砂だ。県も昨年末、今年初めと埋立土砂に関して行政指導をし「土砂投入の中止」と「立入検査・検査のための土砂提供」を求めているが、政府防衛局は応じない。一月の防衛省交渉の場では、「閉鎖した場所だから違反ではない」などと弁明している。しかし護岸は完全に閉じられた構造ではない。ご覧の通り、汚濁水が抜け出ている。
埋め立て土砂の岩ズリの単価は一立方メートルあたり一八七〇円から五三七〇円へ、三年前に比べて三倍もの高額になった。辺野古側の総土量一二九万立方メートルに換算すれば、四五億円の超過になる。一社のみの見積もりで、琉球セメント安和鉱山が好き勝手にやっている。
大浦湾の軟弱地盤は深刻だ。活断層も極めて危険。三月初めの立石新潟大名誉教授ら地質学者一二人の現地調査でも活断層の可能性が高い、との結果が出た。埋立承認撤回の最大の理由ともなった軟弱地盤問題は、防衛局が二年以上も事実を隠していた。安倍首相は今年一月の衆院代表質問で初めて地盤改良工事の必要性を認めた。三月一五日、防衛局はこの間の土質調査報告書、設計・施工検討書等合わせて三一件、九九四七枚の文書を提出した。これらを見ると、大浦湾の軟弱地盤は海面下九〇mにまで及んでいることが分かる。護岸下部だけでなく、埋立区域に広範に広がっている。サンドコンパクション工法とサンドドレーン工法によるとしているが、九〇mまでの作業船は国内にない。世界でも韓国で七〇mまでの工事実績があるだけだ。
要するに、国内外でやったことのない難工事ということになる。県の試算によると、工期一三年以上、費用二兆六五〇〇億円に達する。政府は工期も費用も明らかにしていない。工期や費用を明らかにできない公共工事などありえない。見通しのつかない新基地に固執し、辺野古唯一ということが普天間の返還を遅らせる。さらに、過去地盤改良工事でデータ改ざんの不正を行っていた東亜建設工業が今回もケーソン新設工事を受注している。
玉城知事は工事の中止を求めている。昨年の埋立承認の撤回が今でも有効だと強調し政府の姿勢を批判している。そして、設計概要の変更申請に対し承認しないことを明言している。辺野古新基地建設は完全に頓挫する。
3.21
「カタルーニャと琉球の独立を考える」
奥野良知教授が講演
三月二一日春分の日、沖縄大学で講演会「カタルーニャと琉球の独立を考える」が開かれた。われわれの世代に一番なじみがあるのは、一九三〇年代の『カタロニア讃歌』、ヘミングウェイの小説『誰がために鐘は鳴る』、同名の映画ではないだろうか。しかし、カタルーニャのスペイン中央政府に対する抵抗の歴史は中世の王国時代にまでさかのぼり、数百年以上の歴史を持つ。奥野良知さん(愛知県立大教授)は以前、大学で翁長知事を呼んで講演会を開こうとしたところものすごい圧力がかかって断念したいきさつを紹介したあと、カタルーニャについて詳しく講演した。
カタルーニャ独立運動の歴史と現在
一九七五年フランコの死の後、カタルーニャを「自己決定権をもつ政治的主体としてのネーション」と規定した新自治憲章の制定(二〇〇六年)と憲法裁判所による違憲判決(二〇一〇年)を経て、カタルーニャの人びとは急速に独立への歩みを強めた。中央政府が「スペイン・ネーションの一体性」を強調しカタルーニャの歴史的・文化的独自性を否定すればするほど、カタルーニャは独立支持へと向かった。二〇一二年の一五〇万人の「カタルーニャ、ヨーロッパの新国家」、二〇一五年の一四〇万人の「カタルーニャ共和国への自由の道」を経て、二〇一七年一〇月一日、独立の是非を問う住民投票が行われた。中央警察による暴力、三一九の投票所の閉鎖、一〇六六人の負傷者にもかかわらず、投票率四三%、独立賛成九〇%の結果が出た。その後、独立宣言、中央政府による自治権停止、自治政府幹部九人の逮捕・七人の亡命と続いた。カタルーニャでは、政治犯の釈放を求める大デモが行われている。問われているのは民主主義と基本的人権だ。
【訂正】前号3月25日号1面紙面案内「3・10さよなら原発関西アクション」の日付を「3・9」に、5面「宮城県県民投票条例案を否決」の日付と写真説明の「3・14」を「3・15」に訂正します。
|