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    かけはし2019年3月11日号

「有害なサイクルに終止符を」


カシミール

プルマワでの攻撃に対する共同声明

ジャム・カシミール・アワミ労働者党/ラディカル・ソシアリスト(インド)/パキスタン労働組合防衛キャンペーン/パキスタン・人民権利運動/ファルーク・タリク(個人として)


核保有国であるインドとパキスタンがカシミールで軍事衝突し、緊張が高まっている。この衝突の原因となったテロ攻撃に対し、インド、パキスタン、カシミールで活動する革命的左翼の三組織とファルーク・タリク同志が共同声明を公表した。以下に紹介する。なお現在の軍事的緊張を前にラホールでは大規模な反戦集会が開催されている。(「かけはし」編集部)

 テロリズムは、いかなるカテゴリーに属する人にとっても関係があるものではないが、罪のない市民を殺傷すること、あるいはその攻撃の際立つ特性のゆえに、戦闘地域・戦場以外の完全に無防備な兵士でさえも殺傷することを意味する特定の方法・技術・戦術に関係している。テロリズムは、まさにこのような行為であるからこそ、個人やグループ、さらには国家機構のようなより大きな集合体によって実行されうるし、現に実行されている。四〇人の治安部隊員を殺害した自動車爆弾攻撃は、まさにそのような行動であり、最大級の非難に値するものだ。あらゆるテロリズムの場合と同じように、われわれの支持と哀悼の意は、最愛の犠牲者、そして犠牲者の家族・親族・友人とともにある。
 犯行は、カシミール人の青年であるアディル・アフマド・ダーによって行われたが、公式の表明によれば、彼を訓練し、段取りを整えた責任は「ジェイシュ・エ・ムハンマド」(JeM)(訳注1)にあるとのことだ。このグループは、パキスタン政府の重要な部門から支援を受けているとされる。これが事実であると考えれば、われわれが緊急に、そして長期的に要求すべき正義の道とはどのようなものであるべきだろうか?

明らかにされるべ
きは本当の責任者

 正義の黄金律(訳注2)は、有罪が立証された者への懲罰を求めることである。「ジェイシュ・エ・ムハンマド」が犯行を認めたことを考えると、有罪であることにほとんど疑いはない。それにもかかわらず、有罪なのは誰かについて、パキスタン、インド、世界中の人民に十分に納得させるために、インド政府は、このことを指し示し、立証しているすべての証拠を正式に公開すべきである。そして、このことをもって、起訴に向けて四方八方から圧力をかけるだけでなく、そうすることであらゆる種類の誤った・意図的な謀略理論に反撃すべきでなのである。
そうなのだ。その過去の歴史を考えると、「ジェイシュ・エ・ムハンマド」に対する行動をとるように、いかなる場合でもパキスタン政府に圧力をかけなければならない。現状では、パキスタンもまた、自国民や政府機関に対するテロリストの攻撃で被害を受けてきたのだが、より広範な支配層の中には、「自分たちの」エージェントとそうではない者との間で、偽善的かつ利己的な区別をする人々がいるのである。

孤立的テロ行為
を戦争にするな

 テロリストの行動がどこで、いつ、どのようにして行われるかを決定する自由を持つエージェントに対して、国家による間接的援助・支援が行われている。そして、国境を越えるテロを国家が直接実行することもある(そのような国の中で最大のもっとも有害なものはアメリカ合衆国であり、1945年以降、世界中の他の国々を合わせたよりも多くの市民を殺害してきた)。援助は、たとえそれがそうした行動を具体化させるものではないにしても、国際的テロリズムの行動をそそのかすものだ。しかしそれでも、その二つの間には政治的に、そして国際法の観点から見て、非常に重要な質的相違がある。
後者は、いわば国家の公式の武装勢力によっておこなわれるもので、戦争行為である。国家に属さない者による行為は、政府による準備のもとで教唆される時でさえ、どれだけ非難されるべきものであっても、戦争行為ではない。このことが、モディ政権が、プルワマにおける攻撃はそのような戦争行為であると述べることが誤りであるだけでなく、政治的にはきわめて危険な言動である理由である。つまり、それが軍事的・政治的な賭けを引き起こす可能性が極めて高いからである。
にもかかわらず、この政府がそのような好戦的なレトリックに訴えることは、BJP(インドの政権党)が来るべき総選挙(連邦議会下院選挙)のためにより大きな社会的緊張を作り出すために、この交戦を利用することを企んでいるという疑惑を引き起こしている。その目的は、一方でパキスタン人民とパキスタン国家に対する大衆的な怒りを、他方ではカシミール民衆に対する大衆的な怒りを煽り立てることである。常にサング・パリバール(訳注3)のファシスト的イデオロギー・政策の中心であった、反ムスリムというすぐにばれそうな偽装した政策のもう一つの例である。

インド軍の越境
攻撃は有害無益


インド軍による国境を超えたパキスタン兵士への攻撃は、市民に対する攻撃はもちろんのことだが、「報復」などではない。というのは、それはプルワマで起こったこととは何の関係もない人々の殺傷を引き起こすからである。これはパキスタン大衆の間に、パキスタン兵士や市民に対して行われている不正義について、怒りと敵意を引き起こすだけだろうし、そのような越境襲撃の背後にいる諸部門をも含めた自国政府に対する国内的支持が回復するのを助けるだけだろう。そしてそのときには、実際に、パキスタン国内において、こうした諸部門を孤立させ、掘りくずすためにあらゆることが行われるべきである。
インドの行動によって、より大きな民主化に向かっていくだろうというパキスタン国内における希望は、そして軍事支配を終わらせたり、徐々に力を削いでいったりすることは、深刻な打撃を受けるだろう。というのは、インドの行動は、自ら好戦的ナショナリズムを形成するという大義名分のもとで、軍事行動を支持するようにパキスタン大衆を追いやるからである。パキスタン社会を民主化するために活動しているすべての進歩勢力は、このことを(インドの進歩勢力よりもずっと)充分に理解しているし、この点に関する国内的な前進は、両国間の結びつきにおける真剣さ・バランス・緩和と直接かつ密接に結びついていることを認識している。しかしながら、両国内の宗教過激主義は、両国および両国人民の間のより強い憎悪と敵意を煽り立てることに寄与している。

問題の核心は
カシミール!


テロリズムはいつも特別な政治的内容を持っている。この場合、国家に属さない者・(インド政府によるものを含む)属する者によって行われた是認できない暴力の多くの他の例においてと同様に、その内容はカシミールなのである! 基本的な分析は明白である。一九八〇年代後半以来、パキスタン政府がカシミールにおける動乱と疎外で「漁夫の利」を得てきた。その「漁夫の利」は歴代のインド政府が創り出したものだが、最近の中央政府はカシミールにおける自らの関与に、反ムスリムという独特の姿勢と実践を付け加えた。
独立から、国内で暴力行動主義が台頭した一九八〇年代後半に至る最初の数十年間においてさえ、州自治を尊重するという約束は何回も裏切られ、インドの他の州と比べても、しばしば大統領による直轄支配を受けさえしてきたのだ。
ニューデリー政府によれば、ここ数年では戦闘員や「テロリスト」と認定された者の数はせいぜい数百名かそこらであるのに、カシミール渓谷には六五万人を超えるあらゆる種類の軍隊が駐留しており、民間人に対する軍人の割合は世界最悪となっている(訳注4)。膨大な数の軍隊の駐留は、なによりも一般民衆を監視し、弾圧するために必要とされている。一般民衆のニューデリー政府に対する疎外感と怒りは、以前よりもますます広範に、ますます深く拡がっているからである。
カシミールのムスリムの間では、こうした感情は政府によってますます増幅されてきた。政府は、投石に対して発砲することを正当化し、見物人に対してもしばしば発砲を許可し、人々に対する屈辱的な扱いを許容し、非武装のデモ参加者にペレット弾(訳注5)を使用して何百人もの重軽傷者を出したからである。こうした現実を考えると、インド軍が、銃を持ち運んでいる者がただちに降伏しない場合には、それが誰であっても狙撃すると述べているのは驚くべきことである。こうしたことすべてによっては、カシミールの若者たちが、国境を超えて「ジェイシュ・エ・ムハンマド」のような自発的すぎる提供者から喜んで訓練を受けようとする気持ちを抑えたり、あるいは彼らが扱われる不正義さによって感じる、不正義なことに対する個人的発言を行うために、自爆攻撃を通じてすすんで「殉教」しようとする気持ちを抑えたりはできなかった。
プルワマにおいて行われたような攻撃を減らし、最終的になくす道筋は、好戦的な姿勢や越境「ピンポイント爆撃」ではないし、ましてや核武装した隣国同士での軍事的緊張や軍事行動をエスカレートさせることでもない。

両軍は撤退し
市民的解決へ


結局のところ、もし平和に暮らし、もう一度友好関係を取り戻したいと考えるムスリムやカシミール・パンディット(訳注6)であれば、それはカシミールの政治的状況について発言し、カシミール州、とりわけカシミール渓谷にいるすべての人々に正義を実現することによって可能となる。それは、パキスタンに敵対するインド政府の行動ではなく、未来を構築するために決定的になるであろうカシミールにおけるインド政府の行動なのである。
カシミールを、一方における(援助を受けているかどうにかかわらず、国境を超えた)非国家的テロリズムと他方におけるインド武装部隊による国家的テロリズムというサイクルのための温床にすることで、分離をより一層深めることになるのだろうか? あるいは、われわれがその有害なサイクルを一緒になって止めるために活動するのだろうか?
カシミールの解決策は、カシミール人民とともにあるのであって、インドやパキスタンと共にあるのではない。停戦ライン両側のカシミール人民が、カシミールの運命を決めるのでなければならない。
協議プロセスが、両側から今すぐ始められなければならない。カシミールの停戦ライン両側に駐留する両国軍隊は撤退しなければならない。市民的課題に対する市民的解決策は、軍事的手段や一握りのテロリスト(国家に支援されているかどうかに関わらず)の手に委ねられるのではなく、市民の手に委ねられなければならない。
われわれはパキスタン国家によるジャマタ・ダワとアンジュマン・ファラヒ・インサニアート(訳注7)の禁止を歓迎する。国は宗教原理主義グループとの公然たる接触、あるいは隠れた接触をすべて破棄しなければならない。カシミールには軍事的解決策はない。宗教原理主義は、カシミールにおいてだけではなく、インドやパキスタンにおいても、多くの人々の暮らしに甚大な損害を与えている。宗教は、国家運営にいかなる役割も果たしてはならない。政治的目的のために宗教を利用することは、あらゆるレベルにおいてやめなければならない。

両側の民衆の
決起は不可避


インドとパキスタンの支配階級の状況のゆえに、われわれは、ヒンドゥー至上主義的愛国主義の基礎の上で得票を得るために、呼び覚まされてきた反動的な集団的興奮を満足させるための短期的な激しい衝突、殺人的ピンポイント爆撃、そして好戦的な軍国主義者の行動を無視することはできない。
亜大陸のエリートによってテコ入れされた進行中の戦争レトリックと集団的興奮の中で、真実と分別がまたもや真っ先に犠牲となっている、それは、その地域のブルジョワジーの本質的な性格であり、かれらの政治・行動規範・道徳・本性における偽善・不正・詐欺に反映されている。これらの嫌悪すべき性質は彼らの成り立ちに起因する。
外部からの介入とテロリズムは、若者が先導するカシミール先住民の大衆運動に対して大きな打撃となってきた。戦略的利益によって支援されているさまざまな宗教的暴力集団は、運動に打撃を与えるために、この状況を利用しようとしてきた。
しかし、停戦ライン両側におけるカシミール大衆の闘いは、決して無駄にはならないだろう。周期的に起こる一時的な逸脱や茶番にもかかわらず、支配者はこの高揚を混乱させたり、弱体化させたりすることはできない。決定的な任務は、この闘いを亜大陸全体の労働運動・青年運動とを結びつけ、統合することである。
これは、カシミールの両方の部分における闘いが、地域全体の階級闘争の不可欠の一部として認識されることにてのみ可能である。来るべき時期において、カシミールにおける若き学生たちの闘いは、インド・パキスタン全域での反乱を燃え上がらせるだろう。これらの国々における強権的資本主義国家を転覆させる、階級闘争の革命的勝利は、この地域全体の革命のたいまつを灯すだろう。

(訳注)
1.パキスタンのアザド・カシミールを拠点とするイスラーム原理主義グループ。カシミール地方のインドからの分離を目指しジャンムー・カシミール州を中心にテロ活動をしている。ウルドゥー語で「ムハンマドの軍隊」という意味。
2.「黄金律」とは聖書にある「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」という宗教的倫理観を指すが、イスラム教においても、ムハンマドの遺言の中で「自分が人から危害を受けたくなければ、誰にも危害を加えないことである」とされている。
3.「組織の家族」を意味する、インドのヒンドゥー教右翼組織の連合体。
4.ジャム・カシミール州の人口は一二二五万人(2011年)であり、しかも治安部隊の多くはカシミール渓谷に展開しているため、「世界で最も軍事化された地域」と言われている。
5.ペレット弾とは、もともと野生動物の狩りや害獣の駆除に使われる小粒子の散弾(鉛)で、一回の発砲で数百発が銃口から飛び出すといわれている。痛みを与える一方、死に至らしめることは少ないが、ペレット弾を眼に受けることで多くの市民が失明した。
6.カシミールの少数派ヒンドゥー教徒で、多くは一九九〇年以来難民化していると言われる。
7.両組織ともにパキスタンのイスラム原理主義組織で、二〇〇二年にテロ組織としてムシャラフ政権によって非合法化されたが、最近ではテロ組織認定が外され、二〇一八年の総選挙では立候補が認められた。

 


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