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ジェノバ・サミットとの闘いが示したもの(下)       かけはし2001.11.19号より

階級闘争の新しい時代が始まった

新しいインターナショナルが問われている

 この問題は、多面的な運動の戦略の問題を提起している。第一に、運動の活動と現在の成功には、二重のタイムラグが存在する。すなわち、一方での「世界の主人」たちの特定の会議の運営を妨害し彼らの目的を挫折させる運動の能力(パリのMAI、シアトルのWTO、バルセロナの世界銀行会議の中止、ジェノバのG7の敗走)と、他方での、第三世界の負債の免除やトービン税の課税のような非常に「グローバル」な要求を実現することの困難さや、新自由主義的資本主義的グローバリゼーションを停止させることの困難さの間のタイムラグである。
 第二に、事実上、労働運動や民衆運動の公式機関や官僚機構の外部で、運動の力学が発展していることである。この事実は、運動に暴力主義的側面を与えている。それは、運動の名声と若者や知識人の一部や労働組合運動の活動的部分を引きつける魅力のために、小さなステップから始まる運動の統一をめざす政策とますます対立し始めている。
 世界銀行はワシントンにおける次のサミット期間中に対話を招請している。EUのベルギー本部は、二〇〇二年に欧州「憲法」を作成するための大会の開催を約束している。
 「支配者の政治」の枠内に「市民社会」を作り出そうとするますます多くの試みが、それを支える物質的手段をともなって出てくるだろう。基本的には、もう一つの政策「左側に顔を向けた」に基づいた妥協の余地は小さく、ほとんど存在しない。経済情勢が加速しても減速しても、支配階級は何ももたらさない。どの段階においても、支配階級は新自由主義的政策を強化する論拠を見つけるだけである。
 選択肢は依然として、新自由主義か、反資本主義か、である。一九九八│九九のいわゆる金融危機の後の純粋世界経済不況の場合と、何か違いがあるのか? 帝国主義ブルジョアジーが追い出され、彼らの体制を守るために国家の介入を求めるだろうか? 社会民主主義がこの機会に「規制緩和」の大波に乗って再び登場することがあるだろうか?
 第三に、この運動の急進化と思想および行動の自律は、国際的社会民主主義の存続にとっては直接的な脅威を構成している。
 国際的社会民主主義は、われわれに次のことを忘れさせようとしているが、ほとんど成功していない。社会民主主義は十年から二十年(国によって異なる)にわたって新自由主義政策の実現の最前線に立ってきたこと、グローバリゼーションの慈悲心を支持し宣伝して活発に規制緩和を進めてきたこと、またその最強のリーダー(ブレア、ジョスパン、シュレーダー、ダレーマ)が「世界の主人たち」の塹壕に入り、若者、労働者、労働組合員やフェミニストが彼らに反対してデモをしていることである。
 ジェノバ以来、フランス社会党はデモを支持し、シュレーダーとジョスパンはトービン税を(ブッシュに提案するために)EUの議題に取り上げることに同意し、ベルギー社会党(ワロン)委員長ディルポはポルトアレグレに押しかけた。イタリア社会民主党はジェノバのショックで崩壊状態にあることが明らかになり、意味のある自立的政党として生き残るために闘っている。
 政治は、政党政治を含めて、運動に大挙して入ってくるだろう。それは避けることのできない、与えられた目標でさえある。強力な運動に支持された強力な要求は、不可避的に要求を政治体制に押しつける必要に直面することになる。問題は、運動がどのような形で政治的制度的分野にアプローチするかということである。
 第四に、始まったばかりの段階における運動の主要な挑戦課題(自己の強化を別にして)は、国内的分野で、すなわちより具体的に、自己を根づかせることである。すなわち、搾取されている人々や抑圧されている人々の闘いへの活発な参加と、彼らの存在の条件を防衛するために彼らの組織との関係を構築することである。
 運動と労働組合の成功した協力はシアトルでなされた。一九九五年以降、スウィーニーの下でAFL│CIOの再組織化の基礎が事実上準備された。イタリアでは、両者の間の対話は最初から力強く始まった。
 ジェノバ以前にポルトアレグレで、(特に)CGIL(FIOM)およびCOBASの労働組合左派の参加を得てGSFが形成された。その後、FIOMはゼネストと大デモストレーションを準備する金属労働者の集会にGSFを招いて演説させた。
 一月二十二日の二十五万人のデモストレーションには、強力な労働組合の参加があった。GSFは、グローバリゼーションの課題で複数の構成要素が統一したもので、社会的側面に関しては非常に不均質であるが、GSFは予想される「暑い秋」のような大規模な社会的闘争を支持して複数の固有の要求を掲げることができるだろうか。
 予定されているイベント(ベルギーでのEUサミット、ポルトアレグレでの第二回会議)で、運動とその多様な構成部分がその国内的、国際的次元において、政治的および社会的にどうなっているかが示されるだろう。
 行動の統一を維持するのに成功するとすれば、それはどんなイニシアティブのもとに、どこを重心にして行われるだろうか。運動が獲得した力と、運動の外部の政治的勢力からの介入の増加のために、政治的論争は広範なものになるだろうから、革命的マルクス主義者は自らの分析と提案を用意して介入する必要がある。
 三つの問題を展開する必要がある。
 第一に、全体的な戦略的問題、すなわち新自由主義的資本主義的グローバリゼーションに勝利する方法の問題である。この問題では分析がますます重要になってくる。グローバリゼーションの行き過ぎ、影響または基礎に対して闘うのか、グローバリゼーションと新自由主義の間に適切な結びつきを確立できるのか。
 しかし、あらゆる場合に、社会的勢力の多数派を形成しているのは、日々の存在の条件の防衛に追われている労働者の大衆であることに留意しなければならない。このことから、いかなる前衛主義的、代行主義的近道も除外される必要がある。このことは、特に若い世代の目には、また「第三世界」に完全に集中している非常に重要な潮流にとっては、明らかなこととは言えない。
 グローバリゼーションに反対する運動と急進化した青年が階級闘争を取り上げるようにするために、搾取された労働(伝統的労働運動の直接のメンバーであることによって定義されるものではない)の状態の全面的な分析を提出することから始める必要がある。「新しい」労働に従事している、不安定雇用されている、あるいは失業している(いずれにしても超過搾取されている)若者は、疑いもなく搾取された労働者の構成員である。さらに、分析は確かに複雑になるだろうが、国際的規模でのプロレタリアートの統一を再構成することが決定的に重要である。
 これは確かに容易なことではない。なぜなら、これは依然として今日の流れに逆行することになるからである。これは国際主義的な階級意識の再構成の決定的要素である。これは、道徳主義的分析(貧富)を超える問題であり、また基本的分析と戦術的提案を混同しないことでもある(社会的セクターの運動間の弁証法、子どもの奴隷化、女性の待遇、インフォーマル・セクター、一度も職についたことのない失業青年、「労働貧民」、一時雇用契約の被雇用者)。
 これは帝国主義諸国の労働者階級の決定的役割に注目する問題でもある。彼らは最も数が多く、最も戦闘的で、よく組織化されている。巨大多国籍資本は彼らから利益の大きな部分を搾り取っている。この再構成されたプロレタリアート(プロレタリアートがこれほど多数で、同時に不均質であったことはかってなかった)の統一から出発することによってのみ、連帯と共通の闘いは確固たる基盤を見出すことができる。
 第二に、労働者の役割に結びついて、反帝国主義の目的が存在する。「グローバリゼーションに反対する運動」は自然発生的または経験的な反資本主義的精神によって活気づいている、と言うことができる。確かに反体制的意識が存在し、青年の間にはグローバルな対決の意識が存在する。しかし、この自然発生的意識と、社会の構造と基礎をひっくり返す反資本主義的方向性との間の、現在この二つを隔てている距離に留意することが必要である。
 第一に、新自由主義との単純な対比により、広範に広がる反資本主義的に見える態度または感覚が存在する。これは急進的で、頑固で、普遍的で、全体性をもったものである(例を挙げると、利潤への課税を求める大衆的な要求、雇用者側の解雇の神聖な権利に対する自然発生的な疑問。これらは急進的民衆的要求であるが、譲歩を強いられた資本が受け入れる可能性がある要求である)。
 この対比のゲームは、ブルジョアジーが強いられて行うかもしれない譲歩の印象主義的過大評価に至る可能性がある。長年にわたって残虐な攻勢を続けた後、運動に対して「開かれた」政策が打ち出されるかもしれない。
 今日優勢なトーンは、国際機関を批判し南に対するその政策を非難することである。一般的な解決策は、第三世界に対して別の開発を提案することであり、それは北の豊かな諸国から南の諸国への所得の移転によって行われる(トービン税、第三世界負債の免除、援助基金)。これは周囲の意識、特に青年の意識を反映したものである。
 革命的マルクス主義者としてわれわれは、すべての真の(反資本主義的な)解決策の核心に私有財産の問題と大資本の没収の不可避的な必要性を置く。君臨する野蛮の責任は、IMF、多国籍企業、金融市場、超大国の政府の間に分散されるのではない。
 この新自由主義的政策には統一と一致がある。この政策は経済的および政治的権力の極度の集中の上に存在している。したがって、われわれは、新自由主義的政策と貿易のグローバリゼーションを終わらせ、運動の要求と提案を実現するには、資本主義の支配を打ち破ることが必要であるという考えを示し、広めることが必要である。これは不可避的に資本主義後、すなわち社会主義社会に関する議論を提起する。
 最後に、党を含む組織の形態の問題を提起することが必要である。終結したばかりの「歴史的」サイクルの間に、十九世紀の終わり(一八八〇年)の第二インターナショナルで生まれ、ロシア革命(一九一七年)が吸収して戦争と革命の時代に対応して転換させた党の特定の形態が存在する(前衛党、アナーキストも類似の形態を採用したことは多くの場合忘れられている)。二つの時期の違いにもかかわらず、これらの党は、最大限の社会主義的意識と戦闘的関与を体現し、社会的運動を全体として指導する権利を持つ、という考え方を共通して持っている。この優越性の考え方は強く拒否される。
 さらに、政治を窒息させようとする新自由主義の試みが一般的に存在する(社会のテクノクラート的商業的管理のためである)。党の再構成、すなわちプロレタリアートの自己解放のために闘う、したがって自主管理される社会主義社会を目指して闘う活動的なメンバーで構成される党を再構成しようという考え方にとって、党を有用な、不可欠でさえある道具として認識させるには、その前にいくつかの基礎となることを論じることが必要である。
 現在の情勢は、評価しがたいことに満ちている。「新しい」社会的運動が中央舞台を占めている。労働者階級がその闘争を将来復活させたときに、「歴史的」労働者運動、政治的運動および労働組合運動の中で、何が生きており、何が死んだのかに決着をつけるだろう。
 新しい若い世代は独自の経験をつみ、確かに驚くべき組織的形態を採用している。セクト主義に陥ることなく「鉛の時代」を生き延びた革命的左翼の断片は重要な役割を果たしている。
 風景は多様な力学と軌跡を描いて散らばったが、階級闘争の新しい時代が開かれたことは明らかである。新しい党、新しい社会主義的反資本主義的インターナショナルの問題が提起されている。(「インターナショナルビューポイント」01年10月号)

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