政府の「パク・チョンヒ大統領記念事業」に歴史学者たちが大反対 |
不安定雇用促進政策と「強制労働」に反対して
1979年10月27日午前、韓国の各放送は一斉に正規の番組を中断して壮重な音楽を流し続けた。グリークの『ソルベーグの歌』に出てくる「死」のテーマは、この国に何か尋常ならざることが起きたことを知らせていた。
「パク・チョンヒは歴史の罪人」
「大統領に事故」という真っ黒な活字で塗られた号外が飛びかう街は、ただちに「パク大統領弑害(しがい)」という事実の報道で一面をまるごと埋めた夕刊紙によって覆われた。韓国現代史を揺るがした10・26は、あっという間の裁判でキム・ジェジュらの殺害犯を死刑にした後、急速に収束された。パク・チョンヒもキム・ジェギュも棺の中に消えた。ここでいう「弑害」という言葉、その後、何回もの論争を経て「暗殺」と「殺害」に落ち着いた。何気なく時間は再び流れた。
それから20年。大地に埋められた「パク・チョンヒ」を墓から再び呼び出そうとする動きが、この社会をざわめかせている。カン・ジュンマン全北大教授が「なぜパク・チョンヒの幽霊が出回るのか」という問題提起をしてから、わずか2年にもならない今年5月13日、キム・デジュン大統領は大邱・グランドホテルで開かれた「パク・チョンヒ大統領記念事業会」の関係者たちとの晩さん会で、記念館の建設を汎国民的に推進することを要請した後、国費からの支援を約束した。
「私はかつて迫害も受けたが、すべて清算し、パク元大統領と今日、改めて和解し、私の口からあの方を再評価して記念行事を行うことは私にとっても意味があり、記念行事を推進してきた方々にとっても感慨の大きいものがあるだろう」と語ったというキム大統領の発言は、きわめて政治的な感じを抱かせた。和解は個人のレベルであって、記念館建設は国家・政府レベル、ひいては歴史にかかわる重大なことであるのだ。
歴史学者たちが、まず立ちあがった。10月25日午前、「パク・チョンヒ記念館建設ならびに国庫支援に反対する全国歴史学者の会」(共同代表カン・マンギルほか16人)は声明を発表し、「国民の歴史認識を誤導し、民族の進路を混乱に陥れかねない重大な問題だという点で、歴史を研究し教えている者として強い危機意識を感じている」とし「現政府が『歴代大統領記念館』を建てるという方向へ方針を転換すること」を強く求めた。
これらの人々が掲げた決議事項は以下の六つ。
@パク・チョンヒ記念館に対する国庫支援を中断せよAパク・チョンヒは歴史の罪人だ。記念事業とは何事かB維新諸政党は、国民をこれ以上、愚弄せず、歴史の審判を待てCキム・デジュン大統領は民主化運動記念館をまず建設せよD国会はパク・チョンヒ記念館関連の予算を全額削減せよE歴代大統領の記念館を建設せよ。
続いて同日午後一時から延世大同門会館で開かれた学術大討論会で、歴史学者たちはパク・チョンヒ記念館建設ならびに国庫支援の不当性を指摘し、その対案を提示した。基調発題を行ったチョ・ドンゴル教授(元国民大・韓国史)は「和解と記念館は別個の問題」だと前提し「大統領記念館を論じる時期は統一後でなければ、当事者の死亡後50年はたたなければ、と思う」と語った。
「竜と危機の間:パク・チョンヒ時代についての序説」という表現で発表したト・チンスン教授(昌原大・韓国現代史)は韓半島の現実の構造と関連して経済問題に集中して論議を展開した。
「パク・チョンヒ擁護論には『幽霊』や『シンドローム』とばかりは考えられない容易ならざる状況が介入している」と口火を切ったト教授は「アジアの竜」と「IMF債務国」という「奇蹟」と「崩壊」の間でパク・チョンヒへの郷愁が芽生えたと診断した。「パク・チョンヒへの郷愁は深い構造において韓半島には冷戦体制がいまなお生活のイシューとして登場してはいなかったという現実と関連している」というのだ。従って「われわれの民主主義が民族の自主・南北の統一へと結びつく生活力を持つ時、本当の意味でパク・チョンヒを克服できるだろう」と結論づけた。
大統領記録館こそ建てるべきだ
反対のための反対を乗り越える対案として「大統領記録館の設立の方向」というテーマを扱ったパク・チャンスン教授(木浦大・韓国史)は「記念館建設を政府が国民の税金をもって支援するとすれば、それは国民の大多数の賛同する状況でのみ、それも極めて限定された少数を対象としてなされるべきだ」と主張した。
パク教授は「近現代に入ってからはキム・グ先生に比肩できるか、そうでない場合はまだ論じがたい。しかも解放以後、歴代大統領がすべて不名誉な方法で政権を掌握したり退陣したりし、またはこれといった業績を残せなかったために、現在のところ事実上、対象はいないと見なければならないだろう」と明確に線を引いた。
そうであるなら代案は長期的な物差しで大統領記録館を作るということだ。パク教授は「現在、政府の記録保存所に残っている大統領文書は整っていないことこのうえないほどに、退任する大統領は自身が作った諸記録を私有物のように退任時に持っていった」のであって、青瓦台の大統領記録文書をどう体系的に収集し、整理するのか、そしてその関連法を制定したり改定する作業が記念館の建設よりもずっと急がれるべきことだと指摘した。
また討論に立ったイム・チョン教授(漢陽大・史学)はパク・チョンヒを「市場スターリン主義者として近代性を経済成長と同一視することによって民主主義と自由、解放といった近代の価値を捨象した」と批判するとともに「だが、もっと大きな問題はパク・チョンヒ記念館として表出された国民の政府の歴史館」だと問題の核心を喚起した。「政府主導で記念館を作るというのは国民の歴史への理解を政府が支配するという意図を読み取らざるを得ず、未来を志向する記録としての歴史は国民が作り出していくものであって、権力が強制する公式となっては困る」というものだ。(「ハンギョレ21」第281号、99年11月4日付、チョン・ジェスク記者) 血の弾圧の記憶は消えない
「税金で過去の独裁政権を美化するのはやめてくれ!」と各界の声
今年5月、パク・チョンヒ記念館の建設がキム大統領の口から確認され、国庫からの支援が具体化するにつれて各界各層の人々が、これに対する意見を明らかにした。その生々しい声を聞いてみる。
◆イ・サンフン氏(大邱市居住)=いなかに行くとアボジ(父)をはじめ洞内のご老人たちが家にいた。私が「アボジ、今度、政府がパク・チョンヒ記念館を建てるんだって」と言うと、だれからともなく老人たちは「なんだって? 独裁をうまくやったからってか?」と言って冷笑を見せた。
みんなパク・チョンヒ時代に朝な夕なに国土建設に動員されて青春を送った方々だ。政府主導のパク・チョンヒ記念館建設は民主と自由を最高の価値観と考えているわれわれの価値観に言い尽くせない混乱をもたらす。……いまなおさまざまな価値評価を持つ人物を政府が率先して記念するとすれば、いったいだれが歴史を恐れるだろうか。
◆キム・ヒョク氏(ビッグ・ドリーム21)=今日、パク元大統領に対する国民の判断は尊敬と怨望とに二分されていると思う。民主化のために若さと命を犠牲にした人々に国家有功者の地位さえ与えていない現実の中で、国民の税金によって政治的意志の込められた記念館を建設するというのは再考されるべきだ。……特定大統領の記念館を建設するよりも現在までの各大統領の業績と過ちを後世が判断し教訓とすることができるように、純粋に資料を保管・展示する展示館が、むしろ必要ではなかろうかと思う。
◆コン・チェホ(韓国鑑定院元労組委員長)=キム・デジュン大統領が個人的にパク・チョンヒを許すのであれ、パク・チョンヒ記念事業を展開するのであれ、話したくない。
……ただパク・チョンヒ記念事業を政府や政権のレベルでやらないことを望む。パク・チョンヒに対する評価は歴史の領域だ。パク・チョンヒを記念し讃美しようとするのなら権力から退いた後に個人的にやれ。……どうか民族民主の烈士たちを辱しめる行為はやらないでくれ。大統領の座にいながら国民の税金で政府が支援しつつ過去の独裁政権を美化するようなことは、やめてくれ。
◆ソン・ミョンヒ(大邱市居住)=キム・デジュン大統領はパク・チョンヒ元大統領の記念館建設に国庫支援を約束した。独裁政権のさまざまな誘惑や脅迫にも屈せず、妥協しなかった方が、結局、地域覇権主義に膝を屈したのか。
私のアボジはパク・チョンヒ独裁政権によってでっちあげられた人革党事件によって犠牲となった。74年3月のある日、捕らわれていったアボジは75年4月8日、大法院(最高裁)で刑が確定の後、24時間も経過しない翌日未明、他の八人の方とともに死刑に処された。国際司法委員会はこの日を司法史上、暗黒の日と宣言した。
……独裁者パク・チョンヒがしでかした醜悪な人権じゅうりんと犯罪は隠したまま、美化し取り繕っている。……記念館建設に沈黙している言論や政党、政治家に以下の言葉を捧げたい。「国民の自由と権利のために闘い、亡くなった数多くの人々の記念館一つとてない韓国が(パク・チョンヒ記念館を建てるなら)世界の物笑いとなりかねないだろう」。(「ハンギョレ21」第281号、99年11月4日付)
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