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寄稿 不破指導部の「政権論」を批判する かけはし1998.11.16号

共産党指導部の右転換と党内左派の課題

満井 聡(日本共産党員)


 「しんぶん赤旗(8月25日付)は、緊急インタビュー「日本共産党の政権論について\不破哲三委員長に聞く」を掲載した。7月参院選で躍進した共産党は、その成果にすっかり舞い上がり、「安保堅持論者との暫定政権」を打ち出した。われわれはすでに、本紙9月7日付で、この不破政権論が村山社会党的右転落の第一歩であることを明らかにした。以下に日本共産党員である満井聡さんの不破政権論批判を掲載する。


かつての社会党と同じ罠に

 すでに周知のとおり、日本共産党不破指導部は、98年参院選での躍進にすっかり目がくらみ、共産党を含めて「よりましな」野党連合政権が近い将来形成されうる可能性を吹聴しはじめ、あろうことか、その幻の政権参加にあたっては、安保に関する党の政策を棚上げすることを公言した。後で詳しく述べるように、これは、不破指導部が強弁しているような過去の党の立場の継続などではなく、はっきりとした転換であり、しかも右に向けての転換である。私は、この転換に憤っているが公然と声に出せない多くの党員に代わって、この右転換を断固糾弾するものである。
 筆者は、8月3日付け本紙に書いた「98年参院選と新しい政治状況」において、次のような危険性を指摘しておいた。
 「共産党が議会の中でこれまでにない比重を占めたことで、議会主義的駆け引きの誘惑が確実に増大した。共産党幹部が、議会内での力の増大に目がくらんで、その支持基盤の利害から遊離した議会内行動をとる危険性は、けっして存在しないとは断言できない。とりわけ、マスコミの『ほめ殺し』(…)にうかうかと乗るならば、かつての社会党と同じ罠にはまるだろう」。
 だが不幸なことに、その後の事態は、共産党がまさにこの危険な罠に見事にはまってしまったことを示した。不破委員長は、党のいかなる正式な決定も経ずに、マスコミのインタビューで安保棚上げ政権論をぶちあげ、8月25日付『しんぶん赤旗』において、そのナンセンスな政権論を全面的に展開するにいたった。
 党内から批判や疑問の声が吹き出したのに驚いた不破執行部は、三中総において、その右転換の姿勢を多少トーンダウンし、党員の不安を静めるのに力を尽くした。その後も、金融問題での野党の転換もあって、しだいに政権構想についての党の論調は不活発になっていっている。
 とはいえ、不破指導部はいかなる反省の色も見せていないし、それどころか、公式的にはあの政権論の正当性を繰り返し確認するとともに、今後もその政権構想の実現に向けて全力を尽くすことを宣言している。したがって、この問題については、ここで改めてきちんと批判しておくことが必要であるし、それを通じて、党内のイデオロギー的・実践的混乱を克服するための一つの理論的手段を提供することが必要である。

第2自民党が「よりましな政権」に

 まず最初に、『しんぶん赤旗』における不破インタビューに即して、今回の政権論の問題点を明らかにしていこう。
 第一の論点は、野党連合政権なるものが、次の総選挙後の議席獲得状況の結果として可能になったとして、それがはたして「よりましな政権」になりうるのか、である。実際のところ、不破はそのインタビューにおいて、ただの一度も、なぜ野党連合政権が「よりましな政権」でありうるのかを立証していない。
 共産党指導部はかつて、93年政変後に成立した細川内閣を評して「第二自民党」と呼んだ。この表現は、自民党政権を右から改革することをめざした細川政権の階級的性格を考えるなら不正確であるが、少なくとも細川政権が、マスコミや右転落した党員知識人(後房雄、高橋彦博)やリベラル派知識人などが言うのと違って、「よりましな政権」ではないことを、この上なくはっきりと確認していた。
 細川政権を構成していた諸政党はその後、名前を変えたり、離合集散を繰り返したりで、今ではほとんど残っていない。とはいえ、現在の民主党や自由党を構成している議員連中の主要な顔ぶれを見るならば、結局のところ、あの細川政権を構成していた連中とほとんど変わっていない。あのときには第二自民党であった人々が、なにゆえ今では、共産党といっしょに「よりましな政権」をつくれる人々に変貌したのか? わずか数年の間に、いったいいかなる劇的な改心が彼らの心中に起こったのか? また21回党大会においても、連合の相手となりうる政党は、今は存在しない将来の可能性としてのみ言及されていた。わずか一年の間に、既存の政党が連合相手に一気に昇格するようないかなる劇的な変化がこれらの政党に生じたのか?
 もちろん、何も起こっていない。彼らはあいかわらず新自由主義を志向しているし、その有力な一部は改憲を含めた帝国主義的改革をめざしている。変わったのはただ、自民党が九五年の参院選敗北以降に新自由主義をより明確に志向するようになって、ますます、自民党とそれ以外の野党との差が不分明になったことだけである。したがって、自民党を向こうに回して野党が結束して政権構想を提示するだけの政策的対立点がますますあいまいになったことだけである。
 この間の政局の動きがはっきりと示しているのは、金持ち減税にしても、福祉切り捨てにしても、銀行救済にしても、規制緩和にしても、共産党をのぞく与野党間にますます差がなくなり、自民党が参院で少数でも、その基本政策をやすやすと通すことができるという峻厳な現実である。ひとり共産党だけが浮かれて野党連合政権をかつぎまわり、野党にすり寄っているが、それによって野党を自民党から引き離したのではなく、ますます自民党に近づけただけである。

政策的基盤のない奇妙な政権構想

 不破は、現存する野党がいかなる点で自民党よりましなのかまったく説明できないため、いったいその野党連合政権なるものがいかなる政策にもとづいて打ち立てられるのかについて、完全に沈黙せざるをえない。『しんぶん赤旗』のインタビュアーがしきりに「暫定政権の政策」について不破にたずねているにもかかわらず、不破はその問いに答えることができない。かろうじて、消費税の減税や金融問題での税金投入をやめさせるという課題が「たたき台」になると言うだけである。そして、次のように言うことで、結局のところ、その政権構想には明確な政策的基盤が何ら存在しないことを告白してしまっているのである。
 「どういう政策を暫定政権の柱にするか、ということも、そのときの情勢、なかんずく選挙にしめされた国民の審判の結果に大きくかかってくるでしょう」。
 これは驚くべきオポチュニズム(機会主義)である。もし国民の審判が、規制緩和を支持し、改憲を支持するものであれば、共産党はそのような政策を実行する政権に参加するつもりであろうか。その政権が自民党政権ではないというただ一つの理由だけで!
 いかなる政権構想であれ、その根本前提として、その政権がいかなる政策を実行するかが示されていなければならない。だが、鳴り物入りで喧伝された不破の政権構想には、この、肝心要の「政策」論が欠落しているのである。はっきりしているのは、その政権が安保を堅持することと、どの政党と組むかだけである。すなわち、その政権は、何をするかわからないが、何はともあれ安保を現状のまま維持し、自民党ではない諸政党によって構成されるというのである。こんな「政権構想」があるだろうか。
 言いかえれば、今回の政権構想は、絶対に決まっていなければならないことが決まっておらず(政策)、決まっていてはいけないこと(安保現状維持)、あるいは、必ずしも決まっている必要がないこと(対象政党)が決まっているという、奇妙きてれつな代物なのである。そして、実はこの点が、これまでの暫定政権構想と決定的に違う一つの点なのだが、そのことについては後でもう一度述べる。

細川政権といったいどこが違うのか

 不破の唱える暫定政権には何ら明確な政策的基盤がないのだから、それがかつての細川政権や村山政権とどう違うかについて、不破は答えることができない。インタビュアーの鋭い突っ込みに対し、不破はおよそ支離滅裂な答えに終始している。
 不破によれば異なる第一の点はこうである。
 「少なくともいくつかの重要な点で、国民の要求を実現するために自民党政治の枠を突き破る政権、そういう意味で、自民党政治からの転換の大きな一歩を踏み出す政権です。ここにまず、大きなちがいがあります」。
 「大きなちがい」とはよくぞ言ったものだ! 明確な政策が何も定かではないのに、どうしてその政権が「自民党政治の枠を突き破」ったり、「自民党政治からの転換の大きな一歩を踏み出」したりできるのか? 「国民の要求を実現する」といっても、「国民の要求」は一枚岩ではない。ある階層にとっては、金持ち減税は「国民の要求」であり、いっそうの規制緩和、公共部門の民営化も、立派な「国民の要求」である。細川政権のやったことも、国民のある階層の要求を実現することだった。したがって、選挙に託された「国民の要求」を実現することそれ自体は、何ら自民党政治の枠を突破することを保障しないし、細川政権との違いを構成するものでもない。
 第二の違いはこうである。細川政権を構成した各党はその合意書において「外交および防衛等、国の基本施策について、これまでの政策を継承し」と言っており、この点が不破の暫定政権構想と違うというのである。いやちょっと待て、不破は、わざわざ、この暫定政権が安保を現状のまま「凍結」すること、すなわち、改悪はしないが廃棄もせず、現在成立している条約と法律の範囲内で対処すると誓っていたではないか。これは、外交および防衛の基本政策に関して、これまでの政策を継承することとどう違うのか? 安保はやはり堅持されるし、百以上ある米軍基地はそのまま存続するし、地位協定もそのまま存続するし、安保の条文にうたわれた軍事力の増大も追求される。それはまさに、これまでの政策の継承以外の何ものでもない。
 不破は、「安保問題でも、政権として留保するということは、自民党の安保堅持政策を継承することとは、根本的にちがいます」と述べているが、どう「根本的にちがう」のか何も語ってくれない。ただ「根本的にちがう」と断言されているだけである。
 第三の違いは、不破によれば、共産党が参加した政権は、その政策協定の実現に力を尽くすことだそうである。だが、どんな政権であれ、その政策の実現に力を尽くすのはあたりまえである。細川政権も、小選挙区制の導入という反動的政策を実現するために力を尽くした。どこまでも問題はその政策の中身である。それが明らかでない以上、その政策の実現を語るなどナンセンスだろう。
 不破が語りえた、細川政権との違いはたったこれだけである。顕微鏡で見ても判別しがたいこの曖昧模糊とした「違い」をたてに、不破は、全党員にこの構想を支持せよと言うのだ。末端で地道に活動し続けている党員たちに対する何という侮辱であろうか!

「よりましな政権」なら参加すべきか

 ところで、百歩譲って、野党連合政権が「よりましな政権」になりうるとして、その場合には不破指導部が言うような政権構想論は妥当するのだろうか。不破は次のように述べて、今回の安保棚上げ政権構想を正当化している。
 「民主連合政府をつくりあげる条件が成熟するまで、私たちは、政権問題にノータッチでいいのかということが、つぎの問題になります。それでは、国民に責任を負う立場で、実際の政治に前向きにとりくむことはできません」。
 不破の言い分によれば、何らかの政権に直接参加しないかぎり、「政権問題にノータッチ」であり、「国民に責任を負う立場」ではないし、「実際の政治に前向きにとりくむことはできない」そうである。これこそ、正真正銘の入閣主義であり、細川政権当時に、後房雄や高橋彦博が繰り返し主張していたことである。
 後や高橋はまさに、細川政権に参加せず原則的野党の立場を貫くことは、すなわち無責任であり、すなわち実際の政治に前向きに取り組まないことだと主張した。彼らはそうした主張を理由に党から除籍されさえしたのである。今や明らかになったのは、不破指導部が、自ら除籍した後房雄らの立場に屈伏し、それを党の方針にするにいたったことである。
 たとえば、次の総選挙の結果、与野党の議席が逆転し、共産党が首班指名においてキャスティングボートを握ることになったとしよう。この場合、共産党は、首班指名の決選投票において野党統一候補に投じさえすれば、それで十分政権交替は実現する(ちなみに、これはあくまでも決選投票での話だ。今回の参院選後の指名投票のように、一回目から菅に投票するなどもっての他である)。新政権に入閣する必要性はまったくないし、閣外協力する必要性すらない。
 その政権がたとえ個々の政策で自民党政権よりもましだとしても、帝国主義的軍事同盟を堅持し、したがって西側帝国主義陣営への政治的忠誠を保持し、したがってまたそれにともなうあらゆる政治的・経済的帰結を受け入れるかぎりにおいて、そのような帝国主義政権(たとえ改良主義でも)に対する政治的責任を負うことができないのは明白である。それと同時に、その政権が個々の法案や個々の政策的措置において何か進歩的なものを出してくれば、採決においてそれに賛成すればいいのである。
 最近の国際的経験においても、ドイツとイタリアの新しい中道左派政権は、明らかにそれ以前の保守政権よりもましな政権であるにもかかわらず、民主的社会主義党もイタリア共産主義再建党も、その政権に入閣していない(*)。だからといって、それらの党が現実政治に影響を及ぼしていないどころではないことは、たとえば、週35時間労働の導入に決定的な役割を果たしたイタリア共産主義再建党の経験を通じて明らかであろう。
 (*)ちなみに、ドイツの緑の党が、社民党と連立政府を形成するにあたって、綱領の一部であるNATO解体の政策を一時棚上げすることを表明したが、そのことを否定的に評価した記事が10月11日付『しんぶん赤旗』の国際欄に掲載された。どうやら海外特派員にまでは共産党の右転換は貫徹されていなかったようだ。聞くところによると、この記事は後で党内で問題にされたそうである。

「これまでの立場の継続」ではない

 不破は、今回の政権構想について、転換ではなく、これまでの立場の継続にすぎないと強弁している。はたしてそうか。不破がこれまでの立場の例として挙げているものを一つ一つ検討してみよう。
 まず第一に挙げられているのは、1974年の田中政権末期に金脈問題が生じたときに提唱した「選挙管理内閣」である。だがこれは、書いて字のごとく、国会を解散して総選挙するためだけの、一瞬だけ成立する内閣であり、政権として具体的な外政や内政を何ら行なう必要がなく、例としては不適切である。
 第二に挙げられているのは、1976年の三木内閣の時に、小選挙区制問題が政局の焦点となったさいに提唱した暫定政権構想である。だがこの政権構想は、@小選挙区制粉砕、Aロッキード疑獄の徹底究明、B当面の国民生活擁護、という三つの明確な政策がかかげられており、今回のような政策不明の政権構想ではないし、また、どの政党と組むかはあらかじめ前提されていないものである。
 第三に挙げられているのは、89年の参院選の時に出された暫定政権構想である。だがこれも、@消費税廃止、A企業献金禁止、Bコメの自由化阻止、という三つの明確な政策が掲げられており、今回のものとはまったく性格を異にしている。
 以上、いずれの政権構想も、一、その政策は明確で、当時において最も緊急のものであり、二、どの政党と組むかはあらかじめ前提されていない、という特徴を持っており、今回のものと根本的に異なる。
 また、安保政策に関しても、以前の暫定政権構想においては、たしかに安保問題での立場や見解の相違は留保すると言われてはいるが、安保を現状のまま凍結するとはどこにも言われていない。
 「安保に関する意見の相違の留保」と「安保の現状凍結」とは似て非なるものである。前者においては、安保廃棄が前提になっていないだけで、安保廃棄に至らない範囲での運用上の改良や部分的改訂(たとえば地位協定の見直しや基地の縮小など)は排除されていないし、安保廃棄そのものすら論理的には排除されていない。しかしながら、「安保の現状凍結」という表現においては、安保を廃棄しないということが逆に前提され、さらに論理的には部分的改良すら排除されている。不破はあたかも、両者が同じことであるかのように言っているが、これは党員と支持者を欺くものだ。
 さらに、以上の相違に加えて、もう一つ重大な相違が存在する。それは、その政権構想を提起している党指導部の「かまえ」の差である。すなわち、これまでの暫定政権構想においては基本的に、それが掲げる政策に対する世論の結集をめざすことが中心であり、また、その政権構想を他の政党が拒否することを当然予想したうえでの暴露主義的なものであったのに対し、今回の政権構想においては、本当にそれが実現できて、自分たちが政権に入り、大臣になれると指導部が本気で考えていることである。
 実際には、民主党鳩山派の強固な反共主義を考えただけでも、共産党を含めた野党連合政権の実現可能性など最初からないにもかかわらず、部分的共闘の単なる延長上に連合政権も可能であるというブルジョア議会主義的幻想にはまりこんでしまっているのである。
 また、たとえ万が一可能だとしても、政策があいまいなまま、既存の野党(帝国主義的で新自由主義的なそれ)といっしょに本気で暫定政権をつくろうとするならば、当然、少数派である共産党側の政策的障壁は無限に低められ、果てしなく妥協することを余儀なくされるだろう。だからこそ、今回の政権構想は、これまでのいかなる政権構想とも違って、危険きわまりないものであり、声を大にして反対しなければならないのである。

3中総で若干変化した強調点

 この政権構想がインタビューその他を通じて大々的に宣伝され、全党員の知るところとなると、全国の支部および党員から多くの疑問が殺到した。私の所属する支部でも、一人、二人を除いて、全員が今回の政権構想に著しく批判的であった。賛成した党員も、恐ろしく好意的に解釈したうえで(すなわち、他の政党が乗ってこないことを前提にした暴露主義的なものだ、云々)、支持したにすぎなかった。
 おそらく沖縄の活動家や、各地で反基地闘争や新ガイドライン反対の闘争に地道に取り組んできた末端党員からは、もっと強い疑問の声が出されたことは、容易に推測しうるところである。このような疑問の声に対処するためと、不破インタビュー以降、他の野党が金融問題で無原則な公的資金導入に賛成する立場に転換したこともあって、9月24〜25日に開かれた三中総においては、若干の強調点の変化が見られた。
 まず第1に、「二重の取り組み」という方針が打ち出されたことである。すなわち、一方では安保「凍結」の政権構想を打ち出すとともに、他方では安保廃棄の国民世論を形成することに正面から取り組むということが提起されたのである。不破インタビューにおいては、一般論として、党として安保反対の運動をすることは否定されないと言われていただけであった。これでは、安保反対の運動をやってきた末端活動家からすれば納得できないのは当然である。そこで、三中総においては、安保廃棄を国民世論の多数派にする運動が特別に強調され、それを「二重の取り組み」の一つとして大きく位置づけられるようになった。
 第2に、不破インタビューでの安保「凍結」論では、部分的改良の可能性については何も言及されず、これ以上改悪しないということが「よりましな」政策になりうるという支離滅裂な議論に終始していたが、三中総の志位報告では、「世論と力関係にそくして、安保条約に関連する問題で、双方の協議によって、一定の部分的改良をかちとる可能性を積極的に追求することはいうまでもありません」と言われている(『第三会中央委員会総会決定』、11頁)。
 第3に、不破インタビューでは、野党連合政権の可能性が極端に過大評価され、明らかに、躍進に浮かれてはしゃいでいる様子がありありとうかがえたが、その後、民主党がその本来の反民衆的性格をよりはっきりと示すに至ったため、三中総の報告では「逆流」について云々されており、全体としての「総与党化」(忘れられていた言葉だ!)の流れにも改めて言及されている(同前、7頁)。
 ただし、あいかわらず「今日の情勢は、これまでのどの時期とくらべても、この方針[暫定政権構想]がリアルな現実性をもっている」という幻想が繰り返されており(同前、2頁)、私が先に指摘した危険性はいっこうになくなっていない。
 第四に、地方政治においては、不破流の「野党連合政権」路線がきっぱりと否定され、広範な無党派との連合による革新自治体の樹立が改めて目標にされていることである(同前、17頁)。
 だが以上の変化は、不破政権構想の深刻な問題を解決するものでは何らなく、逆にその内的矛盾をより鮮明にするものでしかない。
 まず、第1の点に関して言うと、政権党として安保を現状のまま維持することを正式に協定した党が、党として安保廃棄の運動を正面から取り組めるものだろうか。たとえば、共産党の国会議員が、大臣席に座っている共産党の閣僚に、安保問題について質問し、安保廃棄あるいは基地の縮小を迫り、共産党閣僚が「それはできません」と答える、という光景を想像してみよう。
 これは決して荒唐無稽な想定ではない。党の路線にもとづくなら、党の議員は党員として安保廃棄の先頭に立たなければならないし、その活動の中には当然、議会での政府追求も含まれる。だが政府閣僚としては安保堅持をうたわなければならないし、閣内一致の原則からして、それに沿った答弁をしなければならない。このような場合、おのずから安保廃棄の方の運動がなおざりになるのは自明ではなかろうか。
 第2の点について言うと、安保の現状維持を正式に協定した党が、他の安保堅持党に対し、安保の部分的改良を要求することなど可能だろうか。現状維持は現状維持である。そのような要求は、あっさりと拒否されるだろうし、逆に、協定に対する共産党の不誠実さを示すことになって、政府内での共産党の立場を悪くするのが関の山であろう。
 第3の点について言うと、大枠として「総与党化」という流れが存在するのなら、そもそもどうしてそのような与党化した野党と組んで「よりましな政権」の樹立が可能なのか。しかも、志位報告では、そのような逆流はあっても、野党共闘の前進を勝ち取る客観的条件が存在すると断言されている。総与党化しつつある野党とは、部分的に共闘は可能であっても、今後ますますそのような共闘すら困難になるとみるのが、自然ではないのか。
 第4の点に関して言うと、これこそまさに不破政権構想の破綻を示すものである。国政の場合と同じく、地方政治でも、共産党はほとんどの場合少数野党である。たしかに安保を廃棄するかいなかの問題はなくても、安保の運用や基地問題をめぐる深刻な対立も存在している。とするなら、自民党が少数の地方自治体では、同じように、安保問題に関して現状凍結で、他の野党と連合して統一候補を立てればいいではないか。そうしてこそ、責任ある立場になるはずである。
 第4の点に関して言うと、これこそまさに不破政権構想の破綻を示すものである。国政の場合と同じく、地方政治でも、共産党はほとんどの場合少数野党である。たしかに安保を廃棄するかいなかの問題はなくても、安保の運用や基地問題をめぐる深刻な対立も存在している。とするなら、自民党が少数の地方自治体では、同じように、安保問題に関して現状凍結で、他の野党と連合して統一候補を立てればいいではないか。そうしてこそ、責任ある立場になるはずである(**)。
 (**)逆に地方政治に関しては、共産党は、国政における無原則な妥協路線と正反対のセクト的選挙方針に陥っている。大阪府知事選において党が擁立した候補者は鯵坂真という札付きのスターリニスト学者であり、東京都知事選において党が擁立した候補者は三上満元全労連議長である。二人ともばりばりの党員として有名であり、革新統一候補としてはおよそふさわしくない顔触れである。

新たな右からの支持層の圧力

 今回のような右翼的政権論が出てきた直接的背景は、すでに述べたように、98年参院選での共産党の躍進である。それと同時に、この増大した議席を背景に、この間、「共産党をのぞく」という図式が部分的に崩れて、共産党を含めた野党共闘が個々に実現したという経験も、不破指導部にとって大きな意味を持っていた。
 だが以上の二点は、まさしくブルジョア議会主義の観点から事態を見る者にとってのみ決定的な意味を持つにすぎない。諸政党の階級的および階層的基盤、それに規定された各党の階級的性格とその基本政策の方向性、政治・社会全体の構造とその変化の動向といった、政権問題のみならず、そもそも他政党に対してとるべき共産党の基本姿勢を考えるうえでより根源的な諸問題は、彼らの議論からすっぽり抜け落ちている。
 先進資本主義国のスターリニスト政党は、ブルジョア議会主義への過度の偏向という点である種の共通性を持っているが、今回の事態に関しては、この間の議席増大に幻惑されて、日本共産党において何度目かにこの側面が前景に押し出されてきたものと解釈することができよう。
 だが歴史は単純には繰り返さない。今回の右転換の背景には独自の特徴も見られる。それは、98年参院選において、共産党にはじめて大規模な形で伝統的な革新層とは異なる階層の票が投じられたことである。共産党の躍進の基本的な階層的基盤は伝統的革新支持層であるが、それと同時に、8月3日付の論文でも指摘したように、伝統的保守層の一部と都市の中上層市民の一部も、今回共産党に大量に投票した。この二つの階層、とりわけマスコミを通じた後者からの圧力は、共産党指導部に大きな影響を及ぼした。
 たとえば、三中総報告において志位は次のように述べている。
 「党にたいする国民の期待も、二つの面があります。一方では『筋をまげないでがんばってほしい』、こういう期待が当然つよくあります。もう一方で、『現実政治を実際に動かしてほしい、そのためには思いきって柔軟な対応をしてほしい』、こういう期待もあります」(同前、2頁)。
 昨今の右転換は明らかに、この後者の圧力を受けたものであり、その背景には、伝統的革新支持層とは異質な階層からの票の大量流入という現象があるのである。
 このような現象はある意味で、大躍進した土井社会党のときにも見られたことであるが、ただし重要な違いはある。土井社会党は、八九年参院選において、普段の倍の2000万票を獲得し、都市中上層票がその中で決定的な比重を占めたが、今回においては、階層分化がより深く進行し、また、都市中上層票の受皿政党である民主党が存在するので、共産党の得票に占める都市中上層票はおそらく二割程度ですんでいる。とはいえ、今回の不破共産党の右転換をいささかでも軽視すべきでないのは言うまでもない。

左派党員は何をなすべきか

 さて、以上のような党指導部の右転換を前にして左派党員は何をなすべきだろうか。
 これまで左派党員は、党のスターリン主義的・民族主義的・セクト主義的限界を厳しく批判しつつも、現在の新自由主義と帝国主義の支配的路線と闘っているかぎりにおいて、指導部と団結して、その主たる打撃を党内外の右派に向けてきた。ところが今や党指導部は、後房雄流の政権論を正式採用するに至り、野党連合政権の幻想に耽っている。
 今回の劇的な右転換に関しては、おそらく多くの左派党員にとっては寝耳に水のできごとだったのではないだろうか。このような事態を前にして、私は改めて、左派党員の分散性、その政治的非力さを強く実感せざるをえない。われわれはこのような右転換に対し、組織的・集団的に対処するすべを知らないし、そうする能力も持ち合わせてはいない。
 たとえば、日本の共産党がイタリア左翼民主党のようになった場合に(もちろん、そうなるまでにはまだ相当な距離があるが)、左派党員がイタリア共産主義再建党のような政党を作れる能力があるかというと、まったくないというのが、偽らざる現状である。分派闘争やそれに類する活動が何十年にもわたって厳格に禁じられ、それに甘んじてきた党員たちは、右派も左派も中間派も、独自の組織的・集団的行動を全国的に展開する能力を完全に奪われているのである。スターリン主義の足かせを何十年もはめられ続けたわれわれは、自由に行動する能力さえ失ってしまっているのだ。
 われわれは今や根本的にこれまでの路線を見なおさなければならないのではないか。いわば指導部の左翼的善意をあてにして一般党員を思想的に獲得するという、暗黙のうちに了解されていた路線は、今回のような事態になったとき、完全に身動きをとれなくしてしまう。
 私が他の左派党員と話したところでは、とにかく、もう一度指導部が左転換するまで、これまで通り地道に新自由主義と帝国主義に対する闘争をするしかない、というのが典型的な反応であった。なるほど、そのような左転換の可能性もあるだろう。また、今回の政権構想が結局、何ら具体化することなく雲散霧消してしまう可能性はもっと大きいだろう。だが、そのような成り行きに身をまかせて旧来どおりの路線を続けることは、スターリン主義指導部に対する党員の武装解除をいっそう昂進させるだけではないのか。
 自分から党を飛びだすのは得策ではないだろうが、以前よりもはるかにはっきりとした不信を指導部につきつけ、より大胆で踏み込んだ行動が必要なのではないか。
 最後に、私としては何よりも、左派党員に対し「何をなすべきか」に関する積極的な討論を呼びかけたい。1998年11月1日


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