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    かけはし2020年7月6日号

政治的展開 途方もなく加速


フランス

レイシズムと警察の暴力反対の決起さらに

ジュリアン・サリンゲ

政治的論争の
中心部に激変

 政治的展開の途方もない加速がある。これこそが、レイシズムと警察の暴力の課題をめぐってこの一〇日間フランスでわれわれが見てきたものを表すことができるものだ。アッサ・トラオレ(二〇一六年に憲兵隊によって殺害されたアフリカ出身移民の息子、アダマ・トラオレの姉:訳者)はBFM・TV(フランスのニュース専門局:訳者)の番組に招かれ、内務相のクリストフ・カスタネルは、警官労組からはひどく悪評を受けた公表をいくつか行うよう迫られた。これほどまでに先のテーマが大衆的な論争で中心的な場を占めると、二週間前に予想できたとすれば、読者は極度に鋭敏でなければならなかっただろう。
 われわれが今日通過中の連鎖に引き金を引く点では、明らかに米国でのジョージ・フロイドの死、およびそれに続いた諸決起が一つの役割を果たした。しかしながら、何人かの論説主幹や政治家が行っているように、この日々フランスで起きた大規模なデモは米国で今起きていることのまねごとにすぎないと考えることは、特に誤りだろう。フランスにも他のところ同様、国際的なレベルでの共通の課題が、また国民的な歴史に結びついた固有の課題があるのだ。

構造的レイシズ
ム否認の袋小路


 フランスにおける構造的レイシズムに対する糾弾から正統性を奪うことを狙いとした、「フランスは米国ではない」という議論と、イスラエルをアパルトヘイト国家と呼ぶ者に対し振り回された「イスラエルは南アではない」との議論の中には、まったく同じく共通に貫くものがある。確かに二つの歴史的なあるいは国民的な状況の間に厳密な同等性がある、とは決して言えない。しかしそうであってもそれは、われわれがその二つを似たような進展として識別し、一つの共通する「ラベル」の下にグループ化することを妨げるわけではないのだ。「フランスは米国ではない」という口実の下で、われわれはフランスと米国の代表性民主主義について語ることはできない、などと誰が言うだろうか?
 その上、レイシズムの組織的な性格を前にして主流メディア内に現れていた集団的な否認は、まさしく組織的なレイシズムの仕組みの一部として、個人的な「まずいふるまい」を非難することでの希釈を通してその「自己否認」に帰結するという、そうした再生産に向けた諸条件の一つ、なのだ。この現象は、「性差別的な男」や「性差別的なふるまい」はあると主張しつつも女性抑圧の構造的な性格があることは否定する議論と響き合っているのであり、そのことを心に留めなければならない。
 レイシズムに向かうこの姿勢はこのところ、「レイシスト警官はいるが警察にレイシズムはまったくない」という決まり文句の嫌になるような繰り返しによって、漫画と言える点まで押しやられることになった。

「何か」が今
起きている


 この二週間の反レイシズム決起は線香花火現象ではなく、社会の中に深く根を張った力学を反映している。五月三〇日、何千人という未公認移民と彼らの支持者がパリ市の禁令を無視してパリの街頭を貫く行進を行った時、「何か」が起きた。六月二日、労働者階級の居住区から、ほとんどが若い、むしろ極度に若いレイシズムの差別を受けた数万人の人々が、特に急進的なスローガンを軸に、再度パリ市の禁令を無視してパリ控訴院前に集まったとき、今「何か」が起き続けている。
 確かにフランスには制度的なレイシズムがあるのだ。そしてそれは、しばしば警察の犯罪の根源にある系統的な顔のチェック行為と同じほど大いに、移民と未公認移民に関する犯罪的な諸政策の中に表現されている。そして、「第一に関係する」人々を前線に何万人もの人びとが今日立ち上がっているのは、危険な考えや許し難い個人的なふるまいに反対してというよりも、先の制度的なレイシズムに反対して、ということなのだ。

 この日々フランスでは、レイシズムと警察の暴力の問題が、前例のないレベルで公的な論争にもち出されることになった。警官とその組織との良好な関係への依存を前提としたとき、政府の熱に冒されたような変調は明白だ。それは、カスタネルがいくつかの公表を行う(締め技使用の停止、レイシズムの罪を犯した警官の停職)よう強いられ、マクロン自身が司法相のニコル・ベルベに介入し、結果として彼女が可能な限り早期にアダマ・トラオレの事件を調べることになる、という点にまでおよんでいる。
アダマ委員会の反応は、司法相との会談拒否、および六月一三日の新たな行動日設定という形で辛辣なものだった。他方で「連帯行進」は、未公認移民に関する六月二〇日の決起を呼びかけた。
一つの力関係が生み出された。そしてわれわれはそれを、政府発であろうが一定の「左翼」発であろうが脇へそらすあらゆることを拒絶しつつ、さらに積み上げ続けなければならない。ちなみにここで挙げた「左翼」は、レイシズムと警察の暴力に反対する闘争での不在によってのみ多年の間際立ってきたのだ。
そしてこの力関係はそれ以上に、世界的な社会的、政治的な空気を変えることに、ロックダウンからの浮上に爆発的な性格を与えることに、そしてあらゆる種類の決起を鼓舞することに、早くも貢献し始めているのだ。(二〇二〇年六月九日)

▼筆者は、フランス反資本主義新党(NPA)、および第四インターナショナルのメンバーであり、政治学研究者でもある。 

エコ社会主義

ミシェル・レヴィへのインタビュー

資本主義は持続不可能かつ破壊的
地球と人類を前例なき災厄へ導く

エコ社会主義へ
国際的共同の今

――二〇年近く前のエコ社会主義宣言において、あなたはグローバル資本の混沌とした世界では数えきれないほどの抵抗が起きること、これらの抵抗のほとんどがそもそもエコ社会主義的性格を帯びると指摘した。あなたは、こうした運動が団結して、「エコ社会主義インターナショナル」を構築する可能性を呼びかけた。過去一五年間で、グローバル資本の混沌とした世界に対する抵抗は増加・拡大した。とりわけ二〇一九年から二〇二〇年にかけては、多くの反乱が起きた。われわれは今日、エコ社会主義インターナショナルという考え方についてはどこにいるのか? この可能性は高くなったのか?

 グローバル資本に反対する社会的・エコロジー的な抵抗は実際に増えてきている。小農民、先住民コミュニティ、女性、そして若者がこの闘いの最前線にいる。グレタ・トゥーンベリの呼びかけに応えて、何百万人もが街頭に出た。そのようなクライメート・ジャスティスの国際的動員はかつてないことである。このことはわれわれに希望を与えたが、化石燃料独占体はいまだに権力を持ち、その破滅的なルールを押し付けている。ビジネスはいつもと変わらない。われわれは急速に破局へと向かっているのだ。
「エコ社会主義インターナショナル」はまだ時期尚早だが、エコ社会主義者の国際的ネットワークを作ろうという控えめだが、興味深い試みがおこなわれてきた。もっとも最近の試みは、今年になって始まった、非常に前途有望なイニシアチブであるグローバル・エコ社会主義者ネットワークである。

――グリーン・ニューディールが多くの国々で、とりわけアメリカ合衆国の急進的反対派によって、さらにアメリカ国境を超えて広く議論されてきた。グリーン・ニューディールはあなたにとって何を意味しているのか? それは地球を救うのに十分なものか?

 グリーン・ニューディールにはいくつかの異なるバージョンがある。もっとも興味深いのは、アメリカのアレクサンドラ・オカシオ―コルテスとアメリカ民主的社会主義者(DSA)によって提案されているものだ。この提案を採用しても、「世界は救え」ないだろうが、資本主義の支配エリートの確固たる利益に反対し、エコロジー的な移行にむかう重要な前向きのステップとなるだろう。しかし、地球温暖化の破局を食い止めるためには、化石エネルギーから完全に脱却し、反資本主義的変革プロセスを始めるというさらに根本的な政策をとらなければならない。

闘わぬ者は
すでに敗者


――ウイルスは、エコロジー崩壊にとりくんでいる人々にとっては驚きではなかった。長年にわたるエコ社会主義者を含めたエコロジーのための闘いから、そのような惨事は資本主義生産方式の当然の結果であるという事実が明らかになっていたからである。にもかかわらず、惨事が起きるとき、この視点は忘れ去られ、陰謀論が支配するかもしれない。だからこそ、その視点について考えてみるのはいいことだ。ウイルスと資本主義の論理との間の関係は何か? ウイルスを拡散させたものは何か?

 私は感染症研究の専門家ではないので、多くのことを言えるわけではない。陰謀論は、そのシステムのもっとも反動的な人物(トランプやボルソナロ)による、本当の問題から人々も意見をそらすためのもう一つのトリックであることは言える。
第一の問題はもちろんのこと、新自由主義政府による公的医療システムの破壊である。病院閉鎖、医者や看護師の新規募集停止によって、ウイルスが来たときに破滅的な状況を招いたのだ。トランプやボルソナロのような犯罪者は、いかなる犠牲を払っても資本主義経済活動を続けることを優先することで、自分たちの国で何百万人もの死者が出るのをいとわない。

――資本主義の持続不可能性は、きたるべき破壊的プロセスをともなって、さらに鋭く明らかになっている。マルクス主義的・エコロジー的視点での新たな社会の建設はいかにして可能なのか?

 資本主義は持続不可能なシステムというだけではない。それは破壊的なシステムであり、地球を、それゆえ人類を歴史上かつてなかった災厄、つまり地球温暖化、耐えられないレベルの気温上昇、氷の溶解、(アムステルダム・ベネチア・ニューヨーク・香港の消滅をともなう)海水面の上昇、河川の渇水へと導いている。
マルクス主義的視点からは、資本主義の「鉄の法則」を打ち破る反資本主義革命だけが、連帯・自由・民主主義とマザーアースへの敬意にもとづく新たな社会、エコ社会主義文明への道を切り開くことができる。遅すぎないうちにこのことが可能だろうか? われわれにはわからない。しかし、ベルトルト・ブレヒトがかつて言ったように、「闘う者は負けるかもしれないが、闘わぬ者はすでに負けている」のだ。
五月一〇日
(『インターナショナル・ビューポイント』五月一一日)

 


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