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    かけはし2020年6月22日号

自国の国家的レイシズムと対決


欧州

各国の反レイシスト運動

既成左翼沈黙のなか若者が自ら決起

[イタリア・6・7/トリノ]
差別への怒り街頭と広場席巻
デーブ・ケラウエィ

 ほとんど予期できなかったことではあるが、広場は数千人の若者たちで一杯になった。その多くはさまざまな民族的先祖をもつイタリア人の第二世代の人々だった。ほとんどが自ら作ったプラカードを手にしていた。こうした人々は、「ノー・ジャスティス・ノー・ピース」や「三月二一日ネットワーク」が出したアピールに応えたのだった。
 手作りのポスターは、ミネアポリス市警察がジョージ・フロイドを残虐にも殺害したことを非難するだけでなく、われわれの国にも間違いなく存在し、根を張っている人種差別主義(レイシズム)を非難していた。多くのプラカードは、二〇一八年にジョイア・タウロ平原で銃殺された農場労働者ソウマリア・サコを追悼するものだった(訳注一)。
 日常的に人種差別を経験してきた発言者たちは、多くの若者は日常生活の中で我慢させられており、慣習化された暴力が「ロックダウン」の期間にさらに悪化したことを非難した。
 座り込みのあと、トリノ中心街で美しいデモ行進がおこなわれた。われわれは通りを右翼やレイシストに占領されたままにはしておかなかったのだ。
 トリノの反資本主義左翼の同志たちは、食べ物の屋台を出し、デモ行進に参加した。そして、組織化された政治形態を信頼していないが、レイシズムと資本主義との結びつきを理解し始めている若い世代の人々に語りかけようとした。
 われわれは、アメリカ合衆国の国境を超えつつある運動に直面していて、それを注意深くフォローしなければならない。
 ある古参革命家がかつて言っていたように、年老いたモグラは、歴史が他の方向に向かっているように思えても、歴史の中を掘り続けているのだ。

[イタリア]
主流政党の移民敵視政策に
大衆的な異論突きつけ噴出
反資本主義左翼(シニストラ・アンチキャピタリスタ)


 デモ行進は、ミラノ、ボローニャ(ここではサルディニア出身者が役割を果たしていたようだ)、ローマ、パレルノ、ウーディネ、ジェノバ、バリ、メストレ(ベネチア)、モンテプルチアーノ、カタンザーロ、カターニア、メッシーナ、パルマ、ブレシア、ピサでもおこなわれ、あるいは組織された。われわれには報告されていない他の行動もあったかもしれない。ボローニャ、ミラノ、ローマでのデモ行進には、数千人が参加した。ローマでは、ポポロ広場が一杯となった。
 デモ行進によって提起された他の問題には、以下のようなものがある。
*悪名高い出生地主義の論議。イタリアで出生した移民の子どもたちは自動的に市民権を得るわけではなく、一八歳になったときに手続きを経なければならない。
*サルヴィーニによる悪名高い治安法令。それは移民の権利を攻撃するもので、サルヴィーニがもはや政権内にはいないにもかかわらず、完全に撤廃されてはいない。
 いわゆる中道左派あるいは「進歩勢力」はこうした問題についてほとんどとりくめていない。リビアが海岸から人々を連れ戻し、報道機関や人権団体から非難されているおそるべき収容所に閉じ込めるのを助けることによって、アフリカの海岸からやってくる移民を抑制する法律を制定したのは民主党(PD)の大臣だった。民主党は完全に選挙の思惑によって動かされていて、同盟[訳注:かつての北部同盟]指導者サルヴィーニのレイシスト的ポピュリズムに怯えてきたのである。
 民主党の前首相レンツィは自らの政党「イタリア・ビバ」に対して、サルヴィーニを訴追する投票の際に棄権させて、サルヴィーニを救済しようとさえしたのだ。この訴追は、恥ずべきことに、移民を乗せた船がイタリアの港に入港するのをサルヴィーニが認めなかったことについてのものだった。
 ロックダウンの期間中、人々は、食料供給網が農村部にいる移民労働者の飢餓賃金とおそるべき労働条件に依存していたという事実を知ることになった。民主党と五つ星運動による政府は、及び腰ながらその部門での一時的な(移民)合法化をおこなった。デモ参加者は、移民の完全な労働権と市民権を要求した。
 現段階の積極的な発展の一つは、サッカー一部リーグ(セリエA)の全チームやスター選手からの「黒人の命は大切」運動への連帯感の表明が増えていることである。イタリアのサッカーは、この点でのイギリスの経験(見本というわけでもないが)に後れをとってきた。
 この新たな運動は、現在および将来の雇用削減から労働者を防衛し、政府に格差や環境的ニーズの両方にかかわる真にグリーンな回復策をおこなわせるために、初期的な動員と結合することを必要とするだろう。現在の労働組合指導部および公式的な中道左派政党やその衛星政党のどちらも、そのようなオルタナティブのために闘おうとはしていない。これらの政党はすべて、ある種の全国的社会契約あるいは「三部会」(訳注二)にとりくんでいるからである。
 動員がなければ、そして中道左派の主流派がその路線を維持するならば、極右が次の選挙に勝利するかもしれないという危険性がある。世論調査によれば、サルヴィーニの支持率は低下しているが、いまでも同盟はもっとも高い支持率を有している。右翼全体としては過半数を構成するだろう。
 心配なことに、メローニのネオ・ファシスト政党「イタリアの同胞」は一六%の支持を得ており、彼女の反移民の大言壮語は、パンデミックの期間中には、内務大臣の職を失った後ではあまり効果がなかったが、彼女の個人的な支持率はいまのところ、サルヴィーニよりも高くなっている。

(訳注一)西アフリカ・マリ出身のソウマリア・サコは、二〇一八年六月二日、イタリア南部のジョイア・タウロ県では白人男性に銃で撃たれ殺された。二九歳だった。彼の死は移民農場労働者に大きな衝撃を与え、ストライキや抗議デモが展開された。
(訳注二)「三部会」とはフランス革命時の身分制議会のこと。
▼デーブ・ケラウエィは、ソーシャリスト・レジスタンスの支持者。反資本主義左翼は、第四インターナショナル・イタリア支部のうちの一つ。
(『インターナショナル・ビューポイント』六月八日)

[スコットランド]
今こそデモに参加する時だ!!
レイン・ブルース


日曜日(六月七日)、何千人もの抗議行動参加者が、スコットランドのグラスゴーやエジンバラに登場し、アメリカの「黒人の命は大切」抗議行動に連帯して膝をついた。そして、ここイギリスにおける制度的なレイシズムへの反対の意志を表明した。
大部分が若者だった数千人のデモ参加者が、三時間にわたる静かな抗議のためにグラスゴー・グリーンに集結したとき、その雰囲気は陽気なものだったが、参加者の意思は堅固だった。人々はくりかえし膝まずき、手を叩き、歓声をあげた。「黒人の命は大切」デモがおこなわれた世界の多くの他の場所と同じように、スコットランドでこうした抗議行動、あるいは大衆集会が開かれたのは、ほとんど三カ月ぶりのことだった。そして、安堵感と一体感は明らかだった。しかし、抗議行動を通じて、ほとんどの人がマスクを着用し、二メートルの距離を取っていた。
スコットランド政府は、「黒人の命は大切」運動への共感と支持をすでに表明していたが、新たなコロナウイルス感染のリスクが増大すると言って、人々に抗議行動に参加しないように呼びかけた。エジンバラとアバディーンで登場したデモ参加者のほとんどは、グラスゴーと同じく、そのリスクを真剣に考えているように思えたが、まさに今こそデモに参加するときであり、参加すべき問題だと確信していた。
▼レイン・ブルースは、グラスゴー在住のジャーナリスト・映像作家。『インターナショナル・ビューポイント』の前ラテンアメリカ通信員。
(『インターナショナル・ビューポイント』六月八日)

[ポルトガル]
レイシズムはここにもある
エスクエルダ・ネット


ポルトガルのいくつかの都市で、日曜日(六月七日)に人種差別主義の犠牲となったジョージ・フロイドを悼んで、数千人が集合した。ベアトリス・ディアス国会議員が存在感を示しながら「レイシズムと人種差別と闘うための公共政策」を求めた。
「われわれの闘いは日常的なレイシズムや外国人嫌悪に反対するもの」「平等な権利を」「クラウディア・シモーズがここにいる!(訳注)」「正義がなければ平和はない」。ポルトガルの北から南までの諸都市で、何十というスローガンを数千人の人々が叫んだ。
抗議行動参加者は、警察によって殺害されたアフリカ系アメリカン人のジョージ・フロイドを悼んだが、さまざまな種類のレイシズムによる他の犠牲者のことも忘れてはいなかった。
リスボン、ポルト、コインブラ、ブラガ、ヴィゼウ、グアルダ、ファロにおいて、大きくて生気にあふれたデモが展開された。コインブラのデモの共同組織者の一人であるレオナルドは、抗議行動の精神について「われわれが望んでいるのは、レイシズムがポルトガルにも存在しているということを人々に理解してもらうことだ。そして、ポルトガルでも、レイシズムは多くの犠牲者の命を奪ってきた。だから、われわれはそうした人々にも敬意を表するのだ」と要約した。
ロマ人のコミュニティもレイシズムの犠牲者であり、熱心にその場に参加していた。ホセ・フェルナンデスは「われわれは多くのレイシズムに向き合ってきた。それぞれに多くの問題がある。われわれはみんな平等だし、すべてのポルトガル人や人間は平等なんだ。レイシズムを打ち倒せ!」と主張した。
左翼ブロックのコーディネーターであるカタリナ・マルティンズは、リスボンの抗議行動で「アメリカで抗議行動に参加しているすべての人々との連帯」を表明するとともに、「構造的なレイシズムがここにも存在していることを理解する」ように訴えた。
左翼ブロックの国会議員であり、黒人活動家であるベアトリズ・ディアズは「われわれは、アメリカで殺されたアフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドに敬意を表するためにここにいる。しかし、われわれはまた、ポルトガルや世界のさまざまなところで黒人の生命に危害を加える構造的なレイシズムの表れすべてについて討論を提起したかったのだ」と説明した。
(訳注)一月一九日夜、四二歳の黒人女性であるクラウディア・シモーズは、ポルトガルのアマドーラで、娘と一緒にいるときに警官に殴打されて病院に搬送された。
▼エスクエルダ・ネットは、ポルトガル左翼ブロックのウエブサイト

[フランス]
反レイシスト反乱に
パリは場所を譲った

    ミリタント・インベスティゲーション
・プラットフォーム

 六月二日の火曜日、五万人の人々がパリの街頭に登場した。一万人の「不法」移民が移民システムに反対して抗議行動を展開したわずか二日後のことだった。
最近数日間、フランスのメディアは、警察の暴力、国家的レイシズム、ドナルド・トランプに象徴される白人優越主義に反対するアメリカ合衆国における反乱によって、心を動かされているかのようだった。それに加えて、フランスでは、生産・消費の体制が活動再開された一方で、「医療緊急事態」が不平等な影響を与え続け、大衆的デモ行進が禁止され、搾取と警察の暴力が強化されている。
先週土曜日(五月三〇日)、一万人の「不法」移民が、パリ中心部にあるオペラ座と共和国広場の間の街頭に進出した。そうしたときに、彼らは自分たちの存在が持つ物質的・象徴的力によってすでにデモ禁止令を打ち破っていたのである。
しかし昨日、アダマ支援委員会(訳注)によって呼びかけられたデモは、すべての予想を上回るものだった。デモの社会的構成はかつてないものだった。若い、とにかく若かった。そして、デモは文字通りパリ裁判所を包囲し、第一七区とその周辺を一晩中占拠したのだ。
構造的レイシズムに対する怒りと何千人ものデモ参加者によって叫ばれたスローガンである「息をする権利」という要求は、この夜の精神を要約したものであり、直接にアメリカでの反乱と結びついていた。デモ呼びかけをやめるようにというアダマ・トラオレの家族に対するパリ警視庁ラルマン長官からの圧力は、結果として怒りに火を注ぎ、広範な動員をもたらしただけだった。
プラカードには、「私は息ができない」といったメッセージが書き込まれていた。これは、警察による残虐な逮捕の後にミネアポリスで亡くなったアフリカ系アフリカ人ジョージ・フロイドが最後に言った言葉である。他には、「われわれの命は大切」「レイシズムはわれわれの意味を詰まらせる」「正義がないところに平和もない」などのスローガンも見られた。
アダマ・トラオレが死んでから四年後に、彼の家族から依頼された新たな医学レポートが、彼の死について広く論議・批判されてきた逮捕術で顔を押さえ込んだことによるものと結論づけていた。午後九時になって、数千人の人々がその地域に集まり、警察による挑発に続いて大きな衝突が起きた。バリケードが作られ、火がつけられた。ワイルドなデモがパリ北部のあちこちで一晩中おこなわれた。
それはまさに闘いに命を吹き込む一日であり、医療危機に対応してとられたロックダウン措置の終了後に、フランスにおいて闘いを再構築するために必要とされる物質的な強さを与えるものである。次のデモが六月六日土曜日に予定されている。パリは反レイシスト反乱に場所を譲っている。

 (訳注)アダマ支援委員会は警察の差別・暴力と闘っている団体で、団体名は警察の暴力によって殺されたアフリカ系青年アダマ・トラオレの名前に由来する。彼は二〇一六年七月一九日、身分証明書の不所持を理由に逮捕され、その過程で警官に押さえつけられて「息ができない」と言ったにもかかわらず、制圧が続けられたため窒息死した。警察は「病死」だとして責任を認めていない。今年五月二〇日、検察当局が再び死因を「病死」としたため、二日のデモが呼びかけられた。
▼ミリタント・インベスティゲーション・プラットフォームは、フランスの左翼の共同組織。

 



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