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    かけはし2020年6月1日号

「尊厳と怒り」の大阪モデルを


投稿

4〜5月の一連の行動に参加して

自粛を言うなら生活補償を行政は当事者の声を聞け

喜多幡佳秀(ATTAC関西グループ)

 コロナ危機下の「連休」は緊急事態モードの中で、多くの人びとは、生きること自体の困難をさらに背負わなければならなかった。この中で、大阪では「梅田解放区」「釜ケ崎センター開放行動」の仲間たちの取り組みが続けられた。この行動に参加した喜多幡さんから報告が寄せられた。(本紙編集部)


コロナ危機下
の自粛ムード


 ATTAC関西グループは新自由主義的グローバル化のさまざまな問題について取り上げ、労働組合や市民団体、NGOなどの団体と協力して活動してきましたが、独自の活動としては小規模な学習会が中心となっていて、「二カ月に一回、日曜日の朝」というパターンが定着しています。
 コロナ危機の中では、政府や自治体が文化や市民の自主的な活動を「不要不急」として規制し(「自粛要請」)、運動側でも自粛ムードが広がる中で、「私たちの自主的活動においては、それぞれの主催者が、密集が予想される大規模なイベントや広域の移動を伴う全国的イベント、換気設備に問題がある施設や、エレベータ・通路・ロビー・トイレなどでの密集が避けられない施設でのイベント、開催を延期してもかまわないイベントなど、個々の事情に応じて判断し、実施に際しては十分な配慮を行っています。一律に自粛することは感染拡大防止の観点から考えても合理的なことではありません。少なくとも屋外や公共施設における少人数の自主的集まりなどは、むしろ『安全弱者』が社会的つながりを維持する上でも最大限維持されるべきだと思います」(五月一一日に大阪市に提出した公共施設の開放に関する要請書より)という観点から、昨年のG20反対行動や3月27日のオリンピック・パラリンピック反対集会で共闘してきた「梅田解放区」、「釜ヶ崎センター開放行動」などのよびかける一連の行動に参加してきました。
 テーマはズバリ「自粛を言うなら生活補償を」。格差の究極である「外出しなくても困らない人」と仕事がなくなるとすぐに食べ物や家賃に困る人との格差。四月七日の大阪市役所申し入れ行動について、一七項目の申し入れ内容と合わせて「かけはし」の四月二〇号に掲載されていますが、その後の顛末について、この間のフェースブックへの投稿をまとめてみました。

   5月3日

 以前から気になっていた梅田解放区の行動。この間はいろんな集会・デモが次々に自粛で、時間ができたので、なるべく参加させてもらっている。毎回新しい出会いと発見がある。
体力的についていけないので途中参加・途中離脱することが多く、準備や後片付けの手伝いができないので申し訳ないが、最近では家族もいっしょに参加していて、おかげで新婚の娘夫婦との会話が増えた。頼りないと思っていたが若者なりに真剣に考え、行動していることがわかり、うれしく思っている。
今日は扇町公園で集会・デモ。在特会系と思われる数人が執拗に妨害。自粛ムードでこんな連中をつけあがらせてはならない。
「緊急事態」が一カ月延長されるらしい。その後も二年ぐらいは(あるいはもっと長期に)、「第三波」、「第四波」が襲ってくるだろう。
今が緊急事態であることは政府や自治体が宣言しなくても誰でも知っている。うがい、手洗い、三密を避けるぐらいのことは「緊急事態宣言」など出される前からみんなやっている。みんなの努力、特に医療現場の頑張りでなんとか感染拡大をこのレベルに抑えている。「緊急事態宣言」はそれを自分の手柄にしたいというバカ殿の我儘だ。
とはいえ、運動側も飲み込んでしまった自粛ムード、判断停止に、安倍政権や維新の会は一層の強権支配・監視社会への確かな手ごたえを感じているだろう。
「コロナ騒ぎが収まったらまた運動を再開すればよい」という考え方はもうそろそろ再考してほしい。コロナ騒ぎは収まらない、今の第二波はそのうちに収まるかもしれないが、その時には数百万人の失業と世界的な食糧不安が待っている。決して元の成長経済が戻るわけではない。
若者たちに生きる価値がある未来を残せるのかどうか、今が正念場だ

  5月7日

「大阪モデル」・・・またキャッチフレーズ政治。

 内容は数値目標を並べてそれらしく見せているが、「金メダルを〇個取る」というレベルの目標と変わらない。
都構想やIR関連の財源を確保しておくために、なるべくカネをかけずに人気を維持するという意図が透けて見える。
今の感染拡大を一時的に封じ込めたとしても、次の感染拡大への備え、複合災害(台風や地震で避難中に感染が発生した場合の対策など)の対策、維新府政下での悲惨な公共医療の立て直し、そして何よりも中小企業、商店、フリーランスの人たち、外国人への迅速な補償・・・緊張感を維持し、持続することができるような仕組みを作る必要があるし、そのためにこの数か月間、府が何をしてきたか、今何をしているのかを語らなければ「大阪モデル」などお笑いのネタにしかならない。……しかしそれでも人気上昇につながるのが悔しい!

   5月9日

 今日も梅田解放区。

 安倍政権の体たらくとメディアが煽る吉村人気にますます怒りが充満。
歌あり、演奏あり、寸劇あり、もちろんド迫力のスピーチありで、立ち止まる人や声をかけていく人も多かった。
文字通りの解放区、京都や神戸でも座り込みやスタンディングをやっているという報告も。
「緊急事態」・「自粛強制」・自警団社会への抵抗はここから始まる!

  5月12日

5回目の大阪市役所前の座り込み行動

 すでに一カ月半以上前に出している要望書、何度回答を求めに来ても「担当部局で調整中」とゼロ回答。個別に担当部局に出向いても「要望書があることも聞いていない」。…… それで「松井市長記者会見に乱入」というハプニング。[たまたま庁舎内でたらい回しにされて移動中に、記者会見の現場に遭遇。この顛末の映像がユーチューブで公開され大反響を呼んだ。市長は職員に促されて市長室へ逃亡]。市長室に閉じこもった松井市長は出るに出られず、慌てた職員が担当責任者を呼んできて、私たちの要望を伝えた。この間、約二時間。
「緊急事態」と言いながら、トップダウンで職員は市民の声も聴けないし、自分で判断もできない。トップはトップでカネも人手もかからない「やってるふり」の思い付き施策ばっかり。何が緊急だ、何がスピーディーだ! その極めつけが十三市民病院のコロナ指定病院の指定。現場は大混乱、保護具を手当てする気もなく、市民に「カッパ」のカンパを呼びかけ、市役所の職員が山積みされたカッパの仕分けに駆り出されて大迷惑。医療従事者への支援ということで集まった寄付の分配も医者と看護師だけ。病院の委託従業員のことは眼中にない。それで映像の「カッパの反乱」となった。
二〇一〇年代初めに世界に広がったオキュパイ運動も、こんなところから始まったのだと思う。民主主義が目詰まりして、多くの人々が困窮すれば、人々は直接の民主主義を求めるだろう。キーワードは「尊厳」と「怒り」だった。吉村・松井の「大阪モデル」をたっぷり観察させてもらった。次は「尊厳と怒り」の「大阪モデル」を始めよう。
とはいえ、声を上げている若い人たちは、この二カ月余りの行動で身体的にも精神的にもギリギリの状態。
街頭ベースの少人数の行動で出入り自由。無茶な行動をやっているわけではありません。ぜひ注目を!

  5月17日

緊急事態の解除への動きが進んでいます。

 そもそも緊急事態に反対してきた私たちにとって、緊急事態が解除されることに反対する理由はありません。
現在の感染が、とりあえずはこのレベルにとどまっていることは、医療現場をはじめ、個人や団体、企業などの慎重な行動の結果であり、決して安倍政権や小池・吉村知事の「手柄」ではありません。
とはいえ、本当の危機はこれからです。政府や小池・吉村は、いまだにオリンピックや大阪都構想・カジノ万博、インバウンド観光による経済成長という妄想に支配され、コロナ危機対策の予算をケチっています。
今は次の感染拡大に備えて、今回欠陥が露わになった医療体制・検査体制の立て直し、迅速な休業補償・所得補償の制度化と予算確保、予想される複合災害への対策に集中するべきであり、オリンピックや大阪都構想・カジノ万博などにヒトやカネを使っている時ではありません。
雇用危機に対応するために企業を救済するという逆転した発想をやめ、雇用の危機や生活の危機にさらされている個人を直接に救済するべきです。
……というようなことを今こそ大胆な行動によって実現していくべきだと思います。
コロナ生活補償を求める大阪座り込み行動からの呼びかけを転送します。明日、時間のある方はぜひ!

  5月19日

 昨日の大阪市役所行動。釜ヶ崎のセンター開放行動などの人たちがあらかじめ提出していた三項目の要求(給付金をすべての人に速やかにわたるようにすること等)の回答があるはずだった。
市側の回答は、給付金の支給は住民票に記載が条件という政府の指針を繰り返すだけ。住民票の記載のない野宿者についてどうするのかという質問には、「今日は要求書への回答だけという約束」「意見があるのなら代表との人数を限定した協議の場で聞く」の一点張り。ふたこと目には「交渉にはルールがある」、「市役所の中でも決定や調整にはルールがある」……
先週のようなハプニング(市長記者会見への「乱入」)がないように、多数の市の職員が庁舎への入り口に待機している。
この間、何度か市や府との交渉に参加させてもらっているが、市や府の職員がどっちを向いて仕事をしているのかがよくわかった。行政と住民の間のコミュニケーションをはかろうという姿勢が少しも見られない。給付金が本当に必要なところへ迅速に回らない、という問題があるのだから、とりあえずは府や市で何とかしてくださいという要望なのに、そういう問題が起こっているという認識さえない(わかっていても問題として認識していない)。知らなければ現場や当事者に聞けばいい、むずかしければ知恵を借り、住民自身のネットワークを借りればいい、そのための話し合いを求めているのに、「ルールが、ルールが・・・」。これが「大阪モデル」!
昨日は大声で突っかかってくる人が二人。どちらも「悪いのは自民党だから、大阪市や府に言っても仕方ない。吉村はよく頑張っている」(!)とまくしたてて立ち去った。「あなたが吉村を好きなのは勝手だが、吉村はあなたを好きではないと思うよ」とたしなめるのも空しいのでやめた。
維新府市政一〇年で、市も府も本当に変わってしまった。
私の父が緑道建設や親水型海浜公園の建設のための住民運動に関わってきたころ、市の担当者や労働組合は住民側の主張をよく聞き、自分たちでも勉強して、いろんな行政の壁を取り払うために尽力してくれたと聞いている。それが自治体だ。
先日の交渉では市の職員が、庁内のルールを説明するのに「普通の会社でも・・・するでしょう?」という言い方をしていたが、維新に洗脳されてしまうまでは、自分たちが「……こんなこと普通の会社では通用しない」という言い方で虐められていたことを忘れてしまったのだろうか?
昨日も途中で離脱しましたが、みなさん本当にごくろうさま。
あきらめずに変えていかなければ、維新の暴走は止まらない!



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