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    かけはし2020年4月20日号

いのちと生活守る労働者・民衆連帯を


パンデミック危機にあたって

雇用と生活を破壊する安倍政権の無策

「非常時」名目の改憲誘導許すな

新自由主義に代わる社会・世界を

パニックに陥った安倍

  四月七日、「改正新型インフルエンザ等対策特別措置法」に基づいて、安倍は「緊急事態宣言」を発令した。対象地域は七都府県で、期限は五月六日までとした。しかし東京都や大阪府、医療関係スタッフなどが要請していた早期の宣言「発令」に躊躇し反対してきたのは安倍自身であった。安倍は株価の大暴落やインバウンド成長のとん挫やサプライチェーン崩壊による自動車産業を中心とした製造業活動の停止という事態を前にして、完全にパニックに陥ってしまった。
 そうした安倍のパニック状態を端的に示したのが、一枚二六〇円の布製マスクの全国配布だった。「何をやっていいのかわからない」「しかし何もやらないわけにはいかない」、そこで思いついたのが「アベノマスク」だったというわけだ。しかもそのマスクに四六六億円の税金があてられるのである。「マスクならば自分たちで何とかできる。政府には政府にしかできないことをやるべきだ」という声が上がっているのは当然である。この資金を人工呼吸器などの購入にあてればどれだけの命を救うことになるのか、そういった発想は出てこないのだろうか。しかもこの愚策に対して首相官邸を中心とした安倍の取り巻き連中が「ストップ」をかけられなかったどころか、取り繕いを繰り返しているところに安倍政権の政権としての腐敗と堕落を象徴することになった。
 しかも米国の感染防御研究者らの研究結果によると、布製マスクはフィルター機能が弱く、感染防御効果は低いという見解が公表されている。ウイルスに対する効果は医療用のN95が九五%以上の効果があるのに対して、布製マスクは一〇〜三〇%で、一般のサージカルマスクやタオル以下という結果が示されている。

「医療崩壊」の危機

 二月上旬まで開催されていた札幌雪まつりの影響で、北海道で最初の感染拡大が示されたが、東京オリ・パラの中止問題をめぐって感染者数を極力増やさないためにPCR(遺伝子)検査を極力実施してこなかったのは明らかである。「日本だけは別」だということを安倍政権も小池知事を先頭に東京都も演出しようとしてきた。
東京オリ・パラの一年間の延期が決まるや否や、感染者数がうなぎのぼりで拡大していることがそのことを端的に物語っている。それでも東京での検査数は多い日でも五〇〇件程度なのだ。東京のわかっている感染者数はまだ二〇〇〇人程度であり、都民の危機感が高まったとは言い難い。
「宣言」発令後は都心部での人並みはかなり減少しているようだが、学校が休校になっている影響もあるのだろう、住居地周辺の商店街や公園などは普段よりも日中の人密度が高くなっている。「まだレストランに人がいっぱいいるのは日本くらい。日本だけ違う星ではないかと思えてきます」(韓国人実業家−四月七日付「毎日新聞」)。
日本がPCR検査を拡大していない理由は、日本の医療体制が極めてぜい弱だという現状も反映している。死亡率が高いイタリアでは医療崩壊が発生していると言われているが、イタリアは〇九年のユーロ危機後の緊縮政策で医療体制が大きく弱体化した。しかし日本は人口比での医者数はイタリア以下であり、病床数もイタリアの半分以下なのである。医師と看護師の長時間労働と研修医の無給労働によって辛うじて成立している日本の医療体制は、感染爆発が起こればアッと言う間に「医療崩壊」してしまうことは避けられないのである。

おざなりな公衆衛生


人口統計を見れば二〇四〇年をピークとするこれまで以上の超高齢化社会が出現することが一目瞭然であるにもかかわらず、日本では公衆衛生なおざりの政策が続いてきた。一九九〇年代と比べると保健所は半減しており、感染症研究所などへの予算も二割削減している。SARS、新型インフル、MEASと五〜七年おきに押し寄せるウイルス感染の脅威を経験しながらも、こうした政策が見直されることはなかった。なぜならばそれへの投資は「資本主義的に割が合わない」からだ。SARSとMEASは一過性にとどまったし、新型インフルは一般的な風邪ウイルスに加わってしまったということを見れば明らかだろう。したがって今回の新型コロナウイルスも一〜二年もすれば一般的な風邪ウイルスに分類されるか、あるいは一過性のものになるかもしれない。
ウイルスは結核菌やペストのような細菌、いわゆる「ばい菌」ではない。ウイルスは細胞を持っておらず生物ではなく、自己増殖できない膜に覆われた遺伝子情報物質なのである。それがなぜ増殖できるのかというと、いろいろな生物の細胞に侵入して、細胞の中にある遺伝子から自己の遺伝子情報をコピーして増殖するのである。遺伝子組み換え食品もウイルスの持つこうした「能力」を利用している。遺伝子伝達物質はベクターと呼ばれる。
したがってウイルスによる遺伝子情報の操作によって何らかの毒性が発生すれば、風邪症状や肺炎などを引き起こすのである。ヒトの遺伝子情報は一様ではないので、毒性が発生しない人も当然いるということになる。また一九一八〜二一年に世界的に流行(パンデミック)したいわゆるスペイン風邪のように、ウイルスに対する人の耐性が広まるということもあり、その毒性が弱まっていくという性質を持っているようだ。ウイルスは生物ではないので「殺す」ことはできないのである。物質を「殺す」ことができるだろうか。しかもあまりにも微小なわけであって、破壊することも不可能なのである。付着しているものを洗い流す、付着したもの(被膜など)をできるだけ大量に取り込まないようにする。だから手洗いとマスク、「三密」回避などが有効なのである。

「ウィルスとの戦争?」


「ウイルスとの戦争に勝つ」などと息巻いている政治家を決して信用してはならない。ウイルスと戦争することはできない。ウイルスは生き物ではなくて物質だからだ。確かに医療現場は「戦場」さながらだが、それは医療スタッフとウイルスが戦っているからではなく、感染者を相手にして戦っているからなのである。
これからも数年かけて世界中の多くの人が新型コロナウイルスに感染することになるだろう。人類がそれに打ち勝つということは、それへの耐性を獲得するということであり、重篤者の命をできるだけ救えるための手段を獲得するということなのである。
いわゆる一般的なインフルエンザによる死亡者数は、日本では年間でおよそ三〇〇〇人である。肺炎による死亡者は年間で九万人強である。こうしたことを考えると、今回の事態で最悪なのがパニックを起こしてストレスを増大させることだ。ストレスは確実に免疫力を低下させるし、精神的な不健康や周囲の人間関係の悪化なども発生させる原因になる。これでは事態を乗り切るための人間としての連帯の基盤を自らが破壊してしまうということになる。重要なことは「いま何が起きているのか」科学的に理解することだ。よく睡眠し、しっかりと食事をし、適度な運動をして、家族や友人や他人を思いやり、衛生に気をつけることだ。
安倍政権は人民の命も生活も決して守ってくれることはない。「アベノマスク」はそれを象徴している。それは無方針状態にあった安倍の自己保身反応だということが言えるだろう。彼らが守ろうとするのは人民の命や暮らしではなくて、相当ポンコツになった日本資本主義の、すなわち大企業の利益と金融資本・株式市場なのである。そして自分自身の「政治生命」なのだ。
安倍政権は金融機関や民間からの支出を加えたコロナ対策事業規模を過去最大の一〇八兆円だとうそぶいて、あたかもGDPの二割を拠出するようなことをいっているが、新たに追加する歳出の実態は一六・八兆円だ。これらすべて国債の発行でまかなうというものに過ぎない。要するに国家の借金でまかなうのである。こんなことは胸を張って偉そうに言えることではない。安倍は七日の記者会見で「雇用と生活は守り抜く」と強調していたが、この程度の支出で「守れない」ことは言った本人も分かっているはずだ。
世帯向けの「生活支援臨時給付金」に四兆円、中小・小規模業者向けの「事業継続給付金」に二・三兆円を計上しているが、いずれも自己申告制の一回限りだ。そこには生活や経営が行き詰まってもそれは「自己責任」だとする、新自由主義の論理が赤裸々に貫徹されている。「弱者は去れ」ということであり、この論理をコロナ事態に照らせば「貧者は死ね」ということに等しいのだ。これが森・加計、桜、検察で脱法行為を繰り返し、官邸政治の「独裁」で、自民党ばかりか霞が関の官僚機構をも「ぶっ壊した」安倍政権の「自己保身」政治の帰結に他ならない。

労働者と貧者の連帯


今やるべきことは明らかだ。第一に脆弱な医療現場に対するテコ入れである。第二に生活貧困層に対する早急な生活支援だ。母子家庭、高齢者、若年者、女性単身者など前年度の確定申告を基にすれば、誰が経済的に困っているのかはすぐにも分かるはずだ。ここへの無条件、一律三〇万円投入を実施しなければならない。第三に消費税の凍結である。一〇%の消費税を凍結すれば、それだけで一〇%の所得増加効果になる。第四に今回のコロナ事態の影響で解雇された労働者や、経営破綻した中小・零細事業者に対する支援である。そして第五に東京オリ・パラの中止を確定させることだ。
一年間の延期のために費やされる数千億円のカネは、人民のために使われなければならない。何よりも新型コロナ事態は一年間で終息するはずがない。今後、アフリカ、アジア、中・南米などへの感染拡大は必至であり、それらの国々の現状の医療能力を考えるといつ収束できるのかまったく予想することができない。そもそもオリ・パラは非営利組織(NPO)に過ぎないIOCに群がるマフィアと大資本の営利事業だ。そもそもスポーツとは誰のために何のためのものなのか考えるきっかけとして、世界的な連帯を押し広げながら東京での中止を実現し、オリ・パラの廃止へと結びつけよう。
安倍や小池都知事などに命をゆだねてはいけない。奴らを信用するな。奴らは人民の「命と生活」を守る気など「さらさらない」のである。奴らが守ろうとしているのは己の「政治生命」だけだ。
われわれがやるべきことは労働者と貧者の連帯を作り上げることだ。そして世界で苦しむ人々と連帯して、新自由主義に代わる「明日を心配しなくてもよい」世界を実現していくことだ。
(高松竜二) 




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