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    かけはし2018年9月17日号

今こそ永遠の思い違いを捨てる時だ


米国

変革求めるエネルギーは広大化
討論と闘いを広げ政治的自立へ

アゲンスト・ザ・カレント


 米国の民衆内部の、特に若者内部の社会主義に対する関心の高まりは、日本の一般紙でも取り上げられている。その背景には、トランプ大統領期を好機と捉えた米国支配層の反動的攻撃への突進があると思われる。以下では、この情勢に求められる闘いのあり方を論じている。特に、懲りることなく生まれている民主党への結束というかけ声をきっぱりと拒絶し、二大政党制のワナから今こそ離別すべきことが強調されている。(「かけはし」編集部)

逆行的変革を課された大統領


 現情勢が求めている憤りのどんなものも見失ってはならない――難民家族にしでかされた、トランプ政権の人道に反する犯罪にはらまれたまったくのサディスティックな残酷さで照らし出された――が、この情勢を注意深く分析することもまた必要だ。ドナルド・トランプは真空から出てきたのではなかった。彼は、何十年もの間発展を続けてきた逆行的な諸傾向に乗って、ある種の「変革を起こす力をもつ」大統領として彼の異様なやり方で登場することになり、米国政治における右翼と極右が長い間思い描いてきた一組になった諸計画を前に進めたのだ。
 これらの諸勢力は意識的に、白人のレイシズム的憤激の高まる社会的位置、キリスト教原理主義、さらに何よりも労働運動の底深い腐食や実質賃金下落や職の不安定化を含んだ周知の諸要素を力づけ、利用し、白人有権者の多くの中にある怖れと怒りに油を注ぎ、それを強化してきた。似たような不吉な傾向が国際的にも成長を遂げてきた。それらは、レイシズム的な反移民の敵意に、そしてある種の実体として、ねじ曲げられているとはいえ、新自由主義がもたらした世界的な荒廃に対する反乱という形で、表現されている。
 トランプは、二〇一六年の選挙の中でまたその後でも、先のすべてを掴んだ。そしてさらに欧州諸国民内の反移民かつ外国人排撃の諸潮流がもつ不快な諸要素とも結合した。G7、NATO、ヘルシンキサミットにおける彼の愕然とするようなふるまいは政治的エリートたちにとっては、下品なおどけ者の行為のように見えたかもしれない。
 しかしながらトランプは、もっと重要なこととして、彼の基盤に対する熟練を積んだ操縦者として、同時に彼の共和党のキングメーカーとの関係では代理人かつ中継者として、認識されなければならない。それは彼が、彼の低級な熱烈ゴッドファーザーファン的行為がウラジミール・プーチンに関する本当のことに突き当たる場合に、万が一打倒されることがあるとしても、言えることだ。
 対照的に、リベラル左翼の多くは、バラク・オバマの大統領期が進歩的な方向での改革期となるだろう、と期待した。それらの期待は悲しいことに、オバマの群れをなす「党派主義超克」企業中道主義の上に座礁させられ、最終的にはヒラリー・クリントンの挫折の中で溺死した。事実として、オバマ大統領が実際にやったことの多く――不正告発者に対する攻撃的な訴追、大量国外追放、ドローン戦争拡大、ホンジュラスにおける反動的クーデターに対する歓迎、次に続くことを何も考えずにリビア政権を打倒したこと――が、トランプの悪逆非道の多くに道を開けたのだ。

支配層にとっての最良の好機

 トランプがもっとも失敗しそうなところは、世界的な経済における支配的な潮流に逆らって泳ぎ続けている――特に、米国の敵に加えて同盟国に対しても保護主義的な関税の障壁を課す形で――ところだ。おそらく彼の北朝鮮とNATOに関する達成結果に対してと同様、トランプは多くの実質を得ないままに勝利を宣言することに終わりそうだ。それが、壊滅的な打撃を与える自動車関税と報復関税という崖っぷちから後退する、米国とEUの場合であるように見える。
トランプが嘘つき、詐欺師、ペテン師、またおそらくは犯罪的利権漁り屋であることを十二分に分かっている共和党の既得権エリートたちによって、彼はなぜ君臨させられることになったのだろうか? まがいものポピュリストとしての大言壮語とレイシスト的訴えを売りとする中での、裕福な者をさらに豊かにする彼の策略は、型にはまった共和党政治家が何とかできたと想定できたことを超えて、いくつかの結果を生み出すことになった。
底に流れる共和党の設定課題には、社会保障とメディケア(高齢者を対象とした医療保障制度:訳者)の骨抜きと最終的な私有化、オバマケアで残っているものの廃絶とメディケイド(低所得者のための医療保障制度:訳者)の一掃、銀行に対する再度の規制緩和、そして労組の存在しない米国の創出、が含まれている。悪名高いヤヌス判決(二〇一八年六月の最高裁判決。団体交渉権を獲得している労組の、労働協約の適用を受ける非組合員からも組合費を徴収する権利を否認:訳者)に続いて、右翼の諸機構は今公共部門の労働者に対して、その組合員数を減少させようと攻撃的なキャンペーンを積み重ねている。
これらの努力は以前からただ強まる一方で進んできた。社会保障の私有化というジョージ・W・ブッシュの二期目の設定課題はつぶれた。同じくジョン・マケインとミット・ロムニーがオバマ(諸労組支援のためには何もしなかったが、それらを破壊しようと努めることはなかった)の対立候補として立候補した時のキャンペーンもつぶれた。その上で、トランプが共和党の大物たちと超富裕層に与えているものは、彼らが最良の好機と分かっているものだ。それは彼らが、女性蔑視には触れないとしても、力ある者たちと特権層に便宜を与える、残忍で、反民主的かつ不人気な変革をやり遂げる上で、いつかは確保しようとしていた好機なのだ。
けたたましい白人アイデンティティの、また民族主義的訴えに魅了されたトランプ支持基盤の裕福とは言えない多くは、彼らに対して今なされようとしていることをまだ理解していない。「新貧しい者たちのキャンペーン」組織者であるウィリアム・バーバー師によりもっとも深く理解され、言葉豊かに表現されたその点こそ、「抵抗」と称されるものの中心に置かれる必要がある。

この異常を止める力は民主党か

 その抵抗はこれまでヒーロー的であり、度々巨大だった。ムスリム入国に対する最初の禁令に反対する自然発生的な殺到から、移民収容センターにおける全国的な広がりをもつ諸行動、ブラック・ライヴズ・マター、女性行進、二〇一八年春の教員ストライキ、さらに大小のまさに多数にのぼる他の諸行動にいたるまで、人々は決起し、トランプ一味の悪逆非道に反対してほとんど休みなく組織化を重ねてきた。
進歩的な司法界も国外追放と拘留センターにおける虐待をめぐり大挙して決起し、少なくともいくつかの成功を得ている。最高裁判事へのカバノー(ブレット・カバノー、反動的な見解の持ち主として知られ、その判事指名に関する議会公聴会が現在進行中:訳者)指名をめぐる、特に労働者や中絶やクイアーの権利に対するその脅威に関する巨大な戦闘は有望だ。
圧倒的な数の人々にとっての焦眉の課題はまさに今、これらの闘争を大衆的レベルで持続させることがあり得ないことに近いという問題のほかに、権力の問題だ。女性、労働者、医療、投票権と基本的な民主的権利に関するこの政権の諸攻撃、そして難民申請者、難民、移民の家族に対して国境とわれわれのコミュニティで日々しでかされている人道に反する容赦できない犯罪、これらを止めるために、何を行うことができるのだろうか?
一つの提案が、民主党の支配的な共同権力センター、およびそれに従属するリベラルな翼の多くから出てきている。すなわち、問題は投票した者や投票しなかった者の過ちだ。君たちはヒラリー・クリントンのために全力をあげるべきだった。君たちはそこから教訓を学んだのか? 今こそ「下院を取り戻せ」、君たちは、差し出されている民主党候補者が何であれ、あるいはどのような者でもより「選出可能」と思われる民主党候補者を支えなければならないと。そして議会を支配できるようになれば民主党は、トランプを統制し、あるいは彼を弾劾し、彼の極右の判事指名を阻止するために行動すると想定できるだろう、などと。
この夢のようなシナリオには多くの問題がある。第一に、下院の選挙は、極度のゲリマンダー化と投票権抑圧によって、事実上不正に操作されているのだから、民主党が共和党多数をひっくり返すなどということは高度にありそうがない。第二に、彼らがそうできたとして、彼らがトランプ弾劾で結束することもありそうにない。いずれにしろそれは、右翼を焚きつけることになるだろう。そして第三に、たとえ彼らがそうできたとして、解任に必要になる上院三分の二を得るチャンスはまったくない(トランプ解任に対する真の可能性は、共和党指導部と資本家の支配階級が彼に背を向けるという条件でのみ現れるだろう)。

もう一つの展望が開けつつある

 第二の展望は、本誌読者が疑問の余地なく知っているように、下院のニューヨーク市第一四選挙区予備選における、反対分子のアレクサンドリアオカシオ―コルテスの驚くべき勝利から現れようとしている。彼女は、ニューヨーク市のブロンクスとクイーンズ・バラのいくつかで有権者に訴える草の根のキャンペーンに基づき、民主党の長い間の指導的人物であったジョセフ・クロウリーに圧勝したのだ。
「米国民主的社会主義者」の誇りあるメンバーである彼女は、他の予備選レースを闘う一定数の他の自称社会主義候補者にとって、一つの鼓舞となっている(われわれが知る限りでは、彼女の支持は残念ながら、民主党の触手の外にある、無所属や緑の党の候補者として闘っている社会主義者には届いていない。彼女はまた圧力の下で、彼女の称賛に値する親パレスチナの立場をやわらげようともしている)。
われわれの展望から見てもっとも重要なことは、どこで聞いても、オカシオ―コルテスの成功が、何千人という人々に社会主義運動に加わるよう、新たに火を着けたということ、そしてバーニー・サンダースのキャンペーン同様、米国の政治的議論に社会主義を置く助けとなった、ということだ。それは、なされるべき決定的な議論がある、ということを意味している。それは、社会主義とはもっぱらなんであるのか、われわれの社会また世界で進行中の社会的闘争に対するその関係はどういうものであるのか、またそのための闘い方だ。そしてそれに関わっていたのは長い間、相対的に少数の活動家だったのだが、しかし今やそれは数万人に、そして多分まもなく数十万人の組織され活動に従事してる人々に関係している。
それは潜在的に巨大な前進だ。そしてわれわれは控えめだが、われわれの「底辺からの社会主義」という展望を備えた本誌が有益な資産になり得る、と提案する(事実として、われわれの現在進行中のカール・マルクス生誕二〇〇周年記念シリーズは、価値ある出発点を提供するかもしれない)。

民主党への依存は何も変えない

 この間の発展が抱える問題含みの側面は、エネルギーを得た「進歩的翼」が民主党内で発展し、この党を引き受けることになるだろう、との言及の復活だ。この永久的思い違いは、民主党を、諸運動の墓場に変え、何十年もの間、自立した労働者階級、アフリカ系米国人、あるいは反資本主義政治に対するもっとも強力な障害にしてきた。
事実、進歩的な諸勢力を二大政党制のワナにとどめることは、米国の資本家支配政治の「安定性」に対する、民主党のもっとも傑出した奉仕となってきた。
ある種の左翼政治は民主党のテント内部ですきまをより大きく切り開く可能性があり、おそらくそうするだろう。しかしそれは、その企業依存的で活力を欠いた新自由主義の中心性を変えることも、それを進歩的な政党に、あるいはささやかな規模でも民主的な政党に変えることもないだろう。
新たな自立した政治を求める困難な闘いが必要とすることは、一つは民主党の支持基盤との格闘だ。しかし同時に、職に関する自身の権利、自身のコミュニティの医療、また自らの子どものまさに生き延びに反する投票を行っている、労働者階級と中間階級低層の巨大な数に上るトランプと共和党支持者に対する、反動的でレイシズム的な締め付けをいかに打ち破るかの問題にも取り組むことだ。
民主党の、繁栄する郊外と高所得の「社会的にリベラルだが国家財政的には保守的な」層への志向に基づいた選挙戦略は、党自身の民衆的基盤は当然のものと考え、トランプ支持者の裕福でない部分に語るべきことを何も用意していない。
日々の見せ物――金正恩とウラジミール・プーチンを前にしたトランプのへつらいおよび米国の同盟者に対する嘲りに関する金切り声、大統領選に対するロシアの支援に対する否認、極右欧州諸政党への支持、嘘にまみれたツイートの嵐――に関するものを除くあらゆることは、すべて二次的になっている。ヘルシンキにおけるトランプの「反逆」に関するあらゆるおしゃべりは、資本家政党両者の既得権エリートの、エコー効果付き特別室の内部でしか響かない、まさに中味のない騒音にすぎない。
バーニー・サンダースの二〇一六年のキャンペーンは、民主党の支持者基盤に届く、親労働者の社会的に進歩的なメッセージの能力を示した。クリントンのキャンペーンと企業民主党指導部は、大量投獄がアフリカ系米国人の暮らしをぶちこわしにし、小さな町と田舎の米国部分が枯れ、ゆっくりと死ぬに任せ、病院が閉鎖し、職が消え、麻薬症候群が猛威をふるっている中で、そのメッセージを抑え込んだ。そして一方で、世界中で労働者階級と貧しい人々の生活を破壊する「ルールに基づく」自由貿易体制と称するものと神聖な新自由主義の世界的な諸機構に、そして彼らの先を見ない「米国は変わることなく偉大だった」との呪文に、忠実なままにとどまった。
早くも、エネルギーを蓄えた進歩的な基盤が現れる――その縁における民主党内部で、またその外側で――中で、冷笑的な知恵からの声が、選出されるためには、党は左翼ではなく「中道」に向きを取らなければならない、と警告を発している。しかし、米国の住民が欲するものが中道だとしても、そこに含まれるものは、普遍性をもつ医療、中絶する諸権利の保持、社会保障の保護、さらに気候変動がもたらす破局に関し真剣になることなのだ。
そして企業の米国に受け入れの用意があるものが中道であるとすれば、「ここはデンマークではない」とヒラリー・クリントンが横柄にもバーニー・サンダースに教えを垂れたように、あらゆる社会的考えはその時利潤の必要にしたがい、共和党と新自由主義の民主党が、両党の背後にいる企業の支配者と並んで、勝ち続けることになる、ということなのだ。

前途に控える諸闘争


本誌の立場は首尾一貫して、資本家諸政党の外側での、自立した政治行動を求めるものだった。そして、労働者階級と被抑圧民衆の運動を基礎とした新たな党の建設をめざしてきた。それは基本的な目標であり続けている。しかし、オキュパイの高揚からブラック・ライヴズ・マター、♯Me Too、ウェストバージニアの教員のめざましい勝利、そして大衆的な選挙後の「抵抗」にいたるまで、近年にこれまでわれわれが見てきたあらゆることの後であってさえ、われわれは、先の目標に到達する道程あるいは定式の主張はできない。
われわれが先に提示した観察の一つを繰り返せば、もっとも重要な事実は、討論は広大に広げられ、活力を与えられた基盤を巻き込んでいる、ということだ。そしてわれわれは、読者の考察に向けて以下のような二、三の決定的な出発点を提案する(上げられている論考は割愛:訳者)。
討論と闘いを広げよう。機会と切迫性は等しく大きい。(「アゲンスト・ザ・カレント」二〇一八年九・一〇月号)(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年九月号)  


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